山下公園

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テンプレート:公園

ファイル:Hikawamaru.jpg
山下公園前の海に係留されている氷川丸
ファイル:山下公園モニュメント.jpg
コンテナオブジェクト(2008撤去済み)

山下公園(やましたこうえん)は、神奈川県横浜市中区山下町にある公園風致公園)。

概要

関東大震災の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが瓦礫などを使って海を埋め立て造成して、1930年(昭和5年)3月15日に開園した。面積は 74,121m² 。なお、横浜市は「日本最初の臨海公園」としているが、海に面する公園が当時既に存在しており、定義が明確ではない。

開園後40年に渡り、公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、これは実現せず、後に東の隣接地に山下埠頭が造成された。現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されている。

歴史

  • 1863年頃 - フランス波止場完成(現、山下公園中央部)。
  • 1923年
    • 9月20日 - 震災後の市の復興試案の中で海岸遊歩道として立案される。
    • 10月10日 - 震災の折に発生した瓦礫の集積場として指定される。
    • 10月14日 - 横浜都市計画案の中で、海岸遊歩道構想が海岸公園として計画される。
    • 11月15日 - 公園計画が政府案に組み込まれる際に、その名称が山下公園に確定する。
  • 1925年6月 - 着工。
  • 1930年
    • 2月28日 - 完成。
    • 3月15日 - 開園。
  • 1935年3月26日〜5月24日 - 公園内にて復興記念横浜大博覧会開催される。
  • 1945年 - 終戦後、アメリカ軍により接収される。
  • 1954年 - アメリカ軍からの返還、再整備開始。
  • 1959年 - アメリカ軍による接収の全面解除。
  • 1961年
  • 1965年 - 臨港鉄道線開通。
  • 1971年 - 10月 リカルテ将軍記念碑建立。
  • 1983年 - 園内で横浜浮浪者襲撃殺人事件発生。
  • 1986年 - 臨港鉄道線廃止。
  • 1988年 - 横浜博覧会の際して東側一帯が再整備され、駐車場や世界の広場などができる。
  • 1989年
    • 横浜博覧会の開催期間に限定して、臨港鉄道線の線路を利用した旅客輸送(気動車の運行による)を行い、氷川丸付近に山下公園駅が設置された(会場側の日本丸駅と往復)。
    • 8月2日 - 公園沖合いの花火大会で、花火の暴発事故が発生。花火師2人が死亡した。
  • 2000年6月 - 臨港鉄道線跡の公園内高架部分の撤去。
  • 2002年3月2日 - 山下臨港線跡が「山下臨港線プロムナード」として整備され、新港地区から当公園まで遊歩道によって直結された。
  • 2005年9月28日〜12月18日 - 横浜トリエンナーレ2005が隣接する山下埠頭で開催、一部のオブジェクトが公園内にも設置される(2008年、コンテナオブジェクト撤去)。
  • 2007年2月 - 登録記念物に登録。

交通

公園内施設

イベント

撮影

テレビドラマの撮影で度々使われている。

など

周辺施設・地域

関連項目

外部リンク

テンプレート:Port of Yokohamaテンプレート:Pref-stub