シアトル・マリナーズ
テンプレート:MLBのチーム シアトル・マリナーズ(Seattle Mariners、略称:SEA)は、アメリカMLB、アメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はワシントン州シアトルにあるセーフコ・フィールド。MLB球団としては最も北(北緯47度35分)に本拠地を持つ。チーム名(船員や水兵の意)の由来はシアトルが港町だったことからといわれている。
アメリカンリーグ所属の15球団で唯一、リーグ優勝およびワールドシリーズ進出を果たしたことの無いチームである。
目次
球団の歴史
球団創設以前
1969年に実施されたアメリカンリーグの球団拡張に際して、シアトルにパイロッツ(Pilots)というMLB球団が創設された。しかし、赤字続きだったパイロッツは経営難に陥り、わずか1年でミルウォーキーへと移転。移転した球団はミルウォーキー・ブルワーズとなった。シアトルは、この移転が不当であるとしてMLB機構を告訴。この訴訟は1976年まで続けられたが、MLB機構が1977年のアメリカンリーグ球団拡張でシアトルに球団を設置するという条件を提示、告訴は取り下げられた。
球団創設から1990年代まで
1977年に球団創設。名称を一般公募した結果、マリナーズ(Mariners)が選ばれた。監督にはダレル・ジョンソンが就任。同年4月6日、球団史上初の試合となる開幕戦が、完成直後のキングドームで行われた。対戦相手はカリフォルニア・エンゼルス。開幕のマウンドに上がったのは、かつてパイロッツで開幕投手を務めたディエゴ・セギーだった。この試合には57,762人もの大観衆が詰め掛けたが、7対0のスコアで大敗を喫した[1]。その後もチームは低調なまま、64勝98敗という成績でシーズン終了。そして、ここから14シーズン連続負け越しという長きに渡る低迷期が続く。
ルー・ピネラ監督就任から退任まで
1993年にルー・ピネラが監督に就任すると、1995年に初の地区優勝。また1997年にも2度目の地区優勝を果たす。しかし、いずれの年もプレーオフで敗退を喫し、リーグ優勝を逃した。この間、ケン・グリフィー・ジュニア、エドガー・マルティネス、ランディ・ジョンソン、アレックス・ロドリゲスらが主力として活躍。その後、FAやトレードなどで地区優勝時に活躍した主力選手の大半がチームを去ったが、2000年にはワイルドカードでプレーオフに進出、2001年には年間116勝のMLBタイ記録を樹立して地区優勝を果たしている。しかしながら、これらいずれの年でもプレーオフで敗退。計4度に渡ってリーグ優勝、ワールドシリーズ進出を逃している。また、この間にジョン・オルルド、佐々木主浩、イチロー、ブレット・ブーンらが加入し、主力として活躍。その後、2002年のシーズン終了をもって、ルー・ピネラが監督を退任した。
ルー・ピネラ監督退任後
ルー・ピネラが監督を退任した後、チーム成績は低迷を続け、2003年から2012年までの10年間に地区最下位が7度、2008年と2011年にはシーズン100敗を喫した。この間、GM以下、監督、コーチが数多く更迭され、主力選手もトレードやFA、引退、あるいは不振による解雇などでチームを去った。
シーズン成績
直近3年間のシーズン成績は以下の通り。
- AL:アメリカンリーグ M:シーズンMVP C:サイ・ヤング賞 R:新人王
WS:ワールドシリーズ ALCS:アメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ ALDS:アメリカンリーグディビジョンシリーズ
年度 | 所属 | 地区 | レギュラーシーズン | ポストシーズン | 監督(勝敗) | 観客動員数 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 受賞 | ||||||
テンプレート:By2 | AL | 西 | 4 | 67 | 95 | .414 | エリック・ウェッジ | 1,896,321 | ||
テンプレート:By2 | AL | 西 | 4 | 75 | 87 | .463 | エリック・ウェッジ | 1,721,920 | ||
テンプレート:By2 | AL | 西 | 4 | 71 | 91 | .438 | エリック・ウェッジ | 1,761,541 | ||
通算 | 213 | 273 | .438 | 5,379,782 |
運営
2004年8月までは、任天堂元社長の山内溥が共同オーナーの一人として名前を連ねていた。その後は、任天堂の米国法人であるNintendo of America(NOA)が山内の出資持ち分全てを買い取り、筆頭オーナーとなっている[2]。セーフコ・フィールドの一室にはオーナーとして山内の写真が掲げてあったが、本人は現地に赴いたことがなかった[3]。現在、球団会長兼CEOをNOA元会長のハワード・リンカーンが務めている。
習慣
ラリー・フライ
ラリー・フライ(RALLY FRIES)は、マリナーズのブロードキャスターであるマイク・ブロワーズによって、2007年から開始された習慣である。ラリー・フライが始まったきっかけは、対シンシナティ・レッズの試合中、あるファンがファウルボールを捕ろうとしてフライドポテトの入ったトレイをこぼしたことであった。放送の実況中にこれを見ていたブロワーズの相方デイブ・シムズは、新たなフライドポテトをファンに奢るようブロワーズに持ちかけた。ブロワーズはこれに同意して、新たなフライドポテトをファンに届けるために彼の代理を行かせた[4]。
これが仇となったのか、次の試合からファンはメッセージの入ったボードを作り、ブロワーズに無料のフライポテトを求め始めたのである。また偶然にも、フライドポテトが届けられるたびに、マリナーズが得点したり、同点に追いついたりした。こうして、ラリー・フライは誕生した。このラリー・フライは、敵地ですらボードが作られるほど人気があったものの、2009年の8月1日にブロワーズが「敵地では、ラリー・フライの対象を選ばないことにするよ。」と宣言して敵地での配布は取りやめになった。
ラリーフライを求めるファンやグループは大抵の場合、凝ったコスチュームを着ていたり、おかしなメッセージの書かれたボードを振っていたりするが、これは配布の対象がブロワーズの裁量で決定されるためである。また、配布の対象は通常の場合5~6回ごろに選ばれるが、潜在的な候補は事前に大抵の回で示される。配布されるフライドポテトは、アイヴァーズ(Ivar's)(セーフコ・フィールド内にあるシーフード・レストラン)から提供され、量は配布の対象となる人数によって異なる。
選手名鑑
現役選手
テンプレート:Seattle Mariners roster
所属経験のある殿堂表彰者
- ゲイロード・ペリー(Gaylord Perry)
- リッチ・ゴセージ(Rich "Goose" Gossage)
- ディック・ウィリアムズ(Dick Williams)- 監督
- リッキー・ヘンダーソン(Rickey Henderson)
永久欠番
マリナーズには永久欠番の制定に関する基準が存在する。下記のいずれかの条件に該当する人物が対象となるが、2011年までにこの条件にもとづいて永久欠番となった番号はない。
- マリナーズの生え抜きでキャリアを終える
- マリナーズに5年以上在籍し、アメリカ野球殿堂入りする
- 42 ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson) - 全球団共通の永久欠番
マリナーズ野球殿堂
1997年に設立され、8人が殿堂入りを果たしている。
殿堂入り表彰者
- エドガー・マルティネス(2007年)
- ランディ・ジョンソン(2012年)
- ダン・ウィルソン(2012年)
- ケン・グリフィー・ジュニア(2013年)
- ルー・ピネラ(2014年)