自作パソコン
自作パソコン(じさくパソコン)とは、ユーザ自身がパソコン部品を用意して組み立てたパソコンのこと[1]。
目次
概説
自作パソコンとは、パソコンのユーザ自身が、パソコン用の部品(マザーボード、CPU、メモリ、電源、ハードディスク・ソリッドステートドライブ、光学ドライブ、各種拡張カード など)を自身で調達して、それを組み立てたもののことである。
主に大手電機メーカーなどが販売する、組み立て済みのパソコン、メーカーブランドのパソコンと対比する意味で、「自作パソコン」と呼ばれる。
自作パソコンにはユーザ自身の好みで仕様を決められる、個々の部品ごとに好みでアップグレードできる等々のメリットがある[1]。また、(かつては)メーカー製パソコンよりも、自作パソコンのほうがかなり安かった。
様々なタイプの自作パソコンがあったが、自作パソコンが世に広まったのはパソコンに占めるIBM-PC互換機のシェアが大きくなり、それの部品が広く、安く出回るようになったことによるところが大きい[1]。[2]
製作可能なパソコン
- PC/AT互換機
- 個人で組み立てができる代表的な規格はPC/AT互換機である。構成する各パーツの規格・コネクタなどに一定の基準が定められており、プラスドライバーと数点の工具(CPUの放熱効果を高めるグリス、電源ケーブルを束ねる結束バンドなど)さえあれば、おおむね可能である[3]。
- Macintosh
- テンプレート:See also理論的に可能であるが、自作ハードウェアにMac OS Xをインストールすることをアップルがライセンス違反としているためほとんど行われていないだけであり、既にMacintoshもATX系の規格で構成されているため、これにPC/AT互換機のパーツを組み合わせることで(技術的には)可能である。また、本来修理部品として流通しているロジックボードを販売しているショップも存在する。それを利用し、古いMacintoshに新しい機種のロジックボードを入れるなどの大掛かりな改造を好む人たちテンプレート:誰も存在する。テンプレート:要出典
- ワークステーションやサーバー
- ラックの設置やネットワークを構築する必要があるため、大規模なものになると難易度が高く非常にコストはかかるが、市販のPC/AT互換機用のパーツを流用できるため、理論的には可能であるテンプレート:要出典。例えばgoogleが創業時に使っていた、市販のPC用パーツを組み合わせてベニヤ板のラックに突っ込んだサーバがコンピュータ歴史博物館に所蔵されている。ネットサービス企業の「はてな」は創業期に自作したサーバーでサービスを運用しており[4]、ブレードサーバ的な物も自作可能なようである。また、個人でも2011年当時に200万円かけて48TBのハードディスクを搭載したパソコンを自作し、円周率10兆桁を計算してギネス世界記録を作った会社員が居る[5]。
方法
大きく分けて、次の二つの方法があるテンプレート:要出典。
- ケース、マザーボード、CPU、メモリなどのパソコンを構成する部品を一つ一つ寄せ集めて組み立てる方法。
- ケースに電源・マザーボードが組みつけられた半完成品(ベアボーンと呼ばれる)をベースに、CPUやメモリなどパソコンを構成する残りの部品を自分で選択・装着して組み立てる方法。
汎用規格品のみで製作できる中型以上のパソコンは (1) の方法が取られる。一部に専用部品を使って小型化したパソコンは (2) の方法が取られることが多い。ノートパソコンを作る場合は (2) の方法のみであるテンプレート:要出典(ノート用汎用部品が販売されていないため )。
1970年代のようにユニバーサル基板に部品を自ら半田付けしたり、場合によってはパターン設計から行うことや、マイコンキットとして用意されたパーツを自ら半田付けするような作業は「自作パソコン」には普通要求されない。 例外的に玄人志向がTSCHOOLシリーズ[6]として、コネクタやコンデンサのみを半田付けするキットを幾つか販売しているが、主要部品は既に実装済みの上、普通に完成品を買ったほうが安く上がるため、コスト的なメリットは存在しない。
自作パソコンの長短
自作パソコンには以下のような長所と短所があるテンプレート:要出典。
長所
自作することによって不要なパーツを省き、また必要な部分を強化することで自分のニーズに最適化されたパソコンが手に入ることが主な利点である。このため、頻繁にパーツを交換したり、目的が明確に存在する場合にはメーカー製のパソコンよりも安価に済ませられる可能性が高い。
- メーカー製のパソコンでは自分のニーズに合致するモデルがない特殊な仕様でも、自作ならば必要なパーツさえ確保すれば手に入る。
- OSの選択肢の自由度が高い。OSの知識さえあればWindows以外のOS(Linuxなど)も自由に選択できる[注釈 1]
- メーカー製パソコンの場合、最初から多種多様なソフトウェアや専用サイトへのアクセスリンク、プロバイダ、アンチウイルスソフトウェアの体験版、各種オンラインサービスへの契約を自動化するソフトやデバイスドライバなどがプリインストール(またはCD-ROMが付属)されている場合が多く、リカバリを掛けてもこれらはすべてプリインストールされた状態で復元されるため、状況に応じて削除しなければならない。対して、自作パソコンならば最初からOSが“クリーン”な状態から、自分でソフトの選択ができる。
- 本体を組み立て、周辺機器を接続したあとOSやデバイスドライバをインストールするだけで必要最低限の機能が利用できるため、余分な常駐アプリケーションやスタートアップのプロセス、レジストリ設定などが含まれない環境で使用することもできる。そのため、トラブル時の原因切り分けに有効であることがある。
- ケースを自由に選べるので、オフィス向けのシンプルなデザインから既製パソコンにはないような大胆なデザインのものまで、好みや用途に合わせたものに仕上げることができる(オーディオ機器と組み合わせてAVシステムの一部を構成できるようにデザインされたケース、ロボットのようなデザインのケース、中には透明な開口部を持ち内部が見えるケースもある)。また、一般的な自作用ケースは多くのメーカー製パソコンよりも若干大型で拡張性が高いので、パーツの交換や増設が容易である。さらにはケースを自作する人までおり、中にはネタに走りジャンク品の石油ファンヒーターやPlayStation 3を改造してケースにしてしまった実例も存在する。
- 一般には市販されていないOEM規格や、独自開発の規格のパーツ(ユニット)や構造を多用するメーカー製PCと違い、自作PCはケースのシャーシなども含めてパーツがほぼ完全に規格に沿ってモジュール化されているためパーツ単体での交換が容易で、冷却能力や静音性などに不満が出てきた時や故障の際に、適合するパーツがほぼ確実に入手できる。
- 自分で作ったものであるため、仕様が明確であり、代替パーツの調達さえ可能ならば万一の故障の際にも自分で素早く対処がしやすい。
- 故障時にはパーツを単体で修理に出すことができ、代替パーツがあればパソコンの使用不能期間を短縮できる(場合によっては、修理に出すより買い替えた方がかえって安上がりになることもある)。
- また、ドライバが固定されない状態からインストールを行うため、パーツの変更が容易である。
- 内蔵機器を多用できるケースであれば、代替・増設パーツの調達費用がメーカー製PCより安く済む(一般に、外付けデバイスは同等機能の内蔵デバイスより高額である)。
- パソコンを自分で作るので、パソコンの構造が理解しやすい。
短所
自作の場合は、故障やトラブルが発生した場合に自分自身の力で問題の原因を突き止めて解決する必要が生じる(制作するときには注意が必要)
- 自分で組み立て、自分でBIOSを設定し、自分でOSやデバイスドライバ、各種ソフトウェアをインストールおよび設定する労力が発生する。取り付けられるパーツの組み合わせを理解するため規格や互換性の知識を事前に習得しておく必要がある。
- 自作の場合、組み立てたパソコンについての動作保証はなく、パーツ同士の相性や組み立てミスなどでパソコンが正常に起動・動作しない場合がある。パーツ単位ではメーカー・輸入代理店毎、あるいは販売店による動作保証程度はあり、またメモリにはパソコンショップが独自に有料や会員サービスで相性保証を付けている場合があるものの、大手メーカー製のような広範囲のアフターケアは期待できず、トラブル時には自分自身の手で対処する必要がある。また、パーツ単体で購入した場合、同じパーツメーカーの製品同士の組み合わせでも異なる輸入代理店・小売店を経由して販売された製品については、相性や動作にまつわるサポートや保証がされないということも多い。
- Windows(XP以降のバージョン)をインストールし、ライセンス認証の手続きを済ませたあと、ハードウェア構成を変更してから起動させた場合、「(初回の認証時とは)別のコンピュータにインストールされた」と認識されるため、再認証が必要になる場合があるため、自作パソコンで頻繁にパーツの交換を伴う場合、カジュアルコピーの疑いをかけられるおそれもある(半年以内にオペレータを通し、口頭で再認証の手続きを行う必要がある)。
- 大手メーカー製パソコンの場合、ソフトウェアトラブルの発生時に購入時の状態に回復するための手段(リカバリーディスク)が用意されているが、自作パソコンでは自分でバックアップなどをしない限り、OSのセットアップからやり直す必要があり、前述の再認証を行う必要性が出る場合もある。
- 故障時の分析・交換・修理は基本的に全て自力で対処しなければならない。[注釈 2]
- 故障した場合でも、本体丸ごとではなくパーツ単体で修理に出すことが可能で、一時的に代替できるパーツがあればパソコン自体はそのまま使用できるというメリットがあるものの、国内電機メーカー製のパソコンと比較した場合、大半の海外パーツメーカーの日本国内アフターサポート体制は小規模で、購入した小売店で故障修理の手続きをしても、そこから輸入代理店を介してメーカー工場へ海外発送となれば修理・交換の完了までに数カ月単位の長期間を要することが一般的である[注釈 3]。結果として、故障したパーツについては、保証期間内であっても修理をあてにすることは難しく、必然的に買い換えを余儀なくされることも多い。
- パーツメーカーや輸入代理店と小売店の販売契約の内容如何によっては、明確な初期不良であっても小売店が店舗独自の判断による店頭での即時交換という形でのパーツの交換対応を一切できないことがある。その場合は店舗側によるパーツメーカー・輸入代理店との連絡や手続が必要となり、実際に交換品を入手できるまでにかなりの時間を待たされる。
- OEMと規模の経済の効果を最大限に利用しているホワイトボックスパソコンに比べて、自作パソコンは現在では総合的なコストメリットに乏しく、標準的な構成の場合には同等性能の完成品のホワイトボックスパソコンを購入するよりも割高についてしまう。(#自作パソコンの流通史を参照)
- メーカー製やショップブランドのパソコンと比較した場合、同等のスペックで構成をしてパーツ単位で個別に調達すると、トータルの価格で見て割高となることがある[注釈 4]。
- 資源の有効な利用の促進に関する法律(通称リサイクル法)に基づくリサイクル料金の支払いを自分で行わなければならない。
自作パソコンの技術史
1970年代後半
テンプレート:See also 1970年代中ごろより、各社より技術者やホビー向けのワンボードマイコンが発売される。このワンボードマイコンに当時市場に流通していた中古のテレタイプ端末などのパーツを組み合わせることで、後のパソコンに相当する機能を持たせることが可能であることがマイコン雑誌などで取り上げられ、マニアの間でマイコンブームが起きた。ワンボードマイコンの時代は、後のパソコン相当の機能を持たせるためには自作するしかなく、当時の自作パソコンは非常に高度な知識を要求されたためマニア向けのものだったが、1977年よりマイコンキットではなくオールインワンタイプのパソコンが発売され始め、自作によらなくても個人が入出力装置を備えたパソコンを所有できる時代となった。
- 1974年12月 - アメリカでコンピューターキットAltair 8800発売。価格と拡張性によってアメリカでブームとなり、Altair 8800専用のパーツや互換機が発売されるなど、後の自作市場に相当する活気を呈した。
- 1976年テンプレート:要出典 - NECのワンボードマイコンであるTK-80が発売され、日本でも「第一次マイコンブーム」が起きた[7]。
- 1977年 - アップル、Apple II発売。パーツを組み合わせて自作せずともパソコンを所有することが可能となる。
1980年代
テンプレート:See also 1981年に発売されたIBM PCは仕様を広く公開したため、コンパックなどに代表される互換機メーカーが多数設立され、サードパーティからの互換機向けパーツなども発売され始める。ハードの仕様が公開されたこととパーツ価格の下落のために、IBM PC互換機における自作はマイコンキットの時代と比べてはるかに容易になった。1980年代後半にはPC/AT互換機は世界でのデファクトスタンダードとなって世界中から部品を安価に調達することが出来るようになりテンプレート:要出典、「自分好みのパソコンを作る」という、現在と同じ意味での自作パソコンを趣味とする人が現れだした。一方、日本ではメーカーのパソコンはほとんどが(例えばNECのPC-9800シリーズや富士通のFMRシリーズのように)メーカー毎の独自アーキテクチャだったため、安価でハイスペックな互換機や互換機向けパーツに依存する自作市場は広がらなかった。
1990年前半
テンプレート:See also DOS/Vの登場で、日本でもPC/AT互換機における自作市場が広がりを見せる。しかし部品の標準化が伴わず、結果として「製品の数だけ規格がある」と揶揄されるテンプレート:誰2ほどの状態で、自作は容易ではなかったテンプレート:要出典。
- 1990年 - DOS/V発表。PC/AT互換機で日本語の表示が一応は可能になったテンプレート:要出典。
- 1991年 - Windows 3.0が発売された。
- 1992年 - コンパックが日本に上陸。「コンパックショック」[8]が起き、パソコン価格が劇的に低下した。PC-9821シリーズも発売された。
- 1993年 - Windows 3.1や最初のPentium、FMVが発売された。
- 1994年 - Microsoft Windows NTが発売された。
1990年代後半
プラグアンドプレイで設定が簡単になり、自作のハードルは低くなったテンプレート:要出典。パソコンの性能はまだ低く不安定だったが、性能向上は日進月歩で体感しやすかったテンプレート:要出典。オーバークロックやDual Celeronのような裏技があり、メーカーが乱立し激しい競争を展開して自作PCのコストパフォーマンス[9]は素晴らしかったテンプレート:要出典。マルチプロセッシング[10]やRAID[10]、Linux[10]が割安なパソコンでも出来るようになったテンプレート:要出典。
- 1995年 - Microsoft Windows 95が発売され、インターネットが徐々に普及し始めた。パソコンはヒット商品となり、日経トレンディの番付にも登場した。
- 1996年 - Microsoft Windows NT 4.0が発売された。メモリ価格が大暴落し、DVDドライブとPentium Proが登場した[11]。
- 1997年 - メモリの大暴落が続く一方で、AMD K6とPentium IIが登場し、CD-Rドライブが普及した[12]。この頃、アメリカではパソコンの価格破壊が起きていた[13](詳細はホワイトボックス (パソコン)#1990年代後半を参照)。
- 1998年 - Microsoft Windows 98が発売された。ベースクロックが100MHzを超え、3D対応ビデオカードの競争が激化した。CeleronとAMD K6-2が人気となり、オーバークロックが一般に認知され始めた[9]。
- 1999年 - Athlonがx86系CPUで最速になり、メモリ規格が乱立した。HDDの1GB単価が1000円を割り、ベースクロック133MHzとRIMMは高価すぎて不評の一方で、Dual CeleronとLinuxが人気になった[10]。
2000年代前半
テンプレート:See also IntelとAMDの競争によってプロセッサが「ギガヘルツ」化[14]し熾烈な動作クロック競争[15][16]を続けたが、限界まで上昇して壁に突き当たった[17]。具体的には発熱量[18]が増大し、冷却の為の騒音が問題になったテンプレート:要出典。自作ユーザーの興味は静音化[14]、低発熱[18]、小型化(キューブパソコンなど)[15]に移った。1990年代末頃から徐々に人気を集め始めた動画キャプチャ[10][14][15][16][17]などデジタル家電的な用途でも伸長が続き、記録型DVDドライブが普及した[15][16][17][18]。
- 2000年 - Microsoft Windows 2000とMicrosoft Windows Millennium Editionが発売された。CPUの動作クロックが1GHzに到達し、メモリ価格が乱高下し、Athlon ThunderbirdとDDR SDRAMが登場した)[14]。
- 2001年 - Microsoft Windows XPが発売されたが、アメリカや日本ではインターネット・バブルが崩壊したテンプレート:要出典。メモリ価格が乱高下し、IntelとAMDの激烈な競争でCPUの動作クロックが2GHzまで上昇し、AMDがパフォーマンスレートを採用した。DVD-RW/+RWが登場し、ビデオカードはNVIDIA GeForceとATI RADEONの2強時代になった[15]。
- 2002年 - CPUの動作クロックが3GHzまで上昇した。DVD-R/RWドライブが普及し、シリアルATAが登場しHDDが250GBとなったが、メモリ価格は乱高下を続けた[16]。
- 2003年 - 記録型DVDドライブの高速化・低価格化が進み、Athlon 64が登場した。静音パソコンに注目が集まり、HDDは1GBあたりの単価が70円を割り、ビデオカード競争はRADEONが一歩リードした。CPUの動作クロックの上昇が限界に達した[17]。
- 2004年 - 記録型DVDドライブの高速化・低価格化が進み、Athlon 64が普及した。Pentium Mも人気で、Intelがモデルナンバーを採用したが、PCの発熱と冷却が問題になった[18]。
2000年代後半
冷却や静音化の問題はモバイル用CPUの技術で消費電力や発熱量を抑制し、ハイエンドなゲームパソコン以外は解決に向かったテンプレート:要出典。CPUのマルチコア化や64ビット化が徐々に進み、HDDより高速なSSDが普及する一方で、HDDは大容量化した。
- 2005年 - Microsoft Windows XP 64ビットが発売された。Athlon 64 X2が人気で、デュアルコアCPUが登場し、低消費電力CPUやi-RAMに注目が集まった[19]。
- 2006年 - Core 2 Duoが人気で、クアッドコアが登場したが主流は低消費電力CPUだった。ワンセグチューナーが人気となり、垂直磁気記録方式のHDDが登場した[20]。
- 2007年 - Microsoft Windows Vistaが発売された。メモリ価格は大暴落で、デュアルコアCPUが値下がりしクアッドコアCPUも普及し、1TBのHDDやSSDやハイブリッドHDDが登場した[21]。
- 2008年 - 1TB HDDやDDR2 SDRAMやSSDの価格が暴落し、第二世代のCore 2 DuoやIntel Core i7が登場した[22]。
- 2009年 - Microsoft Windows 7が発売された。SSDが普及しLGA 1156やUSB3.0が登場した。Seagate製HDDに不具合が見つかる一方で、ATIのHD5000シリーズが人気を博した[23]。
2010年代前半
- 2010年 - 3TBのHDDが登場しHDDの値下がりが続き、DDR3 SDRAMで4GBモジュールが普及した。CPUのマルチコア化はさらに進み12コアのOpteronなどが登場した[24]。
- 2011年 - タイ洪水の影響でHDDの価格が暴騰し、LGA1155対応マザーボードがチップセットの問題によりリコールされた。DDR3メモリが暴落し、Sandy BridgeやBulldozerの登場[25]によりプラットフォームが一新された。
- 2012年 - Ivy Bridgeが登場。しかし、Sandy Bridgeに比べ熱を外部に伝えにくい問題が指摘されており、再び自作ユーザーの関心は水冷などを利用した低熱に移りつつある。
自作パソコンの流通史
1990年代前半
日本ではPC/AT互換機は国内大手電機メーカーの独自アーキテクチャのパソコンと比べて割安だったが、当初はアメリカなどから組み立てキットを個人輸入するしか入手の術はなかったテンプレート:要出典。
秋葉原に「DOS/Vショップ」が登場し、店舗ごとにパーツの輸入を手掛けるようになると、ホビーユースでは海外製ゲームのマニア、ビジネスユースでは英語ソフトを駆使する国際派のビジネスマンが利用したテンプレート:要出典。オウム真理教が事実上経営するパソコンショップ・マハーポーシャも開店したが、一連のオウム真理教事件が発覚したことから、結局は20世紀の間に姿を消した。
1990年代後半
1995年11月23日に『Windows95』の日本語版が発売された。ソフマップなどのゲームソフト販売や国内大手電機メーカーのパソコン・関連商品の販売を中心としたショップや、元々パーツショップ的な一面を持つ電子部品やアマチュア無線のショップからの転換店などが参入したテンプレート:要出典。
秋葉原や日本橋の電気街では世界中から自作パソコン向けの部品を輸入する店舗が相次いで登場、中小の販売店が廻りきれないほど林立した[26]。自作パソコン全盛期の秋葉原電気街では小さなショップでも1日に1000万円以上の売上を上げることもあったという[27]。新製品やバルク品など品質・性能が不確かな物を含めてマニアの人柱達が体当たりで試用し[28]テンプレート:出典無効、その結果をインターネットの電子掲示板などに報告してコミュニケーション活動を活発に行ったテンプレート:要出典。また、自作パソコンの早組み立てを競う賞金を懸けたコンテストも開催された[29]。
価格.comを始めとする価格比較サイトで最安値を徹底的に出す販売戦略で知られたPCサクセスが起業したのもこの頃である。また、OA機器販売店の中からも、自作パソコンと同様の形で自社内でオリジナルのパソコンを組み立てて顧客に納品し、オフィス向け複合機の様に保守・メンテナンスまでをトータルに手掛けるところが現れ、これらの中にはパソコンショップ的な形ではないが個人客へのパーツ単体での販売を始めたり、サイドビジネスとしてホビー性の強い自作パソコンのショップを手掛けるものが現れたテンプレート:要出典。
1990年代半ばからは世田谷区で創業したクレバリーや、埼玉県春日部市で創業したマウスコンピューターが電気街へ参入した。薄利多売攻勢を仕掛けるものも現れ価格破壊が起こり、薄利多売と低粗利率の業界体質という禍根も長く残すこととなった[30]。大阪でも地元資本のスタンバイが台頭した。
1990年代後半からDOS/Vパラダイス(現ドスパラ)、PC DEPOT、T-ZONE、パソコン工房が全国各地の地方の中核都市を中心に空き店舗を活用したチェーン展開を本格化し、他にもアプライドなどのローカルチェーンが登場したテンプレート:要出典。しかし、これらの取り扱いの中心は完成品パソコンやいわゆる売れ筋パーツであり、地方都市の住人が特殊なパーツを入手するには通信販売に頼るより他無かったテンプレート:要出典。
家電量販店チェーンにおいても一部の店舗で自作用パーツやホワイトボックスパソコンの取り扱いが始まったテンプレート:要出典。
2000年代前半
21世紀に入るとインターネットバブルが崩壊した。アニメーションのマニアが全国で11万人・市場規模が200億円(2004年)、コミックが35万人・830億円、ゲームが16万人・210億円に対して、組立PCは19万人・360億円で少数派に転落した[31]。しかし自作パソコンの売り上げも伸びていた。たとえば秋葉原には2002年当時、約170のパソコン店があり、そのうち約7割が自作パソコンを取り扱っていて、秋葉原での市場規模は1200~1800億円だったという説がある[32]。秋葉原自体は集客を伸ばしており、自作パソコン市場も新規顧客を集めていたがマニアより一般人・初心者が増え[33]、低価格に注目があつまるようになった。他方では、2005年のつくばエクスプレス開業や再開発計画の進捗が要因となり家賃が高騰し[34]、薄利多売の価格競争で経営を疲弊させ耐え切れなくなった自作パソコン店が相次いで閉店やさらには経営破綻に追い込まれた。大阪でも他社との価格競争の激化や出店戦略の失敗から、地元資本のスタンバイが2001年に日本橋に残った最後の店舗を閉鎖し自主廃業した。
地方都市でもPC DEPOTやパソコン工房の出店は続いたが、T-ZONEは当時の親会社の創業者の死去などの影響も重なり経営が迷走し、やがて長い凋落に陥ってゆく[注釈 7]。またweb通販が急激に台頭・充実し、それまで店頭小売を行なっていたパソコンショップでも通信販売を主体・専業に切り替えるケースや、パソコンパーツ販売以外に業態転換するケース[注釈 8]も相次いだ。
この時期、ソニーのような国内メーカーパソコンが低迷してゆく一方で、ホワイトボックスの組み立てと直販メーカーの大規模化・産業化が進む。デルのシェアが一時的に急伸し、BTOやホワイトボックスパソコンが急激に伸長した[35][36]。パソコン専門店のBTOも好調だったが、2004年、それまで様々なホワイトボックスパソコンメーカーの製品を扱ってきたヤマダ電機がフロンティア神代を子会社化しこの方面を一本化した。この家電量販店業界最大手の本格参入という事態により、既存の専門店はその専門性の度合いを問われた[37][38]。量販店も大規模化し、ソフマップ(2003年度38店舗、秋葉原17店舗)[39]やT-ZONE「本店」(3775平方メートル)やラオックス「ザ・コンピュータ館」(2725平方メートル)[40]と比べても数倍の販売規模となるヤマダ電機(2003年度は直営193店舗)[41]やヨドバシAkiba(3万3000平方メートル)が参入してきた。Amazonが電気製品のネット通販に参入したのもこの頃であり、ネット上の競争も激化した[42][43]。
MCJ(マウスコンピューター)は2003年に家電量販店やパソコンショップチェーンなどへのOEM供給を本格的に開始すると一気に規模を拡大させ、2004年6月には東証マザーズに上場を果たした。この様な、マイクロソフト、インテル、その他パーツメーカーと上位パートナーシップを結びOEM版ソフトウェアや各種パーツを大幅な格安価格で大量一括調達することが可能となるなど、規模の経済の効果をより大きく享受できる大規模な国内組立業者が出現した。中小零細企業や個人商店どころか、パソコンショップチェーンの店舗単位でパーツを組み立てる規模の独自商品、またユーザーにとっての自作パソコンは、相対的に割高に付くようになった。
また、『ファイナルファンタジーXI』『大航海時代』『リネージュII』などといった本格的な3Dオンラインゲームが登場し、パソコンメーカー・パーツメーカー各社はオンラインゲームの運営会社とタイアップして、安定動作と快適なゲームプレイを保証する「推奨パソコン」「推奨グラフィックボード」の販売を始めた。元々、黎明期のオンラインゲームでは快適なプレイにはハイエンド構成のパソコンが必要で、その頃のプレイヤーには自作傾向が根強かったが[44]、運営会社にとってはプレイヤー層拡大のためには自作パソコン以外でも対応するハイエンドPCを幅広く普及させる必要があったためである。
パソコンパーツの販社からは「玄人志向」(CFD販売)や「挑戦者」(アイ・オー・データ機器)などといった、ユーザーサポートや日本向けローカライズを最小限度に切り詰めた低価格自作パーツブランドが登場した。
2000年代後半
2000年代半ばになると、自作パーツは複数のパーツ販社による類似スペック品が店頭に氾濫し差別化が難しく、粗利率も10%未満とその低収益体質が常態化していた[45]。これも一因となり低価格パソコン市場では自作向けパーツ単体と比べればトータルの販売単価が若干低くてもまだ利益率が高く、初心者・中級者相手にも売りやすい完成品ホワイトボックスの販売にシフトする傾向が色濃くなった。一方で台湾のパーツメーカーの多くも日本法人や国内の販売代理店を通じて本格的に完成品市場に参入を始め、そちらへの比重を高めていく[45][46]。同様にパソコン専門店も一般人・初心者に低価格の単体自作パーツを売るよりも、より販売単価が高いBTOへと舵を切った[47][48]。秋葉原は集客が増えたので自作パーツの販売量こそ増えたが、結局は単価が下落し価格競争に巻き込まれて[49]、新しいOSが出るなどの特殊な要因がない限り売上げの増加が期待できなくなっていた[50]。
この様な状況に対して、一部の小売店関係者からのパーツ小売業界への不満が表面化した[30]ことに見られる様に、業界黎明期から続く各社の価格競争路線や低粗利率が恒常化した業界体質は、ここに至り自作パソコン用パーツ小売業界の数多くの企業の経営を深刻な苦境に追い込んだ。電気街でさえ2007年1月のPCサクセスの倒産、同年9月のLAOX THE COMPUTER館の閉店など、多くのショップが姿を消してゆく。その中でも2008年1月高速電脳が経営破綻したことは、秋葉原界隈の同業者にとってもショッキングな出来事であったという[51]。
大手家電量販店では自作パーツコーナーの撤去が相次いだ[注釈 9]。また、それらと並行して独立経営の小規模パソコンショップもOA機器販売業に近い業態のものを別とすればほとんどが姿を消し、地方の中核都市のみならず大都市圏の外郭部においても、地元から自作パーツ取扱店が消え自作パーツの店頭購入が困難になる“空白地域”が拡大していった。地方都市への積極的な展開を続けてきたPC DEPOTやパソコン工房も通信販売や直販メーカーとの価格競争の激化に晒され新規出店ペースは鈍化傾向となる。PC DEPOTは既存店舗のスクラップアンドビルドによる大型化に軸足を移し、パソコンと並行して情報機器化が進展している液晶テレビや携帯電話の取り扱いを拡大し、やがてこれをパソコン関連商品と並ぶ販売の主軸に据える店舗を増やすなど、パソコン以外にも経営安定化の方策を求めていった。パソコン工房の運営会社アロシステム(現ユニットコム)は2007年にMCJの傘下に入った。ドスパラは不採算店の整理を図りインターネット直販に注力してゆく。
2010年代前半
デスクトップパソコンの販売不振、メーカー製PCの低価格化、BTOパソコンの台頭などの要因により、「小さなショップでも1日1000万円以上売れた」という[27]1990年代に比べ自作パソコン市場は低迷している。2010年11月29日にはT-ZONEの運営会社が親会社の経営問題などもあり廃業[52]。一時は全国に展開した同社も、親会社が二転三転し店舗の閉鎖が相次いだ末、最後には秋葉原にT-ZONE PC DIY SHOPの1店舗のみを残す状態となっていた。
さらに2008年に発生した秋葉原通り魔事件による影響以外にも、2011年にはSandy Bridge対応マザーボードのリコール問題、タイの大規模洪水によるハードディスクの価格暴騰が発生。2012年初夏になると、秋葉原電気街でも老舗パーツショップとなっていたクレバリーの経営破綻[53]、T-ZONEの元スタッフが立ち上げた新ショップPC DIY SHOP FreeTも2011年春の店舗オープンからわずか1年足らずで親会社のグッドウィルと共にユニットコムへ事業譲渡[54]、秋葉原のユニットコム運営の4店舗が統合し、BUY MORE 秋葉原店にリニューアルする[55]など、自作ショップの閉店・統合・合併が相次いでいる。
2008年から2009年に行われた日経WinPC誌の読者アンケート集計結果[56]によると、自作ユーザーの平均年齢は30代や40代が中心(53.4%)で、次いで多いのが50歳以上(24.7%)であり、30歳未満の若者は2割ほど(21.8%)である(ただし雑誌の読者傾向であることにも注意されたし)。現在、サービスを向上させて若い初心者を増やそうとしたり[57]、自作市場以外分野を成長させるなど、様々な取り組みがなされている[58][59]。
一方、2010年9月には、自作PC関連が金額ベースで復調傾向との報道もあった(ただし、前年同月比でプラスというだけなので、注意されたし)。[60]
販売店
自作パソコンの黎明期から現在までの間に、数多くの自作用パーツ小売店やチェーンの消長盛衰があった。数多くの小売店が登場したが、その大半は姿を消し、全盛期から見れば現存するのはほんの一握りである。
秋葉原電気街で、営業を継続している代表的なところとしては、以下の販売店が上げられる。
一方で、閉店および廃業になった主な販売店としては以下のところがある。(いずれも閉店年順)
- A-Master[9]
- フリップフラップ
- トライサル、ザ・グレイスフル、マハーポーシャ、PC BANK(オウム真理教)
- ピーシーアドバンスド
- OVERTOP[19]
- ぷらっとホーム(WEB通販に移行)[19]
- PC-Success[21]
- Oneness
- LAOX THE COMPUTER館(跡地はAKIBAカルチャーズZONE)[21]
- 高速電脳[22]
- BLESS秋葉原本店[23]
- USER'S SIDE(ゲーム専門のWEB通販に移行したが後に倒産)[24]
- カフェソラーレ リナックスカフェ秋葉原店[25]
- クレバリー
- PCパーツショップ カスタム
- オーバークロックワークス(Web通販に移行)
他にも、ソフトアイランドやアプライドやパソコン工房やフェイスやTWOTOPやPC DIY SHOP FreeTが秋葉原から撤退したほか、秋葉原ラジオ会館は建て替え中[25]である。
地方に広域展開した店舗やローカルチェーンでも、T-ZONE[24]、パルテック、OAシステムプラザなどが姿を消し、上述の様に大手家電量販チェーン店の自作パーツ売り場も一部を除いて姿を消した。現存する各社に自作パソコン全盛期の勢いはないものの、テレビ・携帯電話販売、店頭パソコン修理サービス[注釈 10]、仕入効率化、人件費抑制などそれぞれ独自の戦略で生き残りを図っている。
世界の自作パソコン市場
テンプレート:See also 世界的には趣味的な自作パソコンとホワイトボックスパソコンを区別せずに、DIYパソコンとして語られることが多いようであるテンプレート:要出典。日本で自作パソコンと言えば趣味的なものであり、市場規模は小さいがハイエンド志向である。例えばCore i7やKシリーズは世界で一二を争う売り上げ規模があり[61][62]、斬新なデザインのPCケースに対する関心も高い[63]。
一方、中国で「兼容機」、すなわちDIYパソコンと言えば、小売店が店頭で組み上げて販売する「ショップブランドパソコン」が一般的である。これは実用本位のパソコンで、ケースのデザインを選ぶことも出来ない[64]。ハイエンドなゲームPCもあるが基本的にインターネットカフェ用である[65]。またパソコンにはステータスシンボルとしての価値があり、性能よりも見栄やメンツが優先される傾向が根強く[66]、メーカーブランドの製品ではないDIYパソコンは、同レベルの性能でも格下のものとして扱われる風潮があるテンプレート:要出典。
自作パソコンの構成
最低限必要なもの
- ディスプレイ(図中1)
- 一体型でない限り、メーカー製のパソコンに付属するディスプレイはほとんどの機種で使い回しが可能であるため、一般には自作パソコンの範疇には含まれない。また、ディスプレイ単体の入手も容易である。地デジやBDをフルHD再生するには、HDMI、またはHDCP対応DVI-Dへの対応が必須である。[注釈 11]テンプレート:See also
- マザーボード(図中2)
- 選択したマザーボードの仕様によって、使用可能なCPU・メモリーの規格および搭載できる量、拡張ボードの規格および搭載できる数が決まる。
- 「チップセット」はマザーボードに搭載されたバスやポートを管理するチップ(集積回路)である。古いモデルのチップセットを搭載したマザーボードは安価であることが多いが、パソコン全体の性能を最大限に引き出すには、最新のCPUに最新のチップセットを組み合わせるのが基本である。[注釈 12]
- マザーボードにグラフィックス機能を統合したもの(オンボードグラフィック)[注釈 13]であれば、ビデオカードは不要となる。(後述)[注釈 14]
- 内部バス(PCI Express、シリアルATAなど)、外部インターフェイス(USBポート、イーサネット)や、サウンドデバイスのサポートの度合いも重要である。
- また、電解コンデンサの品質がマザーボードの選択の一つの基準になることが増えている。[注釈 15]特に日本メーカー製の固体アルミ電解コンデンサを搭載した製品が耐久性の面から好まれる。
- CPU(図中3)
- パソコンの性能を決定付ける部品の一つ。大抵はCPUのソケットが適合するマザーボードを選ぶこととなる[注釈 16]。基本的にはAMD系とインテル系で選択することになる。それ以外にはマイナーであるがVIA系がある。Intel Atomを搭載したマザーボードのようにCPUがマザーボードにオンボードで搭載されている場合もある。
- 省電力モデルなどの一部を除き、CPU自身の発熱を抑えるためのクーラーが必要であり、クーラーがないと自らの発熱で破損してしまう。パッケージング販売されているリテール品のCPUには純正の冷却ファン(リテールファン)が付属する。バルク品やアウトレット品は付属していなことが多いため、別途購入する必要がある。
- 性能面で見るべき点は、マイクロアーキテクチャと動作クロック数、キャッシュメモリの容量、コア数[注釈 17]などである。
- マザーボードとの関係で見るべき点は、ソケット規格である。特にソケット規格が異なると、物理的に装着すらできない。また、チップセットとの適合性や、マザーボード自体のCPUサポートも重要である。マザーボードについては、当初はサポートが無い新製品のCPUでも、チップセットが対応可能な場合にはマザーボードのメーカーがBIOSの更新によって対応させることが多い。他方で、たとえソケットが適合しチップセットのハードウェア的対応が可能でも、マザーボードのメーカーによるBIOS更新などのサポートが無ければCPUは動作保証されず、正常動作しない可能性や、最悪の場合BIOS画面すら到達できないこともある。またBIOSが提供されていても更新しないままCPUを入れ替えても同様のケースが発生する。よってBIOSを更新する場合はCPUの入れ替え前に行う[67]。購入店にてBIOSのアップデートをサービスとして行っている場合もある。
- メモリ(図中4)
- マザーボード(チップセット)により搭載可能なメモリの仕様が決まっている。近年はDDR3が主流である[注釈 18]。
- なお、デュアルチャネルやトリプルチャネル、クアッドチャネルをサポートするチップセットでは、同一の2~4枚組のメモリを使用すると最良の性能が得られる。
- ビデオカード(図中5)※構成によっては不要
- ビデオカードとマザーボードとの間のインタフェースとして近年(2005年ごろ以降)ではPCI Expressが主に用いられる。それ以前の製品では、AGP、PCIが用いられた。2012年現在でもAGPやPCI接続のビデオカードは販売されているが、種類は非常に少ない。
- ビデオ出力もアナログVGA端子と、DVIやHDMI、DisplayPortなどがあり、こちらはディスプレイ(図中1)の対応入力によって選択する。現在では3画面以上のディスプレイに同時に出力できる製品も増えている。
- CG制作、3Dゲーム、オンラインゲームなどの目的[注釈 19]で使用する場合には、ビデオカードに高い性能が要求される。また、動画再生やウィンドウの表示支援機能を搭載しているカードもある。[注釈 20]
- 地デジやBDをフルHD再生するには、HDMI、またはHDCP対応DVI-Dへの対応が必須である。[注釈 11]
- あまり高い性能を要求しない場合[注釈 21]には、前述のマザーボードやCPUにグラフィックス機能を統合したもの(オンボードグラフィック)を使用すれば足り、ビデオカードは不要となる。[注釈 22]
- 電源(図中6)
- ATX規格に対応した「ATX電源」と呼ばれる電源装置が主流である。単体で広く販売されているが、後述するケース(筐体)に付属している場合もある。
- 電源仕様はPCI Expressに対応したATX2.1以降の仕様のものが主流だが、ATX2.0以前の仕様に基づいた製品もいまだ流通している。電源も仕様によってコネクタの形状やピン数が微妙に異なるが、コネクタの変換で対応可能な組み合わせに関しては多種多様な各種変換コネクタが販売されている。
- 「電源ユニット付ケース」という形でそれぞれ個別に購入するよりも安価に販売されていることも多いが、この様な製品の中でも特に安価なものに付属している電源ユニットでは、多くの場合、コストダウンの為に同じメーカーの単体別売品の同等出力のものと比較してコネクタや内部パーツなどにおいて何らかのオミットがされていたり、最新の規格に対応するコネクタが無い場合がある。
- マザーボードと同様の理由で、使用されている電解コンデンサが電源選択の際の基準の一つになることや、「選別品」や「日本製」のコンデンサの使用が製品のセールスポイントとなることが往々にして見られる。[注釈 23]
- 近年ではAC→DCの際の変換効率や力率も重要視されている。変換効率に関しては80 PLUS認証を取得しているかが選択の一つの目安である。2012年現在では80 PLUS ゴールドのようなより上位の認証に合格した製品も少なくなく、このような製品においては最高90%以上の変換効率を誇る[注釈 24]。力率に関しては80 PLUS認証の条件として0.9以上の力率が含まれていることもあり、近年では多くの電源が力率改善回路(アクティブPFC)を搭載している。
- ストレージ(ハードディスクドライブ、Flash SSD)(図中8)
- インターフェイス規格としては、2012年現在では主にシリアルATA(SATA)が用いられる。1.5Gbps/3.0Gbps/6.0Gbpsの規格がある[注釈 25]。
- 以前はパラレルATA(PATA)が主に用いられた。PATAをIDEと記述する場合があるが、ストレージへのコマンドモード(AHCIまたはIDEエミュレーション)と混同しないように注意が必要。2006年頃からPATA非サポートのチップセットを搭載するマザーボードが自作パソコン市場に現れ、2011年現在のマザーボードではPATAのインターフェイスを備えないものが多い。
- ハードディスクよりも高速に利用できる[注釈 26]SSDの低価格化にともない、ハードディスクに代わりSSDを採用するユーザーも増えてきている。
- キーボード(図中9) マウス(図中10)
- ディスプレイ同様にほとんどの機種で使いまわせるため、自作パソコンの範疇には含まれないが、パソコンの使用や設定のためには欠かせない。かつてはPS/2インターフェイスによる接続が基本であったが、現状流通している製品の主流はUSBインターフェイスになっており、特にマウス用のPS/2インターフェイスについてはマザーボード側にないものが増えている。
- USB接続の場合、Nキーロールオーバー対応のキーボードであってもUSB HIDの規格上6キーまでしか同時入力ができないので、PCゲーム用等ではPS/2接続のキーボードを選択するケースも多い。
- ケース
- ケースがなくても、部品同士を結線すれば原理的にパソコンとして動作するが(バラック接続[注釈 27])、使い勝手・安全性、耐久性に劣るため、通常はケース内に収納する。基本的にはマザーボードのフォームファクターによってケースの大きさが決まる。ケース選びにおいてはドライブベイの数やサイズ[注釈 28]などの仕様、材質、デザイン、使いやすさ、工作精度、重量などが評価基準となる。
- ケース付属の電源については前述の電源の項を参照。ほか、冷却用のケースファンや、装着キットのパーツが付属する場合が多い。
- エンスージアストの中には、ケース自体の自作、あるいは業者へのオーダーメイド、テーラーメイドをする者もいる。純木製、ポリタンク、鑑賞魚用水槽、キャラクターフィギュア風のPCケースなどもある。
- ソフトウェア(OS、デバイスドライバなど)
- アプリケーションのみではプラットホームが存在せず、多くの用途では、OSや、各種パーツのデバイスドライバなどが最低限必要になる。
- OSは、Windowsや商用UNIXを用いる場合は別途購入するか、使用を終了したパソコンからの転用などにより準備することになる。BTOではオプション扱いでプレインストール可能なモデルがほとんどであるが、OSはユーザー側にて準備した上でインストールを行う場合もある。WindowsではDSP版・OEM版などと呼ばれるバージョンを導入する場合が多い[注釈 29]。
- 近年では三次元画像処理やネットワークサーバーなど、安定性と高速性を両立する必要のある用途が主目的の場合に、UNIX/Linux系のソフトウェアを導入することも多く見られる。
- Windows用のデバイスドライバーは通常、各種パーツに光学メディアとして添付されていることが多い[注釈 30]。OSのインストール直後に、デバイスドライバーのセットアップを行う。OSに最初から入っている標準ドライバーでも動作する物も多い[注釈 31]が、性能やサポート機能、安定性に問題があることも多い。[注釈 32]
- 古いマザーボードに最新OSやデバイスを使う場合、まれにBIOSのアップデートが必要になることもある。
この他、マザーボードのBIOSのアップデート用や、HDDなどのデバイスのツール起動用にフロッピーディスクドライブ(FDD)を組み込む場合もあるが、近年ではレガシーデバイスとしてサポートしないマザーボードも多く、導入しないことが多い。これに変わる存在としてはUSBメモリが用いられることが多い。
拡張要素
- ビデオカードの複数枚搭載(マルチGPU)
- ゲーム向けの高性能ビデオカードを2枚、あるいは3枚以上取り付けて性能を向上させる手法がある。ATIのCrossFire、NVIDIAのSLI、S3のMultiChrome等である。マザーボードが対応していることはもちろん、アプリケーション(ゲームソフト)側の対応も必須。反面、消費電力や排熱の大きいビデオカードが複数枚となるため、それを十分にサポートできる電源ユニットを用意し、ケースを冷却性の良いものにする必要がある。
- カードリーダー
- 内蔵型を3.5インチベイに搭載するのが主流。
- 拡張カード
- PC/AT互換機の主な拡張スロットインターフェイスには、ISA、PCI、PCI Expressがあるが、ISAは2000年代前半までにほぼ消滅した。また、ビデオカード向けの拡張バスはPCIからAGPを経てPCI Expressに移行している。近年は高速なデバイスにはPCI Express、それ以外はPCIと言う棲み分けになっていたが、最近ではPCIを一本も持たず拡張スロットの全てがPCI Expressであるマザーボードも少しずつ増えてきている。[注釈 33]
- ISAの時代付近までは、各種デバイスのインターフェイスやビデオカードは拡張スロット(拡張バス)を利用し、マザーボードに対して増設する場合が殆どだったが、近年は各種インターフェイスがマザーボードに統合(オンボード)されることが多くなり、拡張スロットを利用する頻度は、減少している。しかしオンボードにない機能や性能を要求する場合は、拡張スロットによる増設が必要となる。古くから性能向上を求めるユーザーによってサウンドカード、LANカード、USB増設カード、SASカード、RAIDカードを増設されることがあるが、最近は地デジ視聴ボードが良く増設される。
- 外付けハードディスク
- 規格外ではあるが、SATAのケーブルをeSATAを使わずそのままSATAとしてケース外インターフェイス経由で接続することも行われている。またSATA以降、ハードディスクドライブをケースに入れず裸のままケーブルを繋いで利用したり、ドライブを裸のまま出し入れできるリムーバブルフレームも使われている[注釈 34]。
- CPUクーラー
- オーバークロックにより設計以上の発熱で利用したり、Pentium 4~Pentium Dのように定格であっても大消費電力・高発熱なCPUが登場したことから冷却性能が特に必要になり、CPU冷却装置も注目を浴びることになった。リテールファン[注釈 35]よりも優れた冷却性能や静音性を求めて、より大型のファンを使ったCPUクーラーに換装する場合も多い。BTOでも高性能ファンをオプションで選べるメーカーがある。[注釈 36]
- 空冷ファンのほか、水冷やガス冷却等の選択もある。水冷の場合は空冷より冷却能力の限界が高いが、値段の安いものだと冷却性自体に問題が起きる可能性がある。また漏水や結露による本体の破損と危険も考慮しなければならない。ガス冷却は冷蔵庫の仕組みから応用されたものであり、他者よりもはるかに高性能だが価格も性能に比例して高く、稼動時の消費電力や設置の手間まで考えれば費用対効果という意味で空冷や水冷に劣る面がある。
- GPUクーラー
- 最近の高いクオリティのゲームの発表と共に、ビデオカードの負荷に注目されている。グラフィックカード自体に既にクーラーが取り付けられている為、交換することにより保障が受けられなくなるものの、より安定した動作を狙うか、静音化、発熱を抑えるもしくは、GPUのオーバークロックを目的に、ビデオカードを水冷にする例もある。
脚注
注釈
出典
関連項目
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