川口オートレース場
テンプレート:基礎情報 オートレース場 川口オートレース場 (かわぐちオートレースじょう) は、全国に6場あるオートレース場の1つで、埼玉県川口市青木にある。施設所有および施行者は川口市(過去の施行者は後述)。
概要
売り上げ、入場者数共に全オートレース場の中で1位を誇り「オートのメッカ」と言われ、元SMAPの森且行選手、MotoGP125ccクラスの元世界チャンピオン青木治親選手、44年ぶりの女子レーサー佐藤摩弥選手らが活躍している。
現在はCS・インターネットでレース中継をしている。実況はテレビ埼玉バッハプラザでもおなじみの堂前英男が担当しているが、2011年度より堂前は日曜日に別の生番組を受け持つこととなったため日曜日に限り吉原完が担当している。ただ、吉原の都合も合わない場合は野村達也や文化放送の松島茂が担当することがある。かつては廣瀬善樹、蘇武直人、山形美房、小林習之、北嶋興も実況を担当していた。(地上波でのレース実況中継時代も含む)
アシスタントは鳥谷部咲子、かつては甲斐佑里、田中洋衣、別府彩、長原玲子、日向リオもアシスタントを務めていた。(一部テレビ埼玉バッハプラザオートレポーター兼任)
敷地の有効活用でバンク内には交通児童公園が設置されており、レース非開催時に地元地域の小学校、幼稚園の交通指導に利用されている[1]。
また、川口市は毎年8月には市営の夏祭りとしてたたら祭りを川口オートレース場で実施している。
歴史
- 1950年(昭和25年)12月15日 - 社団法人埼玉県小型自動車競走会設立
- 1952年(昭和27年)2月1日 - 川口オートレース場開設(ダート走路800M/周)
- 1955年(昭和30年)1月15日 - 川口市営オートレースの初開催
- 1965年(昭和40年)3月23日 - 第1回日本選手権オートレース開催 (優勝 広瀬登喜夫)
- 1967年(昭和42年)7月16日 - ダート走路さよならレース開催
- 1967年(昭和42年)10月29日 - 新川口オートレース場開場 (走路舗装化)
- 1973年(昭和48年)5月30日 - 四輪車レースの廃止
- 1976年(昭和51年)3月31日 - 開設24周年記念グランプリレース開催 (第1回)
- 1977年(昭和52年)7月26日 - 第1回キューポラ杯争奪戦開催
- 1983年(昭和58年)12月 - トータリゼータシステムの導入(機械式車券発売)
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 第1回スーパースター王座決定戦開催 (優勝 桝崎正)
- 1989年(平成元年)4月1日 - 発走合図システム装置導入
- 1991年(平成3年)9月 - 電話投票開始
- 1993年(平成5年)1月1日 - アストロビジョン (大型映像機) 導入
- 1998年(平成10年)4月11日 - 8車8枠制導入
- 2000年(平成12年)8月13日 - 全レース連勝単式発売
- 2003年(平成15年)4月27日 - 3連単・3連複・ワイドの発売開始
- 2008年(平成20年) - 埼玉県の施行撤退により県章を冠にした「まがたま杯」が廃止され「川口記念」が開催
- 2011年(平成23年) - 4月以降の開催より伊勢崎市の管理施行により重勝式車券(ランダム方式4連勝勝2連勝単式とセレクト方式5重勝単勝式)がオッズパークにて発売される。なお当場を対象とした発売は伊勢崎市の指定を受けた日のみとなり、5月18日から22日まで開催されるSGの第30回オールスターオートレースが初指定となった。
- 2011年(平成23年)9月22日 - 第1・第5特別観覧席にICカード投票システム「eスマート倶楽部」を導入。全国3場目。
- 2012年(平成24年) - 小型自動車競走法の改正に伴い、6月9日の開催より控除率を現行の25%から30%に引き上げる[2]
- 2013年(平成25年) - ファンサービスの一環として4月13日より本場開催時の入場料を無料化。
- 2014年(平成26年)4月25日 - 重勝式『モトロトBIG』の的中により6億円の配当。金額は公営競技史上第2位。
場内施設など
- 競走路1周 - 500m (幅員30m)
- 収容人数 - 44,000人[3]
- 無料駐車場収容台数 - 1,180台[3]
- 年間売上額(概数) - 200億円(2012年度) 580億円(1991年度)[4]。
- 1日当たり平均入場者数(概数) - 5,800人(2012年度) 18,000人(1991年度)[5]。
- 整備場への出入口が他場と異なり、2コーナー奥にある。
- 毎年8月上旬には川口市主催の夏祭り・たたら祭りのメイン会場として使用され、夜には花火が打ち上げられる。花火の直下で見ることになるため、たいへん迫力がある。また、このたたら祭り内ではオートレース選手が多くイベントを行う。原付による模擬オートレース(2006年の原付レースでは青木治親だけ1000ccのバイクに乗っていた)、選手によるゲーム大会、チャリティーオークション、模擬ナイター競走などは、オートレースファンのみならず、一般の来場者にも評判は高い。
- 施行者は埼玉県および川口市だったが、埼玉県は撤退をし、2008年度から川口市単独の開催となった。
- 食堂や売店が多く、他場よりも充実していると言われる。
- 「ハッピーランド」という託児施設が常設されている。また、森且行がデビューした頃から「レディースルーム」という、女性専用の休憩所が設けられている。
- Gacktが川口オートレース場独自のイメージキャラクターになっていた。場内のポスターやプレゼントとして配布されるクオ・カード、無料配布されるレース日程表などに写真が使用されているほか、2005年11月6日に開催されたSG第37回日本選手権オートレースでは優勝戦の試走先導およびプレゼンターとして登場、表彰式では優勝した岡部聡選手に優勝杯とは別のカップとシャンパンを渡した[6]。
- 首都圏の公営競技開催施設にしては珍しく、特観席以外に車券の自動券売機がないため、締め切り間際に窓口が大混雑することが常態化している。
場外発売所
- オートレース双葉 - サテライト双葉・ミニボートピア双葉と同一施設。2012年12月27日オープン。
- ラ・ピスタ新橋 - もともとは競輪の会員制場外車券売場であったが、2013年12月27日(スーパースターフェスタ2013初日)より「ラ・ピスタ新橋オートレース場外発売所」としてオープン
交通
- JR東日本京浜東北線西川口駅下車。東口より新オートレース通りを直進。西門まで約20分。
- 埼玉高速鉄道南鳩ヶ谷駅下車。正門まで約14分。
- 無料送迎バス
- 西川口駅東口より「西川100 オートレース場行」で約10分(頻発)。国際興業バスにより開催日のみ運行。
- 南鳩ヶ谷駅ロータリーより約10分(1時間2本)。行先LED表示は「貸切」。2013年11月のダイヤ改正以降に、テンプレート:要出典され、マイクロバスでの扱いとなる[1]。
- 共に北門前に発着、最終レース後帰路便あり。
- 一般路線バス
- 以上の系統で、オートレース場前(正門に近い)・オートレース場裏(西門に近い)停留所で下車。すべて国際興業バスによる運行。
- 専用駐車場の収容台数が他場に比して少なく、また、出口の位置関係から、高確率で渋滞に巻き込まれる。近辺に個人経営の有料駐車場が多く、時折無料入場券が配布されることもある。
テーマソング
「ぶっちぎりの青春」 - 作詞・茜まさお、 作曲・平尾昌晃、 編曲・飛沢宏元、 歌・ささきいさお。バックコーラスで広瀬登喜夫(引退)、阿部光雄、荒井充、清水右也の各選手が参加。
CDは場内売店のみで販売されている。場内では選手紹介(試走)時にカラオケバージョンで流れる(また以前は4レース・9レース発売開始後のそれぞれ試走タイム発表後)に歌入りで流れていた。CS放送では優勝戦終了後に優勝選手が行うウイニングランのBGMとして、カラオケバージョンが流される。
2005年11月6日のSG第37回日本選手権オートレース優勝戦でGackt作曲によるファンファーレ『Sanctuary -幻想の彼方に-』が導入された[8]。後に船橋オートレース場で開催されたSG第25回オールスターオートレース優勝戦や、川口で開催されたGI第30回キューポラ杯争奪戦、浜松オートレース場で2006年11月5日に行われたSG第38回日本選手権オートレースの優勝戦、SG第13回オートレースグランプリ優勝戦でも使用され、徐々にファンに認知されつつある。川口では、SG競走とキューポラ杯争奪戦の優勝戦で使用している。
関連項目
脚注
- ↑ 児童交通公園の利用について
- ↑ お客さまへお知らせ - 川口オートレース公式サイト 2012年5月10日閲覧
- ↑ 3.0 3.1 川口オートレース場交通案内図
- ↑ 財団法人 東日本小型自動車競走会
- ↑ 川口市オートレース事業の活性化について
- ↑ 日本選手権オートレース5日目の写真
- ↑ SR往復割引乗車券
- ↑ Gacktオリジナルファンファーレ