鹿島臨海鉄道鹿島臨港線
|} 鹿島臨港線(かしまりんこうせん)は、茨城県鹿嶋市の鹿島サッカースタジアム駅と茨城県神栖市の奥野谷浜駅とを結ぶ鹿島臨海鉄道の鉄道路線である。貨物線であるが、一時期旅客営業を行っていたこともあった。
概要
鹿島臨海工業地帯への原料・生産品の輸送のために敷設された路線である。
新東京国際空港(現:成田国際空港)への燃料の暫定輸送に対する地元への見返りとして、1978年から1983年まで鹿島神宮 - 北鹿島 - 鹿島港南間[1](鹿島神宮 - 北鹿島間は国鉄鹿島線に乗り入れ)で旅客営業を行っていた。しかし運行は1日3往復で、周辺には工場しかなく、利用者は一日約20人ほどであった。燃料輸送のパイプライン完成に伴い旅客営業は廃止された。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):19.2km
- 軌間:1067mm
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:特殊自動閉塞式(鹿島サッカースタジアム - 神栖間)、自動閉塞式(神栖 - 知手間)、スタフ閉塞式(知手 - 奥野谷浜間)
運行形態
鹿島サッカースタジアム - 神栖間は、2008年3月15日改正時点では貨物列車(高速貨物列車)が3往復運行されている[2]。そのうち2往復は東京貨物ターミナル駅との間、1往復は越谷貨物ターミナル駅との間で運行されている[2]。ただし、日曜日は東京貨物ターミナル駅発着の1往復は運休[2]し、機関車の回送列車に変更される[3]。列車の編成はコンテナ車が主体だが、神栖駅で解体される貨車が連結されることがある[3]。このほか、1日1往復の回送列車が設定されている[3]。また大洗鹿島線で使用される旅客車両が神栖駅で滞泊するため、(鹿島神宮 - )鹿島サッカースタジアム - 神栖間を回送する。
神栖 - 奥野谷浜間には、1日1往復の貨物列車が設定されている[3]。
歴史
- 1970年(昭和45年)7月21日:北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム) - 奥野谷浜間が開業。居切駅・神栖駅・神之池駅・知手駅・奥野谷浜駅を新設。
- 1976年(昭和51年)1月ごろ:利用実績がないため神之池駅を廃止。
- 1978年(昭和53年)7月25日:鹿島神宮 - 北鹿島 - 鹿島港南間で旅客営業開始。鹿島港南駅を新設。
- 11月1日 利用実績がないため居切駅廃止。
- 1983年(昭和58年)12月1日:旅客営業廃止。鹿島港南駅も廃止。
- 2005年(平成17年)10月16日:大洗鹿島線開業20周年を記念し、国の許可を得て、鹿島サッカースタジアム - 神栖間で旅客営業復活(この日限り・3往復)。
- 2011年(平成23年)3月11日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、全線で運転を見合わせる。
駅一覧
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線・備考 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
鹿島サッカースタジアム駅 | - | 0.0 | 鹿島臨海鉄道:大洗鹿島線 東日本旅客鉄道:鹿島線 |
◇ | 鹿嶋市 |
居切駅 (いぎりえき) | 7.5 | 7.5 | 1978年廃止 | | | 神栖市 |
神栖駅 | - | 10.1 | ◇ | ||
神之池駅 (こうのいけえき) | - | 13.0 | 1976年廃止 | | | |
鹿島港南駅 | - | (15.4) | 1983年廃止 | | | |
知手駅 | 6.3 | 16.4 | | | ||
奥野谷浜駅 | 2.8 | 19.2 | | |
旅客営業の臨時復活
2005年10月16日、通常は旅客営業を行わない鹿島臨港線で、鹿島サッカースタジアム - 神栖駅間の旅客列車が3往復運転された。旅客営業は当日限定のため、雨天にもかかわらず大盛況となった。
営業は6000形2両編成のピストン運行で、列車番号は第1便・第2便がそれぞれ臨903D・臨906D。終点神栖駅では7000形の展示、車庫見学会、グッズ販売などが行われた。発着ホームはかつての旅客運転時とは異なり、洗浄線を転用しての臨時ホームとなった。
乗車券は車内補充券を企画扱いとしたもので、普段旅客営業しない鹿島臨港線は路線図にはない。このような経緯から、鹿島サッカースタジアムからの往復券限定の販売(往復500円)となった。神栖駅の記念入場券も限定発売され、たちまちのうちに完売となった。
2007年10月20日にも旅客列車が運転された。使用した車両は6000形3両編成、本数は2往復であった。また、神栖駅での乗降はできず、5分ほど停車した後に折り返した。以後も2010年11月13日、2011年10月15日、2012年10月20日[4]、2013年11月9日[5]に旅客列車が運転されている。