田代富雄

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テンプレート:Infobox baseball player 田代 富雄(たしろ とみお、1954年7月9日 - )は、神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手内野手)、監督コーチ野球解説者

2013年から東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍打撃コーチを務める。

来歴

現役時代

当初は投手で、小田原市立酒匂中学校在学時はエースだった。藤沢商業高等学校(現藤沢翔陵高等学校)に進学し、2年生の時、野手三塁手)に転向した。1973年のドラフト大洋ホエールズに3位で指名され入団。背番号は生涯26番だった。

テンプレート:By、一軍に初昇格。テンプレート:By4月、11本塁打を放って月間MVPを獲得。三塁手のレギュラーに定着し、130試合フル出場。

長打力のある打者で、テンプレート:Byには開幕戦で3本塁打を放つなど主力として[1]チームの2位躍進に貢献。テンプレート:Byには自己最多の36本塁打を記録。現役前半は主に三塁、後半は一塁を守る事が多かった。1980年から6年連続20本塁打以上、1977年から10年連続2桁本塁打の記録を残し、大洋の主砲として活躍。

テンプレート:By6月18日の対広島東洋カープ戦にて一塁の守備中、打者走者の正田耕三と激突し左手首骨折。その故障以後、打撃成績は下降。

テンプレート:By10月10日、引退試合となった対阪神タイガース最終戦(横浜スタジアム)に先発出場し、第1打席で葛西稔から満塁本塁打を放った[1]。この本塁打は、この年田代が放った唯一の安打で、当初は試合の最後まで出場する予定だったが、この満塁本塁打を最後の打席とするために途中交代した[1]

引退後

tvkニッポン放送で野球解説をする傍ら、ラーメン好きが高じて神奈川県茅ヶ崎市でラーメン店「田代ラーメン」を経営。テンプレート:Byより大洋の後身である横浜ベイスターズ二軍(テンプレート:Byに「湘南シーレックス」と改称[2])打撃コーチに就任し、それと相前後してラーメン店は廃業した。

コーチとして、多村仁志金城龍彦村田修一吉村裕基といった野手を育てた。テンプレート:Byまでは湘南シーレックス打撃コーチ、テンプレート:Byは一軍打撃コーチを務め、テンプレート:Byは再び湘南シーレックス打撃コーチ、テンプレート:Byからテンプレート:Byは一軍打撃コーチを務めた後、テンプレート:Byからは湘南シーレックス監督に就任した。

テンプレート:By5月18日、横浜ベイスターズの監督である大矢明彦の無期限休養に伴い、一軍監督代行に就任。同年5月20日ロッテ戦で監督代行として初白星を挙げた。しかし、チームを立て直すことはできず、5位と16ゲーム差も離れた最下位でシーズン終了となり、一軍監督代行を退任した。

テンプレート:Byからは再び湘南の監督に復帰し、背番号は「76」から「78」に変更した。横浜球団は田代に対して来季からのフロント入り(編成担当)を打診したが、田代は「現場にこだわりがあり、背広は似合わない」と固辞した為、その季限りで横浜球団を退団する運びとなった。尚、シーズン最終戦まで指揮は執り9月27日退団した[3]テンプレート:By韓国KBOSKワイバーンズのコーチに就任[4]。だがシーズン中の8月18日、監督の金星根解任とともにSKのコーチを辞任した。

テンプレート:By東北楽天ゴールデンイーグルス入りし、二軍打撃コーチを担当。2013年からは一軍打撃コーチを務める。

人物

現役時代のニックネームは「オバQ」。プロ入り当初、間の抜けた受け答えをした田代に対して、沖山光利コーチが呼び始めた。風貌がオバケのQ太郎に似ていたという説、ホームランがオバケのようにボールが飛んでいくからという説は関係ないという。

大洋では松原誠と双璧をなす長距離打者で、滞空時間の長い放物線を描くホームランを量産した。全盛期の横浜大洋初期時代に、球団の制度でヘルメットの横に打ったホームランの数だけ星印のシール(通称:ホームランスター)を付けていたが、その星印が上の方(頭頂部)に近いぐらいになる程であった。

一方で「人間扇風機」とあだ名が示すように、打率は低く、3度のシーズン最多三振を喫するなど三振の多い打者(通算1081三振)でもあった。

長く大洋の主力選手として活躍しながら、一軍ではベストナインゴールデングラブ賞も含めてタイトルを獲得していない(この時期の同じサードで阪神の掛布雅之や広島の衣笠祥雄というセ・リーグの看板選手がいたため)。また優勝も経験していない。オールスターゲームは1977年の一度のみ出場(1980年は選出されたが怪我により出場辞退)。

横浜スタジアム初の場外ホームランを放っている。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 大洋 89 247 235 18 60 8 1 8 94 21 0 0 2 0 9 0 1 56 5 .255 .286 .400 .686
テンプレート:By2 130 549 484 79 146 25 3 35 282 88 2 4 0 6 52 2 7 118 13 .302 .373 .583 .956
テンプレート:By2 129 527 472 66 136 28 2 27 249 104 1 5 0 6 48 2 1 94 3 .288 .351 .528 .879
テンプレート:By2 124 391 357 41 84 12 2 19 157 54 0 4 1 1 30 2 2 86 14 .235 .297 .440 .737
テンプレート:By2 128 529 472 74 140 22 4 36 278 94 6 8 1 4 50 6 2 104 12 .297 .364 .589 .953
テンプレート:By2 130 540 489 62 131 19 1 30 242 81 8 5 0 7 42 5 2 90 15 .268 .324 .495 .819
テンプレート:By2 124 525 469 66 119 21 2 27 225 83 1 1 1 4 49 4 2 102 10 .254 .324 .480 .804
テンプレート:By2 119 486 442 60 111 23 2 28 222 91 2 0 1 5 35 6 3 88 10 .251 .307 .502 .809
テンプレート:By2 130 543 479 56 125 14 2 21 206 71 4 2 1 6 54 1 3 95 21 .261 .336 .430 .766
テンプレート:By2 110 403 366 44 95 14 1 24 183 68 0 1 0 2 34 1 1 94 9 .260 .323 .500 .823
テンプレート:By2 67 222 200 22 48 9 0 13 96 40 0 2 0 4 17 1 1 52 5 .240 .297 .480 .777
テンプレート:By2 82 243 229 19 56 13 1 5 86 28 4 2 1 0 13 1 0 46 6 .245 .285 .376 .661
テンプレート:By2 46 97 91 5 27 4 0 1 34 16 0 0 0 1 5 0 0 17 5 .297 .330 .374 .704
テンプレート:By2 55 115 106 7 25 4 0 0 29 5 1 0 2 1 6 2 0 21 4 .236 .274 .274 .548
テンプレート:By2 51 74 58 5 17 4 0 3 30 19 0 0 0 3 13 2 0 16 2 .293 .405 .517 .923
テンプレート:By2 12 14 12 1 1 0 0 1 4 4 0 0 0 0 2 0 0 2 2 .083 .214 .333 .548
通算:16年 1526 5505 4961 625 1321 220 21 278 2417 867 29 34 10 50 459 36 25 1081 136 .266 .328 .487 .816
  • 各年度の太字はリーグ最高

通算監督成績

  • 107試合 38勝69敗 勝率.355

表彰

  • 月間MVP:2回(1977年4月、1980年5月)

記録

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:1980年5月28日、対読売ジャイアンツ10回戦(後楽園球場)、4回表に西本聖から先制2ラン ※史上110人目
  • 150本塁打:1981年9月5日、対中日ドラゴンズ24回戦(ナゴヤ球場)、4回表に郭源治からソロ ※史上62人目
  • 200本塁打:1983年8月5日、対阪神タイガース15回戦(横浜スタジアム)、3回裏に伊藤宏光からソロ ※史上41人目
  • 1000試合出場:1984年5月9日、対広島東洋カープ4回戦(横浜スタジアム)、5番・三塁手として先発出場 ※史上245人目
  • 1000本安打:1984年7月6日、対ヤクルトスワローズ12回戦(横浜スタジアム)、6回裏に高野光から左中間適時三塁打 ※史上131人目
  • 250本塁打:1985年8月16日、対読売ジャイアンツ18回戦(横浜スタジアム)、3回裏に加藤初から2ラン ※史上24人目
  • 1000三振:1987年5月11日、対読売ジャイアンツ6回戦(横浜スタジアム)、8回裏に鹿取義隆から ※史上12人目
  • 1500試合出場:1990年8月4日、対中日ドラゴンズ17回戦(横浜スタジアム)、15回裏に新浦壽夫の代打として出場、山内和宏から単打 ※史上97人目
その他の記録
  • 5試合連続本塁打(1977年4月5日 - 4月10日)
  • オールスターゲーム出場:1回 (1977年)
  • 最多連続試合併殺打 5 (1979年10月21日~10月25日) ※日本記録・セ・リーグ記録

背番号

  • 26 (1973年 - 1991年)
  • 75 (1997年 - 1998年)
  • 76 (1999年 - 2009年)
  • 78 (2010年)
  • 89 (2011年)
  • 82 (2012年 - )

関連情報

出演番組

関連書籍

  • 『最後のクジラ:大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』 (赤坂英一著、講談社、2013年、ISBN 4062185415)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:東北楽天ゴールデンイーグルス テンプレート:横浜DeNAベイスターズ歴代監督

テンプレート:大洋ホエールズ1972年ドラフト指名選手
  1. 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite web
  2. 「湘南シーレックス」は2010年度限りで廃止となり、2011年度より二軍も「横浜ベイスターズ」に統一され、親会社がTBSからDeNAに変更された2012年度より「横浜DeNAベイスターズ」となった。
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web