新穂村
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テンプレート:Infobox 新穂村(にいぼむら)は、かつて新潟県佐渡郡におかれていた村。日本のトキの最後の生息地で、佐渡トキ保護センターがあった。2004年3月1日に、佐渡全域での合併により佐渡市の一部になった。
目次
概要
地理
佐渡中部、国中平野の南東側にあった。村の北西半分が平野、南東半分は小佐渡丘陵にあり、丘陵からは国府川などが西へ流れた。村の北端は加茂湖に接していた。
人口
人口 | 世帯数 | |||
1911年 | (明治44年) | 7,442 | 1,524 | |
1920年 | (大正9年) | 7,060 | 1,587 | |
1930年 | (昭和5年) | 6,785 | 1,500 | |
1940年 | (昭和15年) | 6,801 | 1,485 | |
1950年 | (昭和25年) | 7,861 | 1,584 | |
1960年 | (昭和35年) | 7,131 | 1,582 | |
1970年 | (昭和45年) | 5,882 | 1,552 | |
1980年 | (昭和55年) | 5,309 | 1,562 | |
1990年 | (平成2年) | 4,964 | 1,559 | |
2000年 | (平成7年) | 4,778 | 1,549 |
隣接していた自治体
歴史
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い加茂郡新穂町、下新穂村、上新穂村、井内村、瓜生屋村、青木村、北方村が合併し、新穂村が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡の統合により佐渡郡に所属。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 佐渡郡大野村、長畝村、潟上村、田野沢村、正明寺村、国中村(一部)と合併し、新穂村を新設。[2]
- 1906年(明治39年) - 新穂村婦人会が結成される。[2]
- 1965年(昭和40年) - 村内の小字名が廃止される。[3]
- 1965年(昭和40年)11月15日 - 佐渡郡金井町と境界の一部を変更。
- 1995年(平成7年) - 新穂村西部圃場整備事業が開始される。[4]
- 2004年(平成16年)3月1日 - 両津市、相川町、佐和田町、金井町、畑野町、真野町、小木町、羽茂町、赤泊村と合併して、佐渡市となり消滅。
行政
歴代村長
- 約103年間の間に20人の村長が就任していた。[5]
代 | 村長名 | 備考 |
---|---|---|
初 - 2 | 河野最平 | |
3 | 河野勝蔵 | |
4 - 5 | 鳥井嘉蔵 | |
6 | 本間一松 | |
7 | 河原作一 | |
8 | 河野治一 | |
9 | 臼杵伊之吉 | |
10 | 河原作一 | 再選 |
11 | 荷上輿六 | |
12 | 河原作一 | 再々選 |
13 | 藍原小一郎 | |
14 | 和田松五郎 | |
15 | 佐藤徹次郎 | |
16 | 藍原小一郎 | 再選 |
17 | 堀田四良次 | |
18 | 斉藤豊 | |
19 | 後藤億衛 | |
20 - 22 | 本間市郎左衛門 | |
23 - 24 | 竹中錬英 | |
25 | 河原治一 | |
26 - 27 | 山本三郎 | |
28 - 30 | 菊池一春 | |
31 - 32 | 本間権市 |
姉妹都市・提携都市
友好交流
経済
産業
農業が中心で、特に米作が盛んであった。ほかに柿、大豆が造られ、牛が飼育された。
- 産業人口
第1次産業 | 714人 | |
第2次産業 | 532人 | |
第3次産業 | 1,244人 |
地域
教育
- 新潟県立佐渡養護学校 1959年設置の分校が前身。1986年創立。
- 新穂中学校
- 新穂小学校 1902年創立
- 行谷小学校
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 根本寺
- のろま人形 国の重要無形民俗文化財。.
- 鬼太鼓(おんでこ)
- 潟上温泉
- 牛尾神社
- 日吉神社
- 大日堂
- 清水寺
- 神宮寺
- 新穂城跡
- 青木城跡
- トキの森公園 トキ資料展示館
- 歴史民俗資料館
関連項目
参考文献
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- テンプレート:Cite book
脚注
外部リンク
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