フェニックス・サンズ
テンプレート:バスケットボールチーム フェニックス・サンズ(Phoenix Suns)は、アリゾナ州フェニックスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョン所属。チーム名は本拠地フェニックスが砂漠の上に建造された都市であるから。砂漠に太陽は付きもののイメージである。
日本で初めて公式戦を行なったチーム(対ユタ・ジャズ)である。
目次
歴史
サンズは1968年に拡張チームとしてリーグに加わった。初年度は16勝66敗とリーグ最下位に終わり、翌シーズンは39勝まで勝ちを増やしたものの勝ち越すことはできなかった。3年目以降は勝率5割を前後する平均的なチームとして数年を過ごした。初期のサンズではコニー・ホーキンズやディック・バン・アースデールらがスター選手だった。
42勝40敗と凡庸な成績で終わった1975-76シーズンは、サンズにとって記念すべきシーズンとなった。プレイオフを勝ち進み、地区決勝で前年優勝していたゴールデンステート・ウォリアーズを4勝3敗で下し、NBAファイナルへ進出。8年目のチームであるサンズは名門ボストン・セルティックスと優勝を争った。
1976年のファイナル第5戦
設立8年目で初めてサンズが進出した1976年のNBAファイナル第5戦は、今もしばしばリーグ史上最高の名勝負に挙げられる。古豪ボストン・セルティックスのホームアリーナボストン・ガーデンで同年6月4日に行われたこの試合は延長3回にも及ぶ激戦だった。この時点でシリーズ成績は2勝2敗のタイであり、勝ったチームが優勝に王手をかける重要な試合だった。
試合は規定時間48分を同点で終え、延長に入った。しかし5分の延長でも勝負がつかず、二度目の延長を迎えた。
二度目の延長も残り4秒となった時点で、サンズは1点リードした。ボールを持ったセルティックスのジョン・ハブリチェックはコートを駆け抜けシュートを放ち、逆転。セルティックスが勝ったと考えたボストンのファンがコートに溢れ出す事態となった。
審判は試合がまだ1秒残っていると判断し、ファンが観客席に戻されるとサンズボールから再開となった。ここでサンズのポール・ウェストファルはもう残されていないタイムアウトを敢えて請求。サンズのテクニカルファウルとなり、セルティックスにフリースロー1本が与えられた。セルティックスはフリースローを沈め点差は2点となったが、サンズはコート中央からボールを入れられることになった。
インバウンズパスを受けたサンズのガー・ハードがシュートを決め、三度目の延長が決まった。既に両チームとも主力選手の多くがファウルアウトしており、延長3回では普段控えの選手が活躍した。試合は128対126でセルティックスの勝利となった。試合終了後、選手たちは疲労のため立ち上がれないほどだった。
二日後に行われた第6戦をセルティックスが制し、サンズの初優勝はならなかった。NBAファイナルで延長3回にまで入ったのはこの時が初めてであり、17年後のNBAファイナルでもサンズは延長3回の試合を経験した。この二つの試合はNBAファイナル史上最長の試合と2番目に長く続いた試合である。
その後のサンズは数シーズンに渡り勝率5割を越える中堅のチームだった。1980年には55勝27敗、翌1981年には57勝25敗とリーグでも屈指の勝ち星をあげたが、プレイオフでは勝ち残れなかった。以降は次第に勝率が落ち、1973年以来チームを率いてきたジョン・マクリードヘッドコーチが1986年に退いた。
バークレーの獲得
80年代後半、サンズはヘッドコーチが定着せず成績もリーグ下位に留まっていたが、チーム初期のヘッドコーチでもあったコットン・フィッツシモンズが1989年に再びヘッドコーチに就くと、サンズは次第に西地区有数の強豪へと成長していった。1988年にトレードでやってきたケビン・ジョンソンとトム・チェンバーズはチームを牽引し、同じ年にドラフトで指名されたダン・マーリーも次第に中心選手となっていった。
フィッツシモンズに代わり70年代にチームのエースだったポール・ウェストファルがヘッドコーチに就いた1993年、トレードでチャールズ・バークレーがサンズに加わった。このシーズン、サンズは当時チーム史上最多の62勝20敗をあげ、バークレーはMVPに選ばれた。17年ぶりにNBAファイナルに進出したサンズは、3連覇を狙うシカゴ・ブルズと対戦。サンズはホームコートアドバンテージを得ていたものの、2勝4敗で優勝はならなかった。
キッドの時代
以降数シーズンのサンズは西地区で上位のチームだったが1996年には41勝41敗と勝率5割、この年バークレーはトレードでチームを去った。同年ドラフトでスティーブ・ナッシュを指名したものの活躍の機会は少なく、1998年にはトレードされた。この時期サンズの中心として活躍したのは、同じく96年にトレードでチーム入りしたジェイソン・キッドだった。サンズの勝率は数年に渡り6割を越え、1999-2000シーズン前に加入したアンファニー・ハーダウェイとの「バックコート2000」は話題を呼んだが、キッドは妻への暴行が批判され、2001年にはチームを離れた。
キッドとのトレードでサンズに加わったのはステフォン・マーブリーだったがチーム成績は伸び悩んだ。2003-04シーズン中にはマーベリーをトレードに出し、マイク・ダントーニをHCに迎えるなど、チーム改革に乗り出した。
ナッシュの2年連続MVPとラン&ガンオフェンス
2004-05シーズンには、かつてトレードに出したスティーブ・ナッシュを再び獲得。ダントーニ体制のもと、ナッシュ、ショーン・マリオン、アマレ・スタウダマイアーを中心としたラン&ガンオフェンスはリーグを席巻するようになる。ナッシュを獲得したばかりの2004-05シーズンには62勝20敗の成績で一気にリーグ首位に駆け上がり、ナッシュはMVPを獲得した。プレーオフでもカンファレンス決勝まで勝ち上がるも、サンアントニオ・スパーズの前に敗退する。以後、サンズはこのスパーズに苦杯を舐めさせ続けられることになる。
翌2005-06シーズンにはスタウダマイアーがひざの故障のためシーズンをほぼ全休するも、ボリス・ディアウがスタウダマイアーの代行を行い、昨年の成績にやや劣るがサンズは好調を維持した。最終的にはディアウはMIP(最も成長した選手)を受賞し、ナッシュは2年連続でMVPを獲得。ナッシュの2年連続MVPの快挙はポイントガードとしてはマジック・ジョンソン以来である。プレーオフでは再びカンファレンス決勝まで勝ち上がるも、ダーク・ノビツキー率いるダラス・マーベリックスの前にスタウダマイアー不在が響き敗退し、ファイナル制覇が打ち砕かれた。
2006-07シーズンにはスタウダマイアーが復帰し、リアンドロ・バルボサがサンズ史上4人目となるNBAシックスマン賞を受賞した。シーズン中には15連勝と17連勝をし、予想通りの好調を見せ、サンズは61勝21敗の好成績を収めた。そしてプレーオフでは一回戦でマーベリックスがウォーリアーズに敗退したため、サンズがファイナル進出優勢と言われた。奇しくもカンファレンス準決勝で再びスパーズと対戦。このシリーズではナッシュの負傷、スタウダマイアー、ディアウの出場停止処分など数々の不幸がサンズを襲い、サンズは再びスパーズの軍門に降った。一説にはダントーニの浅いローテンションが仇となり、スターターを除けばあまり試合をこなしていない選手だけだったので、一気にチームとして弱まったと言われている。
2007-08シーズン中にはマリオンをトレードに出し、代わりにシャキール・オニールを獲得。移籍当初オニールにより、ラン&ガンオフェンスのスタイルが崩れると懸念されていた。大型トレード後初めの9試合、サンズは3勝6敗となり、首位から落ち、周りからトレードが失敗したと非難される。しかし、オニールとサンズのオフェンススタイルがうまく噛み始め、レギュラー・シーズンの間スパーズとの対戦成績を3勝1敗(オニール移籍以来2勝)に収め、満を持して初のファイナル制覇に向けて勝負に出た。何かの因縁かのようにプレーオフ1回戦でまたスパーズに対戦することになった。しかし、ディフェンスの弱さを露呈したサンズは再びスパーズに勝つことは出来なかった。シーズン中にダントーニのオフェンス重視とスティーブ・カーGMのディフェンス重視の方針に摩擦が起き、互いの関係に亀裂が生じたと報道された。プレーオフ敗退後、チーム戦略の違いからダントーニはサンズの環境に限界を感じ、新天地を求め始めた。会議を重ね、カーはダントーニを引きとめようとした。しかし最終的にサンズはダントーニにオファーが来ているシカゴ・ブルズとニューヨーク・ニックスとの交渉の許可を与え、ダントーニはサンズの監督を辞退し、ニックスの監督に就任することを決めた。
2008-09シーズンにはヘッドコーチをテリ-・ポーターに変え、ディフェンス重視の戦術を目指すも、上手くいかずに開幕から出遅れ、オールスター直前にはポーターは解雇される。その後、ACのアルビン・ジェントリーが指揮を執り、ラン&ガンオフェンスの復活を目指すもときすでに遅し。46勝36敗でプレ-オフ進出を逃す。
2009-10シーズンは、シーズン開幕からラン&ガンオフェンスが冴え渡り、チームは好調。プレーオフにも返り咲いた。カンファレンスセミファイナルでは因縁のスパーズと対戦。これまでスパーズに苦汁をなめられていたが、持ち前のラン&ガンオフェンスでスパーズを翻弄。第3戦では控えのゴラン・ドラギッチやチャニング・フライらが活躍し、第4戦ではナッシュが怪我で途中退場するアクシデントがあったが、スイープでスパーズを下し、2005-06シーズン以来のカンファレンスファイナルに駒を進めた。カンファレンス決勝では、王者ロサンゼルス・レイカーズ相手に善戦するも、2勝4敗で惜敗した。
その後3シーズンはプレーオフ不出場のシーズンが続き、迎えた2013-14シーズンは、ヘッドコーチにOBのジェフ・ホーナセックを任命。コーチ未経験だったホーナセックだったが、チームを見事に立て直し48勝34敗を記録するも、レベルの高いウェスタンカンファレンスで9位に終わり、惜しくもプレーオフ進出とはならなかった。
シーズンごとの成績
テンプレート:NBA SBS
|-
| colspan="6" align=center bgcolor="#423189" | テンプレート:Color
|-
|1968-69 || 16 || 66 || .195 || ||
|-
|1969-70 || 39 || 43 || .476 || ディビジョン準決勝敗退 || レイカーズ 4, サンズ 3
|-
|1970-71 || 48 || 34 || .585 || ||
|-
|1971-72 || 49 || 33 || .598 || ||
|-
|1972-73 || 38 || 44 || .463 || ||
|-
|1973-74 || 30 || 52 || .366 || ||
|-
|1974-75 || 32 || 50 || .390 || ||
|-
|1975-76 || 42 || 40 || .512 || カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退 || サンズ 4, ソニックス 2
サンズ 4, ウォリアーズ 3
セルティックス 4, サンズ 2
|-
|1976-77 || 34 || 48 || .415 || ||
|-
|1977-78 || 49 || 33 || .598 || 1回戦敗退 || バックス 2, サンズ 0
|-
|1978-79 || 50 || 32 || .610 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退 || サンズ 2, ブレイザーズ 1
サンズ 4, カンザスシティ 1
ソニックス 4, サンズ 3
|-
|1979-80 || 55 || 27 || .671 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || サンズ 2, カンザスシティ 1
レイカーズ 4, サンズ 1
|-
|1980-81 || 57 || 25 || .695 || カンファレンス準決勝敗退 || カンザスシティ 4, サンズ 3
|-
|1981-82 || 46 || 36 || .561 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || サンズ 2, ナゲッツ 1
レイカーズ 4, サンズ 0
|-
|1982-83 || 53 || 29 || .646 || 1回戦敗退 || ナゲッツ 2, サンズ 1
|-
|1983-84 || 41 || 41 || .500 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退 || サンズ 3, ブレイザーズ 2
サンズ 4, ジャズ 2
レイカーズ 4, サンズ 2
|-
|1984-85 || 36 || 46 || .439 || 1回戦敗退 || レイカーズ 3, サンズ 0
|-
|1985-86 || 32 || 50 || .390 || ||
|-
|1986-87 || 36 || 46 || .439 || ||
|-
|1987-88 || 28 || 54 || .341 || ||
|-
|1988-89 || 55 || 27 || .671 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退 || サンズ 3, ナゲッツ 0
サンズ 4, ウォリアーズ 1
レイカーズ 4, サンズ 0
|-
|1989-90 || 54 || 28 || .659 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退 || サンズ 3, ジャズ 2
サンズ 4, レイカーズ 1
ブレイザーズ 4, サンズ 2
|-
|1990-91 || 55 || 27 || .671 || 1回戦敗退 || ジャズ 3, サンズ 1
|-
|1991-92 || 53 || 29 || .646 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || サンズ 3, スパーズ 0
ブレイザーズ 4, サンズ 1
|-
|1992-93 || 62 || 20 || .756 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退 || サンズ 3, レイカーズ 2
サンズ 4, スパーズ 2
サンズ 4, ソニックス 3
ブルズ 4, サンズ 2
|-
|1993-94 || 56 || 26 || .683 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || サンズ 3, ウォリアーズ 0
ロケッツ 4, サンズ 3
|-
|1994-95 || 59 || 23 || .720 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 ||サンズ 3, ブレイザーズ 0
ロケッツ 4, サンズ 3
|-
|1995-96 || 41 || 41 || .500 || 1回戦敗退 || スパーズ 3, サンズ 1
|-
|1996-97 || 40 || 42 || .488 || 1回戦敗退 || ソニックス 3, サンズ 2
|-
|1997-98 || 56 || 26 || .683 || 1回戦敗退 || スパーズ 3, サンズ 1
|-
|1998-99 || 27 || 23 || .540 || 1回戦敗退 || ブレイザーズ 3, サンズ 0
|-
|1999-00 || 53 || 29 || .646 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || サンズ 3, スパーズ 1
レイカーズ 4, サンズ 1
|-
|2000-01 || 51 || 31 || .622 || 1回戦敗退 || キングス 3, サンズ 1
|-
|2001-02 || 36 || 46 || .439 || ||
|-
|2002-03 || 44 || 38 || .537 || 1回戦敗退 || スパーズ 4, サンズ 2
|-
|2003-04 || 29 || 53 || .354 || ||
|-
|2004-05 || 62 || 20 || .756 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退 || サンズ 4, グリズリーズ 0
サンズ 4, マーベリックス 2
スパーズ 4, サンズ 1
|-
|2005-06 || 54 || 28 || .659 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退 || サンズ 4, レイカーズ 3
サンズ 4, クリッパーズ 3
マーベリックス 4, サンズ 2
|-
|2006-07 || 61 || 21 || .744 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || サンズ 4, レイカーズ 1
スパーズ 4, サンズ 2
|-
|2007-08 || 55 || 27 || .671 || 1回戦敗退 || スパーズ 4, サンズ 1
|-
|2008-09 || 46 || 36 || .561 || ||
|-
|2009-10 || 54 || 28 || .659 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退 || サンズ 4, ブレイザーズ 2
サンズ 4, スパーズ 0
レイカーズ 4, サンズ 2
|-
|2010-11 || 40 || 42 || .488 || ||
|-
|2011-12 || 33 || 33 || .500 || ||
|-
|2012-13 || 25 || 57 || .305 || ||
|-
|2013-14 || 48 || 34 || .585 || ||
|-
!通算勝敗 || 2060 || 1664 || .553 || ||
|-
!プレイオフ || 132 || 141 || .484 || ||
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主な選手
現役選手
年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2 1960年代
- ディック・バン・アースデール (Dick Van Arsdale) :1968-1977
- ガイル・グッドリッチ (Gail Goodrich) :1968-1970
- コニー・ホーキンズ (Connie Hawkins) :1969-1973
- ポール・サイラス (Paul Silas) :1969-1972
- ニール・ウォーク (Neal Walk) :1969-1974
1970年代 (プレイオフ進出:3回 ファイナル進出:1回)
- チャーリー・スコット (Charlie Scott) :1972-1975
- アルヴァン・アダムス (Alvan Adams) :1975-1988
- ポール・ウェストファル (Paul Westphal) :1975-1980、1983-1984
- ウォルター・デイビス (Walter Davis) :1978-1988
- トラック・ロビンソン (Truck Robinson) :1979-1982
1980年代 (プレイオフ進出:7回)
- デニス・ジョンソン (Dennis Johnson) :1980-1983
- ラリー・ナンス (Larry Nance) :1981-1988
- モーリス・ルーカス (Maurice Lucas) :1982-1985
- ジェフ・ホーナセック (Jeff Hornacek) :1986-1992
- エディー・ジョンソン (Eddie Johnson) :1988-1990
- ケビン・ジョンソン (Kevin Johnson) :1988-1998、2000
- ダン・マーリー (Dan Majerle) :1988-1995、2001-2002
- トム・チェンバーズ (Tom Chambers) :1988-1993
- マーク・ウェスト (Mark West) :1988-1994、1999-2000
テンプレート:Col-2 1990年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:1回)
- チャールズ・バークレー (Charles Barkley) :1992-1996 (M)(50)
- ダニー・エインジ (Danny Ainge) :1992-1995
- レックス・チャップマン (Rex Chapman) :1996-2000
- ジェイソン・キッド (Jason Kidd) :1996-2001
- スティーブ・ナッシュ (Steve Nash) :1996–1998、2004-2012
- クリフォード・ロビンソン (Clifford Robinson) :1997-2001
- トム・ググリオッタ (Tom Gugliotta) :1998-2004
- アンファニー・ハーダウェイ (Anfernee Hardaway) :1999-2004
- ショーン・マリオン (Shawn Marion) :1999-2008
2000年代 (プレイオフ進出:6回)
- ステフォン・マーブリー (Stephon Marbury) :2001-2004
- ジョー・ジョンソン (Joe Johnson) :2002-2005
- アマレ・スタウダマイアー (Amare Stoudemire) :2002-2010
- リアンドロ・バルボサ (Leandro Barbosa) :2003-2010
- ラジャ・ベル (Raja Bell) :2005-2008
- グラント・ヒル (Grant Hill) :2007-2012
- シャキール・オニール (Shaquille O'Neal) :2008-2009
- ロビン・ロペス (Robin Lopez) :2008-2012
- ジェイソン・リチャードソン (Jason Richardson) :2008-2010
2010年代 (プレイオフ進出:1回) テンプレート:Col-end
栄誉
殿堂入り
- ガイル・グッドリッチ (Gail Goodrich) :1968-1970
- コニー・ホーキンズ (Connie Hawkins)
- チャールズ・バークレー (Charles Barkley)
永久欠番
- 5 ディック・バン・アースデール (Dick Van Arsdale)
- 6 ウォルター・デイビス (Walter Davis)
- 7 ケビン・ジョンソン (Kevin Johnson)
- 9 ダン・マーリー (Dan Majerle)
- 24 トム・チェンバーズ (Tom Chambers)
- 33 アルヴァン・アダムス (Alvan Adams)
- 34 チャールズ・バークレー (Charles Barkley)
- 42 コニー・ホーキンズ (Connie Hawkins)
- 44 ポール・ウェストファル (Paul Westphal)
- 832 コットン・フィッツシモンズ (Cotton Fitzsimmons) ヘッドコーチとしての勝利数。
- ジョー・プロスキ (Joe Proski) - トレイナー
コーチ、その他
歴代ヘッドコーチ
- ジョン・カー (John Kerr) (1968-69/1969-70)
- ジェリー・コランジェロ (Jerry Colangelo) (1969-70)
- コットン・フィッツシモンズ (Cotton Fitzsimmons) (1970-71/1971-72)
- ビル・ヴァン・ブレダクロフ (Bill Van BredaKloff) (1972-73)
- ジェリー・コランジェロ (Jerry Colangelo) (1972-73)
- ジョン・マクリード (John MacLeod) (1973-74/1986-87)
- ディック・ヴァン・アースデイル (Dick Van Arsdale) (1986-87)
- ジョン・ウェッツェル (John Wetzel) (1987-88)
- コットン・フィッツシモンズ (Cotton Fitzsimmons) (1988-89/1991-92)
- ポール・ウェストファル (Paul Westphal) (1992-93/1995-96)
- コットン・フィッツシモンズ (Cotton Fitzsimmons) (1995-96/1996-97)
- ダニー・エインジ (Danny Ainge) (1996-97/1999-00)
- スコット・スカイルズ (Scott Skiles) (1999-00/2001-02)
- フランク・ジョンソン (Frank Johnson) (2001-02/2003-04)
- マイク・ダントーニ (Mike D'Antoni) (2003-04/2007-08)
- テリー・ポーター (Terry Porter) (2008-09)
- アルビン・ジェントリー (Alvin Gentry) (2008-09/2012-2013)
- リンジー・ハンター (Lindsey Hunter) (2012-2013)
殿堂入り
日本人プレイヤー
日本での公式戦
- 1990年11月に、ユタ・ジャズと共に来日し東京体育館で公式戦2試合を行った。アメリカのスポーツにおいて北米以外で行われた初めての公式戦だった。ケビン・ジョンソンとトム・チェンバースが共に1試合平均28.5得点を叩き出したが、対戦成績は1勝1敗の5分に終わった。