村田勝喜
テンプレート:Infobox baseball player 村田 勝喜(むらた かつよし、1969年9月18日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手)。
村田兆治と同姓のため、ホークス時代は「兆治(ちょうじ)」と呼ばれた。
来歴・人物
星稜高等学校を経て、テンプレート:Byのドラフト6位で南海ホークスに入団。ドラフト最下位指名の高卒選手であったにもかかわらず、プロ1年目のテンプレート:By終盤に頭角を現し、将来性の高い二枚目の速球投手として注目された。南海ホークスとして最後の試合となった10月20日(いわゆる「10.19」の翌日)の川崎球場での対ロッテオリオンズ戦にも2番手の投手として登板している(その結果、南海ホークス最後の敗戦投手となった)。
球団名がダイエーに変わった翌テンプレート:Byに7勝を挙げ、この年絶不調だった南海時代のエース山内孝徳に代わる新エースとして一躍有名になった。その後もダイエー黎明期のエースとして活躍し、低迷時代のチームを支え続けた。テンプレート:Byオフ、秋山幸二・渡辺智男・内山智之3選手との交換トレードで、佐々木誠・橋本武広両選手と共に西武ライオンズに移籍した[1] 。ダイエー時代はバックが弱かったため、好投してもなかなか勝てないことが多かったが、黄金時代の西武に移籍し名実と共にリーグを代表する投手になると思われた。しかし全くの不振(登板中にぎっくり腰になるなど)で、2年間で4勝しか挙げられなかった。当時について村田は「柄にもなく、細かいコントロールを狙って、小手先の投球になっていた」と振りかえった[2]。
テンプレート:Byオフ、清水雅治・前原博之2選手との交換トレードで、山野和明と共に中日ドラゴンズに移籍した。年俸は6,500万円(推定)。当時星野仙一監督から「(この年トレードで獲得した)村田と前田で20勝は計算できる」と言われたが、結局拾い物の1勝のみに終わり、4月28日に登録抹消されてからは一軍のマウンドに戻ることはなかった。契約更改では5800万円(推定)に大幅ダウン。同年シーズン終了間際にはハワイ・ウィンターリーグへ武者修行に出るなど心機一転を図った[3]がテンプレート:Byも2勝のみに終わり、この年限りで現役引退。引退後は会社経営の傍ら、地元・北陸に本拠地を置く福祉関係NPOの役員として活動。
西武移籍後の不振はダイエー時代自由にのびのびとやっていたものが西武で急に管理され、それが水に合わなかったとも言われている。東尾修監督に交代した後はダイエー時代の様にのびのびやらせたが、それでも調子が戻らなかった。また、ストレート・スライダー・カーブが持ち球であったが、そこにフォークを覚えてしまったことでそれまでの持ち球のキレ・コントロールが悪くなってしまったことも影響していると言われている。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 南海 ダイエー |
7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 72 | 16.0 | 20 | 2 | 6 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 10 | 6 | 3.38 | 1.63 |
テンプレート:By2 | 25 | 21 | 4 | 1 | 0 | 7 | 8 | 0 | -- | .467 | 593 | 130.0 | 117 | 15 | 88 | 4 | 6 | 107 | 2 | 0 | 72 | 57 | 3.95 | 1.58 | |
テンプレート:By2 | 27 | 26 | 9 | 1 | 0 | 7 | 15 | 0 | -- | .318 | 789 | 175.2 | 179 | 29 | 92 | 5 | 6 | 143 | 4 | 0 | 117 | 113 | 5.79 | 1.54 | |
テンプレート:By2 | 23 | 23 | 15 | 1 | 0 | 13 | 9 | 0 | -- | .591 | 790 | 188.0 | 166 | 17 | 70 | 0 | 7 | 155 | 3 | 1 | 81 | 74 | 3.54 | 1.26 | |
テンプレート:By2 | 25 | 23 | 12 | 1 | 0 | 10 | 9 | 0 | -- | .526 | 775 | 181.2 | 162 | 18 | 76 | 1 | 4 | 123 | 5 | 0 | 79 | 74 | 3.67 | 1.31 | |
テンプレート:By2 | 25 | 25 | 14 | 1 | 1 | 10 | 12 | 0 | -- | .455 | 817 | 196.1 | 171 | 10 | 81 | 4 | 5 | 127 | 3 | 0 | 74 | 70 | 3.21 | 1.28 | |
テンプレート:By2 | 西武 | 25 | 20 | 3 | 1 | 0 | 4 | 5 | 0 | -- | .444 | 476 | 101.1 | 104 | 9 | 69 | 1 | 4 | 82 | 3 | 0 | 60 | 51 | 4.53 | 1.71 |
テンプレート:By2 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 79 | 17.2 | 14 | 1 | 12 | 0 | 2 | 12 | 1 | 0 | 12 | 12 | 6.11 | 1.47 | |
テンプレート:By2 | 中日 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 61 | 12.2 | 15 | 4 | 6 | 0 | 1 | 14 | 0 | 0 | 14 | 14 | 9.95 | 1.66 |
テンプレート:By2 | 11 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 167 | 34.0 | 42 | 7 | 24 | 0 | 2 | 21 | 0 | 0 | 24 | 24 | 6.35 | 1.94 | |
通算:10年 | 181 | 150 | 57 | 6 | 1 | 54 | 65 | 0 | -- | .454 | 3900 | 1053.1 | 990 | 112 | 524 | 15 | 37 | 794 | 22 | 1 | 543 | 495 | 4.23 | 1.44 |
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- 各年度の太字はリーグ最高
- 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更
表彰
- 月間MVP:2回(1991年6月、1993年5月)
記録
- 初登板:1988年9月20日、対近鉄バファローズ23回戦(日生球場)、8回裏に4番手で救援登板・完了、1回1失点
- 初奪三振:同上、8回裏にラルフ・ブライアントから
- 初先発:1988年10月1日、対日本ハムファイターズ25回戦(大阪球場)、5回1失点
- 初勝利・初先発勝利:1989年5月10日、対オリックス・ブレーブス5回戦(グリーンスタジアム神戸)、7回2/3を1失点
- 初完投:1989年8月20日、対近鉄バファローズ22回戦(新大分球場)、9回5失点(自責点2)で敗戦投手
- 初完投勝利・初完封勝利:1989年8月31日、対西武ライオンズ22回戦(西武ライオンズ球場)
- 1000投球回数:1995年8月3日、対近鉄バファローズ17回戦(藤井寺球場)、1回裏2死目に達成 ※史上262人目
- オールスターゲーム出場:2回 (1991年、1993年)
背番号
- 50 (1988年 - 1989年)
- 15 (1990年 - 同年途中)
- 18 (1990年途中 - 1993年)
- 21 (1994年 - 1997年)