ニチロ
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テンプレート:Infobox ニチロは、かつて存在した水産、食品会社。旧社名 日魯漁業株式会社。
概要
東京都千代田区に本社を置き、食品加工、水産品貿易・買付、冷凍食品・鮮冷魚他製商品、あけぼのブランドの缶詰、塩辛、冷凍食品の販売を行っていた。特に、鮭、カニを中心とした水産品に強みをもっていた。
子会社に鮭・カニの漁獲、加工のPeter Pan Seafoods, Inc.(米国)、海老の漁獲、加工のP.T. Alfa Kurnia Fish Enterprise(インドネシア)、水産加工品の製造及び販売を行う日照日魯栄信食品有限公司(中国)等をもつ。
かつての社名に用いられていた「日魯」の名称に関しては、会社の公式サイトにおいては、縦書きにすると「日魚日」と分かち書きが可能であり、日々の豊漁を示して縁起が良いという所からの命名とされている。また「魯」は北洋漁業の漁場国であるロシアの漢字表記異称である「魯西亜」の頭文字でもある。
2007年(平成19年)10月1日にマルハと経営統合し、統合持株会社マルハニチロホールディングスの子会社になった。2008年4月1日にマルハニチロホールディングス内の事業再編に伴い、ニチロとマルハの食品部門同士を統合したマルハニチロ食品に改組された[1]。 テンプレート:Main2
沿革
- 1906年(明治39年) - 堤清六と平塚常次郎により創業。
- 1907年(明治40年)6月4日 -「宝珠丸163トン」を購入して、新潟港より北洋漁業(サケ・マス漁)へ初出漁。
- 1913年(大正2年) 日本初の衛生缶を使用した缶詰の工業的な大量生産を開始。現在も商標として使用される「あけぼの印(DAY BREAK BRAND)」を初めて使用する。
- 1914年(大正3年)3月12日 - 日魯漁業株式会社を北海道函館市に設立。
- 1921年(大正10年) - 輸出食品株式会社、勘察加漁業株式会社および日魯漁業株式会社の3社が合併。日魯漁業株式会社の商号を継承し、本店を東京市日本橋区に置く。
- 1923年(大正12年) - 本社を東京都千代田区丸の内に移転。
- 1949年(昭和24年)5月 - 東京証券取引所に上場。
- 1952年(昭和27年) - 北洋母船式サケ・マス・カニ漁業を再開。
- 1969年(昭和44年) - 本社を現在の東京都千代田区有楽町に移転。
- 1978年(昭和53年)- チリ共和国にニチロチリを設立。チリ政府の協力を得てプエルト・モントにてギンザケの養殖を始める。翌年にはプエルト・モント湾に幼魚を移送して生け簀で海水養殖を開始し、1981年チリで初めて、海面養殖によるギンザケ130トンが水揚された。[2]
- 1979年(昭和54年) - 米Peter Pan Seafoods, Inc.を買収。
- 1990年(平成2年) - 社名を株式会社ニチロに変更。
- 2007年(平成19年)10月 - マルハとの経営統合により、統合持株会社マルハニチロホールディングスを設立。同社の子会社に。
- 2008年(平成20年)4月1日 - グループ内の事業再編に伴い、水産事業を(マルハ改め)マルハニチロ水産に、および畜産事業を新会社のマルハニチロ畜産に譲渡の上、グループ内の食品事業をニチロに集約して、社名を「株式会社マルハニチロ食品」に改称[1]。
- 2014年(平成26年)4月1日 - マルハニチロ食品がマルハニチロ水産(旧・マルハ)に吸収合併され解散。
関連項目
- ニチロ工業(子会社、梱包機器の製造など)
- 園田博之(日本維新の会所属の衆議院議員。1964年から1983年まで同社に勤務していた)
- 荒俣宏(博物学者、収集家、小説家。1970年から1979年まで同社に勤務していた。)
- おてんば天使(「日魯」時代に一社提供したテレビドラマ。原作:横山光輝)
- ピクミン2(スペシャルサンクスとして作中に登場したお宝に協力)
- 坂井道郎(後身会社であったマルハニチロ食品の社長。現在は、マルハニチロの代表権のない会長)
脚注
- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:PDFlink - 株式会社マルハニチロホールディングス 平成19年12月19日
- ↑ サーモンミュージアム(鮭のバーチャル博物館)、マルハニチロ水産。