札幌市交通局2000形電車

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テンプレート:鉄道車両 札幌市交通局2000形電車(さっぽろしこうつうきょく2000がたでんしゃ)は、札幌市交通局札幌市営地下鉄)が開発した通勤形電車である。ゴムタイヤを使用した案内軌条式地下鉄の最初の営業用車両であった。

本項では初期に2両編成用に導入され、後に2000形に編入された1000形電車についても記載する。

概要

札幌市営地下鉄南北線北24条駅 - 真駒内駅間の開業にともない、1000形が1970年に、2000形が1971年に登場した。1963年より札幌市交通局と川崎重工業が共同で開発してきた案内軌条式電車である。このシステムを川崎重工では「S.S.TRAM」(Silent Safety TRAM) と呼んでいる。第4次試験車「すずかけ」の構造を踏襲した2車体連接で7軸の特殊な形態で、案内軌条をつかむ案内輪のついた1軸の操向台車の間に2軸の駆動台車がある構造で、中間の操向台車は2車体の間に存在する連接構造である。駆動装置は車体装架カルダン駆動方式が採用された。

先頭車は貫通型で非常時や増結の際、貫通扉は非公式側(運転席の反対側)に開く構造となっている。 運転台の無い部分では連接台車のある貫通路が同局のA820形に端を発する楕円形、台車の無い貫通路は従来の鉄道車両のように長方形(ドアはない)とされ、後年登場した他の札幌市営地下鉄の車両で採用された六角形とは異なる。吊革帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)や大手私鉄で広く使われている、カバー付きで、にぎりが枕木方向に向いている三角形のものが使われていた。長さは8000形2006年度増備車から採用された低い吊革とほぼ同じだが、2000形では高い位置から下げられていたため、全体的な高さは後の3000形5000形などと同一であった。 テンプレート:- 

製造・運用

1970年から1978年まで160両全車が川崎重工業で製造された。但し電気機器は数社(富士電機・日立製作所・三菱電機・東芝・東洋電機)が製造に参加している。

当初は2両編成を1000形、4両編成を2000形と称しそれぞれ閑散時用、混雑時用と使い分けることを想定していたが、実際には開業時から4両編成が基本となり、2両編成での運転はごく僅かであった。8両編成化後、16 - 18編成は4両+4両、19編成は6両+2両で編成され、20編成は8両全て制御電動車だった。これは当初、先頭車が多く製造されたことによる。車両番号の改番はブロック状の金属板を車体に取り付ける方式で施行したが、新製車の車両番号は車体に直接文字を取り付けている。

8次車は3000形01編成3101 - 3801である。

1970年
1001+1002(試作車)

開業に先立ちプロトタイプとして製造された車両である。乗務員室が狭く営業運転では中間に組み込まれることがほとんどだった。内装は濃い茶系で、先頭部の非公式側(運転台のない)の乗務員室の機器配置に違いがあり、真駒内方の1001では曲面ガラスの近くに機器はないが、北24条方の1002では曲面ガラスの後ろに大型の機器があり、増備車の先頭車でもこの部分は踏襲された。唯一現存する保存車である。

1971年
1003+1004 - 1027+1028(1000形1次車)
2001+2002+2003+2004 - 2025+2026+2027+2028(2000形1次車)

開業用に製造された車両で1000形13本26両、2000形7本28両が増備された。このうち6両(1003+1004、2001+2002+2003+2004)は先行製造車で、先頭車の1003・1004・2001・2004は試作車1001・1002と同様に乗務員室が狭く、早期に中間に組み込まれた。この製造分より一部の窓が開閉可能となる。なお1000形の製造は終了し、以後の増備は2000形に一本化された。

1972年
2029+2030+2031+2032 2033+2034+2035+2036(2次車)
2038+2039 2042+2043 2046+2047 2050+2051

輸送力増強のため4両編成2本と中間車8両が増備された。この増備で中間車8両は1021 - 1028を2000形(2037、2040、2041、2044、2045、2048、2049、2052)に改番の上4両編成を組んだ。1972年7月のダイヤ改正で一部編成が6両化される。

1974年
2053+2054 - 2063+2064(3次車)

全編成6両化のため中間車12両が増備されたが、この製造分より車内の化粧板の色がやや薄い茶系に変更される。2055+2056(後の2513+2613)は当時開発中だった東西線6000形と同じ名所イラスト入り化粧板を施した内装となった。

1975年
2101+2201+2301+2401+2701+2801 - 2104+2204+2304+2404+2704+2804(4次車)

本グループより大幅な設計変更が行われ6両編成4本が増備された。この時から将来の8両化に備えた番号が付番され、2500・2600を除いた2100 - 2800とされた。この4本が後の01 - 04編成である。この製造分より側面窓の天地寸法が小さくなり、従来分割形だった座席の背もたれが一体形となっているのが特徴で、これら4編成は全車小窓の車両で組成された。なお先頭車の製造は終了し、以後の増備は中間車のみとなる。

1976年
2205+2305+2405+2705 - 2206+2306+2406+2706(5次車)
2307+2407 2308+2408

6両化のため中間車12両が増備された。この12両と既存の1017 - 1020、2029 - 2036を改番の上、6両編成4本の05 - 08編成とした。

1977年
2209+2309+2409+2509+2609+2709 - 2211+2311+2411+2511+2611+2711(6次車)

南北線初の8両化用として中間車18両が増備された。この18両と既存の1011 - 1016を改番の上、8両編成3本の09 - 11編成とした。

1978年
2501+2601 - 2508+2608(7次車)

麻生延長開業に備えた8両化用として中間車16両が増備された。この増備により01 - 08編成の8両化が行われた。この製造分より車内の化粧板の色が茶系から黄土色に変更される。

3101+3202+3301+3401+3501+3601+3701+3801(8次車)

7次車と同じく麻生延長開業に備えた車両で2000形8次車として計画されたが、車体構造・制御方式・デザイン等が変更され、3000形01編成となった。

2212+2312+2412+2512+2612+2712(9次車)

最終増備車として12編成8両化用の中間車6両が増備される。在来車両も先頭車の中間組込改造および編成ごとに末尾をそろえる改番が行われ、1000形は形式消滅となり、01 - 20編成の全編成8両化が完了する。

2000形最終増備時の全編成一覧
編成 テンプレート:TrainDirection
01 2101 2201 2301 2401 2501 2601 2701 2801
02 2102 2202 2302 2402 2502 2602 2702 2802
03 2103 2203 2303 2403 2503 2603 2703 2803
04 2104 2204 2304 2404 2504 2604 2704 2804
05 1017
→2105
2205 2305 2405 2505 2605 2705 1018
→2805
06 1019
→2106
2206 2306 2406 2506 2606 2706 1020
→2806
07 2029
→2107
2030
→2207
2307 2407 2507 2607 2031
→2707
2032
→2807
08 2033
→2108
2034
→2208
2308 2408 2508 2608 2035
→2708
2036
→2808
09 1011
→2109
2209 2309 2409 2509 2609 2709 1012
→2809
10 1015
→2110
2210 2310 2410 2510 2610 2710 1016
→2810
11 1013
→2111
2211 2311 2411 2511 2611 2711 1014
→2811
12 1009
→2112
2212 2312 2412 2512 2612 2712 1010
→2812
13 2009
→2113
2010
→2213
2053
→2313
2054
→2413
2055
→2513
2056
→2613
2011
→2713
2012
→2813
14 1021
→2037
→2114
2038
→2214
2057
→2314
2058
→2414
2059
→2514
2060
→2614
2039
→2714
1022
→2040
→2814
15 1027
→2049
→2115
2050
→2215
2061
→2315
2062
→2415
2063
→2515
2064
→2615
2051
→2715
1028
→2052
→2815
16 2005
→2116
2006
→2216
2007
→2316
2008
→2416
2013
→2516
2014
→2616
2015
→2716
2016
→2816
17 2021
→2117
2022
→2217
2023
→2317
2024
→2417
2025
→2517
2026
→2617
2027
→2717
2028
→2817
18 1023
→2041
→2118
2042
→2218
2043
→2318
1024
→2044
→2418
1025
→2045
→2518
2046
→2618
2047
→2718
1026
→2048
→2818
19 1007
→2119
(2002)
→2219
2019
→2319
2018
→2419
(2003)
→2519
(2004)
→2619
(2001)
→2719
1008
→2819
20 1005
→2120
(1004)
→2220
((1001))
→2320
((1002))
→2420
(1003)
→2520
1006
→2620
2017
→2720
2020
→2820

テンプレート:-

テンプレート:-

改造

試作車の量産化改造

試作車2両は落成当時車体のタイヤ部分の欠取がカバーで覆われ、窓は全て固定窓となっていた[1]。車内はタイヤハウスの出っ張りがある特殊な床構造のため、駆動軸ホイールハウス上部の座席が他の部分より高い構造となっていた[2]。これは積雪時にタイヤチェーンを取り付けるための空間であったが、地上部はシェルターで覆われる構造となったため不要となった。これらの部分は全て量産化改造により増備車と同一仕様となった。

大窓車の座席更新

3次車までの大窓車は座席の背もたれが2分割式[2]であったが、座席更新の際に一体式に交換されている。乗務員室の狭い1001・1002では、付近の座席の座面がやや短い長さのものに更新されている。

先頭車の中間組込改造

全編成の8両化と新番台改番にともない、中間に組み込む先頭車の一部運転用機器、貫通扉、行先表示器等を撤去し、ジャンパ栓受移設などの改造工事を行う。なお1001・1002では保存に際し撤去した機器や部品を増備車から流用した同等品で復元している。

車側表示灯交換

初期車両の車側表示灯を大型の縦長長円形に交換する工事を行う。改番工事と同様にブロック状の金属板を車体に取り付ける方法で施工した。

換気扇更新

1980年代前半に換気扇吹き出し口を交換。1001・1002では保存に際し更新前の吹き出し口に再交換している。

廃車

3000形、5000形により順次置き換えられて廃車となっている。1995年から5000形を投入したことにより置き換えは進み、1999年6月を最後に営業運転を終了した[3]。最後に残った編成は06編成[4]で、先頭車両(2106・2806)が開業当初から使用していた1971年製造の元(1019・1020)の大窓車、中間車が1976年・1978年製造の小窓車の編成であった。

開業前の試運転で車両が大破する脱線事故があったが[5]、この事故に伴う廃車手続や車番の変更などは行われていない。詳しくは札幌市営地下鉄南北線脱線事故を参照のこと。

  • 01編成:1998年11月 5000形15編成と置き換え
  • 02編成:1997年11月 5000形08編成と置き換え
  • 03編成:1996年12月 5000形03編成と置き換え
  • 04編成:1997年12月 5000形09編成と置き換え
  • 05編成:1997年3月 5000形06編成と置き換え
  • 06編成:1999年6月 5000形17編成と置き換え
  • 07編成:1998年10月 5000形14編成と置き換え
  • 08編成:1997年3月 5000形07編成と置き換え
  • 09編成:1997年1月 5000形04編成と置き換え
  • 10編成:1996年11月 5000形02編成と置き換え
  • 11編成:1998年1月 5000形10編成と置き換え
  • 12編成:1998年2月 5000形11編成と置き換え
  • 13編成:1998年8月 5000形12編成と置き換え
  • 14編成:1999年5月 5000形16編成と置き換え
  • 15編成:1998年8月 5000形13編成と置き換え
  • 16編成:1995年10月 5000形01編成と置き換え
  • 17編成:1997年3月 5000形05編成と置き換え
  • 18編成:1990年3月 3000形05編成と置き換え
  • 19編成:1985年3月 3000形03編成と置き換え
  • 20編成:1985年6月 3000形04編成と置き換え

保存車

南区にある交通資料館(最寄駅:自衛隊前駅)に1000形1001+1002(2320+2420)の2両が保存されている。編成の向きは運行していた向きとは反対に置かれ、1001が麻生方面に1002が真駒内方面に置かれている。公開時は1001の乗務員室扉から入り1002の乗務員室扉から出る。2009年7月18日の交通資料館まつりにおいて時間限定で公開された。以来、同イベントの催しとして年に一度公開されている。

他の車両は積雪に耐えられず屋外に設置できないことなどから、すべて解体された。

参考文献

交友社『鉄道ファン』207号 1978年7月

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:札幌市交通局の車両
  1. 川崎重工業株式会社車両カンパニー 1970年(昭和45年) わが国初の案内軌条方式ゴムタイヤ地下鉄電車を札幌市交通局に納入 [1]
  2. 2.0 2.1 フォト海道(北海道新聞写真データベース) 1970年12月7日[2]
  3. フォト海道(北海道新聞写真データベース) 2000形車両引退 1999年6月28日[3]
  4. フォト海道(北海道新聞写真データベース) 1999年6月24日[4]
  5. フォト海道(北海道新聞写真データベース) 札幌地下鉄の事故電車 1971年09月04日[5]