メートル条約

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テンプレート:条約 メートル条約(メートルじょうやく、仏: Convention du Mètre)は度量衡の国際的な統一を目的として、1875年5月20日に成立したメートル法に関する条約である。14か条の条約本文と附録規定から成る。当時、17か国の代表によりフランスパリで締結された。2012年5月現在の条約加盟国は56か国。1921年10月6日セーヴルで署名した改正条約により一部が改正されている。

概要

メートル条約は、1875年5月20日にパリにて17か国が最初に署名し、1876年1月1日から批准国によって施行された。

条約の内容

条約は、以下の内容からなる。

  • 最高機関は、4年ごとに開催される国際度量衡総会(CGPM)。パリ科学学士院長が議長を務める。
  • 総会で決定された事項は、国際度量衡委員会(CIPM)によって代執行される。
  • 委員会の監督下に国際度量衡局(BIPM)が事務局兼研究所(標準に関する国際的研究課題を担当)として置かれる。国際度量衡局の本部はフランス・パリに置く[1]

最初の署名国

1875年に最初に署名した17か国は以下の通り(条約の記載順。国名はいずれも当時)。 テンプレート:Div col

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近代日本の度量衡とメートル条約

江戸時代の日本においては尺貫法が用いられていた。1855年郡上藩主青山幸哉の命で編纂された『西洋度量考』の中でメートル法について解説したのが本格的な日本におけるメートル法紹介の嚆矢といわれている。

1875年にメートル条約が締結された後、フランス政府は各国に条約加盟を勧誘した。日本も在ドイツ公使を通じて条約加盟の勧誘を受けたが加盟は見送られ、同年に日本政府が定めた度量衡取締条例(明治8年太政官達135号)では引き続き尺貫法が用いられた。

1884年、新たに原器を製作するとの報に接し、これを機にメートル条約への加盟が決断された。1885年10月9日に加盟手続を終わり、翌1886年4月16日メートル条約(明治19年4月20日勅令)として公布された。日本の原器は、抽選によりメートル原器はNo.22、キログラム原器はNo.6とされ、1889年に在パリ公使館の大山綱介・書記官が受け取り、翌1890年4月に日本に到着した。

条約に加盟し原器も入手したものの、尺・貫が一般に広く用いられていたため、翌1891年制定された度量衡法(明治24年法律第3号)では、尺・貫をそれぞれ原器によって定義してメートル法の計量も認めるという、間接的なメートル法採用体系となった(尺貫法という言葉はこのときにできた)。以後、1921年にメートル法を基本とする度量衡法の改正(メートル法度量衡法)がなされ、尺貫法からメートル法へ国内単位の統一を図った。

戦後、1951年に度量衡法は廃止され、日本国憲法地方自治の精神を取り込んだ計量法(昭和26年法律第207号、旧・計量法)が制定され、1959年には土地・建物の表記を除きメートル法が完全実施された。全面的に実施されたのは、1966年4月1日のことである。なお、現行・計量法(平成4年法律第51号、新・計量法)は1992年5月20日に公布され、翌1993年11月1日から施行された。

度量衡・計量の記念日等

  • 5月20日 - 1875年、メートル条約が締結された(世界計量記念日)。1992年、新・計量法が公布された。
  • 4月16日 - 1886年、日本でメートル条約が公布された。
  • 4月11日 - 1921年、メートル法を基本とする改正・度量衡法が公布された(度量衡記念日、メートル記念日)。
  • 6月7日 - 1951年、旧・計量法が公布された(旧・計量記念日)。
  • 11月1日 - 1993年、新・計量法が施行された(現・計量記念日)。

加盟国

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准加盟国

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脚注

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関連項目

外部リンク

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  • 実際にはパリ郊外のセーヌ河畔・セーヴルに置かれている。
  • 批准は1877年
  • 批准は1878年
  • 批准は1876年