鹿島臨海鉄道

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テンプレート:混同 テンプレート:Infobox 鹿島臨海鉄道株式会社(かしまりんかいてつどう、英称 : Kashima Rinkai Tetsudo Co., Ltd.)は、茨城県で貨物および旅客鉄道事業を行う第三セクター方式の鉄道事業者。本社所在地は茨城県東茨城郡大洗町桜道301番地。"Kashima Rinkai Tetsudo"の頭文字を取ってKRTとも略される。

大洗鹿島線鹿島臨港線の2路線を有し、大洗鹿島線には (Oarai-Kashima Line) の頭文字を取った「OKL」のシンボルマークがある。

概要

元来は、鹿島臨海工業地帯への原料および生産品の輸送のため、1969年(昭和44年)に日本国有鉄道(国鉄)[1]や茨城県、進出企業の出資により設立された貨物専業鉄道(臨海鉄道)であった。一時期、新東京国際空港(現在の成田国際空港)への航空機燃料の暫定輸送に対する地元への見返りとして鹿島臨港線北鹿島 - 鹿島港南間で旅客営業を行ったことがあったが、乗客が非常に少なかった事から航空機燃料暫定輸送終了(パイプライン化)と同時に廃止されている。

1984年(昭和59年)、決して収支予想は悪くなかったものの国鉄の財政悪化によって国鉄線としての開業が危ぶまれていた日本鉄道建設公団建設線である鹿島線北鹿島駅(現在の鹿島サッカースタジアム駅)以北を引き受けることになり、大洗鹿島線として再び旅客営業を行うようになった。近年は、旅客収入が貨物収入を上回っている。

燃料輸送の終了後、貨物輸送量は一時大幅に減少したが、貨物のコンテナ化を進め、再び取扱量を伸ばしている。なお一時、大洗鹿島線でも貨物列車が運行されていた。

歴史

  • 1969年昭和44年)4月1日:鹿島臨海鉄道株式会社設立。
  • 1970年(昭和45年)7月21日:鹿島臨港線北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム) - 奥野谷浜間開業(貨物専業)。
  • 1978年(昭和53年)7月25日:北鹿島 - 鹿島港南間で旅客営業開始。国鉄(現在の東日本旅客鉄道)鹿島神宮まで乗り入れを開始。
  • 1983年(昭和58年)12月1日:北鹿島 - 鹿島港南間の旅客営業廃止。国鉄鹿島神宮までの乗り入れを廃止。
  • 1984年(昭和59年)
    • 3月22日:茨城県議会で鹿島線(水戸 - 北鹿島間)を鹿島臨海鉄道が引き受けることを議決。
    • 9月11日:水戸 - 北鹿島間免許。
  • 1985年(昭和60年)3月14日:大洗鹿島線水戸 - 北鹿島間開業。国鉄鹿島神宮まで乗り入れを開始。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日東日本大震災により、全線で運転を見合わせる。4月16日までに大洗鹿島線水戸 - 新鉾田間、大洋 - 鹿島サッカースタジアム間が復旧し運転再開。
    • 6月7日:鹿島臨港線が全線復旧。
    • 7月12日:大洗鹿島線が全線復旧。

路線

車両

現有車両

気動車

2003年4月1日現在、気動車は2形式21両が在籍している。各形式の概要は次のとおり。

6000形(6001 - 6019、合計19両)
1985年(昭和60年)から日本車輌製造および新潟鐵工所ライセンス生産で製造された製車体、両運転台式の大洗鹿島線用気動車である。開業時に6両製造され、以後1993年(平成5年)までに合計19両が製造された。
全長は20.5mで、トイレ冷房装置を装備する。室内はセミクロスシートでクロスシート部は転換クロスシートとなっており、定員は120名(うち座席56名)である。
ディーゼルエンジンをはじめとする走り装置は日本国有鉄道(国鉄)キハ37形に準じたものとなっているが、現在のキハ37形は横型(水平シリンダー)エンジンに換装されているため、日本の気動車で唯一縦形(直立シリンダー)直噴エンジンを搭載する形式となった(縦形のDMF13形は直噴式)。
新製時よりワンマン運転対応設備を装備していたものの使用される機会がなかったが、2001年(平成13年)4月から使用が開始された。
7000形(7001・7002、合計2両)
1992年(平成4年)に日本車輌製造で製造された2両編成の片運転台式気動車である。1編成のみが所属しており、東海村への原子力発電所建設の見返りとして茨城県へ交付された電源移出県等交付金を財源として製造された。茨城県が所有している。
鹿島神宮寄りが7001、水戸寄りが7002である。車内はリクライニング機構を備えたクロスシートにカーペット敷きのハイグレード車である。座席は通路よりも一段高く設置される「セミハイデッキ構造」となっている。運転台後方に展望ラウンジがあり、運転台とは大型のガラスで仕切られ、側窓も大型のものになっており、開放感のあるスペースとなっている。ラウンジ内の座席はロングシートのように、レール方向に3人掛けのソファーが向かい合わされて設置されている。客室内デッキ側仕切りにはテレビが埋め込まれ、カラオケおよび衛星放送受信設備を備えている。指定席での運用を考慮してか座席には番号が振られ、展望ラウンジの座席にも番号が振られている。7001の後位には車いす用のスペースが確保されている。水戸方先頭車のデッキには洗面台と男性用トイレ・洋式トイレが設置され、洋式トイレには車いすでの利用を視野に入れ、手すりが付いている。洗面台は蛇口をひねって水を出すタイプである。定員は7001が44名、トイレを備える7002が42名。走り装置は6000形と同一であるため、車両重量の大きい本形式の方が走行性能は低い。最高運転速度は90km/hであるが、運転席のメーターには120km/hまで表示がある。
快速「マリンライナーはまなす」として運転されていたが、1998年(平成10年)にそれが廃止されてからは定期運用はなく、毎年6月のアヤメの開花時期に合わせて運転される、水戸駅からJR鹿島線潮来駅までの臨時列車や、正月三が日の多客輸送の際に臨時列車として運行される程度である。なお、2008年(平成20年)8月1日から20日までは、水戸 - 大洗間の定期列車にも充当されていた。普段は神栖駅構内に留置されている。

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ディーゼル機関車

2008年4月現在、ディーゼル機関車は2形式3両が在籍している。各形式の概要は次のとおり。

KRD形(KRD5、1両)
鹿島臨港線の貨物列車牽引に使用される自社発注の国鉄DD13形に準じた56トン級ディーゼル機関車である。国鉄DD13形に比べてエンジンを高出力とし、減速比を大きくするなど重量貨物列車牽引に適した仕様となっている。
1970年(昭和45年)の開業時に1・2・3号機が用意され、1977年(昭和52年)には4号機、1979年(昭和54年)には5号機が増備された。いずれも日本車輌製造製で、4・5号機は燃料輸送用に増備されたものである。2号機は燃料輸送終了後の1983年(昭和58年)10月に仙台臨海鉄道に譲渡されている。1号機は1994年(平成6年)8月に、3号機は2007年(平成19年)3月に廃車された。3号機および4号機は廃車後、神栖駅構内の車両基地(神栖車両区)で部品取り用に保管されている。
KRD64形(KRD64-1・KDR64-2、2両)
1号機は2004年(平成16年)、2号機は2009年(平成21年)に日本車輌製造で製造された64トン級ディーゼル機関車である。三菱のエンジン(S6A3-TA、560馬力)を2台搭載している。

旧在籍車両

ファイル:Ibaraki Kotsu Kiha201.JPG
譲渡後、茨城交通キハ201形となった2000形(塗装変更後)
2000形(2001 - 2004、4両)
大洗鹿島線開業時に国鉄キハ20形気動車を譲り受けたもの。投入に際して、前面形状の変更や車内の更新、トイレへの汚物処理装置設置などの改造が国鉄大宮工場(現・大宮総合車両センター)で行われた。冷房装置を搭載しなかったため、6000形の増備にともなって運用から外れ、1989年(平成元年)から1991年(平成3年)にかけて全車が茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)に譲渡されたが、2006年までに全廃となった。
キハ1000形(1001・1002、2両)
鹿島臨港線で旅客営業を行っていた際に使用された気動車である。国鉄キハ10形気動車を1978年(昭和53年)に譲り受けたもの。旅客営業廃止後の1984年(昭和59年)に廃車された。

イメージキャラクター

「沿線の小学校に通う12歳の鹿島花梨」という設定[2]のキャラクターを2004年頃より使用している。通称は「ハッピーポイントかりん」。

関連企業

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

  • 株式の出資比率は、国鉄が保有していた株式が日本貨物鉄道(JR貨物)にそのまま移っただけで、現在も設立当時と変わっていない。
  • ハッピーポイント・かりんがつぶやいています! - 鹿島臨海鉄道