ドッペルゲンガー
ドッペルゲンガー(テンプレート:Lang-de-short)とは、
英語風に「ダブル」と言ったり、漢字では「復体」と書くことがある[2]。
概要
テンプレート:Lang-de-shortは、逐語訳すると「二重の歩く者」となる。 テンプレート:Lang-de(ドッペル[3])とは、「写し、コピー」という意味である。
以上の意味から、自分の姿を第三者が違うところで見る、または、自分が異なった自分自身を見る現象、「生きている人間の霊的な生き写し」などを指すために用いられている。
ドッペルゲンガーの特徴として、
- ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。
- 本人に関係のある場所に出現する。
等があげられる。
同じ人物が同時に複数の場所に姿を現す現象、という意味の用語ではバイロケーションと重なるところがあるが、バイロケーションのほうは自分の意思でそれを行う能力、というニュアンスが強い[2]。つまり「ドッペルゲンガー」のほうは本人の意思とは無関係におきている、というニュアンスを含んでいる。
「自分のドッペルゲンガーを見ると、しばらくして死ぬ」などと語られることもあり、恐れられていたものであり、現在でも恐れられることがある現象である。[4]
超常現象事典などでは超常現象のひとつとして扱われる[5][2]。 近年では医学的な説明の試みもあり、それで一応説明可能なものもあるが、説明不能なものもある。
歴史と事例
アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーン、日本の芥川龍之介、帝政ロシアのエカテリーナ2世等の著名人が、自身のドッペルゲンガーを見たという記録も残されている。
19世紀のフランス人のエミリー・サジェはドッペルゲンガーの実例として有名で[6]、同時に40人以上もの人々によってドッペルゲンガーが目撃されたといわれる[7]。
また本人が本人に遭遇した例ではないが、古代の哲学者ピュタゴラスは、ある時の同じ日の同じ時刻にイタリア半島のメタポンティオンとクロトンの両所で大勢の人々に目撃されたという。
江戸時代の日本では、影の病い、影のわずらいと言われ、離魂病とされた[8]。『日本古文献の精神病学的考察』(栗原清一)に一例が記述されている。その内容は次のようなものである。
- 北勇治という人が外から帰って来て、居間の戸を開くと、机に向かっている人がいる。自分の留守の間に誰だろう? と見ると、髪の結いよう、衣類、帯に至るまで、自分が常に着ているものと同じである。自分の後姿を見た事はないが、寸分違いないと思われたので、顔を見ようと歩いていくと、その人物は向こうを向いたまま障子の細く開いた所から縁先に出てしまい、後を追ったが、もう姿は見えなかった。家族にその話をすると、母親はものもいわず、顔をひそめていたが、それから勇治は病気となり、その年の内に死んでしまった。実は勇治の祖父・父もともに、この影の病により亡くなっており、あまりに忌しき事ゆえに、母や家来はその事を言えずにいた。結果として、3代ともこの影の病にて病没してしまった。
吉村貞司は『スサノヲの悪竜退治 - 原神話の回復の試み -』(1977年)において、「味耜高彦根命は死者(アメノワカヒコ)のドッペルゲンガーと見ていい」と書いているように、神話上においても、ドッペルゲンガーと近似する記述は古代から見られ、ドッペルゲンガーと関連するものと見て、記述する研究者もいる。
最近のテレビ番組でも新たな実例が紹介されることがあり、『奇跡体験アンビリーバボー』では海外のドッペルゲンガーの最近の事例を紹介。親子共にドッペルゲンガーを経験した例で、その親子は母と娘で、現象があった後も問題なく生きていたとされる。
自己像幻視
医学においては、自分の姿を見る現象(症状)は「autoscopy[9]」と呼ぶ(日本語で「自己像幻視」)。例えばスイス・チューリッヒ大学のピーター・ブルッガー博士などの研究によると、脳の側頭葉と頭頂葉の境界領域(側頭頭頂接合部)に脳腫瘍ができた患者が自己像幻視を見るケースが多いという。この脳の領域は、ボディーイメージを司ると考えられており、機能が損なわれると、自己の肉体の認識上の感覚を失い、あたかも肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するかのように錯覚することがあると言われている。
(あくまで娯楽的な番組であるが)テレビ番組『特命リサーチ200X』の解説によると、カナダ・マギル大学のワイルダー・ペンフィールド博士がおこなった実験によって、正常な人でもボディーイメージを司る脳の領域に刺激を与えると、肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するように感じられることが確認されている、としている。またドイツ・アーヘン大学のクラウス・ポドル博士は、自己像幻視は脳腫瘍に限らず、偏頭痛が発生する原因となる脳内血流の変動によって、脳の一部の機能が低下することでも引き起こされうるとしている。前述のリンカーンや芥川龍之介も偏頭痛を患っていたので、ドッペルゲンガーが本人によって目撃される事例に関しては、この解釈でもってある程度説明しうる、という見解を披露した[10]。
しかし、上述の仮説や解釈で説明のつくものとつかないものがある。「第三者によって目撃されるドッペルゲンガー」たとえば数十名によって繰り返し目撃されたエミリー・サジェなどの事例は、上述の脳の機能障害では説明できないケースである。
作品中のドッペルゲンガー
文学
文学の中に表れるドッペルゲンガーは、概要で解説したような定型の二重身の恐怖を描いたものとしてはアルフレッド・ノイズ(Alfred Noise)の短編『深夜特急』が有る。ハンス・ハインツ・エーヴェルス(Hanns Heinz Ewers)は『プラーグの大学生』(1913年)にて自我分裂の悲劇としてのドッペルゲンガーを描いた。ドフトエフスキーの『分身』(1846年)やジュリアン・グリーン(Julien Green)の『地上の旅人』(1927年)、さらにハンス・ヘニー・ヤーンの『鉛の夜』(1956年)においては分身として描かれる。フロイトは、ヴィルヘルム・イエンセン(Wilhelm Jensen)作の、自身ではなく他者のドッペルゲンガー幻想を抱く青年の物語『グラディーヴァ』(1903年)を取り上げて分析し、「W・イエンセンの小説『グラディーヴァ』に見られる妄想と夢」を記して自身の夢解釈理論を展開している。ラファエル前派の画家であるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは、自己像幻視として神秘体験的短編『手と魂』(1850年)を描いた。
芥川龍之介の短編『二つの手紙』(1917年)もドッペルゲンガーを扱っている。大学教師の佐々木信一郎を名乗る男が、自身と妻のドッペルゲンガーを三度も目撃してしまい、その苦悩を語る警察署長宛ての二通の手紙が紹介される、という形式の短編である。青空文庫でその全文を読むことができる[1]。(なお芥川龍之介自身がドッペルゲンガーを経験していたらしいと指摘されることがある。芥川はある座談会の場で、ドッペルゲンガーの経験があるかと問われると、「あります。私は二重人格は一度は帝劇に、一度は銀座に現れました」と答え、錯覚か人違いではないか?との問いに対しては、「そういって了えば一番解決がつき易いですがね、なかなかそう言い切れない事があるのです」と述べたという[11]。)
ポピュラー・カルチャー
ドッペルゲンガーは、サイエンス・フィクションやファンタジー小説などにもよく登場する。そこでは、不埒な目的のために、特定の人や生き物になりすますシェイプシフターとして描かれている。
- 日本
前述のように、日本におけるドッペルゲンガーの認知は、前近代の頃より離魂病の一つと見られてきたが、現代創作物においても、そうした認知が脈々と継承されており、特撮ドラマで言えば、『ウルトラQ』第25話に登場する悪魔ッ子リリーの話は、肉体を離れ、精神体が悪事をするという内容であり、漫画で言えば、『地獄先生ぬ~べ~』の郷子の話が例として挙げられる。これらは、解釈に差異はあれど、肉体と魂が分離した結果、その者の命が危機にさらされ、最後に一体化してハッピーエンドとなる流れで、これらの話は、中国の『唐代伝奇集』の中の、遠くに離れた2人の娘の話で、紆余曲折の末、寝たきりとなった娘(こちらが肉体とされる)が、遠くで暮らすもう1人の自分の話を聞き、起き出して、最後に一体化してハッピーエンドとなるという、離魂した娘の話の類型である。
前の項目の北勇治のドッペルゲンガーの話は杉浦日向子の漫画作品『百物語』上巻の「其ノ十六・影を見た男の話」でとりあげられている。 また、伝承にある「死の予兆」を反映させて、なりすました人物を殺害して、周囲の人に知られずにすりかわるというものや、高次の存在などによって課された「自分との闘い」としての試練といったものも存在する[12]。