東急バス荏原営業所
東急バス荏原営業所(とうきゅうバスえばらえいぎょうしょ)は、東京都品川区二葉四丁目27番1号に位置する東急バスの営業所のひとつ。品川・大田の両区と第二京浜国道(国道1号)上の路線を担当する。同社内での営業所略号は「E」。
目次
沿革
目蒲電鉄初のバス事業
現在の東急バスになってからまとめられた社史「東急バス10年の歩み」によると、開設日は1948年(昭和23年)6月1日となっているが、戦前にも同名の営業所があり、その歴史は昭和初期まで遡る。
目黒蒲田電鉄は1927年(昭和2年)7月、大井町線を開業させた。テンプレート:Main そこで、大井町線に並行する道路にバス路線を設け、鉄道の営業を防衛するという意味を込め、目蒲電鉄は自社での乗合自動車事業に参入することになる。こうして1929年6月、目蒲電鉄は東京府荏原町の現在地至近に車庫を確保し、バス大井町線の運行を始めた(後述)。テンプレート:See also
翌1930年(昭和5年)には、荏原町車庫を核に馬込を経由して池上方面へ向かう路線が開通。荏原町線の基礎となる。また、荏原町車庫より西にも路線があり、大岡山駅や洗足駅、目蒲電鉄の前身の田園都市会社が手掛けた洗足田園都市にも乗り入れていた。テンプレート:See also
城南乗合自動車
一方、目蒲電鉄大井町線が開業する前年の1926年(大正15年)、東京府大井町で創業したのが、城南乗合自動車である。
大井町では、大井の大仏として知られる養玉院が1922年(大正11年)に東京市下谷区から移転してきた。その後先に芝区高輪から移転した如来寺と合併するが、合併後に増えた参拝客の足を確保するため、乗合自動車の構想が持ち上がった。そして、1926年に大仏と倉田の間で運行が始まったものである。テンプレート:Main
ちなみに、倉田というのは現在の大井町駅の南側、品川区大井4丁目付近の旧町名である。テンプレート:Main
1939年(昭和14年)、城南乗合は目蒲電鉄に買収され、子会社となった。
神明営業所誕生
目蒲電鉄バス荏原町車庫は、目蒲乗合の時代を経て目蒲電鉄に戻され、神明営業所と名前を変えていた。神明というのは、営業所のある品川区二葉に古くからある上神明天祖神社と、下神明天祖神社に由来するもので、これは東急大井町線下神明駅の駅名の由来でもある。テンプレート:See also
1942年(昭和17年)、目蒲電鉄の後身の東京横浜電鉄を中心とした戦時統合私鉄東京急行電鉄(大東急)が発足する際、城南乗合自動車は大東急本体に吸収合併され解散した。城南乗合の営業所は営業エリアが被っていた神明営業所に吸収され、大井町線の基礎が出来上がった。テンプレート:Main
復興と第二京浜
本土空襲により壊滅的な被害を受けた東京山手線外の復興を担うため、GHQは都内の主要道路から都心、特に東京駅へ直通するバス路線を新設するように指示していた。東急は同じ品川区にあった中延営業所と東京都交通局(都営バス)の共管で雪が谷線を新設。池上営業所の池上線がこれに続き、神明営業所管下でも都心直通路線の要望が出た。こうして神明営業所の前を走る第二京浜国道を経由して、東京駅直通のバスを運行することが企画された。
1950年(昭和25年)、東京駅 - 久が原(現・池上警察署)間で都営共管の多摩川大橋線が運行を開始する。また、久が原から先は東急単独で横浜駅まで運転され、横浜線となった。
一方、大井町線は1951年(昭和26年)に戦前の目蒲電鉄の路線と城南乗合の路線をつなげた循環線として復活。荏原町線は臼田坂を下りたところに設けられた大田区役所(現・大田文化の森)を経由して国鉄大森駅へ向かうというルートに変更されて再開、現在の路線の基礎が早くも完成した。
神明から荏原へ
1960年(昭和35年)3月25日、神明営業所は荏原営業所と改称された。この頃には、横浜線が鶴見駅までの運行となり、鶴見線と改められていた。また、多摩川大橋線の変形として五反田駅 - 川崎駅間の五反田線が誕生し主力となっていった。
1968年(昭和43年)の都営地下鉄浅草線西馬込開業で、完全並行となった多摩川大橋線は存続の意味を失い、都営が撤退して廃止。五反田線に吸収される。
1981年(昭和56年)、中延営業所の閉鎖に際して荏原は馬込循環線を引き受けた。
1984年(昭和59年)10月1日、東京都区内バス共通回数券の運用を開始。共通回数券は10年後の1994年(平成6年)10月1日にバス共通カードへと発展。そして2007年(平成19年)7月25日、荏原営業所所管路線にPASMOが導入された。
営業所史上最大の所管替え
2010年(平成22年)4月1日、馬込循環線が池上営業所へ移管される。それと同時に、荏原町線とTOCシャトル、しながわ水族館線が目黒営業所へ移管となった。旧目蒲電鉄以来の伝統路線である荏原町線が荏原営業所の手を離れるのは、路線開設81年目にして初めてのことだった。しかし、目黒に移された後も大森駅からの出入庫便だけは荏原営業所までの運転で、荏原営業所から目黒営業所のある清水までは回送扱いだった。
この不便がたたり、2012年(平成24年)10月1日、馬込循環を除く3路線が荏原に戻される。2013年(平成25年)現在は、一般路線に限れば馬込循環線を引き受ける前の1970年代後半とほぼ同一の規模になっている。テンプレート:Main
現行路線
大井町線
大井町駅から西へ向かう路線で、全線が品川区内を走る。二葉地区を横断して荏原営業所へ向かう「井01」系統と、西大井地区(かつての伊藤町界隈)を経由して西大井駅に至る「井05」系統の2系統からなる。
路線の北側は目黒蒲田電鉄が最初に開通した路線、南側は1939年(昭和14年)に同社傘下となった城南乗合自動車の路線が起源という古い歴史を持つ(前述)。神明営業所 - 二葉 - 大井町駅 - 伊藤町 - 神明営業所という大回りの循環路線として1951年(昭和26年)3月に開業して以来、大井町循環線として運行されていた。当時は営業所を起点に内回りを「伊藤町廻り」、外回りを「二葉町廻り」と呼んでおり、大井町駅からの利用者にはきわめて不親切な状況であった。
その後、車両制限令の適用により、運行が不可能となる区間が生じた。この法令は1966年(昭和41年)8月1日から路線バスに対しても適用され、東急でもいくつかの路線で経路変更や区間廃止を余儀なくされたが、ことに大井町線に関しては、さまざまな紆余曲折がみられた。
同線における抵触区間は、現在すでに廃止となっている品鶴線以西の西大井六丁目付近であった。各方面と協議のうえ、この区間の道路を一方通行化することで、その後も循環一方向(外回り)の運行を継続させることはできた。また、内回りの代替系統として、荏原営業所 - 大井町駅 - 原小学校(現大井原町)間の折り返し運行を開始することとなった。ところが、原小学校付近に新設する転向場用地の買収が進まず、制限令適用日までに同系統の新設が間に合わない事態となった。これに対し、沿線住民による猛烈な陳情があったことから、暫定的な措置として、伊藤中学校停留所付近から南へ少し入ったところに西大井三丁目停留所を設け、荏原営業所 - 大井町駅 - 西大井三丁目間を路上折返しでひとまず運行させることとなった。
懸案となった原小学校までの系統は、その後まもなく新設されて大井町線の主力系統となった。1986年4月3日、西大井駅の開業により同駅まで延長されたのち、循環路線等が整理されてこちらだけが残ることとなった。1989年(平成元年)6月16日に西大井側の区間便として井05系統が新設された。その時はラッシュ時のみの運行であったが、2000年3月16日に運用効率化のため大井町駅を境にした系統分割が実施された際に終日運行となった。これに伴い、井01系統は全便大井町駅 - 荏原営業所の運行となり、現在に至っている。
ほぼ全線にわたり幅員の狭い道路を通るため、中型車限定で運行されている。
五反田線
- 反01:五反田駅 - 中延駅前 - 荏原営業所 - 池上警察署 - 多摩川大橋 - 川崎駅西口北
- 反01:五反田駅 - 中延駅前 - 荏原営業所(出入庫)
- 反01:荏原営業所 - 池上警察署 - 多摩川大橋 - 川崎駅西口北(出入庫)
- 反02:五反田駅 - 中延駅前 - 荏原営業所 - 池上警察署(深夜バスあり)
- 反02:荏原営業所 - 池上警察署(荏原営業所行きは深夜バスあり)
主に第二京浜(国道1号)を走り五反田駅と川崎駅を結ぶ。東京都内にある東急バス営業所が所管する路線では、唯一神奈川県に乗り入れている。日中時間帯でも毎時6 - 7本の本数が確保されており、他の路線と接続するバス停も多く、利便性の高い路線といえる。五反田駅 - 西馬込駅間では、道路直下を走る都営地下鉄浅草線と完全並行しているが、第二京浜は道路幅が片側3車線と広いために運行も比較的スムーズで、この区間の利用者も多い。五反田方では「多摩川大橋経由」、川崎方では「遠藤町経由」と案内され、通称「土手廻り」で東芝科学館前(2007年3月31日まで小向交番前) - 河原町団地前で経由地が違う高津営業所川崎線「川31」「川33」「川34」系統と川崎市バス上平間営業所小向線「川73」系統、通称「神明町廻り」で川崎駅西口北・河原町団地前 - 御幸小学校前間で経由地が違う川崎市バス神明町線「川74」「川75」系統と区別されている。テンプレート:Main
昭和30年代の初め頃に開通した路線で、川崎駅発着便のほかに五反田駅 - 鶴見駅東口という運行がおこなわれていた時代もある。これが初代の「反02」系統で、1981年(昭和56年)5月に廃止された(後述)。その後、1989年5月16日に2代目の「反02」系統が五反田駅 - 池上警察署の折り返し便として新設され、同区間で深夜バスの運行も始まった。
2007年4月1日より川崎駅の乗り場が東口から、ラゾーナ川崎に隣接して新設された「西口北」バスターミナルに変更となった。
原則として全便ノンステップバスが充当されている。
都県境をまたぐため、いくつかの区間ごとに異なる運賃を採用しており、本門寺裏、多摩川大橋の両停留所がその境界となっている。前払い制であるため、五反田駅 - 馬込中学校前から川崎駅ゆきに乗車する場合と、川崎駅 - 御幸公園前から五反田駅ゆきに乗車する場合には、運転士に降車停留所を申告して運賃を支払う。2006年11月現在の各停留所間の運賃は、右のとおりである。東京都シルバーパスの有効区間は、五反田駅 - 多摩川大橋間となる。
「反02」は同線の深夜バスを中心とした系統で、池上警察署を起終点とする便がこの番号を名乗る。平日のみ五反田駅 - 池上警察署および池上警察署→荏原営業所間で深夜バスが運行される。五反田駅では、山手線内回り最終電車と接続しており、都営地下鉄浅草線の運行が終了した時間帯における沿線の貴重な足となっている。
なお、戸越銀座停留所の最寄り駅は東急池上線戸越銀座駅ではなく、都営地下鉄浅草線戸越駅であり「戸越銀座商店街北口」という位置にある。また、矢口小学校停留所と東急多摩川線矢口渡駅は約300mほどしか離れていない。京急川崎駅へはソリッドスクエア停留所が近い(川崎駅西口北行きでその旨が放送される)。
荏原町線
- 森02:大森操車所 - 大森駅 - 大田文化の森 - 万福寺前 - 馬込橋 - 三本松 - 荏原町駅入口
- 蒲15:蒲田駅 - 蓮沼駅 - 池上駅 - 池上営業所 - 大田文化の森 - 万福寺前 - 馬込橋 - 三本松 - 荏原町駅入口(平日日中のみ)
- 森02:大森操車所 - 大森駅 - 大田文化の森 - 万福寺前 - 馬込橋 - 荏原営業所(出入庫運用)
- 森02・蒲15:荏原営業所 - 馬込橋 - 三本松 - 荏原町駅入口(出入庫運用)
大森、蒲田から池上通りを経て馬込地区を結ぶ路線。「森02」が基幹系統となっており、本数も多い。かつては大森操車所 - 万福寺前間の折返し運行となる森01系統も設定されていたが、1993年(平成5年)3月15日に森02系統に一本化された。万福寺前にあった折返所も現在はなくなっている。終点付近の三本松 - 荏原町駅入口間は時計回りに循環して大森・蒲田方向に戻る経路となっており、一部区間で環七通りを走行する。
蒲15系統は1999年(平成11年)4月1日に新設。前年に蒲田へ移転した大田区役所へのアクセスを確保することを目的としたため、運行時間帯は区役所の開庁時間に準じており、本数も毎時1 - 2本程度となっている。テンプレート:See also
森02系統は原則として全便大型または中型ロングノンステップバス、蒲15系統は基本的に中型ノンステップバスが充当されている。
目蒲電鉄荏原町車庫以来の縁で戦後も神明営業所→荏原営業所が長年所管してきたが、2010年(平成22年)4月1日に目黒営業所へ一旦移管された。しかし、2年半後の2012年(平成24年)10月1日に再び荏原営業所へ戻されて現在に至る。目黒営業所の所管時代は、路線エリアの地域が目黒営業所から遠く、目黒営業所からの営業上の出入庫運行ができないので、出入庫系統に限っては引き続き荏原営業所発着で運転されていた。
受託運行
しながわ水族館送迎バス
しながわ水族館の開業にあわせて、1991年(平成3年)10月19日に運行開始。同じく品川区に幅広い路線網を持っている京浜急行バスとの共管。
東京特殊車体製のレトロ調ボディを持つ専用車が使われていたが、老朽化にともなって引退し、2006年(平成18年)より2代目専用車が登場した。先代専用車は収容力に限界があり、多客時には一般路線用の中型車が充当されることも多くなっていたため、この教訓を生かし、2代目専用車は一般路線車をベースに塗装を変更したものとなった。
しながわ水族館のカレンダーにより4種類のダイヤがあり、多客時は一般塗装車も充当される。
かつては大崎郵便局、平塚中学校、荏原営業所付近及び大井町駅西口も走行していたが、利用者低迷の影響からか、上記の様に短縮されている。2010年4月1日より、東急バス担当便は荏原営業所から目黒営業所に移管されたが、2012年10月1日より再び荏原営業所の担当となった。
TOCシャトルバス
- 五反田駅 - TOCビル
五反田駅とTOCビルを結ぶ短距離のシャトルバス。専用の中型車が就役し、増発時や検査時には一般塗装車が充当されることがある。2010年4月1日に荏原営業所から目黒営業所に移管されたが、2012年10月1日より再び荏原営業所の担当となった。
廃止路線
多摩川大橋線
- 122:東京駅八重洲口 - 新橋駅前 - 田町駅前 - 三田三丁目 - 高輪警察署 - 五反田駅 - 神明営業所(現・荏原営業所) - 馬込橋 - 久が原 - 多摩川大橋(都営バス品川営業所と共同運行)
1950年(昭和25年)、東京都交通局との共管でスタート。当初は久が原(現・池上警察署バス停)打ち切りで、後に多摩川大橋まで延長される。五反田駅と田町駅の間は現在の都営バス反90系統のルートを辿り、田町駅から御成門まで日比谷通りを走った後、新橋6丁目から第一京浜国道に戻って東京駅八重洲口まで運行していた。
ちなみに、高輪警察署と三田三丁目の間は戦前に目黒営業所の前身の目黒自動車運輸が開設し、目蒲電鉄、東横電鉄を経て東京市電気局に渡っていたルートの復活だった。テンプレート:Main
都営地下鉄浅草線泉岳寺 - 西馬込間の開業により代替される形で都営が撤退、1970年(昭和45年)9月20日限りで廃止された。この時に五反田以南は五反田線に吸収される。五反田駅以北は6系統、そして東96系統と系統番号を変えて都営が単独運行した後、1982年(昭和57年)の第3次再建計画で田町駅以北が廃止。その3年前に廃止された橋99系統と組み合わせた形の循環路線、反96系統に変更された。その後、循環路線の分割によって五反田と田町の間が独立した形で残り、現在の反90系統へと引き継がれる。テンプレート:Main
横浜線
- 五反田駅 - 東寺尾 - 横浜駅
反01系統と横浜市営バスの7系統を組み合わせたような路線であった。1950年代には、五反田駅から先東京駅まで運行していたとの記録も残っている。テンプレート:Main
鶴見線
- 五反田駅 - 尻手駅入口 - 三ツ池道 - (途中通過) - 鶴見駅
横浜線の運行経路を短縮して立ち上げられた。前述の通り、五反田線の遠藤町からさらに第二京浜国道を下り、三ツ池道で左折して末吉大通りを経由し国鉄鶴見駅へ向かっていた。鶴見駅では、横浜市営バス29系統と同様に東口に発着していた。中延営業所閉鎖に伴うダイヤ改正の際、馬込循環線の移管と引き換えに整理対象となり1981年(昭和56年)5月25日限りで廃止。
移管路線
馬込循環線
- 森08:大森駅→大森郵便局→弁天池前→南馬込二丁目→馬込銀座→大森駅(循環)
- 森08(出庫運用):荏原営業所→東馬込二丁目→馬込銀座→大森駅
- 森08(入庫運用):大森駅→大森郵便局→弁天池前→東馬込二丁目→荏原営業所
1981年5月26日付で中延営業所から移管されてきた。2010年3月31日の運行を以て荏原営業所での運行を終了し、同年4月1日より池上営業所に運行が移管された。 テンプレート:Main
車両
同じ品川区に本社を置いているいすゞ自動車と関係が深く、東京急行電鉄が日産ディーゼル工業(旧・民生デイゼル工業)を好んで買っていた1970年代以前でもBU→CJM→キュービック→エルガといすゞ車が事実上独占的に納車されてきたが、2006年より日産ディーゼル(当時。現・UDトラックス)スペースランナーRAが登場。また2009年6月には、下馬営業所から日野自動車製の中型車(E332 - 337)・目黒営業所からも同型車(E351・E352)が転入したが、日野・レインボーは新車代替により2014年2月までに全車廃車された。2014年2月現在は路線用にはいすゞ、日産ディーゼルの2メーカーの車両が配属し、現在でも大型はエルガ、中型はmioといういすゞ車が主力となっている。
原則として、大井町線と荏原町線蒲15系統は中型車、五反田線と荏原町線森02系統は大型車という使い分けがされている。数台配置がある日産ディーゼル・スペースランナーJPは中型車をベースとしたロング車であり、こちらは荏原町線森02系統で使用する。目黒営業所や新羽営業所から転属した日産ディーゼルUA系も2台配置されているが、同車は貸切登録されており、MSCセンタービル契約輸送で使用する。2013年4月、東山田営業所から日野製のブルーリボンⅡが1台転入したが、2013年8月に淡島営業所に転出した。所属台数は2013年現在47台。
なお港区芝浦にあるMSCセンタービルのテナント従業員の契約輸送、五反田にあるTOCビルへのシャトルバス、しながわ水族館のシャトルバス、荏原病院のシャトルバスの運行受託をしており、MSCセンタービル契約輸送は日産ディーゼルまたはいすゞ大型ノンステップバス、シャトルバスは専用のカラーリングが施された中型車(しながわ水族館専用車E763、TOC専用車E764・E765)や荏原病院シャトルバス専用の三菱製マイクロ車(E6687)が就役している。これら受託運行は2010年4月から2012年9月30日までは目黒営業所に移管されるとともに、専用車も目黒営業所に転属していたが、2012年10月1日までに荏原営業所に出戻っている。
参考文献
- 『東急バス10年の歩み』(東急バス・2002年刊)