エチオピア正教会
エチオピア正教会(エチオピアせいきょうかい、英語名称 Ethiopian Orthodox Tewahedo Church)はエチオピアで独自に発展した、キリスト教の教会である。エチオピア帝国時代は国教とされていた。東方諸教会・非カルケドン派に分類される。
エチオピア正教会はサハラより南で唯一、植民地時代以前から存在する教会である。エチオピアのほか、世界中で公称3600万人の信徒がおり、全東方諸教会中最大の規模を誇る。
沿革・特徴
単性論を採るといわれることがあるが、エチオピア正教会は自身の教説を単性論とみなされることを拒絶しており、「単性論教会」を自称しない。451年のカルケドン公会議(第四全地公会議)を承認しないことで分離した教会であるため、より中立的な呼称として「非カルケドン派」の範疇が用いられる。同じ「非カルケドン派」に属するアルメニア使徒教会、シリア正教会、コプト正教会とはフル・コミュニオン(完全相互領聖)の関係にある。また、ギリシャ正教系の正教会との関係は改善しつつある。
1959年に独立教会となるまではコプト正教会の一部であった。またエチオピア帝国時代は国教とされていた。1993年のエリトリア独立後、一部がエリトリア正教会として分離した。
特徴的な習慣として、聖堂内で靴を脱ぎ裸足になることが挙げられる。日本とは異なりエチオピアでは必ずしも家屋に入る際に靴を脱ぐとは限らないため、聖堂で靴を脱ぐという習慣は家屋に入る際の延長線上にある習慣ではない。これは旧約聖書の出エジプト記(3章5節)において、その立っている場所が聖なる場所であるので履物を脱ぐようにモーセが神から命じられた場面に由来する習慣であり、神への畏怖を表しているとされる[1]。
聖墳墓教会
イスラエルがエルサレムを占有するまでキリストの処刑地である聖墳墓教会を守護してきた。しかし、カトリック教会や東方正教会等の勢力が回復すると教会の管理から追い立てられ、その立場を失った。
建国伝承
エチオピア正教では、エチオピア帝国建国の祖を古代イスラエル王のソロモンとエチオピア女王のあいだに生まれたメネリク1世としている[2]。
脚注
参考文献
- 川又一英『エチオピアのキリスト教―思索の旅』山川出版社、2005年。ISBN 9784634640184
- 島崎晋『名言でたどる世界の歴史』PHP研究所、2010年。ISBN 978-4-569-77939-3
関連項目
- ラリベラの岩窟教会群
- エチオピア十字 - エチオピア正教会で用いられる、意匠が凝らされ独特の形状をした十字架。
外部リンク
- Ethiopian Orthodox Tewahedo Church Directory - アメリカにあるエチオピア正教会の一覧とリンク集