富士屋ホテル
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富士屋ホテル(ふじやホテル)とは神奈川県箱根町の宮ノ下温泉にある、富士屋ホテル株式会社が経営する、1878年(明治11年)創業の老舗ホテルである。現在は国際興業グループに属している。
概要
国道1号に面しており、年始の箱根駅伝中継では選手の位置関係を表現する際に使われることもある箱根のランドマーク的な存在。現存する本館は唐破風を取り入れた和洋折衷の木造建築であり、明治の建築様式を現代に伝えている。創業者である山口仙之助は「外国人の金を取るをもって目的とす」という言葉を残し、「外国人を対象とした本格的なリゾートホテル」をめざしたという。古くは宿泊客に外国人が占める割合が高く、外国人専用であった時期も長かったこともあり、日本文化を伝える展示や工夫がされている。別館にはジョン・レノンとオノ・ヨーコが滞留していたこともあり、ホテル内ツアーで宿泊した部屋を見学することができる。また、ヘレン・ケラーやチャップリンも宿泊している。
山口仙之助は箱根の発展に力を注ぎ、私費で道路を開いたり水力発電の会社も立ち上げた。3代目の山口正造は乗合バスの運行もはじめた。山口正造はホテルマンの育成にも力を注ぎ、1930年(昭和5年)富士屋ホテルトレイニングスクールを立ち上げている。このスクールは山口正造の死により途絶えたが、のちに立教大学観光学科設立によりその意志が引き継がれている。
沿革
- 1878年(明治11年)7月15日:山口仙之助が藤屋旅館を買収・改装し[1]、神奈川県足柄下郡底倉村に開業。
- 1883年(明治16年):火災により焼失[1]。
- 1884年(明治17年):平屋建て客室12室として再建し「アイリー」と命名[1]。
- 1887年(明治20年):塔ノ沢から宮ノ下間に、富士屋ホテルが私費で建設した有料の人力車道が開通[2]。
- 1891年(明治24年):本館が竣工[1]。
- 1893年(明治26年):ホテル奈良屋との協定により、外国人専用ホテルとなる(1912年(大正元年)まで)[1]。
- 1930年(昭和5年):3代目山口正造により「富士屋ホテルトレイニングスクール」立ち上げ[1]。
- 1931年(昭和6年):タイ王国国王・王妃が滞在[1]。
- 1932年(昭和7年):チャールズ・チャップリン、兄のシドニーとともに来館[1]。
- 1935年(昭和10年):アイリーを現在へ移転[1]。
- 1936年(昭和11年):花御殿が竣工[1]。
- 1937年(昭和12年):ヘレン・ケラーが、花御殿に宿泊[1]。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年):高松宮家別邸(旧宮ノ下御用邸)の払い下げを受け、菊華荘とする。
- 1950年(昭和25年)12月8日:政府登録国際観光旅館となる[3]。
- 1954年(昭和29年):一般自由営業を再開。
- 1965年(昭和40年)4月20日:昭和天皇が宿泊[5]。
- 1966年(昭和41年):国際興業グループに株を譲渡し、小佐野賢治が会長に就任。山口一族による経営が終わる。
- 1997年(平成9年)12月12日:本館、一号館、二号館、アイリー、花御殿、食堂および菊華荘が、登録有形文化財となる[6]。
- 2007年(平成19年)11月30日:本館、西洋館、食堂棟、花御殿、カスケードルームおよび厨房が、近代化産業遺産群「富士屋ホテルと箱根観光関連遺産」に認定される[7]。
脚注
参考文献
関連項目
- クラシックホテル
- 近代化産業遺産
- 山口祐司 - 富士屋ホテル株式会社監査役
- 佐分利貞男 - 1929年(昭和4年)、富士屋ホテルの一室でピストル自殺。
- 立教大学 - 立教大学観光学科は寄付金を基に3代目山口正造の意志を継いで設立された。
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