李鍾範
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テンプレート:Infobox baseball player 李 鍾範(イ・ジョンボム、1970年8月15日 - )は、大韓民国の光州広域市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、野球指導者。右投げ右打ち。
目次
来歴
ヘテ時代
テンプレート:By、ヘテ・タイガースに入団。1年目からレギュラー選手として出場し、テンプレート:Byには首位打者と盗塁王を獲得するなど、主力の一人として活躍。
中日時代
テンプレート:By、移籍金4億5000万円、年俸8000万円(推定)で中日ドラゴンズに移籍した。中日での登録名はリー・ジョンボム。当初は李ではなくロベルト・ペタジーニの獲得が検討されていたが、投手力を中心とした「守り勝つ野球」を重視する当時の星野仙一監督の意向により、結局中日はペタジーニではなく李を獲得する方針に切り替えたというエピソードがある。[1]
バットコントロールの良さや盗塁王3回の実績を評して、『韓国のイチロー』(ただし李は右打者である)と呼ばれた。移籍1年目の開幕戦にはスタメンで出場を果たした。俊足好打の1番打者であったが遊撃手の守備には問題が多く、この年67試合で12失策を数えた。しかし、守備範囲は広く、打球を諦めない姿勢は監督の星野仙一好みであった。盗塁も日本の投手の技術の高さ(クイック投法など)を前に、ヘテ時代のようにはできなかった。6月23日に、阪神タイガースの川尻哲郎から受けた右肘への死球により骨折し長期離脱。シーズン中に復帰するものの、死球への恐れからか以前のような思い切りの良さが消えてしまった。リハビリ中から守備の不安を解消するため、俊足を生かして外野手に転向。テンプレート:Byのリーグ優勝にも主力選手として出場したが、外国人枠を使うことを考えると成績は芳しくなく、テンプレート:Byには強力外野陣に割って入れず、選手起用を不満としてシーズン途中で退団した。
起亜時代
その後帰国し、ヘテ・タイガースを買収した起亜タイガースに復帰した。
ポジションはヘテ時代の遊撃手ではなく、日本での経験を生かし外野に転向し主力として活躍した。テンプレート:Byには7年ぶり4回目の盗塁王のタイトルを獲得した。
テンプレート:By、WBC韓国代表に選出されて主将を務め、大会での活躍が認められ外野のベストナインに選ばれた。しかし、シーズン中は考えられない大不振に陥ってしまい、二軍落ちも経験してしまう。結局この年は打率.242、本塁打1本、打点21と打撃三部門だけでなく、盗塁(10)・長打率・出塁率などが、入団以来最低の記録になってしまった。
テンプレート:Byは、シーズン当初は2番だったが、調子が上がらず打率も1割台に低迷して9番に降格となった。5月17日の現代ユニコーンズ戦で実に1年ぶりの本塁打を放った。しかし調子は一向に上がらず、このシーズンを84試合、打率.174、1本塁打、18打点、3盗塁と、前年の成績を更に下回り、いよいよ引退かと囁かれた。起亜は李とのテンプレート:Byの契約を、前年から60%もの大幅ダウンとなる2億ウォンで結んだ。同年5月の月間MVPを獲得。計110試合に出場し復活をアピールしたが、オフには引退し指導者への転身を球団から勧められた。しかし本人は現役続行を希望し、テンプレート:Byも前年と現状維持の年俸2億ウォンで契約を結んだ。
背水の陣で臨んだ2009年は123試合に出場し、12年ぶりの公式戦、韓国シリーズ優勝を飾ったチームの快進撃に貢献し、韓国プロ野球史上2人目の通算500盗塁を達成した。起亜が優勝を決めた韓国シリーズ第7戦では、試合後に選手達から胴上げされた。
2010年、日韓通算2000本安打を達成した。年長選手の引退により、2011年からは韓国プロ野球界最年長選手となった。2012年は海外春季キャンプも順調に消化し、示範競技(オープン戦に相当)にも出場していたが、宣銅烈監督など首脳陣は開幕1軍から外れ、2軍でプレイングコーチに就任することを提案した。しかしこれを拒否し、公式戦開幕の1週間前の3月31日、突如現役引退を発表した。起亜入団後引退までつけていた背番号7は、宣銅烈に次いで球団史上2人目となる永久欠番となった。起亜からの指導者研修の提案を断り、引退後は当面の間解説者など目立った活動をしないことを、4月5日、公式記者会見の場で明らかにした。2012年5月26日、起亜の本拠地・無等野球場で引退セレモニーが行われた。すでに引退の手続きを取っていたため試合には出場しなかったが、この日すべての起亜の選手が背番号7の李鍾範の名前が書かれたユニフォームを着用した。
指導者経歴
2012年10月10日、ヘテ時代の監督だった金応龍が新監督に就任したこともあり、ハンファ・イーグルスの走塁コーチに就任し、指導者の道を歩くことになった。
人物
ヘテ時代の先輩である宣銅烈を慕って中日ドラゴンズに移籍した。同時期に在籍した韓国人左腕・李尚勲(登録名:サムソン・リー)と共に韓国三銃士とも呼ばれた。宣銅烈もそうであったように、将来は日本で指導者の勉強がしたいとも語っている。
「李鐘範」と名前を誤記されることが多いが、正しくは金へんに重の「李鍾範」である。通常NHKでは朝鮮名に対し漢字表記はしないため、NHKでは「リー」とカタカナ表記だったのに対して、民放各局では「李」と漢字表記だった。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | ヘテ | 126 | 525 | 475 | 85 | 133 | 16 | 4 | 16 | 205 | 53 | 73 | 19 | 8 | 4 | 32 | 2 | 6 | 35 | 11 | .280 | .331 | .432 | .762 |
テンプレート:By2 | 124 | 561 | 499 | 113 | 196 | 27 | 5 | 19 | 290 | 77 | 84 | 15 | 1 | 4 | 51 | 14 | 6 | 31 | 2 | .393 | .452 | .581 | 1.033 | |
テンプレート:By2 | 63 | 272 | 239 | 41 | 78 | 10 | 2 | 16 | 140 | 35 | 32 | 3 | 0 | 3 | 28 | 4 | 2 | 20 | 5 | .326 | .397 | .586 | .983 | |
テンプレート:By2 | 113 | 525 | 449 | 94 | 149 | 28 | 1 | 25 | 254 | 76 | 57 | 12 | 0 | 2 | 67 | 15 | 7 | 39 | 4 | .332 | .425 | .566 | .990 | |
テンプレート:By2 | 125 | 577 | 484 | 112 | 157 | 28 | 3 | 30 | 281 | 74 | 64 | 15 | 0 | 3 | 87 | 30 | 3 | 49 | 9 | .324 | .428 | .581 | 1.009 | |
テンプレート:By2 | 中日 | 67 | 290 | 244 | 38 | 69 | 11 | 3 | 10 | 116 | 29 | 18 | 8 | 3 | 1 | 36 | 2 | 6 | 33 | 4 | .283 | .387 | .475 | .862 |
テンプレート:By2 | 123 | 484 | 424 | 76 | 101 | 20 | 5 | 9 | 158 | 33 | 24 | 7 | 13 | 2 | 38 | 1 | 7 | 62 | 6 | .238 | .310 | .373 | .683 | |
テンプレート:By2 | 113 | 465 | 414 | 58 | 114 | 26 | 2 | 8 | 168 | 37 | 11 | 8 | 13 | 2 | 28 | 0 | 8 | 70 | 6 | .275 | .332 | .406 | .738 | |
テンプレート:By2 | 8 | 13 | 13 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .154 | .154 | .231 | .385 | |
起亜 | 45 | 214 | 188 | 45 | 64 | 14 | 1 | 11 | 113 | 37 | 7 | 5 | 2 | 3 | 20 | 0 | 1 | 16 | 5 | .340 | .401 | .601 | 1.002 | |
テンプレート:By2 | 123 | 546 | 485 | 93 | 142 | 25 | 2 | 18 | 225 | 59 | 35 | 5 | 4 | 1 | 43 | 5 | 13 | 63 | 7 | .293 | .365 | .464 | .829 | |
テンプレート:By2 | 132 | 595 | 524 | 110 | 165 | 43 | 1 | 20 | 270 | 61 | 50 | 10 | 1 | 4 | 59 | 5 | 7 | 58 | 8 | .315 | .389 | .515 | .904 | |
テンプレート:By2 | 133 | 577 | 493 | 100 | 128 | 29 | 0 | 17 | 208 | 52 | 42 | 7 | 12 | 2 | 53 | 1 | 17 | 50 | 9 | .260 | .350 | .422 | .772 | |
テンプレート:By2 | 118 | 495 | 430 | 69 | 134 | 25 | 2 | 6 | 181 | 36 | 28 | 5 | 7 | 0 | 47 | 2 | 11 | 49 | 8 | .312 | .393 | .421 | .814 | |
テンプレート:By2 | 93 | 379 | 339 | 41 | 82 | 18 | 1 | 1 | 105 | 21 | 10 | 7 | 11 | 0 | 24 | 2 | 5 | 43 | 3 | .242 | .302 | .310 | .611 | |
テンプレート:By2 | 84 | 282 | 253 | 23 | 44 | 6 | 0 | 1 | 53 | 18 | 3 | 2 | 10 | 4 | 13 | 0 | 2 | 25 | 6 | .174 | .217 | .209 | .426 | |
テンプレート:By2 | 110 | 362 | 317 | 38 | 90 | 19 | 4 | 1 | 120 | 38 | 9 | 3 | 9 | 3 | 32 | 0 | 1 | 26 | 11 | .284 | .348 | .379 | .727 | |
テンプレート:By2 | 123 | 449 | 385 | 63 | 105 | 21 | 1 | 6 | 146 | 40 | 11 | 1 | 12 | 6 | 41 | 1 | 5 | 50 | 9 | .273 | .346 | .379 | .725 | |
テンプレート:By2 | 97 | 286 | 265 | 36 | 65 | 16 | 1 | 4 | 95 | 29 | 2 | 2 | 6 | 0 | 15 | 0 | 3 | 33 | 5 | .245 | .293 | .379 | .619 | |
テンプレート:By2 | 97 | 258 | 235 | 27 | 65 | 15 | 1 | 3 | 91 | 24 | 3 | 2 | 12 | 3 | 22 | 1 | 1 | 35 | 6 | .277 | .337 | .387 | .724 | |
KBO:16年 | 1706 | 6784 | 6060 | 1100 | 1797 | 340 | 29 | 194 | 2777 | 730 | 510 | 113 | 95 | 42 | 634 | 82 | 90 | 622 | 108 | .297 | .372 | .458 | .830 | |
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NPB:4年 | 311 | 1252 | 1095 | 174 | 286 | 58 | 10 | 27 | 445 | 99 | 53 | 23 | 29 | 5 | 102 | 3 | 21 | 169 | 16 | .261 | .334 | .358 | .741 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- ヘテ(ヘテ・タイガース)は、2001年途中に起亜(起亜タイガース)に球団名を変更
タイトル
- KBO
- 首位打者:1回 (1994年)
- 盗塁王:4回 (1994年、1996年、1997年、2004年)
- 最多安打:1回 (1994年)
- 最高出塁率:1回 (1994年)
- 最多得点:5回 (1993年、1994年、1996年、1997年、2003年)
表彰
- KBO
- MVP:1回 (1994年)
- 韓国シリーズMVP:2回 (1993年、1997年)
- ゴールデングラブ賞:6回 (1993年、1994年、1996年、1997年、2002年、2003年)
- KBOオールスターゲームMVP:1回(2003年)
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1998年4月3日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、1番・遊撃手として先発出場
- 初安打:1998年4月4日、対広島東洋カープ2回戦(広島市民球場)、1回表にネイサン・ミンチーから右中間へエンタイトル二塁打
- 初打点:1998年4月5日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、8回表に小林幹英から右前決勝適時打
- 初盗塁:1998年4月7日、対阪神タイガース1回戦(ナゴヤドーム)、1回裏に二盗(投手:竹内昌也、捕手:山田勝彦)
- 初本塁打:1998年4月8日、対阪神タイガース2回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に山岡洋之から左越2ラン
背番号
- 7 (1993年 - 1997年、1999年途中 - 2012年)
- 8 (1998年 - 1999年途中)[2]
- 73 (2013年 - )