大杉神社
大杉神社(おおすぎじんじゃ)は、茨城県稲敷市阿波にある神社。通称はあんばさま。古名は大杉明神。旧社格は郷社。別表神社。関東、東北地方に分布する大杉神社の総本社である。
由緒
境内掲示板によれば、一帯は常陸国風土記の信太郡の条にある「乗濱」にあたる。大杉神社略縁起によれば、同じく阿波の高台は「安婆島」にあたる(阿波崎説もあり)。この先端に巨杉があり、香取海の航路標識であるとともに、村の守護神として信仰されていた。
大杉信仰が、祭神を定め、社または祠の形を取ったのは、僧勝道の疫病治癒祈願が契機という。神護景雲元年(767年)、勝道が下野国日光への道中、当地を訪れ、蔓延していた疫病の退散を巨杉に祈願した。すると三輪明神が現れて蔓延が収まったので、祠を造立して大杉大明神として奉斎したという[1]。
延暦年間(782-806年)、僧快賢が龍華山慈尊院安穏寺を開基。利根川国誌[2]に、快賢は「逆賊降伏の為め大師(注・勝道)自ら彫刻なし給ふ四魔降伏の不動明王を乞ひ請給ひ此地に来り霊夢によつて大杉大明神と同じく鎮座なし奉り」とある。一方、新編常陸国誌には「院内(注・安穏寺)に大杉明神の社あり、この社、後世成る所なれども、遠近の緒人崇敬甚しきゆへに、日を追て社殿を造す、爰を以て、当寺全く其別当の如くなれり」とある。
江戸時代以降、疱瘡除けや水上交通の神として、関東一円と東北の太平洋側に信仰が広がった。愛称の「あんばさま(阿波様)」は、デジタル大辞泉に項目があり「千葉県から東北地方にかけての太平洋岸の漁村で信仰されている神」と説明されている[3]。
明治6年10月、村社列格。
あんば囃子は記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財。
祭神
- 大神神社(大神大物主神社。大和国城上郡、名神大月次相嘗新嘗)の祭神構成と一致するが、大己貴命、少彦名命の二柱は、1241年(仁治2年)に京都の今宮神社から勧請し合祀した。利根川国誌では「今宮大杉大明神」と呼んでいる[2]。
- 眷属神として「鼻高天狗」と「烏天狗」への信仰もある。文治年間(1185-1189年)、源義経の家来常陸坊海存(海尊)が大杉大明神の御神徳により様々な奇跡を起こした。ここから海存を通じて願をかけると、大杉大明神が叶えてくれるという信仰が生じた。海存の容貌は天狗に似ていたため、その像を通じて天狗信仰が生じ、転じて鼻高天狗と烏天狗が眷属とみなされるようになったという。鼻高天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は「かない天狗」と役割が決まっている。願い事が叶えられるという御神徳から、神社は「日本唯一の夢むすび大明神」と称している[1]。
勝馬神社
東にある境内社勝馬神社は、古名を「馬櫪社」といい、独自の古い由緒を持つという[1]。馬櫪(ばれき)は馬屋の根太(床板を受ける横木)の意で、転じて飼い葉桶、または馬屋そのものを指す。平安時代、美浦村信太に常陸国諸国牧(兵部省管轄の牧場)の信太馬牧(延喜式に記載あり)があり、そこで馬体守護のため貞観4年(862年)に創祀された。平安時代末期に馬牧が廃絶すると、稲敷市幸田を経て、大杉神社境内に遷座したという。かつては安穏寺裏に競馬場があり、昭和初期まで奉納競馬が行われていた。
現在は往古の信太馬牧の地にある日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターの関係者が、本社と並んで一年の祈願に訪れる。社前には多数の蹄鉄が奉納されている。「勝ち馬守り」という珍しい御守もある。ちなみに現在、大杉神社祭礼に選ばれる神馬は、農家に馬がいなくなったため美浦トレーニングセンターから借りている[4]。