ロドニー・ペドラザ
テンプレート:Infobox baseball player ロドニー・バーナード・ペドラザ(Rodney Bernard Pedraza[1], 1969年12月28日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴
テキサス大学から、1991年のMLBドラフト2巡目でモントリオール・エクスポズに指名され契約。テンプレート:Byにコロラド・ロッキーズに移籍。それぞれのマイナーチームでプレーした。
テンプレート:Byは、独立リーグであるノーザンリーグのウィニペグ・ゴールドアイズでプレー。テンプレート:By、テキサス・レンジャーズと契約し、テンプレート:By4月にレンジャーズ傘下(当時)の2Aタルサより福岡ダイエーホークスに入団した。メジャー経験はない。
当初は先発要員としての獲得だったが、当時の尾花高夫投手コーチがクローザーとしての適性を見極め、抑えに転向させると大活躍。勝利の方程式の一員としてチームの日本一に大きく貢献した。この年、リーグ優勝と日本一の胴上げ投手になる。翌テンプレート:Byには3勝35セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得し、再びリーグ優勝の胴上げ投手という快挙を達成。テンプレート:Byは他球団のマークが厳しくなった中ながらも4勝34セーブを挙げ、2度目の最優秀救援投手のタイトルを獲得した。
テンプレート:Byに年々の勤続疲労、制球の乱れ、球威低下などによる成績不振によりダイエーを退団。オフに巨人移籍が決まる。王貞治は「ペドラザはウェイトトレーニングのしすぎだよ。投手はあんな体になっちゃいけないんだ」と評している。巨人ではコリー・ベイリーとともに中継ぎ、また河原純一が故障した場合の代役抑えとして期待されたが、右肩の故障や年齢などによる衰えを隠せず、目立った活躍のないままシーズン序盤で解雇された。
引退後は、テキサス州にてヤフオク!ドーム20個分の広大な敷地で牧場主として悠々自適な生活をしている。
プレースタイル・人物
球持ちの長さと抜群のコントロール、ツーシームと変化十分の縦スライダーを武器にダイエーのクローザーとして活躍した。テンプレート:Byに記録した35セーブは2007年に馬原孝浩に、ダイエー在籍時に記録した通算117セーブは2009年に同じく馬原に更新されるまで球団記録であった。なお、変化球が不思議な変化をするという理由で、不正投球(スピットボール)疑惑を持たれていた。
当時のダイエーの正捕手で、後にメジャーリーグベースボールで活躍した城島健司に英語を教えた。
平成期に入ってから、複雑な権利の関係で作中に外国人をほとんど登場させない水島新司が、珍しく自身の代表作である『ドカベン プロ野球編』『あぶさん』で描いた助っ人である。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | ダイエー | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 27 | -- | .750 | 231 | 59.0 | 44 | 0 | 10 | 2 | 4 | 38 | 0 | 2 | 15 | 13 | 1.98 | 0.92 |
テンプレート:By2 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 35 | -- | .429 | 189 | 50.1 | 35 | 3 | 4 | 1 | 1 | 40 | 0 | 0 | 13 | 12 | 2.15 | 0.77 | |
テンプレート:By2 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 34 | -- | .500 | 238 | 56.2 | 63 | 10 | 10 | 2 | 2 | 32 | 0 | 2 | 24 | 23 | 3.65 | 1.29 | |
テンプレート:By2 | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 21 | -- | .333 | 128 | 30.0 | 36 | 4 | 5 | 1 | 0 | 16 | 0 | 0 | 11 | 11 | 3.30 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | 巨人 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 36 | 6.0 | 16 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 10 | 8 | 12.00 | 2.83 |
通算:5年 | 194 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 12 | 117 | -- | .500 | 822 | 202.0 | 194 | 18 | 30 | 7 | 8 | 126 | 1 | 5 | 73 | 67 | 2.99 | 1.11 |
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- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最優秀救援投手:2回 (2000年、2001年)
表彰
- 月間MVP:1回 (1999年6月)
- IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回 (2000年)
記録
- NPB
- 初登板:1999年5月1日、対西武ライオンズ4回戦(福岡ドーム)、8回表に4番手として救援登板・完了、2回1失点
- 初奪三振:同上、8回表に鈴木健から
- 初セーブ:1999年5月8日、対西武ライオンズ7回戦(西武ドーム)、8回裏に3番手として救援登板・完了、2回無失点
- 初勝利:1999年7月17日、対西武ライオンズ17回戦(福岡ドーム)、10回表に5番手として救援登板・完了、1回無失点
- 通算100セーブ:2002年4月29日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上11人目
- オールスターゲーム出場:4回 (1999年 - 2002年)
背番号
- 50 (1999年 - 2002年)
- 42 (2003年)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:パシフィック・リーグ最多セーブ投手- ↑ ウェイン・グラシック『2002 JAPAN PRO BASEBALL - 英語版 日本プロ野球メディアガイド』日本洋書販売、2002年、ISBN 9784901178778