京阪2600系電車

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京阪2600系電車(けいはん2600けいでんしゃ)は、1978年昭和53年)に登場した京阪電気鉄道通勤形電車

2013年4月1日現在、7両編成が7本、5両編成が2本、4両編成が1本の計63両が在籍[1]

0番台と30番台があり、0番台は4両編成が宇治線普通に使用されており、0番台7両編成と30番台は京阪本線鴨東線中之島線の急行以下の列車に使用されている。

2013年3月16日のダイヤ改定まで、5両編成は交野線中之島線直通列車の通勤快急「おりひめ」快速急行「ひこぼし」を中心に使用されていた。

概要

書類上では登場が「1978年」となっているが、元は1959年(昭和34年)に登場し、「スーパーカー」の愛称で親しまれた回生ブレーキ装備の2000系である。同系列では架線電圧の600Vから1500Vへの昇圧に対応できなかったため、同系列の車体や台車を改修するとともに複電圧仕様の回生ブレーキ付き制御装置(東洋電機製ACRF-H4155-775A)への変更、冷房化(東芝製RPU-2205A×4基〈2621F・2622F除く〉)、冷房電源確保のための大容量MG(TDK-3721A・3両編成除く)の搭載、鋼体架線対応の下枠交差型パンタグラフ(PT-4805A-M)への交換、電圧指令式前面行先表示器の取り付け、スカートの取り付け、前照灯シールドビーム化を施されて登場したのが本系列である。

1978年(昭和53年)6月23日に2601F「2601(旧2043)-2701(旧2128)-2801(旧2044)」が竣工した。これを皮切りに1982年(昭和57年)12月1日竣工の2905(旧2064)で103両の全車が更新された。これが0番台である。大津線にかつて在籍していた500形とほぼ同じ手法で改造されたことから、2000系からの更新改造車と思われがちだが、2000系時代からの車籍は受け継がれていないため、正確には「代替新造」扱いとなっている[2]

また、昇圧後に8両編成の運用も決定したことから7両編成が不足することが予想されたため、1981年から新たに7両編成4本が新造された。これが30番台である。よって計131両の大所帯となった。

最高速度110km/h、起動加速度2.5km/h/sと、2000系時代と比べて性能が大幅に変わっている。加速を抑え、高速向きにしたことにより、性能面では2200系とほぼ同等になっている。主電動機は複巻電動機の「TDK-8135A」[3]で600V時130kW・1500Vでは155KW。制御器は界磁位相制御の「ACRF-H4155-775A」[4]が採用された(ともに東洋電機製造製)。2000系に引き続き分巻界磁制御による回生ブレーキを使用する。

0番台は1ユニット2両・3両で製造された。2600(Mc)+2900(T)、2700(M)+2800(Tc)の2両ユニットと、2600(Mc)+2700(M)+2800(Tc)の3両ユニットとがある。当初は2両+2両の4両編成と3両+3両の6両編成で運用されていた。4両編成の場合は同じ番号の組み合わせ(例:[2611+2911]+[2711+2811])で運用され、6両編成の場合は次の番号との組み合わせ ([2601+2701+2801]+[2602+2702+2802])での運用を行っていたが、ユニットの組み合わせを変えることによって4両から8両までの編成を組むことが可能であり、その特徴を活かした運用がなされた。一時期は3両ユニットに後からTを加えた4両ユニットも存在していた。現在では廃車や運転台が撤去された車両(車両番号はそのまま)も発生したことから、より雑多な編成となっている。

30番台は4両ユニット+3両ユニットの7両編成で製造された。なお、0番台だけで8両編成を組むには2800(Tc)並びに2900(T)には必ず大容量MGが装備されており、編成重量が増加するなどの制約から、5M3T編成としてカバーすることがほとんどであったが、4M4Tで暫定編成を組んだことも実際にあった。

鴨東線開業前に出町柳駅から叡山電鉄線への直通運転が検討されていた時期もあったことから叡電の輸送需要に合わせて最短2両編成での運用も可能な仕様になっているが、現在に至るまで直通運転構想は実現しておらず、その仕様は活かされていない。

本系列のうち0番台は2000系時代から普通運用が主体となっている。30番台は当初急行にも使われていたが、本線で2200系6000系による8両編成の運用が開始されてからはこちらも普通運用が主体となった。ただ本形式も不定期的ではあるが8両編成での運用実績はある。2003年9月ダイヤ改定頃、廃車が進んだこともあり全編成が4・5・7両に組み替えられて6両編成での運用は消滅した。また、このダイヤ改正で朝ラッシュ時に設定された交野線・私市駅と大阪方面・淀屋橋駅を結ぶ直通列車「おりひめ」にはイベント時などを除き本系列5両編成が充当となっていた。種別幕に「K特急」幕を持っていないため、黒地に赤文字の「特急」幕を表示し、「おりひめ」のヘッドマークを掲げていたが、2008年8月頃から方向幕が順次更新され、赤地に白文字の「特急」幕や「K特急」幕を表示する姿も見られた。

なお、「おりひめ」・「ひこぼし」は2008年10月19日のダイヤ改定でそれぞれ通勤快急・快速急行となり、ともに本系列5両編成が充当されていた(10000系を充当していた「ひこぼし」の1本を除く)が、2013年3月16日のダイヤ改定で廃止された。

分類

0番台(2000系車体更新車)

ファイル:Keihan2621.jpg
2600系(0番台の助手席側窓一枚固定化車)(2006年7月16日 宮之阪駅)

車体や台車のほか、蛍光灯カバーまで2000系からの流用品であり、その経年は2010年の時点で最も古いもので51年を経過しており、部品として見れば京阪の中でも最古参格である。これは1810系が樹立した車歴にも肉薄する。2200系からの編入車が3両、2200系列と連結されている車両(2629-2729-2829、2009年11月末に編成を組む2200系2218Fと共に廃車)、冷風冷房方式の試作編成(2621F・2622F)などの異端車が存在する他、車掌台側の正面窓がサッシとHゴム、および2000系1次車と2次車以降の側面窓配列の相違、運転台を撤去した簡易作業済み車の端面が異なるなど、形態が多種多様化して1両1形式とも呼ばれている。これは2000系が既にかなりの変更を繰り返していたという経緯があり、それがそのまま本系列に受け継がれたためである。その上、改良・改造が繰り返されたため、多数のバリエーションが存在することとなった。内装は2200系と同様で、化粧板はすべて緑色となっている。

原則として4両ないし5両編成で運用されている。前者は通常宇治線で運用されており、本線は回送扱いのみとなっている。後者は交野線直通列車である通勤快急「おりひめ」・快速急行「ひこぼし」や深夜の中之島線直通列車を中心に運用されている。2007年9月からの交野線ワンマン運転には対応しておらず、それを行う運用には入っていない。また、これまでは暫定編成などでしか見られなかった7両編成が2006年7月頃から正規の編成としても組まれている(公式サイトの編成表にも掲載)。過去には4両編成を2本つなげて8両編成での運用実績もあった。

末尾01 - 10番

ファイル:Keihan 2600 Series EMU 012.JPG
5連の2601F+2連の2619F(2008年4月14日)

当初は2600(Mc)-2700(M)-2800(Tc)の3両固定編成で竣工し、3両固定編成×2の6両編成で運転を開始した。一時期に末尾05 - 10には2900形(T)が組み込まれて4両化されていた。編成数の見直しで2010年現在他の末尾番号の車両と組み合わされて5両ないし7両編成で運用されている。このグループは2602Fが2009年9月に除籍の後、京阪開業100周年を記念したミュージアムトレインとして再び復活したが、イベント期間終了後の2011年2月に解体された。2610Fは2009年11月30日に廃車に、新塗装化された2604Fも2011年6月30日付けで一緒に編成を組んでいた2724-2824と共に廃車解体された[5]

  • 2601 - 2610のパンタグラフ横のヒューズ箱の数が2個と、他の2600形より1つ少ない。
  • 2801 - 2810はパンタグラフを装備していない。また、補助電源装置は1基のMGで3両分の冷房電源を賄う予定で、出力140KVAのもの(TDK-3755A)が搭載されていた。
  • 2901 - 2904までは欠番、2905 - 2910は上記の3両編成に後から組み込むために追加された車両で、パンタグラフは搭載されていない。4両での冷房使用時の電源容量不足を補うため、出力70KVAのもの(MGTDK-3721A)が搭載されていた(2905は2632Fに組み込まれて8両化された時に重量軽減策として外された)。2905・2906・2910は2001年12月28日に、2907と2908は2006年3月29日に廃車となり、2009年11月30日に最後の残存車だった2909が廃車され、パンタグラフを搭載しない2900形は消滅した。

末尾11 - 24番

ファイル:Keihan 2600 Series EMU 011.JPG
5連の2624F(2008年4月14日 西三荘駅)

2600(Mc)-2900(T)+2700(M)-2800(Tc)の4両編成であり、2両+2両に分割可能である。中間の2900(T)・2700(M)には、2000系2100形中間車から更新された車両の他に、2000系先頭車をベースされた運転台簡易撤去車もある(末尾20 - 24の2700・2900形は運転台撤去車)。すべての車両にパンタグラフを装備している[6]。このグループも2622F(4両編成)が2001年12月28日付けで廃車となったを皮切りに、2611F(4両編成)が2002年3月18日、2714-2814が同年4月22日、2616F(4両編成)が同月25日、2612-2912が2009年11月30日に廃車。

『新型クーラー試作車』の2621Fと2622F(ともに4両編成)は、製造時から新型クーラー試作車として東芝の「RPU-3007(10500kcal)」を3基搭載し、車内には新設計のグリルファンが9基設置され冷房効果の試験がなされた。その結果を元に6000系に「三菱製CU-197(10500kcal)」が採用されたが、能力不足でRPU-3042(11500kcal)→RPU-3048(13000kcal)」と付け替えられた(外されたCU-197は1900系と1000系の一部に再利用され、RPU-3042は1000系と大津線の80形600形700形に再利用された)。2621Fは新型クーラーの性能確認と併せて光ファイバーによる列車モニタの試験車となった。竣工は2622Fが1981年(昭和56年)12月28日・2621Fは2621と2821が1982年7月9日、2921と2721が同年9月21日である。ちなみに2622号車は2000系トップナンバーの2001号車より車体を流用して登場した。なお2622Fは2001年12月28日付けで廃車翌年解体。2621Fも13000系の投入により2012年7月廃車解体された。

末尾25 - 28番

2600(Mc)-2800(Tc)の2両で0番台と連結され5両編成となったり、2両+2両で4両編成で運用、と組み替えられる(3両+3両+2両の8両編成で運転されたこともある)。このグループもすべての車両にパンタグラフを装備している。

  • 2625-2825:2次車・車掌台側の正面窓は固定窓。
  • 2626-2826・2627-2827:1次車・車掌台側の正面窓は固定窓。
  • 2628-2828:2次車・車掌台側の正面窓はサッシ開閉可能。

2626Fと2628Fの4両は、1986年(昭和61年)の京都地下線の工事に試運転車両として松原通り付近に設けられた仮設搬入口から搬入され、地下線での地下設備の確認・試運転・ATSの確認、最後に運転士の訓練運転などに使用された(この当時は運用車両数がギリギリで、抜けた4両の穴埋めに6000系6012F〈4両編成〉が製造された)。

2625Fのうち、2825は寝屋川車庫で走行休止となっている間に新塗装の検討のため、3種類の新塗装が1両に塗られていた(「鉄道ファン」2008年12月号より)。その後、2両とも新塗装になり、2008年10月19日のダイヤ改正で2604Fと組んで7両編成として運用されているが、2604Fは当初塗装を変更しないまま編成を組んだため、京都方5両が旧塗装で、大阪方2両が新塗装という混色が一時期見られた。([1]) だが、後に2604Fも新塗装化され現在30番台を除く2600系で唯一の新塗装編成となっている。

末尾29番

2629-2729-2829は2200系と編成を組むため、当初は種別・行先表示などが同系列と同じシーケンス式の仕様のもので、前面扉の窓下の行先表示器がなく、車両番号が前面車掌台側に取り付けられたが異色の存在であった。1988年(昭和63年)9月に2200系の車体更新に併せて、2829には前面扉の外開化、前面扉の窓下に行先表示器の取り付け、2629は運転台を完全撤去して2700形化した(車両番号はそのまま)。制御機器は2600系で、設備は2200系という異端車両になった。その後相方だった2200系が回生ブレーキ仕様の2210Fから発電ブレーキ仕様の2218Fに替わり、後述の通り2009年9月12日のダイヤ変更でパートナーの2218ほか4連とともに運用から外れ、そのまま11月30日に廃車された[7]

1980年代中期には2400系と編成を組んでいた時期もあったが、後に元の2200系との組成(但し当時は2210Fと組んでいた)に戻っている。

30番台(新造車)

ファイル:Kh2630.jpg
2600系30番台(旧塗装)

1981年川崎重工業で28両が新規に製造されたグループ。基本的に0番台と同じ設計だが、一部の床下機器の配置位置が違う、ライト類が3000系(初代)と同じデザインであるなど、細かい差異が見られる。先頭車正面の連結用幌は1986年に撤去された。

4両+3両に分割可能で、0番台と連結して運行することが可能。1980年代後半頃から2003年9月のダイヤ改正までは2631Fと2633Fが0番台と組み、5両編成で運転されていたが、現在は登場当時と同様に30番台のみで7両編成4本を組む。30番台は全編成が新塗化されている。

登場から30年以上経過しているが、更新工事の計画はない。

台車

本系列の台車は多種多様であり、既に消滅した4種類を含めると、のべ17種類に及ぶ。

FS327A

住友金属工業製、アルストムリンク式。2000系初期車に由来するもので、制輪子が車輪外側にあることから、床下スペースの関係上全て付随台車として使用。数を減らしており、現在履くのは1両のみ。

FS337/337A/337B/337C

住友金属工業製、緩衝ゴム式。FS337Bは2200系T車に由来するもので、全て付随台車として使用。その他は2000系中期~後期車に由来するもので、電動台車または付随台車として使用。

FS399C

住友金属工業製、緩衝ゴム式。30番台T車が登場時に履いていたもので、KW79の導入によって一部が0番台に転用されている。電動台車または付随台車として使用。

FS509/509A

住友金属工業製、SU型ミンデン式。旧式台車の交換用に製造されたもので、電動台車または付随台車として使用。新しいにもかかわらず数を減らしており、FS509は既に消滅している。

KS58

汽車製造製、油浸円筒案内式(シンドラー式[8])。2000系初期車に由来するもので、基礎ブレーキ装置が両抱き式で制輪子や連動てこなどのブレーキ機構が車輪外側にあることから、床下スペースの関係上全て付随台車として使用。

KS63/63A/63C

汽車製造製、軸箱梁式(エコノミカル台車)。2000系中期車に由来するもので、電動台車または付随台車として使用。乗り心地に問題があったと言われ、いずれも既に消滅している。

KS73C

汽車製造製、軸箱梁式(エコノミカル台車)。2000系後期車に由来するもので、電動台車または付随台車として使用。

KW37

川崎重工業製、乾式円筒案内式。30番台M車が登場時から履いているほか、旧式台車の交換用にも製造された。電動台車として使用。

KW69/69A

川崎重工業製、軸梁式。KW69は本系列の、KW69Aは1900系の旧式台車交換用に製造されたもので、KW69は電動台車または付随台車として、KW69Aは全て付随台車として使用。

KW79

川崎重工業製、油浸円筒案内式(シンドラー式)。3000系Tc車で使用していたKS132Aをインダイレクトマウント化改造したもので、全て30番台のT車・Tc車で使用。

近年の動向

ファイル:Externals of KEIHAN museum train Kyoto, JAPAN.jpg
京阪ミュージアムトレイン - 中書島駅

2004年から2008年にかけて連結部に転落防止幌が設置された。これと並行して2007年から2008年にかけて、一部の先頭車の運転台が撤去されている。0番台7両編成に組み込まれる先頭車計7両の運転台側を除き、全車完了している。

2008年から車体塗装の変更が始まり、2011年4月までに39両で実施された。2013年5月までに廃車予定となっている車両を除く全車両の塗装変更が完了した[9]

2009年から、検査入場した車両に対して防護無線の取り付けが行われている。

2010年、京阪開業100周年記念事業として実施された巡業展示「京阪ミュージアムトレイン」として、2602-2702-2802-2712-2812 の5両が使用された。これらの車両は座席を撤去のうえ展示物が配置されたほか、塗装を1550型(初代600型)をイメージしたモスグリーンに塗りかえている[10][11]

2003年3月に廃車となる車輛の一般向け販売が行われ、応募した鉄道ファンに2627号車が切り継ぎされ引き取られた。同じく応募したキッズプラザ大阪では2811号車を館内の車イス使用体験設備として現在も使用されている。このほか、台車(FS-509・FS-327A各1基)が東京大学生産技術研究所に譲渡された[2]

2012年4月から7月にかけて最新鋭の13000系4連5編成が投入され、末尾13.15.17.20.21の4連5編成が廃車となった[12]

脚注

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外部リンク

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テンプレート:京阪電気鉄道の車両
  1. 鉄道ファン 2013年8月号「大手私鉄車両ファイル2013」
  2. 前年1977年に新造した1000系(3代)700系(2代)の車体を流用しているが、2600系の例と同じく「代替新造」扱いである。
  3. 電流460A、分巻界磁電流65A、架線電圧1,500V時定格回転数1,580rpm
  4. 1,500V昇圧後の抵抗制御段数は永久直列18段である。
  5. 出典・「関西の鉄道」№60 2012年新春号102頁「京阪だより」
  6. 離線防止対応として必ずパンタグラフ2台から集電可能、かつユニット間に高圧引通しを出さないとの設計思想により、4両編成でも2両ユニット×2に分割可能な編成ではT車にもパンタグラフが取り付けられている。
  7. 鉄道ファン2010年3月号に「2200系+2600系の2218Fは2009年12月に解体された」との投稿記事あり
  8. 『鉄道ピクトリアルNo.695』pp.205-207
  9. Kプレス2013年6月号(vol.171) - 「くらしの中の京阪6月号 vol.448」内「京阪線車両のカラーデザイン変更が完了しました」を参照。
  10. 京阪ミュージアムトレイン完成。(編集長敬白) - 鉄道ホビタス(ネコ・パブリッシング、2010年7月7日付、2011年7月14日閲覧)
  11. テンプレート:PDFlink(報道発表資料) - 京阪電気鉄道(2010年6月23日付) ※展示時に配布されたリーフレット『京阪ミュージアムトレイン』にも同じ主旨の記述あり。
  12. 月刊「鉄道ファン」2013年8月号付録『大手私鉄車両ファイル』