山下公園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山下公園(やましたこうえん)は、神奈川県横浜市中区山下町にある公園(風致公園)。
概要
関東大震災の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが瓦礫などを使って海を埋め立て造成して、1930年(昭和5年)3月15日に開園した。面積は 74,121m² 。なお、横浜市は「日本最初の臨海公園」としているが、海に面する公園が当時既に存在しており、定義が明確ではない。
開園後40年に渡り、公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、これは実現せず、後に東の隣接地に山下埠頭が造成された。現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されている。
歴史
- 1863年頃 - フランス波止場完成(現、山下公園中央部)。
- 1923年
- 9月20日 - 震災後の市の復興試案の中で海岸遊歩道として立案される。
- 10月10日 - 震災の折に発生した瓦礫の集積場として指定される。
- 10月14日 - 横浜都市計画案の中で、海岸遊歩道構想が海岸公園として計画される。
- 11月15日 - 公園計画が政府案に組み込まれる際に、その名称が山下公園に確定する。
- 1925年6月 - 着工。
- 1930年
- 2月28日 - 完成。
- 3月15日 - 開園。
- 1935年3月26日〜5月24日 - 公園内にて復興記念横浜大博覧会開催される。
- 1945年 - 終戦後、アメリカ軍により接収される。
- 1954年 - アメリカ軍からの返還、再整備開始。
- 1959年 - アメリカ軍による接収の全面解除。
- 1961年
- 1965年 - 臨港鉄道線開通。
- 1971年 - 10月 リカルテ将軍記念碑建立。
- 1983年 - 園内で横浜浮浪者襲撃殺人事件発生。
- 1986年 - 臨港鉄道線廃止。
- 1988年 - 横浜博覧会の際して東側一帯が再整備され、駐車場や世界の広場などができる。
- 1989年
- 2000年6月 - 臨港鉄道線跡の公園内高架部分の撤去。
- 2002年3月2日 - 山下臨港線跡が「山下臨港線プロムナード」として整備され、新港地区から当公園まで遊歩道によって直結された。
- 2005年9月28日〜12月18日 - 横浜トリエンナーレ2005が隣接する山下埠頭で開催、一部のオブジェクトが公園内にも設置される(2008年、コンテナオブジェクト撤去)。
- 2007年2月 - 登録記念物に登録。
交通
- 日本大通り駅、元町・中華街駅(みなとみらい線)徒歩5分程度
- 石川町駅(根岸線)・関内駅(根岸線)共に徒歩10〜15分程度
- 横浜市営バス・京浜急行バス
- ポートサービス運営の船着場があり、湾内クルーズ船やシーバスなどが発着している。
公園内施設
- 歌碑「かもめの水兵さん」
- 「赤い靴はいてた女の子」像
- インド水塔
- 日米ガールスカウト友好の像
- 水の守護神 - サンディエゴから寄贈された。
- リカルテ将軍記念碑
- アイスクリーム屋台
- ハッピーローソン - カフェやキッズスペースなどが併設された新業態のコンビニ。
- Yamashitakoen megami.jpg
水の守護神像 - Indian water tower at Yamashita park in Yokohama-city naka-ward.JPG
インド水塔
イベント
- 横浜国際花火大会(当公園沖合い、2008年まで開催)
- スマートイルミネーション横浜(10月〜11月頃の数日間)
撮影
テレビドラマの撮影で度々使われている。
など
周辺施設・地域
- 氷川丸 - 公園の前に広がる海(岸壁)に係留されている。
- 横浜マリンタワー - 道路を挟み公園に隣接している。
- 山下臨港線プロムナード
- 大さん橋
- 横浜開港資料館
- 山下公園通り
- 山下埠頭
- 新山下
- みなとみらい21
- 横浜中華街
- 元町
- 山手
関連項目
- 震災復興公園
- 牧彦七・折下吉延・井本政信
- かながわの景勝50選
- 横浜国際女子マラソン - 2009年より開催、ゴール地点が同公園内にある。
外部リンク
- 山下公園(横浜市環境創造局)