柘植駅
(2005年10月30日)
柘植駅(つげえき)は、三重県伊賀市柘植町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。
概要
三重県内で最初に開業した駅である。「拓殖(たくしょく)」などと誤解されることが多い。
当駅の所属線である[1]関西本線と、当駅を起点とする草津線との接続駅となっている。
当駅は近畿統括本部亀山鉄道部が管轄する。草津線についても三重県と滋賀県の県境付近にある境界標までの約1.4kmの区間は亀山鉄道部の管理である。なお、当駅から関西本線加茂方および草津線方面が大阪近郊区間に入る。
駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅で、関西本線は列車交換が可能である。駅舎は単式の1番ホーム側にあり、島式の2・3番ホームへは跨線橋で連絡している。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:Color関西本線 | 下り | 加茂・奈良方面 | 当駅始発は2番のりば |
2 | テンプレート:Color関西本線 | 上り | 亀山方面 | 一部3番のりば |
3 | テンプレート:Color草津線 | - | 貴生川・草津方面 | 一部2番のりば |
1番のりばと2番のりばの間に中線があったが現在は撤去されている(留置線として一部は存続)。2番のりば、3番のりばと北側留置線には架線が張られているが、1番のりばには架線はない。
関西本線の使用車両がキハ47系・キハ58系気動車からキハ120形気動車に変更された時にホームが嵩上げされた。かつては改札口上部に反転フラップ式の列車案内表示機が設置されていたが、急行「かすが」の廃止を機に撤去された。
蒸気機関車が走っていた時代には、柘植駅 - 亀山駅間の「加太越」のための補機機関車が柘植で折り返していた。そのための給水塔や転車台があったが、今は撤去されている。ホーム北側にはかつて貨物列車の組成用ヤードとして使われた側線が残り、現在は草津線用電車の夜間滞泊用の留置線として使われている。
駅舎西側には、1890年(明治23年)の開業時に建てられた煉瓦積みの危険品庫(ランプ小屋)がある。駅舎は建物財産標が付いていないため建築年は不明。ホームの基礎はフランス積み煉瓦で、上屋は1890年1月と1919年(大正8年)12月付の建物財産標が付いた物が現存している。
また、2・3番のりばの亀山方には、「海抜二四三米(八〇〇尺)」と漢数字で書かれた、当駅の標高243mを示す木製の標柱が立っている。
当駅の特徴
- 当駅は簡易委託駅である。朝晩は無人となるため、関西本線列車から当駅で下車する場合は無人駅同様に車内の運賃箱で運賃を支払うことになる(窓口非営業時、草津線列車からの場合は改札口の運賃箱に乗車券を投入する)。
- 自動券売機が非設置のため、近距離きっぷも窓口で購入する必要がある。窓口での発券はPOS端末にて行われる。窓口非営業時の場合、関西本線利用時は車内の運賃箱又は駅窓口で運賃を支払い、草津線利用時は車掌から乗車券を購入する必要がある。
- ダイヤの都合上、朝2本の草津線列車は2番のりばに停車するほか、1日1本だけ関西線・亀山方面の列車も3番のりばに停車する。また、23時2分に到着する加茂方面からの列車は2番のりばに到着して留置され、翌5時51分発の加茂行きとなる(時刻は2012年3月17日改正のもの)。
- 運転取り扱い上はのりば表示と運転番線呼称が逆となり、3番のりばが「1番線」、2番のりばが「2番線」、1番のりばは「4番線」(3番線は撤去された中線を指す)にあたる。
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。この数字には各線の乗り換え客は含まれていない。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 485 |
1998年 | 486 |
1999年 | 515 |
2000年 | 520 |
2001年 | 475 |
2002年 | 470 |
2003年 | 492 |
2004年 | 478 |
2005年 | 479 |
2006年 | 467 |
2007年 | 466 |
2008年 | 436 |
2009年 | 418 |
2010年 | 393 |
2011年 | 404 |
2012年 | 391 |
駅周辺
- 駅の南には旧伊賀街道とその宿場街が残るが、駅周囲には特に市街地は形成されていない。駅前広場には「柘植タクシー」が、また、かつて柘植駅内外で駅弁等を販売していた「中村屋」が改装し喫茶と売店を、それぞれ細々と営業している。なお南に1kmほどの所を名阪国道が走り、当駅からは伊賀インターチェンジが最寄りとなる。
バス路線
- いがまち行政サービス巡回車 柘植・西柘植線
歴史
- 1890年(明治23年)
- 1897年(明治30年)1月15日 - 関西鉄道線が上野駅(現在の伊賀上野駅)まで延伸。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、関西本線所属となる(ただし、貴生川方面は草津線となる)。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 貨物営業廃止(旅客駅となる)。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- テンプレート:Color関西本線
- テンプレート:Color草津線
- 柘植駅 - 油日駅
その他
- 14.伊賀焼いづる佐那具の地 芭蕉うまれし柘植の駅 線路左にわかるれば迷はぬ道は草津まで
- 15.鈴鹿の山のトンネルをくぐれば早も伊勢の国 筆捨山の風景を見よや関より汽車おりて
といった歌詞になっている。トンネルとは「加太トンネル」のことである。
- 関西本線伊賀上野方面より草津線が先に開通したため、亀山方面から草津線へ向かう線路がほぼまっすぐ敷かれている。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:草津線- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年