マリンエキスプレス
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マリンエキスプレス株式会社は、かつて日本に存在した海運会社。前身は日本カー・フェリー(1965年~1990年)で、シーコムに買収されシーコムフェリー(1990年~1992年)となった後マリンエキスプレスとなる。
目次
概要
木更津航路(川崎港 - 木更津港)を1時間で結ぶ中型カーフェリーを運航していたが、後に京浜航路(川崎港 - 日向港)への大型カーフェリー運航も開始し徐々に規模を拡大した。
1997年には東京湾アクアライン開通により木更津航路を廃止。その後2004年8月には原油価格高騰などの煽りを受け業績が悪化、分社化を実施し宮崎カーフェリーを設立。経営が悪化していた京浜航路はマリンエキスプレス、大阪・貝塚航路は宮崎カーフェリーの運航となった。
しかし2005年6月の川崎港発の宮崎港行き(京浜航路)の最終航海をもってマリンエキスプレスが分社化実施後自社運航していた航路は全て休止となった。その後2005年12月には、マリンエキスプレスの所有していた資産の売却、譲渡が始まり、特別清算が開始されている。分社化された宮崎カーフェリーの事業は引き続き行われている。
本社・支店
- 本社 宮崎県宮崎市港3-14
- 東京本部 東京都中央区八丁堀四丁目9番4号西野金陵ビル
- 東京支店 東京都中央区八丁堀四丁目9番4号西野金陵ビル
- 大阪支店 大阪府大阪市住之江区南港南2-3-44南港センタービル
- 宮崎支店 宮崎県宮崎市港3-14
- 鹿児島支店 鹿児島県鹿児島市小川町27-17桜島農協ビル
- 高知支店 高知県高知市仁井田字新港4714番地
- 南紀支店 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町宇久井718-4
- 日向支店 宮崎県日向市船場町1-1(2005/12地元自治体へ無償譲渡。)
- 宮崎港支店 宮崎県宮崎市港3-14
- 川崎支店 神奈川県川崎市川崎区浮島町12-5(2005/12民間企業へ売却。2007年に物流センターとなった。)
- 大阪南港ターミナル 大阪府大阪市住之江区南港南5-1-32
- 貝塚ターミナル 大阪府貝塚市二色北町1番地
※特別清算を開始しているため現在、上記の施設が現存するかは未確認。
沿革
- 1965年4月 - 前身である日本カーフェリーが川崎港-木更津港に木更津航路開設。
- 1965年4月 - あさなぎ あかつき あさあけ 3隻を就航。
- 1971年3月 - 川崎港-日向細島港の京浜航路を開設。「ふぇにっくす」(5,954t)、「せんとぽーりあ」(5,960t)を就航。
- 1971年4月 - 京浜航路の第3船として「ふーげんびりあ」(5,964t)を就航。
- 1971年6月 - 宮崎カーフェリー(初代)が、東神戸フェリーセンターから日向細島港の神戸航路を開設。「はいびすかす」(5,954t)を就航。
- 1971年11月 - 神戸航路の第2船として「はまゆう」(5,886t)を就航。
- 1971年12月 - 神戸航路の第3船として「るぴなす」(5,909t)を就航。
- 1972年5月 - 宮崎カーフェリー(初代)が大阪港-日向細島港の大阪航路を開設。「せんとぽーりあ」、「はいびすかす」を転用。
- 1972年7月 - 日本カーフェリーが宮崎カーフェリー(初代)を吸収合併。
- 1974年3月 - 京浜航路に当時としては国内最高速(25.6ノット)船である「高千穂丸」(9,536t)、「美々津丸」(9,552t)を就航。
- 1974年3月 - 「ふぇにっくす」を大阪航路へ転配。
- 1974年3月 - 広島港-日向細島港の広島航路を開設。「せんとぽーりあ」、「ふーげんびりあ」を大阪航路とあわせて運航。
- 1975年6月 - 広島航路に広別汽船より購入した「ふたば」(旧・鶴見)を就航。
- 1975年11月 - はまゆうを大阪航路へ転配。るびなすを海外売却。
- 1975年11月 - 神戸航路に「えびの」(旧・あるなする)を就航。
- 1976年6月 - 広島航路の「ふたば」、諸島水道にて台湾籍の貨物船と衝突。沈没。
- 1976年6月 - 「はいびすかす」を海外売却
- 1976年11月 - 神戸航路に「さいとばる」(旧・フェリーかしい)を就航
- 1978年9月 - 神戸航路の「さいとばる」、来島海峡にて韓国籍タンカーと衝突。沈没。
- 1978年11月 - 神戸航路に「みやさき」(旧いせ丸)を就航
- 1980年3月 - 大阪港-志布志港の志布志航路を開設。「おおすみ」(9,237t)を就航。
- 1982年11月 - 志布志航路を廃止。「おおすみ」は神戸航路に転配。
- 1986年3月 - 「おおすみ」を海外売却。
- 1990年3月 - 大阪航路の発着地変更。日向細島港から宮崎港に変更。
- 1990年8月 - シーコムが日本カーフェリーを買収。シーコムフェリー設立。
- 1990年12月 - 日本カーフェリー、京浜航路、大阪航路、神戸航路をシーコムフェリーに営業譲渡。解散。
- 1992年10月 - シーコムフェリーがマリンエキスプレスに社名変更。
- 1992年11月 - 京浜航路に「パシフィックエキスプレス」(11,581t)を就航。「美々津丸」は大阪航路へ転配。
- 1992年12月 - 「美々津丸」、大阪航路就航。「はまゆう」は海外売却。
- 1993年6月 - 京浜航路に「フェニックスエキスプレス」(11,578t)を就航。「高千穂丸」は大阪航路へ転配。
- 1993年12月 - 「高千穂丸」、大阪航路就航。「せんとぽーりあ」は海外売却。
- 1994年4月 - 京浜航路の発着地に宮崎港を追加。隔日で日向細島港と宮崎港で運航。
- 1996年12月 - 大阪航路に「みやざきエキスプレス」(11,931t)を就航。「高千穂丸」は神戸航路へ転配。「えびの」は海外売却。
- 1997年12月 - 東京湾アクアライン開通に伴い、木更津航路廃止。従業員の離職対策として設立した東京ベイサービスが、バス運行開始。
- 1998年4月 - 「オアシス」・「レインボー」・「オリオン」・「オーロラ」4隻を海外売却。
- 1997年7月 - 大阪航路に「おおさかエキスプレス」(11,933t)を就航。「美々津丸」は海外売却。
- 1998年5月 - 神戸航路廃止。高千穂丸は係船の後に海外売却。
- 2002年2月 - 京浜航路の宮崎線を那智勝浦港へ寄港開始。
- 2002年4月 - 京浜航路の日向線を高知新港へ寄港開始。
- 2004年3月 - 貝塚港-日向細島港-宮崎港の貝塚航路に「フェリーひむか」(旧・「れいんぼうべる」)を就航。
- 2004年8月 - マリンエキスプレス、大阪航路、貝塚航路を宮崎カーフェリーへ営業譲渡。
- 2004年10月 - 貝塚航路のうち、日向細島港~宮崎港を運航休止。貝塚港~日向細島港のみの運航へ。
- 2005年3月 - 貝塚航路、運航休止。
- 2005年6月 - 1971年から34年間運航していた同社看板路線、京浜航路が6月18日より運航休止。京浜航路の「パシフィックエキスプレス」を売却。「フェニックスエキスプレス」を貝塚航路に転配。
- 2005年6月 - 貝塚航路、発着港を日向細島港から宮崎港へ変更し再開。休止前の隔日運航からデイリー運航に変更。
- その後、2006年4月30日をもって大幅な原油価格上昇のため休止。
- 2005年12月 - 川崎ターミナルを民間会社に売却、そのほかのターミナルは各行政へ無償にて譲渡した。
- 2005年12月 - 特別清算を開始した。負債は約351億円。
航路
譲渡航路(宮崎カーフェリーに譲渡)
廃止航路
- 川崎港←→千葉港(市原) - (1965年4月~1974年7月)
- 川崎港←→木更津港 - (1965年4月1日~1997年4月)
- 神戸港←→日向細島港 - (1971年6月5日~1998年5月)
- 大阪港←→日向細島港 - (1972年5月~1990年3月)
- 広島港←→日向細島港 - (1974年3~不明)
- 大阪港←→志布志港 - (1980年3~1982年11月)
- 宮崎港←→日向細島港 - (2004年3~2004年10月)
- 川崎港←→高知新港←→日向細島港 - (2005年6月12日)
- 川崎港←→那智勝浦港←→宮崎港 - (2005年6月18日)
マリンエキスプレスになるまでの経緯
- 日本カーフェリー
- 1964年(昭和39年)8月18日設立 資本金25億円
- 法人株主 三井観光開発、三井物産、日本鋼管、新日本製鐵、日本石油、出光興産他
- 内航海運業の北星海運が設立した企業で、川崎と木更津を結ぶ近距離フェリーから、関東・関西と宮崎を結ぶ長距離フェリーに業務を拡大。
- 殆どのターミナルは自社所有物件だった事や、当初より旅客・乗用車を重視した豪華なカーフェリーを多数建造した為に早期から需要と実情が合わなかった為に経営が悪化し、途中出資者は観光施設運営の三井観光開発に変わったが、その後融資元の日本長期信用銀行が介入してシーコムが経営権を買収。
- シーコムフェリー
- バブル期にリゾート開発で名を馳せたイ・アイ・イ・インターナショナル(2000年に倒産)と、 当時、同社傘下の企業となっていた海運会社シーコム(2007年4月12日、破産手続き開始。)の共同出資で設立され、日本カーフェリーはシーコムフェリーに事業譲渡して1990年12月に解散。
- その後出資2社のバブル崩壊による経営不振で2社の融資元である日本長期信用銀行が介入し、 1992年10月に2社との関係を解消しマリンエキスプレスに社名変更。
過去に在籍した船舶
- パシフィックエキスプレス(2005/10 韓国へ海外売却した)
- 総トン数:11,582t
- 出力:23,000hp×2
- 航行速力:26.2ノット
- 乗用車:90
- トラック141
- フェニックスエキスプレス(2005/06 宮崎カーフェリーへ転籍したが売却が決定)
- 総トン数:11,578t
- 出力:23,100hp×2
- 航行速力:26.2ノット
- 乗用車:90
- トラック141
引退・事故除籍した船舶
- ふぇにっくす
- 起工昭和45年2月28日、進水昭和45年10月2日、竣工昭和46年1月30日。就航昭和46年3月1日
- 造船所 三菱神戸
- 総トン数5954.34、全長118m、垂線間長106.00m、型幅20.40m
- 喫水(満)5.717m、(空)4.36m
- スペリー社ジャイロフィン1対、バウスラスター800ps(推力)9.1トン
- 速力max21.9Kn、航海速力20Kn、航続距離1600M、 急停止467mm、1分32秒, 主機NKK-SEMT-Pielstick 4サイクル 12PC2V (max)5460PS*200rpm*2 (常用)4640PS*189rpm*2, プロペラ4翼可変ピッチ 径約3500mm 互いに外転 Maxtransfer484m,Maxadvance403m
- せんとぽーりあ
- ふーげんびりあ
- はいびすかす
- はまゆう
- るびなす 総トン数 5,909 トン、全長118.0m、全幅20.4m
- 竣工 昭和46年
- 造船所 林兼造船下関造船所
- 旅客984名
- 1975年11月、台湾カーフェリーに売却され「花蓮」と改名。1983年9月9日、エレン台風により座礁、全損。
- 高千穂丸 総トン数9536.23、全長159.50m、型幅21.5m、
- 竣工 昭和48年10月24日
- 造船所 日本鋼管清水
- 速力最大27.4Kn、航海速力25.6Kn,主機 三菱MAN V9V、18000PS*2、
- 旅客978名、トラック61台、乗用車134台、
- バウスラスター推力15トン(960KW),前進中機関後進発令26.3Knから停止まで451m、1分22.1秒、
- 停止惰力前進中機関停止26.3Kn→5Knの場合移動距離914m、所要時間2分9秒、最大縦距584m、最大横距654m
- 美々津丸
- えびの - 元 太平洋沿海フェリー「あるなする」
- 竣工昭和48年3月20日、総トン数6826.63、全長132.10m、型幅22.68m、満載喫水5.75m、
- トラック65台、乗用車105台、 旅客898名
- バウスラスター推力9.1トン
- 造船所 日本海重工富山
- 速力最大22.42Kn,航海速力19.5Kn
- 最短停止距離 641m、1分48秒、最大縦距 483m、最大横距 580m
- さいとばる(事故除籍) - 元 名門カーフェリー「フェリーかしい」
- みやさき - 元 フジフェリー「いせ丸」
- 竣工 昭和48年7月9日、総トン数7050.42、全長140.85m、型幅22.40m、満載喫水5.82m 水密区画 14
- 最大縦距 550m 最大横距683m 最短停止距離 580m(所要時間1分50秒) 停止惰力 714m(所要時間2分00秒)
- 港内速力全速中後進発令から船体停止 移動距離 320m 所要時間」1分35秒
- 満載喫水 5.82m 主機 ディゼル1000ps:2機
- 乗組員 41名 船籍港 東京
- トラック90台、乗用車80台
- バウスラスター推力9.4トン
- 造船所 林兼造船所下関、船体横傾斜修正の為の有効なバラストタンクは設置されていなかった
- 速力最大23.95Kn,航海速力21.5Kn、最短停止距離580m、1分50秒
- ふたば(事故除籍)
- おおすみ
- あさぐも
- あさしお
- あおぞら
- あけぼの
- あさかぜ
- あさあけ
- ありあけ
- オアシス
- オーロラ
- オリオン
- レインボー
補足
- 全航路の運航休止後公式ホームページよりマリンエキスプレスに関する情報は消去されている。