チャールズ・バークレー
テンプレート:バスケットボール選手 チャールズ・ウェイド・バークレー(Charles Wade Barkley,1963年2月20日-)はアメリカ合衆国アラバマ州リーズ出身のバスケットボール選手。NBAで16シーズンプレーした。1992年バルセロナオリンピックと1996年アトランタオリンピックの金メダリスト。2006年にバスケットボール殿堂入り。「チャールズ・バークリー」と表記されることもある。
NBA史上、(生涯)通算得点20,000P、通算リバウンド数10,000R、通算アシスト数4,000Aを超えた5人の選手の一人。インサイドを完全に支配できた、NBA史上最高のパワーフォワードと謳われている。公称身長198cm(実際は193-195cm程度と自認)ながら、非常に体重(横幅)のある選手であった。その巨体に見合わぬ、高い運動能力と技術を有していた。大変な毒舌家であり、歯に衣着せぬ物言いでも有名。コートの内外にかかわらず、話題に欠けることのない人物。愛称は「空飛ぶ冷蔵庫(小山)」「サー・チャールズ」
目次
経歴
学生時代
オーバーン大学でプレイしていた頃に頭角を表し始める。この頃には既に身長にしては体重があり、それをからかう記者などもいた。跳躍力と体重を活かしたリバウンドを持ち味に評価を高め、ついには1984年のオリンピック代表候補となるが、最終的には選考から漏れている。
フィラデルフィア・76ers
1984年のドラフトで、フィラデルフィア・セブンティシクサーズ(76ers)より全体5位で指名を受ける。Dr.Jこと ジュリアス・アービングやモーゼス・マローンら歴史に残る名選手に囲まれながらも、バークレーは次第に存在感を示すようになり、1987年にはオールスター戦出場を果たす。
個人成績はリーグ屈指のスター選手にふさわしいものになっていたが、チーム成績は降下していき、バークリーはチームのフロントに不満を持つようになる。1992年、ドリームチームの一員として金メダルを獲得した後、自ら志願したトレードによりフェニックス・サンズへと移籍。
フェニックス・サンズ
新チームに移ったそのシーズン、リーグ屈指のPGケビン・ジョンソンとバークレーを中心にサンズはブルズをも上回るリーグ最高の62勝20敗という成績を上げ、バークリーはMVPを受賞。NBAファイナルに進出、マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズと対戦。シリーズはブルズの勝利で終わり、バークリーは悲願の優勝を逃す。
この次期以降、バークリーは怪我がちになり欠場が増えるようになり、また同じくチームの柱であったケビン・ジョンソン、ダニー・マニングといった他のオールスター級の選手が軒並み怪我を起こし、サンズは唯一ダン・マーリーだけが安定して出続ける満身創痍のチームとなりブルズに対抗できるスター軍団と目されていたにもかかわらず、結果を残す事が出来ずに二度とNBAファイナルへの進出はならず、バークレーとチームオーナー、ジェリー・コランジェロの間の確執が表面化する。
ヒューストン・ロケッツ
1996年、バークリーは優勝できる新天地を求めヒューストン・ロケッツに移籍。アキーム・オラジュワンやクライド・ドレクスラーといった当時を代表する選手をチームメートに得る。しかしNBAファイナル進出はならず、1998年にドレクスラーは引退。翌シーズンは入れ替わりにスコッティ・ピッペンが加入するもののまたもやファイナル進出は果たせなかった。1999年12月8日の76ers戦で左膝の腱断裂という全治6か月の重傷を負い、その翌日にシーズン限りでの引退を発表した。しかし、怪我を負いコートから担ぎ出される姿で終わりたくないとの思いからリハビリを開始。見事に最終戦に間に合わせ、わずか6分間であるが出場し、リバウンド、ゴールも記録した。
引退後
引退後はTNTでコメンテーターの仕事をしている。現役時代には映画『ホットショット』でビル・レインビアとともにカメオ出演し、また『スペース・ジャム』ではマイケル・ジョーダンらと共演した。
1996年にNBA創設50周年を記念して選出された「50年の歴史で偉大な50人の選手」の一人。10年後の2006年にはバスケットボール殿堂に迎え入れられた。2004年、バークリーがフェニックス・サンズで使用していた背番号34が同チームで永久欠番となった。
時折彼がアラバマ州知事選に出馬するとの噂がのぼり、その度バークリー自身はそれを否定してきたが、2006年には2010年の知事選出馬に意欲を見せた。バークリーは従来共和党支持を明言していたが、2010年の知事選に出る場合には民主党からの出馬になると述べた。
プレイスタイル
NBA史上最高のパワーフォワードと謳われる存在。類稀なオリジナリティを持ったプレイヤーとしてカリスマ的な評価を受けている。
身長198cm(実際は193-195cm)とガード並だが、常時体重115kgをオーバーする非常に大柄な選手であった。フォワードとしては低身長だったが、屈強な肉体を活かしてセンターをも圧倒。バークレーは重量級ながらも極めて高い運動能力を有しており、コート上を端から端まで高速で駆け抜けるスピード、リングの遥か上まで手が届く豊かな跳躍力を発揮した。高い運動能力と巨躯が生み出す圧力で、2メートルを超える大男たちを打ち負かした。
リーグ屈指のオールラウンダーであり、得点、パス、リバウンド、ブロックショットといったあらゆる部門において毎試合高度なパフォーマンスを魅せた。圧倒的パワー、広いウイングスパン、高い跳躍でリバウンドを制し、豪快なリバウンドダンクをフィニッシュパターンに持ってくることも多かった。インサイドで暴れまくり得点を量産する反面、マッチアップマンとの1on1では優れたクイックネスで翻弄。アウトサイドプレイにも長けており、ミドルレンジだけでなくロングジャンパーも高確率で沈めてどこからでも得点できた。ボールハンドリングも武骨な容姿からは想像できないほど巧く、バークレー自身が攻撃の起点となり敵チームの隙を突いたパス捌きでアシストも多く記録。特に有名なのが、トップポジションからバックビハインドでゴール下へアシストしたプレイで、ハイライトによく使われている。20cm以上の身長差を物ともしない豪快なブロックショットは圧巻の一言。
過度なハッスルプレイや奇想天外な言動、あからさまなラフプレイが引き起こした数々のトラブルから、「冷静沈着」の対極に位置する人物として認識されやすい。しかし、稀有な高いバスケットボールIQと要所で機転を利かせられるクレバーなプレイスタイルを持ち合わせているため、決して一筋縄ではいかないプレイヤーであった。
大変な毒舌家であり、ラフプレイと口の悪さでマッチアップマンを苛立たせるNBA史上屈指のトラッシュ・トーカーだったが、抜群のユーモアセンスでファンが多かった。
キャリア通算(一試合平均),22.1得点,11.7リバウンド,3.9アシスト
ユーモアの1例
- トイレで小銭を便器に落としたとき、わざと紙幣をもトイレに落としてから小銭と紙幣を一緒に拾って
「だって、こんなはした金のために手を汚す気にならないだろ」
- 「(沈没船が題材の映画)タイタニックを見ましたか?」とインタビューで聞かれ、
「あぁ、見たよ。ダラスにデンバーに・・(全て当時の弱小チーム)」
- (敬虔なクリスチャンとして有名な)ACグリーンに対し、
「なぁ、神様がそんなにいいモノなら、なんでお前にジャンプ・ショットを授けてくれなかったんだろうな」
- ある年のドラフトで、最初から高卒選手の指名が続き、シェーン・バティエが指名されたときに
「やっと酒の飲めるヤツが入ってきたぜ」
その他
- 横幅のある体型と並外れた跳躍力から「空飛ぶ冷蔵庫」の異名を取った。
- とんねるずの生でダラダラいかせて!!で石橋貴明らとバスケットの試合をした。バークレー側が勝利する。
- エースコックのカップラーメン「豚キムチ」のCMに出演したことがある。また、ナイキのCMではゴジラと対決したこともある。
- 2006年5月3日のESPNのインタビューで、自身のギャンブル癖を認めると共にこれまでに1000万ドル以上を失ったと告白。金には困っていないようで止める気は全く無い様子。
- 姚明がドラフトで指名された時、ケニー・スミスを相手に、「もし姚明が20得点出来たら、スミスの“尻”にキスする」という賭けをしたが、姚が20得点を記録し賭けに負けてしまう。結局、スミスが“ロバ”を用意し、それにキスすることで落着となった(尻、ロバは共に英語で“ass”)。なお、キスの模様の映像は全米に放送された。
- マイケル・ジョーダンとはライバルでありながら親友であり、一緒にゴルフをする仲。
外部リンク
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