塚本三郎
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テンプレート:BLP unsourced テンプレート:政治家塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年(昭和2年)4月20日 - )は日本の政治家。元民社党委員長。元衆議院議員(通算10期)。
愛知県名古屋市出身。旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、中央大学法学部卒業。辞達学会(弁論部)出身。国家基本問題研究所理事、頑張れ日本!全国行動委員会愛知県本部顧問。
経歴・活動
- 戦後まもなく国鉄に勤務し、労働運動に携わる。運輸省出向後、国鉄を退社し、家具製造業を営む。日農中央委員を経て、1952年の総選挙、1953年の総選挙に無所属で、1955年の総選挙に右派社会党公認で旧愛知1区から出馬もいずれも落選。
- 1958年の総選挙で旧愛知2区(旧愛知1区から分割)から日本社会党公認で出馬し、初当選。自民党の竹下登、金丸信、安倍晋太郎などは同期。
- 1960年1月、民社党結成に参加するが、同年の総選挙、1963年の総選挙では落選。1967年の総選挙では、新設区である旧愛知6区(旧愛知2区から分割)に鞍替えし当選。民社党副書記長、同党書記長代行を歴任。
- 1973年、チリのピノチェトがクーデターを起こし、アジェンデ大統領らを自殺に追い込み政権を掌握した。塚本は民社党の調査団代表としてチリを訪問し、クーデターを「天の声」と賛美した。テンプレート:Main
- 1974年2月、民社党書記長に昇格し、以後11年務めた。佐々木委員長が社会党・公明党との連携を重視する一方で、塚本書記長は自民党との連携や保守系(竹下登、金丸信、江崎真澄等とパイプを持つ)支持層の取り込みを重視する。テンプレート:Main
- 1985年4月に民社党委員長に昇格、副委員長に永末英一国対委員長、書記長に大内啓伍政審会長がそれぞれ昇格するも、1986年7月の衆参同日選では大内書記長が落選するなど大きな痛手を負う。
- 1988年1月28日、衆議院本会議において竹下登首相の施政方針演説に対する代表質問の中で前年11月の大韓航空機爆破事件、「李恩恵」(田口八重子)及び金賢姫等に言及した。テンプレート:Mainそれとともに1978年7月から8月にかけて福井県(地村保志・濱本富貴惠)・新潟県(蓮池薫・奥土祐木子)・鹿児島県(市川修一・増元るみ子)において発生した若年男女の行方不明事件、富山県高岡市で発生した若年男女の拉致未遂事件について国会において初めて「北朝鮮による犯行ではないか」と指摘し、真相究明を求める。この質問は政党代表者が代表質問において初めて北朝鮮による日本人拉致問題について取り上げたものであったが、竹下は明確な答弁を避けた(1980年に公明党の和泉照雄が参議院での質問で拉致問題に連なるアベック失踪事件を取り上げたことがあるが、質疑応答において北朝鮮という国名は出なかった)。テンプレート:Main
- 1988年から1989年のリクルート事件では自分の秘書がリクルートコスモス(現 コスモスイニシア)の未公開株を譲受されていたことが発覚。佐々木常任顧問から委員長辞任勧告を受け、1989年2月7日に党委員長を辞任。党常任顧問に退いた。永末英一党委員長辞任後、大内啓伍党委員長の誕生を後押しする。テンプレート:See also
- 1993年7月の衆院選では、前年の民社党議員・新間正次による学歴詐称や自身の選挙区で新生党公認候補が出馬した影響を受け落選。テンプレート:See also
- 1994年12月に民社党が解党し、新進党が結成されるが、反創価学会の霊友会、日蓮宗[1]の意向もあって大内前委員長と共に新進党不参加を表明。1996年1月には自民党に入党した。
- 1996年10月の衆院選には、愛知4区から自民党公認で出馬するも落選。
- 1997年(平成九年)勲一等旭日大綬章を受章。
- 2000年6月の総選挙を前に党の公認を得られなかったことから政界引退。
- 2007年、アメリカ合衆国下院121号決議の全面撤回を求める抗議書に賛同者として名を連ねた。
- 2010年、頑張れ日本!全国行動委員会愛知県本部顧問
脚注
- ↑ 法華経に支えられた人々 塚本三郎(1930~) - 日蓮宗ポータルサイト
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
佐々木良作
|style="width:40%; text-align:center"|民社党委員長
第5代 : 1985年 - 1989年
|style="width:30%"|次代:
永末英一
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
佐々木良作
|style="width:40%; text-align:center"|民社党書記長
第5代:1974年 - 1985年
|style="width:30%"|次代:
大内啓伍
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