コンスタンディヌーポリ総主教庁

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テンプレート:Redirect テンプレート:Infobox Orthodox Church コンスタンディヌーポリ全地総主教庁(コンスタンディヌーポリぜんちそうしゅきょうちょう、テンプレート:Lang-el, テンプレート:Lang-en, テンプレート:Lang-tr)は、正教会で筆頭の格を有する総主教庁・教会である。管掌・統括するのはコンスタンディヌーポリ総主教。

単に「コンスタンディヌーポリ総主教庁」もしくは「全地総主教庁」とも表記される。日本ハリストス正教会奉神礼ではコンスタンティノポリ総主教と呼称される。一般にはコンスタンティノープル総主教とも。

初代総主教は十二使徒の一人である聖アンドレアスとされている。現在の総主教ヴァルソロメオス1世1991年 - [1])である。

総主教庁の所在地コンスタンディヌーポリ(コンスタンティノープル)は、現在のトルコ共和国最大の都市イスタンブルにあたる。総主教座はイスタンブル旧市街金角湾に面したファナリ地区に建つ聖ゲオルギオス大聖堂に置かれている。コンスタンティノポリスには、時代・地域によって様々な都市名の転写があるため様々な表記が存在するが、いずれも誤りではない。これについては当記事内の「都市名の転写・カナ表記」の節で詳述する。

1カ国に1つの教会組織を具えることが原則である正教会には、他にギリシャ正教会ロシア正教会ルーマニア正教会日本正教会などがあるが、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳ではなく、同じ信仰を有している[2]。その教義や全正教会の性格については正教会の項を参照。

概要

ファイル:Ecumenical Patriarch Bartholomew 200902.jpg
全地総主教
ヴァルソロメオス1世(2009年)。リヤサ(ラソ)を着用し、クロブークを被り、パナギアを胸にかけ、杖に花を合わせて持っている。

元来は、原始キリスト教の五大総主教座(ローマ、コンスタンディヌポリス、アンティオキアエルサレムアレクサンドリア)のひとつで、きわめて古い伝統をもつ。かつては東ローマ帝国の首都の教会として、また東方正教会の首長として、東ローマ皇帝に任命された総主教が東ローマ帝国領だった現在のトルコギリシャからブルガリアセルビア、さらにはロシアまでを管轄し、ローマ教皇とキリスト教会の首位の座を争うほどの地位を誇っていた。また、東ローマ皇帝が幼帝のときに総主教が摂政となった例も複数あり、聖俗に渡って影響力を持っていた。当時の総主教座はアギア・ソフィア大聖堂(現・アヤソフィア博物館)に置かれていた。

東ローマ帝国では皇帝教皇主義がとられていた、皇帝が総主教を兼任していたという説が流布しているが、いずれも誤りである。建前上は総主教と皇帝は聖俗の役割分担が規定されており、また実質的にもコンスタンディヌーポリ総主教が皇帝レオーン6世の再婚問題に際して、アギア・ソフィア大聖堂への立ち入りを禁じた事例[3]にもみられるように、常に皇帝が教会に対して絶対的な権力を行使できたわけではない。また、コンスタンディヌーポリ総主教を東ローマ帝国皇帝が兼任したこともなかった。

テンプレート:Main

オスマン帝国統治の時代は、東方正教会に属するギリシャ人セルビア人ルーマニア人ブルガリア人ヴラフ人アルーマニア人)、正教徒アルバニア人、正教徒アラブ人を管轄する行政区分(ミッレト)の長となり、総主教の下の大主教主教が、正教徒の行政・司法・教育を担当し、宗教税を徴収した。

現代では、各国の正教会が独立したために、主にトルコ国内のギリシャ系住民と、クレタ島アトス山の各修道院および海外にいるギリシャ人正教徒を管轄するのみとなっているが、コンスタンディヌーポリ総主教は「全地総主教(エキュメニカル総主教、世界総主教)」[4][5]という称号を持ち、正教会の各教会の中でも第1位の格式を持っている。ただし各国の正教会は対等であり、コンスタンディヌーポリ教会およびコンスタンディヌーポリ総主教が筆頭とされるのは、あくまでも席次の上でのことである[6]

日本ハリストス正教会との交流

コンスタンディヌーポリ全地総主教は、日本ハリストス正教会自治教会としての地位を承認していないが教会法上の合法性は認めており、一定の交流が行われている。日本ハリストス正教会をたびたび訪問する香港のニキタス府主教は、コンスタンディヌーポリ総主教庁に所属している。

  • 1983年5月 - フェオドシイ永島府主教、ギリシャ正教会の主教会議およびイスタンブルを訪問、コンスタンディヌーポリ全地総主教ディミトリオス1世と会見。
  • 1992年10月 - フェオドシイ永島府主教、コンスタンディヌーポリ総主教庁とギリシャ正教会を公式訪問。
  • 1995年4月 - コンスタンディヌーポリ全地総主教ヴァルソロメオス1世、日本ハリストス正教会を訪問。

都市名の転写・カナ表記

テンプレート:See also

本項目の記事名には現代ギリシア語での表記・発音に近い「コンスタンディヌーポリ[7]を採用しているが、日本ハリストス正教会奉神礼で使用されるのは「コンスタンティノポリ」である。当総主教庁の都市名には様々な表記がある。コンスタンディヌーポリは非常に長い歴史を持つ都市である上に、様々な民族・言語が関わる都市である。そのため、様々な呼び方・読み方がこの都市に対してなされている。以下に、それぞれの表記について解説する。

コンスタンディヌーポリ
Κωνσταντινούπολη - 現代ギリシア語(ディモティキ)。「コンスタンディヌポリ」とも。
コンスタンティノポリス
Constantinopolis - 古典ラテン語。古典ギリシア語表記を転写したもの。日本で最も一般的な表記。厳密な再建音は「コーンスタンティノーポリス」。
コンスタンティノープル
Constantinople - 現代英語。コンスタンティノポリスと並んで最も日本で用いられる表記の1つ。コンスタンティノポリとともに日本正教会で用いられる表記である(ただし、祈祷書は「コンスタンティノポリ」)。「コンスタンチノープル」とも。
コンスタンディヌポリス
Κωνσταντινούπολις - 中世ギリシア語および現代ギリシア語文語(カサレヴサ)。
コーンスタンティヌーポリス
Κωνσταντινούπολις - 古典ギリシア語(再建音)。
コンスタンティノポリ
日本正教会で用いられる表記。古代教会スラヴ語ロシア語を経由した転写。ロシア語では「ツァーリグラード(皇帝の街)」とも呼ばれる。
イスタンブル
İstanbul - トルコ語。現在の都市としての名称を指す。ただし、当記事で扱う総主教庁の名にこの表記を用いることはない。

転写例一覧表

都市名の転写一覧表(一例)
古典ギリシア語再建音 中世ギリシア語
近現代ギリシア文語(カサレヴサ)
現代ギリシア語(ディモティキ) 古典ラテン語
コーンスタンティヌーポリス コンスタンディヌポリス コンスタンディヌーポリ
コンスタンディヌポリ
コンスタンティノポリス
コーンスタンティーノポリス
英語 日本正教会(奉神礼時) ロシア語 トルコ語
コンスタンティノープル
コンスタンチノープル
コンスタンティノポリ コンスタンティノーポリ
ツァーリグラード
イスタンブル
(現在の都市名)

管轄区

ファイル:Patriarchate Constantinopolis.jpg
現在のコンスタンディヌーポリ総主教座聖堂である聖ゲオルギオス大聖堂の内観。奉神礼時の光景。右詠隊正教会の詠隊が左右に分かれる場合の、右側の詠隊を指す語)が歌っている。左側に至聖所イコノスタシスが写っている。

現在のコンスタンディヌーポリ総主教庁は5つの大主教区および70余りの府主教区に分割される[8]

大主教区

  • コンスタンディヌーポリ大主教区(総主教が大主教を兼務)
  • クレタ島大主教区
  • アメリカ大主教区
  • オーストラリア大主教区
  • イギリス大主教区

主な府主教区

  • カルケドン府主教区
  • インブロス(Imbros)とテネドス(Tenedos)府主教区
  • プリンスィズ諸島府主教区
  • デルコス(Derkos)府主教区
  • ロードス府主教区
  • コス府主教区
  • カルパソス(Karpathos)とカソス(Kasos)の府主教区
  • レロス(Leros)、カリムノス(Kalymnos)、アスツパライア(Astypalaia)の府主教区
  • フランス府主教区
  • ドイツ府主教区
  • オーストリア府主教区
  • ベルギー府主教区
  • スカンジナビア府主教区
  • ニュージーランド府主教区
  • スイス府主教区
  • イタリア府主教区
  • カナダ府主教区
  • アルゼンチン府主教区
  • 中央アメリカ府主教区
  • 香港府主教区
  • シンガポール府主教区 - 2011年に香港府主教区から分立[9]
  • 韓国府主教区

カトリック教会における「コンスタンティノポリス総大司教」

1204年第4回十字軍がコンスタンティノポリスを占領してラテン帝国を建国した際、カトリック教会は亡命した正教会のコンスタンティノポリス総主教の代わりにカトリックの総大司教座を置いた。その後、1261年に東ローマ亡命政権のニカイア帝国がコンスタンティノポリスを奪回して正教会の総主教座が復活し、カトリックの総大司教は追われた。しかし「コンスタンティノポリス総大司教」の職名だけは残り、1964年まで名目上ながら存続していた。

著名な過去のコンスタンディヌーポリ総主教

ファイル:Flag of the Greek Orthodox Church.svg
東ローマ帝国の「双頭の鷲」を受け継ぐ、コンスタンディヌーポリ総主教庁の紋章を用いた総主教旗。全地総主教庁とギリシャ正教会でよく用いられる。

カッコ内は日本ハリストス正教会での呼称。

総主教庁の在所の変遷

コンスタンティノープルの陥落でハギア・ソフィアがオスマン帝国に接収されたため、移転を余儀なくされた。その後、16世紀末に現在地に落ち着くまでの間、何度か移転している。

脚註

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Coord
  1. 公式サイトによれば第270代総主教。
  2. OCA - Q&A - Greek Orthodox and Russian Orthodox - Orthodox Church in Americaのページ。テンプレート:En icon
  3. 浅野和生『イスタンブールの大聖堂―モザイク画が語るビザンティン帝国』中公新書(2003年、121頁)ISBN 9784121016843
  4. 日本ハリストス正教会では、Ecumenical に「全地」の訳を当て、Ecumenical council を「全地公会議」と訳している。従って、これに準拠すれば「エキュメニカル総主教」の訳語は「全地総主教」となる。
  5. 総主教庁のサイトによれば「コンスタンディヌーポリの大主教」「新しいローマとエキュメニカルの総主教」(テンプレート:Lang-el ,テンプレート:Lang-en)となっている。「新しいローマ」はコンスタンディヌーポリの創建時の正式名称。
  6. この点については、独立教会自治教会の承認や、教会法上の紛争における上訴受理の権限等において、全地総主教は実権を伴うとする教会法解釈も存在し、正教会内で解釈が分かれている。コンスタンディヌーポリ総主教の権限について全世界の正教会に共通する見解は存在していない。だがいずれにせよ、ローマ・カトリック教会におけるローマ教皇ほどに確立した強力な権限は行使されず存在もしていないこと、およびコンスタンディヌーポリ総主教を頂点とする上意下達式の確固とした恒常的な組織形態は存在しないことは、確実に言える事実である。
  7. ただし、純粋に現代ギリシア語発音との近似性のみを追求する場合、「コンスタンディヌポリ」となる。ού が長音のようにも聞こえるため長音符が付される傾向があるが、現代ギリシア語には長母音が存在しないため、厳密には長音 [uː] ではなく単音 [u] である。Wikipedia 内での表記についてはノートも参照のこと。
  8. http://patriarchate.org/patriarchate/jurisdiction/administrative-structure/dioceses/
  9. http://www.omhksea.org/2011/11/the-chancellor-of-omhksea-was-elected-as-metropolitan-of-singapore/
  10. 尚樹啓太郎『コンスタンティノープルを歩く』東海大学出版会、1988年、ISBN 9784486010203 P210