薬害
薬害(やくがい)とは、医薬品の使用による医学的に有害な事象のうち社会問題となるまでに規模が拡大したもの、中でも特に不適切な医療行政の関与が疑われるものを指す。臨床医学よりも医療訴訟や報道などで行政の対応の遅れを非難する際に多く用いられる。
目次
解説
副作用のなかで危険なものが見過ごされていて死傷者が多発した場合のほか、重大な薬物相互作用(飲み合わせ)、ウイルスなど感染源の混入などによるものがこれまで知られている。また発売時点では未知の病原体による感染が後に見つかることもある。
医薬品の開発に際して通常は治験が行われ、その有効性・安全性が検証される。治験では有効性・安全性がまだ充分に確立されていない治験薬(医薬品の候補)をボランティアに投与するため、必要以上に多くの人間に漫然と投与することは倫理的に問題となる。そのため、治験では有効性を検証するために最低限必要な患者数を事前に算出し、その限られた患者のみを対象に臨床成績を評価する。
その一方、副作用は薬物の効能ほどには頻繁に現れないため、安全性を正確に評価するためには、有効性を評価するのとは比較にならないほど多くの患者数が必要となる。そのため、安全性が完全に確認された医薬品のみに製造販売承認を与えるシステムにしてしまうと、それだけ発売が遅れ(1万人に1人の割合で発生する副作用を検出できる治験を実施すると、終わるまでに90年間かかる計算になる:厚生労働省・有効で安全な医薬品を迅速に提供するための検討会報告書 p.15)、治療を待ち望む患者の不利益となる(ドラッグ・ラグ)。
これらのことから、実際には、非臨床試験(動物実験など)および治験のデータの範囲内で有効性・安全性が認められれば製造販売承認が下り、より詳細な安全性情報は市販後調査(第IV相試験)と呼ばれる副作用データの蓄積によって評価されている。
このように、医薬品が発売される時点では、その薬剤の安全性はいわば仮免許の状態であるため、実際の臨床現場での使用を経て、安全性情報を蓄積してゆくことが非常に重要となる。また、安全性の追求と患者の利便性は時に相反するため、患者の利便性を担保しつつ安全性を追求するためには、有害事象を確実に把握できる報告システムと、偶然を超えるレベルで有害事象が生じた場合に警告する体制の構築が必要である。
日本国内での主な薬害事件
- 年代については、それが明らかに「薬害」として報じられ、和解などで決着された順に掲載。
昭和時代
- グアノフラシン白斑
- グアノフラシンはフラシンの一種で抗菌物質である。目薬に使用し周りに白斑が生じる報告が多く、発売は1950年4月であるが、1951年1月31日自主回収、厚生省の禁止は1951年6月26日である。厚生省が禁止したが、戦後最も早い禁止である。[1][2]
- サリドマイド(1960年代)
- 睡眠薬、つわりの治療薬。強い催奇性のため世界中で多数の奇形児を生み出し薬害史上有数の悲劇となった。
- キノホルム(1960年代)
- 整腸剤。服用者に脊髄炎・末梢神経障害のため下肢対麻痺に陥る例(スモン)が多発した。
- アンプル入り風邪薬(1960年代)
- 解熱鎮痛剤のピリン系製剤を水溶液にして飲用する形態の大衆薬製品群で、その組成上、血中濃度が急激に上昇し30人以上がショック死した。この事件により医療用医薬品と比べて大衆薬の薬効量を抑えるといった差を設けたり、医療用医薬品の一般消費者向けの宣伝が禁止されるといった基準が設けられた。
- クロロキン(1970年代)
- 抗マラリア薬。長期服用により視野が狭くなるクロロキン網膜症になる。マラリア以外にリウマチや腎炎に対する効能が追加された為に被害を拡大した。
平成期
- フィブリノゲン問題→薬害肝炎(1998年-2008年)
- 止血目的で投与された血液製剤(血液凝固因子製剤即ちフィブリノゲン製剤、非加熱第IX因子製剤)によるC型肝炎(非A非B型肝炎)の感染被害。1987年前後に使用したと疑われる元患者らがC型肝炎を発症したことから、1998年に「ニュースJAPAN」が「薬害」疑惑として追跡報道を始め、2004年になって製薬会社ミドリ十字(現田辺三菱製薬)が事実を認めた。フィブリノゲン製剤の推定投与数は約29万人であり、推定肝炎発生数1万人以上と試算している。
- スティーブンス・ジョンソン症候群(1990年代-)
- 全身麻酔薬や抗生物質、解熱鎮痛剤、利尿剤、降圧剤、抗てんかん薬などを服用後、皮膚が壊死を起こし、失明するなどの激烈な症状が発生する。年間人口100万人あたり1人から6人が発症し、発症後の症状の進行が急速であるため、治療が間に合わない場合がある。また、市販薬(大衆薬)が原因と疑われた例も5%ほどある。発症のメカニズムが不明な上、症状が急速に進行するため、対策が立てにくい。
- ライ症候群(1990年代-)
- インフルエンザなどにより高熱を呈する小児に対して、サリチル酸やスルピリン・ジクロフェナクナトリウムなどの解熱鎮痛剤(大衆薬を含む)を投与したことで脳症を発症し、後遺障害が発生する症状。2000年に緊急安全性情報が発出され、15歳未満への小児に対しての解熱には上記成分は使用禁忌となり、アセトアミノフェン等ごく限られた薬品を用いる。なおハンセン病(らい病)とは別の病態。
- ワクチン禍(1990年代-)
- 自治体により実施されたワクチンの予防接種(予防接種法(1956年(昭和31年)改正前)の規定または国の行政指導に基づく)により、副作用が発症し、それにより障害または死亡するに至った事件。予防接種の種類は、インフルエンザワクチン、百日咳・ジフテリア二種混合ワクチン、百日咳・ジフテリア・破傷風三種混合ワクチン、種痘、日本脳炎ワクチン、ポリオ生ワクチン、百日咳ワクチン、腸チフス・パラチフスワクチン、等。
法令および判例等
国の責任については、クロロキン薬害訴訟における最高裁判決で、「厚生大臣が特定の医薬品を日本薬局方に収載し、又はその製造の承認をした場合において、その時点における医学的、薬学的知見の下で、当該医薬品がその副作用を考慮してもなお有用性を肯定し得るときは、厚生大臣の薬局方収載等の行為は、国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けることはないというべき」「医薬品の副作用による被害が発生した場合であっても、厚生大臣が当該医薬品の副作用による被害の発生を防止するために前記の各権限を行使しなかったことが直ちに国家賠償法一条一項の適用上違法と評価されるものではなく、副作用を含めた当該医薬品に関するその時点における医学的、薬学的知見の下において、前記のような薬事法の目的及び厚生大臣に付与された権限の性質等に照らし、右権限の不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、その不行使は、副作用による被害を受けた者との関係において同項の適用上違法となるものと解するのが相当」としている[3]。
製造物責任法について、医療用漢方薬の副作用被害における名古屋地方裁判所判決で、その時点で予見可能な副作用を添付文書に記載するなどの方法により指示・警告すれば医師の配慮により副作用被害を避けることができたとして、輸入販売業者の製造物責任を認定している[4]。
医師の責任については、別の2件の最高裁判決で、添付文書に従わないことによって発生した医療事故は従わなかった特段の合理的理由がない限り医師の過失が推定される、医師には必要に応じて文献を参照するなど最新情報を収集する義務があるとしている[5][6]。
ソリブジン薬害事件では、承認段階でソリブジンと5-FU系代謝拮抗薬との併用を避けるように添付文書に記載したにもかかわらず、発売1ヶ月余りで15名が亡くなっている[7]。厚生労働省はこの事件を受けて、1994年10月から医薬品安全性確保対策検討会を開き、副作用対策を検討した。同検討会は「市販後調査は、副作用・有害事象等の情報を収集・評価し、迅速・的確に対応するとともに、その安全性等を再確認することに最大の意義がある」「製薬企業、医療機関、行政等による安全性情報の積極的な提供が望まれる」等の基本的な考え方に基づいて、市販後対策の強化等を提言した[8]。これを受けて、1996年、医薬品の臨床試験の実施基準(GCP)の遵守を義務化、市販後段階での情報収集や報告および基準に適合した資料提出の義務化等の薬事法が改正された[9][10]。1997年4月、厚生省薬務局長は「医療用医薬品添付文書の記載要領について」(平成9年4月25日薬発第606号)[1]にて「副作用や使用禁忌、相互作用等について一層の注意が必要となっている」として添付文書の記載要領を定めたと通知している。具体的には、「医療用医薬品の使用上の注意記載要領について」(平成9年4月25日薬発第607号)[2]にて、「評価の確立していない副作用であっても重篤なものは必要に応じて記載すること」「内容からみて重要と考えられる事項については記載順序として前の方に配列すること」「発現頻度は、出来る限り具体的な数値を記載すること」「発現頻度については調査症例数が明確な調査結果に基づいて記載すること」などが定められている。
医薬品副作用被害救済制度
日本では薬事法が実施されており、同法は医薬品のみならず医療機器全般を規制対象としており、同法の目的のひとつとして薬害発生を防ぐことも含まれている。医薬品の適正な使用にもかかわらず一定の健康被害を受けた場合に医療費等を給付する医薬品副作用被害救済制度があり、各種医薬品のパッケージ等にも相談窓口への連絡先が記載されている。
医薬品以外による薬害の例
ヒト乾燥硬膜
ビー・ブラウン(ドイツ)らが製造発売した「ライオデュラ」などのヒト乾燥硬膜(死者の脳から硬膜を摘出し、製品化したもの)について、ドナーが異常プリオンに汚染された可能性(伝達性海綿状脳症の高リスク疑い)が有るにも関わらず、適正な殺菌処理やドナーの選別を怠り、発売を続け、アメリカ・日本などで頭部外傷などによる脳外科手術の硬膜縫合時に移植を受けた患者がクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)を発症し、その殆どが死亡した。後に、乾燥硬膜の移植による医原性によるCJD発症であると結論づけられた。FDAでは1980年代後半に異変を察知してヒト乾燥硬膜を使用禁止としたが、日本の厚生省ではそれを考慮せず、世界保健機関が使用禁止措置を発する1997年春まで医療器具として輸入承認を続けた事や、1970年代の同製品の承認審査が杜撰であったとされる。これを薬害として、1996年に大津市の訴訟団を皮切りに各地で製造・販売側と厚生省を相手に損害賠償訴訟が提起され、2001年から2002年にかけて補償金を支払う和解が成立している。
健康食品・サプリメント
薬事法の規制対象外で"健康食品"とされているサプリメントなどの一部が、副作用などで健康被害を引き起こしている事例もあり、それもまた問題となることがある。そもそも薬事法の起源は19世紀欧米でのインチキ薬による薬害の横行の教訓からであり、「〇〇病に効く」と謳って販売するからには臨床治験でそれを証明し行政に示さなければならず、それを怠れば刑事罰すら科されるほどの重罪である。
ただし、「効く」「効果がある」という表現を巧みに避けるなど、薬事法の規制対象外の商品についてはそもそも治験制度が無く(特定保健用食品は除く)、違法に医薬品成分が含まれる(薬事法違反)訳でなければ、薬事法上の処分には該当しない。
化粧品・塗料
- 1900年6月30日大阪府令第41号によると(有毒性着色料取締施行細則)及び同年8月に発令された内務省令により鉛を原料とした塗料の使用が禁止された。この影響は大きく、例えば佐土原土人形の生産に苦境をもたらした。
薬害が疑われている事例
- オセルタミビル(タミフル)(2007年)
- 質が良いとは言えない研究に基づき、タミフル服用者の異常行動(自殺企図など)や突然死が薬害ではないかとの主張がなされた[11]。2007年11月21日の厚生労働省作業部会において、タミフル服用と睡眠障害の関係について「現時点では因果関係は認められない」との中間報告がまとめられた[12]。睡眠障害以外についても追加検証される予定である。今後の検証が待たれる。
- ロフェコキシブ(ビオックス)
- ロフェコキシブ (en:rofecoxib, 日本では開発が中断され上市されず) は、新世代のCOX-2選択的阻害薬としてメルク(MSD)により開発された。しかし市場発売後に心毒性が指摘され[13]、認可取り消しになるほどの毒性とは認められなかったが、動物実験の段階で既にその毒性が指摘されていたにも関わらず報告されていなかった事が明らかとなった。他にも同社による数々の不正が指摘されている[14]。これは数々の試行錯誤の末に確立された筈の治験制度や、その臨床試験結果を載せた学術雑誌[15]の権威を大きく損なう事となった[16]。
- 子宮頸がんワクチン
- 子宮頸がんワクチン摂取後に副作用として重篤な後遺症を残す脳障害を発生させることが解明されつつある。
脚注
- ↑ 臨床評価 2 (1974) 1
- ↑ 飯島S グアノフラシン白斑 日本皮膚科全書 金原出版(1955) p215
- ↑ 平成1(オ)1260 損害賠償、民訴法一九八条二項による返還及び損害賠償 平成7年06月23日 最高裁判所第二小法廷判例検索システム
- ↑ 平成10(ワ)4064 損害賠償請求 平成14年04月22日 名古屋地方裁判所判例検索システム
- ↑ 平成4(オ)251 損害賠償 平成8年01月23日 最高裁判所第三小法廷判例検索システム
- ↑ 平成12(受)1556 損害賠償請求事件 平成14年11月08日 最高裁判所第二小法廷判例検索システム
- ↑ 参議院会議録情報 第129回国会 決算委員会 第2号
- ↑ 医薬品安全性確保対策検討会 最終報告書について厚生労働省
- ↑ 医薬品の製造又は輸入の承認申請に際し添付すべき資料について厚生労働省
- ↑ 厚生白書(平成8年版)
- ↑ 浜六郎「タミフルによる突然死と異常行動死」The Informed Prescriber, 第20巻11号、2005年11月20日
- ↑ 『読売新聞』 2007年12月11日付
- ↑ Ashworth AJ. "Cardiac risks with COX-2 inhibitors." CMAJ. 2007 Feb 13;176(4):489-92. No abstract available. PMID 17296963
- ↑ Ross JS, Hill KP, Egilman DS, Krumholz HM. "Guest authorship and ghostwriting in publications related to rofecoxib: a case study of industry documents from rofecoxib litigation." JAMA. 2008 Apr 16;299(15):1800-12. PMID 18413874
- ↑ VIGOR Study Group. "Comparison of upper gastrointestinal toxicity of rofecoxib and naproxen in patients with rheumatoid arthritis. VIGOR Study Group." NEJM. 2000 Nov 23;343(21):1520-8, 2 p following 1528. PMID 11087881
- ↑ Krumholz HM, Ross JS, Presler AH, Egilman DS. "What have we learnt from Vioxx?" BMJ 2007 Jan 20;334(7585):120-3. Review. No abstract available. PMID 17235089
関連項目
外部リンク
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