野里駅
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野里駅(のざとえき)は、兵庫県姫路市西中島にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)播但線の駅。
駅構造
島式ホーム1面2線の、行違い設備を備えた高架駅。配線は一線スルー化されておらずY字分岐となっているため、停車ホームは方向別で分けられている。
朝晩を除き駅員が配置されている。駅業務は、2005年(平成17年)4月1日より、JR直営からジェイアール西日本福知山メンテックに移管された。福崎駅管理。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:Color播但線 | 上り | 姫路方面 |
2 | テンプレート:Color播但線 | 下り | 寺前・和田山方面 |
利用状況
1日あたりの乗車人員(いずれも兵庫県統計書による)
- 1996年 - 1,549人
- 1997年 - 1,560人
- 1998年 - 1,541人
- 1999年 - 1,501人
- 2000年 - 1,516人
- 2001年 - 1,519人
- 2002年 - 1,508人
- 2003年 - 1,535人
- 2004年 - 1,568人
- 2005年 - 1,592人
- 2006年 - 1,634人
- 2007年 - 1,665人
- 2008年 - 1,724人
- 2009年 - 1,675人
- 2010年 - 1,663人
駅周辺
「野里」という地名の指す範囲は広く姫路城から北北東方向を指す。ただし当駅は野里の南端に当たる姫路市立野里小学校区ではなくその北側、姫路市立増位小学校校区に位置する。地平時代の当駅はその北の外れ、現在地より400mほど南側に位置した。のちに現在地西方の東洋紡績工場跡地が再開発され「花北」と通称される一帯となり(町名としては増位山にちなんで「増位新町」)、高架化に際して花北東側に当たる現在地に移転した。
歴史
- 1894年(明治27年)7月26日 - 播但鉄道が姫路駅 - 寺前駅間で開業すると同時に設置。旅客・貨物の取扱を開始。
- 1903年(明治36年)6月1日 - 播但鉄道が山陽鉄道に営業譲渡。山陽鉄道の駅となる。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道国有化により、国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。播但線の所属となる。
- 1964年(昭和39年)10月1日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1984年(昭和59年)10月1日 - 北へ400m移転、高架化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
- 2003年(平成15年)8月8日 - みどりの窓口営業開始[1]。
- 2007年(平成19年)8月1日 - 窓口営業時間を変更。2時間余延長され6時55分 - 21時(変更前 - 18時45分)となる。
駅名の由来
野里の一帯は『播磨国風土記』においては「大野の里」と呼ばれていた。この頭の「大」が取れて「野里」となったという[2]。
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- テンプレート:Color播但線
脚注
- ↑ 播但線“野里駅”に みどりの窓口がオープン
- ↑ 播磨地名研究会(編著)『新・姫路の町名』 神戸新聞総合出版センター、2007年、ISBN 978-4-343-00444-4、pp.153-154。