興浜北線
|} 興浜北線(こうひんほくせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。
北海道枝幸郡浜頓別町の浜頓別駅で天北線から分岐し、オホーツク海沿岸を南下して枝幸郡枝幸町の北見枝幸駅に至っていた。 1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。
路線データ
- 管轄:日本国有鉄道
- 区間(営業キロ):浜頓別 - 北見枝幸 (30.4km)
- 駅数:9(起点駅を含む。駅6、仮乗降場3)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化方式:全線非電化
- 閉塞方式:票券閉塞式(全線1閉塞)※過去には目梨泊でも閉塞扱いを行っていた。
歴史
改正鉄道敷設法別表第145号に規定する予定線の一部で、本来は興浜南線と結んで興部 - 浜頓別間のオホーツク海沿岸を縦貫する鉄道(興浜線)の一部となる計画であった。1936年に北見枝幸までが開業したが、太平洋戦争末期の1944年には不要不急線として全線が休止、全線路が撤去された(樺太の鉄道用に利用される予定であったが輸送前に終戦を迎えた)。終戦の翌9月には枝幸村から政府への復旧陳情が行われるとすぐに許可が下り、全道から工事作業者を募集して2ヶ月で復活させた。
両線間の未成区間の一部で建設工事も行なわれていたが、沿線の開拓計画の頓挫などから建設は進まず、結局接続する予定であった興浜南線ともども第1次特定地方交通線に指定され、両線とも1985年に廃止。一部で完成していた未成区間の路盤等も放棄された。また、両線が接続していた、天北線、名寄本線も第2次特定地方交通線に指定され、廃止されている。また、北見枝幸では、宗谷本線美深駅を起点とする美幸線が接続する計画であったが、開業済みの仁宇布駅から先で一部路盤やスノーシェッドなどの工事がおこなわれるも、美幸線自体が「日本一の赤字線」となるほど経営環境は悪く、結局北見枝幸まで開通することなく廃止された。
廃止協議の過程で、北見枝幸 - 雄武を完成させ接続する天北線や名寄本線、湧網線などと一体化させた「オホーツク縦貫鉄道構想」も立案されたが、開業しても毎年数億円単位の赤字が発生することが判明し、結局断念されている。
- 1936年(昭和11年)7月10日:浜頓別 - 北見枝幸間 (30.4km) を興浜北線として開業。豊牛駅・斜内駅・目梨泊駅・問牧駅・北見枝幸駅を新設。
- 1944年(昭和19年)11月1日:全線 (30.4km) を休止[1]。
- 1945年(昭和20年)12月5日:全線 (30.4km) の営業を再開。
- 1956年(昭和31年)2月26日:頓別仮乗降場、豊浜仮乗降場、山臼仮乗降場を新設。
- 1975年(昭和50年)5月 : 蒸気機関車の運転を廃止[2]。
- 1981年(昭和56年)9月18日:第1次特定地方交通線として廃止承認。
- 1984年(昭和59年)2月1日:全線の貨物営業を廃止。
- 1985年(昭和60年)7月1日:全線 (30.4km) を廃止。宗谷バスに転換。
駅一覧
接続路線の事業者名・駅の所在地は廃止時点のもの。全駅北海道に所在。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
浜頓別駅 | - | 0.0 | 日本国有鉄道:天北線 | 枝幸郡浜頓別町 |
頓別仮乗降場 | - | (2.7) | ||
豊牛駅 | 7.0 | 7.0 | ||
豊浜仮乗降場 | - | (10.3) | ||
斜内駅 | 5.4 | 12.4 | ||
目梨泊駅 | 5.3 | 17.7 | 枝幸郡枝幸町 | |
山臼仮乗降場 | - | (19.8) | ||
問牧駅 | 5.4 | 23.1 | ||
北見枝幸駅 | 7.3 | 30.4 |
※仮乗降場には営業キロが設定されていなかった。括弧内に実キロを記す。
脚注
- ↑ 「運輸通信省告示第483号」『官報』1944年10月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「国鉄蒸気線区別最終運転日一覧」『Rail Magazine 日本の蒸気機関車』1994年1月号増刊