久和ひとみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年5月15日 (木) 20:55時点における114.150.93.48 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:ActorActress 久和 ひとみ(くわ ひとみ、1960年9月25日 - 2001年3月1日)は、日本ニュースキャスター。趣味、特技はクラシック音楽相撲観戦。夫はテレビ朝日ディレクター小林雄高

生涯

東京都武蔵野市出身。東京都立国立高等学校卒業後、一浪し東京大学を志すも失敗。1980年早稲田大学政治経済学部政治学科入学。

東京の民放キー局受験に失敗したこともあり、1984年に早大卒業後は、テレビ朝日の『CNNデイウォッチ』初代キャスターとなった。その後、『モーニングショー』にもリポーターとして出演。その後、テレビ朝日での経歴を買われ、1989年4月、TBSと契約。荒川強啓とともに、ローカルニュース『テレポート6』キャスターとして起用された。番組は久和登場後1年で終了し、『JNNニュースコープ』と統合されて『JNNニュースの森』となったが、引き続きメインキャスターを務めた(荒川は1993年春に降板し、パートナーは杉尾秀哉に交代)。

1996年3月、『ニュースの森』出演が6年にわたったこともあり、リニューアルを機に降板、渡米。コロンビア大学に留学し、研究を重ねた。帰国後、政治・経済面に強いキャスターとして、1999年10月にテレビ東京の『TXNニュースアイ』のメインキャスターに起用された。この『ニュースアイ』のタイトルは彼女の名前「ひとみ」(eye)に因んだものである。

2000年10月、体調不良を理由に、『ニュースアイ』を降板。子宮癌の手術を受けた。その後も治療に専念するも、2001年2月、肝臓への癌転移が発見され、同3月1日、急性肝不全で死去。40歳という若さだった。久和の若すぎる死は当日の番組の冒頭で伝えられ、その際に癌にかかっていたことが初めて明かされた。戒名は釋尼妙聲。

久和の一周忌である2002年3月1日、久和の遺産の一部を基金として、マスコミ関係の職務経験がある女性を対象とした奨学金「久和ひとみスカラシップ」が設立された。2004年までに計4人を留学生として送り出し、一旦解散した。その後、2008年に選考委員長を務めていた筑紫哲也が死去したが、筑紫の遺族の申し出により香典が寄付され、2009年11月に「久和ひとみ・筑紫哲也スカラシップ」として1人限りの募集を再開している。

エピソード

書籍

  • 『まわしをはずしたお相撲さん:大相撲おもしろ雑学事典』(講談社,1987年)ISBN 4062033666
  • 『結婚までに話し合っておくべき15章:あなたの一生がまるで変わるとき』(青春出版社,1988年)ISBN 4413014782
  • 『私はニュースキャスター』(岩波書店,1989年)ISBN 4005001580
  • 功刀達朗監訳 『国連地球社会の選択.1:激動の世界と国連 湾岸戦争の教訓』(PHP研究所,1995年)ISBN 4569548628
  • 『ニューヨークで見つけた!新しい私:35歳からの留学ストーリー』(ダイヤモンド社,1998年)ISBN 4478941645
  • 『久和ひとみが伝えたかったこと』(小学館,2001年)ISBN 4098400693
  • 『久和ひとみ絶筆:子宮がん闘病116日の日記』(小学館,2001年)ISBN 4093964017

テレビドラマ出演

関連項目

JNN共演者関連
テレビ東京アナウンサー

久和の降板後は、残った2人で1年近く番組を進行していた。

外部リンク

テンプレート:24時間テレビ総合司会 テンプレート:JNNニュースの森メインキャスター