ラファエル・ナダル
テンプレート:テニス選手 ラファエル・ナダル・パレラ(Rafael Nadal Parera, 1986年6月3日 - )は、スペイン・マヨルカ島・マナコー出身の男子プロテニス選手。全仏オープン男子シングルスにおいて2005年~2008年に4連覇、2010年~2014年には5連覇を達成し、2008年北京五輪の男子シングルス金メダルも獲得した。さらに、2010年全米オープンで優勝したことにより、キャリア・ゴールデン・スラムを達成している。左利き(本来は右利きであるが、幼少時に助言を受け左打ちに矯正した)。これまでにATPツアーで4大大会14勝(歴代2位タイ)を含む、シングルス64勝、ダブルス8勝を挙げる。身長185cm、体重85kg。
目次
来歴
プロ転向-2004年
彼の叔父はサッカー元スペイン代表DF(ディフェンダー)のミゲル・アンヘル・ナダルであり、ラファエルも12歳まではサッカーで有望選手だったという。もう一人の叔父であるテンプレート:仮リンクが子供のころから一貫してコーチを務めている。その後テニスを職業に選び、2001年に15歳でプロ入りした。2004年8月のソポト大会でシングルス初優勝を飾り、アテネ五輪にカルロス・モヤとのダブルスで出場している。全米オープンで、同じスペインのトミー・ロブレドと組んで男子ダブルス準決勝に進出したことがある。12月のアメリカとのデビスカップ決勝にも起用され、アンディ・ロディックを 6-7(6), 6-2, 7-6(6), 6-2 で破りスペインの優勝に貢献した[1]。
2005年
ナダルは2005年シーズンに急成長を始めた。シーズン序盤、中南米のクレーコートの大会でいくつかの勝利を収め、全仏オープンの前哨戦となるモンテカルロ、ローマでも優勝。年頭には50位だったATPランキングも、全仏オープン開始前には5位まで上昇した。全仏オープンでは、準決勝で世界1位のロジャー・フェデラーを破り、決勝ではアルゼンチンの伏兵マリアノ・プエルタに競り勝って、「19歳2日」の若さで初優勝を達成。全仏オープンでの初出場・初優勝は1982年のマッツ・ビランデル以来となり、大会でも4番目の年少記録だった。10代の男子テニス選手が4大大会で優勝したことも、1990年の全米オープンに「19歳28日」で優勝したピート・サンプラス以来15年ぶりの快挙であった。
その後の4大大会では不本意な早期敗退に終わり、ウィンブルドンは2回戦でジレ・ミュラー、全米オープンは3回戦でジェームズ・ブレークに敗れている。しかし2005年度はATPツアーで年間11勝を挙げ、そのうち「ATPマスターズシリーズ」(男子テニスツアーで、4大大会に次ぐ大規模なトーナメント群。年間9大会を指定)では、モンテカルロ、ローマ、カナダ、マドリードの4大会で優勝した。
2006年
2006年のシーズンでも、ナダルはATPツアー大会の決勝戦でフェデラーに4連勝を記録した。同年5月、第7回「ローレウス・スポーツ賞」の「最優秀新人賞」を受賞。2006年にはクレーコートで、ギリェルモ・ビラスが持っていた「53連勝」の記録を更新する。全仏オープン決勝戦ではフェデラーに 1-6, 6-1, 6-4, 7-6 で勝ち、大会2連覇を達成。クレーコートでの連勝記録を「60連勝」に伸ばし、それまで4大大会シングルス決勝戦で負けたことがなかったフェデラーに、初めての黒星をつけた。同年のウィンブルドンでも初めて決勝に勝ち上がったが、全仏に続く2大会連続の決勝対決となったフェデラーに 0-6, 6-7, 7-6, 3-6 で敗れた(大会4連覇を達成したフェデラーは、試合終了後「芝では負けられなかった」と話した)。全米オープンでは振るわず、準々決勝でミハイル・ユージニーに 3-6, 7-5, 6-7, 1-6 で敗れた。
2007年
2007年全豪オープンでは、ナダルは準々決勝でフェルナンド・ゴンサレスに完敗している。2007年5月20日、ナダルはATPマスターズシリーズのハンブルク・マスターズ決勝でフェデラーに6-2, 2-6, 0-6で敗れ、2005年4月から続いていたクレーコートの連勝記録が「81連勝」でストップした(これはフェデラーにとって、対ナダル戦のクレーコート初勝利であった)。この記録は、ジョン・マッケンローが室内カーペットコートでマークした単一コートでの連勝記録「75連勝」を更新するものであった。直後の全仏オープンでは決勝でフェデラーを6-3, 4-6, 6-3, 6-4で下し、大会3連覇を達成する。ウィンブルドンでは3回戦で相次ぐ降雨順延・中断に悩まされるなど、ハードなスケジュールの中で決勝に勝ち進む。フェデラーとの2年連続の決勝対決では 6-7, 6-4, 6-7, 6-2, 2-6 でまたも敗れたが、芝においても王者に肉薄しつつあることを十分に示す激闘だった。
2008年
2008年全豪オープンでは、初進出の準決勝で世界ランキング38位のジョー=ウィルフリード・ツォンガに 2-6, 3-6, 2-6 のストレートで敗れた。全仏オープンでは、決勝でロジャー・フェデラーを 6-1, 6-3, 6-0 のストレートで下し、全仏ではビョルン・ボルグ選手以来2人目の4連覇を達成、全仏初出場から28連勝とした。ボルグは1978年-1981年にかけて全仏4連覇を達成したため、ナダルは27年ぶりの偉業を射止めたことになる。
全仏オープン終了後、6月のクイーンズ・クラブ選手権において芝生コートでの初優勝を果たす。その勢いに乗り、ウィンブルドンで、5連覇中のロジャー・フェデラーとの「4時間48分」に及ぶウィンブルドン決勝史上最長の試合を 6-4, 6-4, 6-7, 6-7, 9-7 で制し、初制覇を成し遂げた。スペイン勢のウィンブルドン制覇は1966年のマニュエル・サンタナ以来2人目で、同一年での全仏オープンとウィンブルドン選手権連続制覇は1980年のビョルン・ボルグ以来28年ぶりである。優勝を決めた自身のサービスゲームでは、フェデラーのバックを狙ったサービスや、それまで1度も使わなかったサーブ&ボレーなどの奇襲を駆使し、優勝を手にした。
ウィンブルドン優勝の後、ナダルは北京五輪で男子シングルスの金メダルを獲得し、決勝でチリ代表のフェルナンド・ゴンサレスを 6-3, 7-6, 6-3 のストレートで圧倒した。これまでオリンピックテニス競技でスペイン人選手の金メダル獲得はなかったが、ナダルが最初のスペイン人金メダリストに輝いた。8月18日、ナダルは初めて世界ランキング1位の座につき、ロジャー・フェデラーが保持してきた世界ランキング1位連続保持の世界最長記録を「237週」で止めた。左利きの選手としては、ジミー・コナーズ、ジョン・マッケンロー、トーマス・ムスター、マルセロ・リオスに続く歴代5人目の世界ランキング1位である。スペイン男子選手としてはカルロス・モヤ、フアン・カルロス・フェレーロに続いて史上3人目となる。全米オープンでは初めて第1シードに選ばれたが、準決勝でアンディ・マレーに 2-6, 6-7, 6-4, 4-6 で敗れ、初の決勝進出を逃した。
2009年
2009年の全豪オープンでは、準決勝でフェルナンド・ベルダスコ、決勝のフェデラー戦と2試合連続で長い5セット・マッチを乗り切り、ハードコート・グランドスラムで初優勝を飾った。スペイン人選手による全豪オープン優勝は史上初である。ところが、全仏オープンでは4回戦でロビン・セーデリングに 2-6, 7-6, 4-6, 6-7 で敗れ、2005年に初出場してからの連勝記録が31で途切れた。この後、彼が両膝を痛めていたことが明らかになる。6月19日、ナダルは大会前年度優勝者として出場する予定だったウィンブルドンの出場断念を表明した。
その後のロジャーズ・カップにて第2シードで復帰を果たしたものの、第6シードのフアン・マルティン・デル・ポトロにストレートで敗れた。これにより、2009年8月17日付けのランキングでは2005年7月18日以来、およそ4年1ヶ月ぶりに3位に後退することとなった。翌週に開催されたシンシナティ・マスターズでも準決勝でノバク・ジョコビッチに圧倒され敗退。 全米オープンでは、準決勝で再びフアン・マルティン・デル・ポトロに 2-6, 2-6, 2-6 のストレートで敗れた。
2010年
2010年、前年優勝者として挑んだ全豪オープンでは、準々決勝でアンディ・マレーを相手にサードセット途中棄権という結果に終り、その後慢性化している膝の怪我で二ヵ月の休養を余儀なくされた。怪我明けのBNPパリバ・オープンとソニー・エリクソン・オープンでは準決勝で敗退したが、クレーコートシーズンに入ると、ATPワールドツアー・マスターズ1000のモンテカルロ・マスターズ、BNLイタリア国際、マドリード・マスターズのクレーコートマスターズを3大会連続優勝を果たし、マドリードの決勝戦ではロジャー・フェデラーを 6-4, 7-6 で下し、膝の怪我から復活しつつあることを印象付けた。クレーコートマスターズの3大会を同年に全て制覇したのはナダルが史上初である。
また、全仏オープンにおいて、全試合ストレート勝ちを達成した。これは全仏男子テニス史上5度目(ボルグ2度・ナスターゼ1度・ナダル2度)の快挙である。
さらにウィンブルドンでも決勝に進出し、準々決勝でフェデラー、準決勝でジョコビッチを破ったトマーシュ・ベルディハを6-3, 7-5, 6-4で破って2年ぶり2度目の優勝。また全仏とウィンブルドンの同一年制覇も自身2度目である。
全米オープンでは、決勝でノバク・ジョコビッチ を6-4, 5-7, 6-4, 6-2で破り、悲願の全米初タイトルを手に入れた。これにより、グランドスラム年間3勝目をあげるとともに男子7人目のキャリア・グランドスラムおよび男子2人目のキャリア・ゴールデンスラムを達成した。これは、グランドスラムのオープン化以降3人目で最年少の記録である。
2010年10月の楽天ジャパン・オープンで初来日し、準決勝でビクトル・トロイツキにマッチポイントを握られながらも、7-6, 4-6, 7-6 で制した。決勝ではガエル・モンフィスに、6-1, 7-5 で快勝して初来日を優勝で飾った。最終戦のATPワールドツアー・ファイナルで初めて決勝に進出したが、フェデラーに 3-6, 6-3, 1-6 で敗れた。
2011年
4大大会4連続優勝を目指した1月の全豪オープンでは準々決勝でダビド・フェレールに、4-6, 2-6, 3-6 で敗れた。3月のインディアンウェルズ・マスターズとマイアミ・マスターズでは決勝でノバク・ジョコビッチに敗れ準優勝となった。4月のモンテカルロ・マスターズではダビド・フェレールを 6–4, 7–5 で破り、オープン化以降では史上初となる同一大会7連覇を達成した。5月のマドリード・マスターズ、ローマ・マスターズでも決勝に進み、史上初めてATPワールドツアー・マスターズ10005大会連続決勝進出と記録は作ったが、またしてもノバク・ジョコビッチに敗れた。
全仏オープンでは、決勝でロジャー・フェデラーを7-5, 7-6(3), 5-7, 6-1で破り、全仏ではビョルン・ボルグに並ぶ6回目の優勝を飾った。
ウィンブルドンでは、決勝でノバク・ジョコビッチに4–6, 1–6, 6–1, 3–6で敗れ、大会2連覇は成らなかった。全米オープンでもジョコビッチに 2–6, 4–6, 7–6(3), 1–6 で敗れ、2011年のジョコビッチ戦に6戦全敗となってしまった。 ジャパン・オープンで2年連続来日したが、決勝でアンディ・マレーに 6–3, 2–6, 0–6 で敗れ連覇を逃した。
2012年
全豪オープン決勝では、昨年のウィンブルドン決勝から3大会連続でノバク・ジョコビッチと対戦となり、5-7, 6-4, 6-2, 6-7, 7-5で敗れ、3大会連続で4大大会優勝を逃した。この試合は、グランドスラムの決勝史上最長となる5時間53分に及んだ。
4月のモンテカルロ・マスターズでは決勝でジョコビッチを6-3, 6-1 で破りジョコビッチ戦の連敗を7で止め大会8連覇を果たした。全仏オープン決勝では、再びジョコビッチとの対戦となり、6-4, 6–3, 2–6, 7–5で破り3年連続7度目の優勝を果たし、オープン化以降ではビョルン・ボルグを抜き、全仏オープン最多優勝記録を更新した。
しかし、続くウィンブルドンでは当時ランク100位のルカシュ・ロソルにフルセットの末敗れ、2005年以来7年ぶりの2回戦敗退となった。大会後、膝の怪我によりロンドンオリンピック出場を断念し、開会式のスペイン選手団の旗手も辞退した。その後も怪我が回復せず、全米オープン、上海マスターズ、パリマスターズ、年間最終戦も欠場し年後半戦の主要大会全てを欠場することとなってしまった。
2013年
全豪オープンは胃の感染症を理由に欠場。2月、復帰初戦のVTRオープンでは単複ともに決勝まで進出するも、どちらも準優勝に終わった。シングルスは当時世界ランク73位のオラシオ・ゼバロスに7-6, 6-7, 4-6で敗れた。翌週のブラジル・オープンで復帰後初優勝を飾ると、アビエルト・メキシコ・テルセル・インディアンウェルズ・マスターズで優勝。ヨーロッパクレーシーズンは、モンテカルロ・マスターズ決勝でノバク・ジョコビッチに2-6, 6-7で敗れ大会9連覇とはならなかった。しかしその後のバルセロナ・オープン・マドリード・マスターズ・ローマ・マスターズの3大会で優勝。復帰してから全仏オープンまでで出場した8大会全てにおいて決勝進出し、そのうち6大会で優勝するなど完全復活を果たす。
全仏オープンでは、準決勝で第1シードのジョコビッチに4時間37分のフルセットで勝利し、決勝ではダビド・フェレールをストレートで下して大会2度目の4連覇と8度目の優勝を達成。グランドスラム1大会における8回の優勝は史上初であり、また、ギリェルモ・ビラスが保持していた全仏オープンでの最多マッチ勝利数を更新する59勝目を挙げた。
ウィンブルドンでは、1回戦で当時世界ランク135位のスティーブ・ダルシスに6-7, 6-7, 4-6で敗退してしまう。ナダルが4大大会初戦で敗退するのはプロ転向後初めてのことだった。しかし、その後の北米ハードコートシーズンでは好調さを取り戻し、カナダ・マスターズでは決勝で地元勢のミロシュ・ラオニッチを、翌週のシンシナティ・マスターズでも決勝で地元勢のジョン・アイズナーを下し、ハードコートのマスターズ大会で2週連続優勝を果たした。
全米オープンでも決勝に進出。ジョコビッチにセットカウント3-1で勝利し、歴代単独3位となる4大大会13勝目挙げた。その後のチャイナ・オープンでは決勝でジョコビッチに敗退。上海マスターズ・パリ・マスターズでは、デル・ポトロとフェレールにいずれも準決勝で敗れた。
ATPワールドツアー・ファイナルではラウンドロビン全勝で3年ぶりに決勝まで勝ち進むも、ジョコビッチに敗れ準優勝に終わった。それでも2013年は10大会で優勝挙げ、3年ぶりにシーズンランキング1位に輝き、自身初の年間勝率90%超えを果たした。また1シーズンにおける獲得賞金が1,456万915ドルにのぼり、前年度のジョコビッチの記録を上回る歴代最多記録を更新した。
2014年
年初にドーハで行われた大会で優勝し通算61勝目を挙げた。続く全豪オープンでは、失セット数1と安定したプレーで決勝に進出。決勝では4大大会初の決勝進出を果たした第8シードのスタニスラス・ワウリンカと対戦。過去12戦全勝と相性の良い相手ではあったが、試合中に負った怪我の影響や、ワウリンカの攻撃的なプレーに屈し 3-6, 2–6, 6-3, 3-6 で敗退し準優勝に終わった。全仏オープンでは決勝まで進み、勝てばキャリア・グランドスラムを達成するノバク・ジョコビッチを3-6, 7-5, 6-2, 6-4 で破り、全仏5連覇と9度目の優勝及びピート・サンプラスに並ぶグランドスラム14勝目を挙げた。
エピソード
- 2003年5月28日にマヨルカ天文台で発見された小惑星が、この島の出身者であるナダルにちなんで「ラファエル・ナダル (小惑星)」 (128036 Rafaelnadal) と名づけられた。
- 幼いころサッカーをしていたこともありサッカーの大ファンで、2010年ワールドカップの決勝戦、スペイン対オランダを応援しに南アフリカまでかけつけたり、楽天オープンで来日の際にはアルゼンチン対日本の試合会場にも姿を現している[2][3]。2011年にそれまで度々スタジアムに応援に駆けつけていたレアル・マドリードの名誉会員(ソシオ)となる[4]。また、地元チームのRCDマヨルカの株主でもあったが2011年12月に保有株の一部を売却した[5]。
- アニメ『ドラゴンボール』の特に孫悟空の大ファンで筋肉のつけ方やウェアなどはそれを意識したともいわれている。本人の公式サイトでも"I love dragon ball, I have all the dvd and I travel with most of them"(私はドラゴンボールが大好きで、全てのDVDを持っているし、旅行するときも持っていっている)と述べている[6]。
- 2011年に自伝『Rafa: My Story』を発表(ISBN 978-1847445155)。9月30日に実業之日本社から日本語版が発売された(ISBN 978-4-408-45357-6)。
- 2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。ナダルの年収は4450万ドル(約45億4000万円)であり、世界のアスリートの中で9位。テニス選手の中ではロジャー・フェデラーに次ぐ2位[7]。
記録
- 全仏オープン男子シングルス最多優勝記録「9回」
- ビョルン・ボルグの6回を上回る歴代最多記録。2005年~2008年に4連覇、2010年~2014年には史上初となる5連覇を達成している。また同一大会において9度の優勝は歴代最多である。
- 全仏オープンでの最多マッチ勝利数「66勝」
- 2014年大会までに66勝を挙げ、ロジャー・フェデラーの61勝を上回り歴代最多。また2009年大会の4回戦でロビン・ソデルリングに敗退した以外は全試合に勝利しており、戦績66勝1敗と驚異的な勝率を誇っている。
- クレーコートでの最多連勝記録「81連勝」
- ギリェルモ・ビラスの53連勝を上回る歴代最多連勝。2005年モンテカルロ・マスターズ~2007年ハンブルグ・マスターズ決勝でフェデラーに敗れるまでの記録。
- ATPワールドツアー・マスターズ1000最多優勝記録「27大会」
- ロジャー・フェデラーの21大会を上回る最多記録。
- キャリア・ゴールデン・スラム達成
- 男子ではアンドレ・アガシに続く史上2人目の達成。2008年北京五輪での金メダル獲得を経て、2010年全米オープン優勝によるキャリア・グランドスラムと同時に達成。
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 92回 (64勝28敗)
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ダブルス: 12回 (8勝4敗)
4大大会優勝
- 全豪オープン:1勝(2009年)〔準優勝2度:2012年,14年〕
- 全仏オープン:9勝(2005年-08年、10年-14年) ※2010年-14年 大会5連覇
- ウィンブルドン:2勝(2008年、10年)〔準優勝3度:2006年&07年,11年〕
- 全米オープン:2勝(2010年、13年)〔準優勝1度:2011年〕
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
---|---|---|---|
2005年 | 全仏オープン | テンプレート:Flagicon マリアノ・プエルタ | 6-7, 6-3, 6-1, 7-5 |
2006年 | 全仏オープン | テンプレート:Flagicon ロジャー・フェデラー | 1-6, 6-1, 6-4, 7-6 |
2007年 | 全仏オープン | テンプレート:Flagicon ロジャー・フェデラー | 6-3, 4-6, 6-3, 6-4 |
2008年 | 全仏オープン | テンプレート:Flagicon ロジャー・フェデラー | 6-1, 6-3, 6-0 |
2008年 | ウィンブルドン | テンプレート:Flagicon ロジャー・フェデラー | 6-4, 6-4, 6-7, 6-7, 9-7 |
2009年 | 全豪オープン | テンプレート:Flagicon ロジャー・フェデラー | 7-5, 3-6, 7-6, 3-6, 6-2 |
2010年 | 全仏オープン | テンプレート:Flagicon ロビン・セーデリング | 6-4, 6-2, 6-4 |
2010年 | ウィンブルドン | テンプレート:Flagicon トマーシュ・ベルディハ | 6-3, 7-5, 6-4 |
2010年 | 全米オープン | テンプレート:Flagicon ノバク・ジョコビッチ | 6-4, 5-7, 6-4, 6-2 |
2011年 | 全仏オープン | テンプレート:Flagicon ロジャー・フェデラー | 7-5, 7-6, 5-7, 6-1 |
2012年 | 全仏オープン | テンプレート:Flagicon ノバク・ジョコビッチ | 6-4, 6-3, 2-6, 7-5 |
2013年 | 全仏オープン | テンプレート:Flagicon ダビド・フェレール | 6-3, 6-2, 6-3 |
2013年 | 全米オープン | テンプレート:Flagicon ノバク・ジョコビッチ | 6-2, 3-6, 6-4, 6-1 |
2014年 | 全仏オープン | テンプレート:Flagicon ノバク・ジョコビッチ | 3-6, 7-5, 6-2, 6-4 |
テンプレート:テニスグランドスラム大会男子シングルス優勝記録
4大大会シングルス成績
大会 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | A | 3R | 4R | A | QF | SF | W | QF | QF | F | A | F | 41–8 |
全仏オープン | A | A | W | W | W | W | 4R | W | W | W | W | W | 66–1 |
ウィンブルドン | 3R | A | 2R | F | F | W | A | W | F | 2R | 1R | 36–7 | |
全米オープン | 2R | 2R | 3R | QF | 4R | SF | SF | W | F | A | W | 41–8 |
脚注
- ↑ Davis Cup - Tie details - 2004 - Spain v USA
- ↑ テニス選手のナダルが埼玉スタジアムでアルゼンチン戦を観戦
- ↑ R・ナダル:「少年のように泣いた」-国全体でチームを誇りに
- ↑ 公式声明 2011年3月17日付
- ↑ サッカー=男子テニスのナダル、マジョルカ保有株を売却
- ↑ 公式サイトラファとチャット・ダイジェストテンプレート:リンク切れ
- ↑ The World's Highest-Paid Athletes Forbes.com 2014年6月発表。
外部リンク
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