スプートニクの恋人
『スプートニクの恋人』(スプートニクのこいびと)は、村上春樹の長編小説。
概要
1999年4月、講談社より刊行された。表紙の絵はEMI。装丁は坂川栄治。2001年4月、講談社文庫にて文庫化された。
この小説は村上自身が語るように、彼の文体の総決算として、あるいは総合的実験の場として一部機能している[1]。その結果、次回作の『海辺のカフカ』では、村上春樹としては、かなり新しい文体が登場することになった。
第11章、文中にゴシック体で出てくる「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」(文庫版、202頁)という言葉[2]は村上の「世界認識の方法」(同頁)を表している。
本書の原型となった作品として、1991年に発表された短編小説「人喰い猫」(『村上春樹全作品 1979~1989』第8巻所収)が挙げられる[3]。
『CD-ROM版村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団』(朝日新聞社、2001年4月)に、本書に関する読者からの手紙232通が「特別フォーラム」という形で収録されている。
翻訳
翻訳言語 | 翻訳者 | 発行日 | 発行元 |
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英語 | フィリップ・ガブリエル | 2001年4月 | Knopf(米国) |
2001年 | Harvill Press(英国) | ||
ドイツ語 | Ursula Gräfe | 2002年 | DuMont Buchverlag Gmbh |
フランス語 | Corinne Atlan | 2003年2月6日 | Belfond |
イタリア語 | ジョルジョ・アミトラーノ | 2001年 | Einaudi |
スペイン語 | Lourdes Porta, Junichi Matsuura | 2002年 | Tusquets Editores |
ポルトガル語 | Maria João Lourenço | 2005年 | Casa das Letras (ポルトガル) |
Ana Luiza Dantas Borges | 2003年 2008年9月5日 |
Objetiva(ブラジル、2003年) Alfaguara(ブラジル、2008年) | |
オランダ語 | Elbrich Fennema | 2004年 | Atlas |
デンマーク語 | Mette Holm | 2004年 | Klim |
ノルウェー語 | Magne Tørring | 2010年 | Pax forlag |
フィンランド語 | Ilkka Malinen | 2003年 | Tammi |
アイスランド語 | Uggi Jónsson | 2003年 | Bjartur |
ポーランド語 | Aldona Możdżyńska | 2003年 | Wydawnictwo MUZA SA |
チェコ語 | Tomáš Jurkovič | 2009年 | Odeon |
ハンガリー語 | Komáromy Rudolf | 2006年 | Geopen Könyvkiadó |
セルビア語 | Divna Tomić | 2004年 | Geopoetika |
ブルガリア語 | Людмил Люцканов | 2005年12月15日 | Colibri |
ギリシア語 | Λεωνίδας Καρατζάς | 2008年 | Ωκεανίδα |
ロシア語 | Наталья Куникова | 2005年 | Eksmo |
韓国語 | イ・ジョンファン | 1999年6月30日 | 自由文学社 |
任洪彬(イム・ホンビン) | 2010年3月30日 | 文学思想社 | |
中国語 (繁体字) | 頼明珠 | 1999年12月1日 | 時報文化 |
中国語 (簡体字) | 林少華 | 2001年 | 上海訳文出版社 |
ベトナム語 | Ngân Xuyên | 2008年 | Nhã Nam |
あらすじ
「ぼく」の大切な友人である「すみれ」は、いささか変な女の子だった。話し方はいつも怒っているみたいだし、22歳にもなって化粧品一つ持っていなかったし、女の子らしい服もほとんど持っていなかった。それに、ジャック・ケルアックの小説に憧れて、よりワイルドでクールで過剰になろうと髪の毛をくしゃくしゃにしたり、黒縁の伊達眼鏡をかけて睨む様にものを見たりした。
ぼくは、すみれに恋をしていたけれど、自分の気持ちを伝えることが出来なかった。ぼくは、すみれに奇跡的に天啓的な変化が起きる事を願いながら、日々の生活をおくっていた。
ところが、すみれが22歳の春、彼女は突然恋をした。相手は17歳も年上で、しかも女性だった。ぼくが望むものか どうかはとりあえずとして、天啓はおりた。すみれの恋は生まれ、物語は始まる。未知の恋はすべてを巻き込み、破壊し、失いながら進んでゆく。
登場人物
- ぼく(K)
- この物語の語り手。12月9日生まれ。24歳。東京杉並区で生まれ、千葉の津田沼で育つ。東京都内の私立大学へ進学、歴史学を修めた後、小学校教師となる。すみれとは大学在籍中に知り合った。具体的な名前は本文中には記述されていないが、すみれの書いた文章中では「K」と記述されている。
- すみれ
- 11月7日生まれ。22歳。神奈川県茅ヶ崎生まれ。神奈川の公立高校卒業後、「ぼく」のいる大学へ進学するも、大学の雰囲気に失望し(後で『きゅうりのヘタ』と表現される)、二年生のときに小説家になるために自主退学。以後、両親からの28歳までという期限付きの仕送りと、アルバイトで稼いだ いくらかの収入を合わせて吉祥寺で一人暮らしをしている。ヘビースモーカーで煙草の銘柄はマルボロ。性格は「ぼく」に言わせると「救いがたいロマンチストで頑迷でシニカルで世間知らず」。「ぼく」を頼りにしていて、深夜に さまざまな相談を持ちかける電話をかけてくる。
- ミュウ
- 39歳。美しい女性。日本生まれの日本育ちだが、国籍は韓国籍。ピアニストを志しフランスの音楽院に留学するが、ある事件がきっかけでピアノを弾かなくなる。父親の死亡をきっかけに帰国、家業である海産物関連の貿易会社を継ぐ。現在は本業のほとんどを夫と弟にまかせ、自らはワインの輸入、音楽関係のアレンジメントに専念している。「ミュウ」は愛称で、本名は本文中には記述されていない。愛車は12気筒の濃紺のジャガー。
- すみれの父
- 横浜市内で歯科医院を経営する歯科医師。美しい鼻をもつ好男子で、横浜とその周辺に住む歯に何らかの障害を抱えた女性たちの間で、神話的な人気を持つ。
- にんじん
- 本名は仁村晋一。僕が担任を務める教室の一生徒。顔が細長く、髪がちぢれていることから「にんじん」とあだ名されている。大人しくて、無口。物語の終盤で、ある事件を引き起こす。
- 「ガールフレンド」
- 「にんじん」の母親。僕と数回関係を持つ。夫は不動産屋経営。
登場する作品・著名人など
文学
- 『路上』、『孤独な旅人』 (ジャック・ケルアック)
- 『エヴゲーニイ・オネーギン』 (アレクサンドル・プーシキン)
映画
音楽
- 『ラ・ボエーム』 (ジャコモ・プッチーニ)
- 「すみれ」 (歌:エリーザベト・シュヴァルツコップ、ピアノ伴奏:ヴァルター・ギーゼキング)
- 「マック・ザ・ナイフ」、ボビー・ダーリン
- リストの「ピアノ協奏曲第1番」(ピアノ:マルタ・アルゲリッチ、指揮:ジュゼッペ・シノーポリ)
脚注
- ↑ 「村上春樹『海辺のカフカ』について」[1]、2008年11月23日閲覧。
- ↑ 短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2000年4月、新潮社)に収録された「かえるくん、東京を救う」にも同じ言葉が出てくる。「理解とは誤解の総体に過ぎないと言う人もいますし、ぼくもそれはそれで大変面白い見解だと思うのですが、残念ながら今のところぼくらには愉快な回り道をしているような時間の余裕はありません。」(同書 132頁)
- ↑ 作者自身がそれを認めている(『スメルジャコフ対織田信長家臣団』読者&村上春樹フォーラム299)。