歌まね振りまねスターに挑戦!!

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組

歌まね振りまねスターに挑戦!!』(うたまねふりまねスターにちょうせん)は、1981年10月から1985年9月まで日本テレビで金曜 19:00 - 19:30 (JST) に放送されていたものまね歌謡バラエティ番組

本項では、1973年4月から放送の前身タイトルおよび1986年3月まで放送の後継タイトル(通称『スターに挑戦!!シリーズ』)についても述べる。

番組内容など

司会は横山やすし・西川きよしで、アシスタント・ガール(きよしが言う「カワイコちゃん」)が、まず、一般の観客審査員を選び、選ばれた観客審査員と、プロフェッショナル審査員(徳久広司中山大三郎堺すすむ山口あかり横森良造)5人の合計得点を、「スター」と「挑戦者」審査員は、スターと挑戦者どちらか勝っていると思う方に、持ち点の全てを与える方式。

勝利者にはやすきよが手で紙吹雪を降らせていた(末期は行わなくなった)。勝利者賞にはトロフィー、賞金3万円(初期では、19対0で完封勝ちした時には、さらに16万円上乗せして計19万円となった)、副賞には18金ダイヤモンド・ペンダント、残念賞にはカップ、賞金1万円(後にはトロフィー・カップに代わって日光彫こけしになる)、さらに出場者全員には参加賞として、スポンサーからの賞品(後述)が贈られた。また前期は、芸能人のみ5回勝つと「ゴールデン歌まね賞」として豪華賞品(不明)を獲得、さらに後期には、勝利者賞に堺すすむが独断と偏見で海外旅行(タイ・パタヤビーチ)の賞品を決めるという制度もあった(該当者がいないときは「今週はなーい!」と叫んでいた)。また、宿泊券がもらえる特別賞もあった。

また、勝利者の中から「今週のチャンピオン」を1人決定して(この時は、ヘンデル作曲「見よ、勇者は帰る」のアレンジ版ファンファーレが演奏される)、グランドチャンピオン大会にも進出できた。勝利者には賞金5万円、残念賞は賞金2万円だった。一方敗者の中から一人だけ、週替わりの「熱演賞」がもらえた。この熱演賞を決めるのは後述。

1985年10月に『全日本歌まね選手権』へタイトルを変更したものの、きよしが参議院議員選挙に出馬することになっていたことから、1986年3月に『歌まね合戦スターに挑戦!!』から続いたスターに挑戦!!シリーズは13年間の歴史に幕を下ろした。

曲紹介と提供のナレーションは、番組開始から終了まで一貫して福留功男(当時日本テレビアナウンサー)が務めた。また演奏は「高橋達也と東京ユニオン」が担当した。

勝負内容&熱演賞決め

大別して、3つの内容があった。また、それによって熱演賞決め役も異なっていた。

通常

  • 3回行い、別々の3名が別々の曲を、4名のゲストの中から選んで戦う。溢れたゲストは熱演賞決め役。
  • 溢れるゲストは、新人を始めとした若手歌手が多かった。
  • 『(シャボン玉)歌まね合戦』時代には、まず挑戦者が持ってきた「挑戦状」を自ら読み、その後きよしの「あなたが挑戦するスターは!!」のコールと共に、セット右上部の「歌手ランプ」が点灯して対戦歌手を決める演出があった。

○○特集

  • 通常と同じ3回だが、挑戦する歌は、ゲストの中の1人(美空ひばりのような大物が多かった)の持ち歌。その1人は、熱演賞も決めていた。
  • 課題曲の紹介は、通常と3本勝負ではレコード音声を使っていたが、この時だけはゲストの中の1人が生で歌って紹介した。

3本勝負

  • ゲスト4人の中の1人が、3人の一般参加者を相手に戦う。残ったゲスト3名が熱演賞決め。

なお年に1 - 2回行われる「お笑い大会」の時は、3組のコメディアン(落語家、ものまねタレント、漫才師など。漫才師は片方が挑戦)と3組のゲスト歌手が登場し、コメディアンが通常と同じルールで対戦、熱演賞決めは3組のゲスト歌手が担当した。

審査方法(ルール)

  • 初期は、一般の観客審査員が9名で各自持ち点1点の計9点、プロフェッショナル審査員5人が各自持ち点2点で計10点の合計19点。
  • 後期は、一般の観客審査員が25名で各自持ち点2点の計50点、プロフェッショナル審査員5人が各自持ち点10点で計50点の合計100点。なお、50-50の引き分けになった場合は、最初のケース(この制度での初回の最初の対戦で発生)ではジャンケン、後に一般の観客審査員の点数の多かった方が勝ちとなった。
    • やすきよが「(一般)また(プロの先生)の方、1・2・3!(ワン・ツ・スリー!)」とコールした。BGMは一般審査員時はドラムロールだが、プロの先生の採点時では半音音階風のBGMだった。
    • また、一般審査員は黄色のサンバイザーを頭にはめていた。

参加賞

  • 開始当初(1973年4月 - 9月)は不明だが、牛乳石鹸一社提供となった1973年10月からは「牛乳石鹸製品詰め合わせ」となり、牛乳石鹸を筆頭とした複数社提供に変わった1975年10月以降から最終回までも、一貫して「牛乳石鹸製品詰め合わせ」だった。つまり牛乳石鹸が提供に入ってからは、牛乳石鹸以外のスポンサーから出る事が無かった。
  • セット内容は、石鹸は一貫して不変(「赤箱」「青箱」「白箱」「スキンライフ」「ニュータイプ」など)だったが、ヘアケア製品は時期によって異なり、当初は「牛乳ブランド」製品がメインだったが[1]、1977年に「シャワラン」ブランド製品が発売されると、徐々に「シャワラン」製品が増え、末期は全て「シャワラン」製品だった。なおシェービング製品「牛乳ブランドシェービングフォーム」「同・シェービングクリーム」は含まれていなかった。
  • この「牛乳石鹸製品詰め合わせ」は、1975年9月まで提供していた同局放送番組『全日本歌謡選手権』(読売テレビ制作)でも、参加者に贈られていた。

歴代エンディング・テーマ

※一貫して若手女性演歌歌手が務めた。 テンプレート:節stub

  • 「スタ挑小唄」(歌:松本結香(まつもと ゆか))
  • 「少女演歌節」(歌:松本結香)
  • 「初恋」(歌:松本結香)
  • 「モダンおじいちゃんと孫娘」(歌:松本結香)
  • 「お月さん小唄」(歌:坂口純子(さかぐち じゅんこ))
  • 「かわいそう小唄」(歌:坂口純子)
    視聴者から公募した替え歌が披露されていた。
  • 「カツ丼・天丼・親子丼」(歌:石山秀子(いしやま ひでこ))
  • 「プロ野球小唄」(歌:石山秀子)
  • 「新プロ野球小唄」(歌:鈴木ゆかり(すずき ゆかり ))
  • 「募集の唄」(歌:岡花江(おか はなえ))

※番組初期(『歌まね合戦』時代)にはオープニング・テーマ曲も存在しており、童謡桃太郎」の替え歌が使用された。

ネット局

系列はネット終了時のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 日本テレビ 日本テレビ系列 制作局
北海道 札幌テレビ
青森県 青森放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1975年3月までは日本テレビ系単独加盟局
岩手県 テレビ岩手 日本テレビ系列 1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
宮城県 ミヤギテレビ 1975年9月まではNETテレビ系列とのクロスネット局
秋田県 秋田放送
山形県 山形放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1984年3月まで
1980年3月までは日本テレビ系単独加盟局
山形テレビ フジテレビ系列 1984年4月から
山形放送の『三枝の国盗りゲーム
(遅れネット)への変更に伴う移行
福島県 福島中央テレビ 日本テレビ系列 1981年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
山梨県 山梨放送
新潟県 新潟総合テレビ フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1981年3月まで
テレビ新潟 日本テレビ系列 1981年4月開局から
長野県 長野放送 フジテレビ系列 1980年9月まで
テレビ信州 テレビ朝日系列
日本テレビ系列
1980年10月開局から
静岡県 静岡放送 TBS系列
静岡県民放送 テレビ朝日系列
日本テレビ系列
現:静岡朝日テレビ
1979年6月まで
静岡第一テレビ 日本テレビ系列 1979年7月開局から
※9月までは編成上の都合上本来の枠で
全日本プロレス中継』を放送したため、遅れネットで放送。
富山県 北日本放送
石川県 北陸放送 TBS系列
石川テレビ フジテレビ系列
福井県 福井放送 日本テレビ系列
中京広域圏 中京テレビ
近畿広域圏 読売テレビ
鳥取県
島根県
日本海テレビ 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
広島県 広島テレビ 日本テレビ系列 1975年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局
※クロスネット時代には遅れネットで放送
山口県 山口放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1978年9月までは日本テレビ系単独加盟局
徳島県 四国放送 日本テレビ系列
香川県
香川県
岡山県
西日本放送 当初はは香川県のみ
1983年4月の電波相互乗り入れで岡山県でも放送
愛媛県 南海放送
高知県 高知放送
福岡県 福岡放送
長崎県 長崎放送 TBS系列
テレビ長崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
熊本県 テレビ熊本 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1982年3月まで
熊本県民テレビ 日本テレビ系列 1982年4月開局から
大分県 テレビ大分 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
宮崎県 宮崎放送 TBS系列
テレビ宮崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
鹿児島県 南日本放送 TBS系列
鹿児島テレビ フジテレビ系列
日本テレビ系列
1982年9月まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局
沖縄県 沖縄テレビ フジテレビ系列

エピソード

  • 1978年発刊の社史「牛乳石鹸共進社70年の歩み」の「主な提供番組」に、ピンク・レディーや高田みづえら出演者がプラカードを掲げて入場した、『(シャボン玉)歌まね合戦…』時代のオープニングの写真[2]が掲載されていたが、番組名称は何故か「シャボン玉歌まね合戦スターに挑戦!!」となっていた[3]
  • 『歌まね振りまね』時代には、素人時代の松居直美も参加した事がある。
  • 『歌まね振りまね』時代から始まった海外旅行プレゼントは、勝者から選ばれるのが定例だが、1回だけ敗者から選ばれた事があった。
  • その海外旅行該当者が無い時に「今週はなァい!!」と言うのは堺審査員のみで、堺不在の時に他の審査員が担当する時は言わなかったのだが、余りにも強烈な台詞のため、堺が不在のある回では、別な審査員が「今週はなァい!!」と叫んで、やすきよを驚かせた。
  • また、数回やすきよが挑戦を受けてたつ「スター」サイドになったり際、代わりの司会者として愛息木村一八西川弘志の「夢の二世」が、司会者をしっかりと務めた。その際に岸浩太郎が歌のゲストで出演し、その2年後に西川弘志と岸浩太郎は同じく日本テレビで放送されたドラマ『白虎隊』で共演した。
  • 上記の通り、『歌まね合戦』時代には一時期牛乳石鹸の一社提供だったことから『シャボン玉歌まね合戦』となったのだが、同局放送の『シャボン玉ホリデー』以来牛乳石鹸一社提供番組の恒例となっていた「乳牛の鳴き声」は、継続中の『シャボン玉プレゼント』(朝日放送制作・テレビ朝日系列)を除いてこの時より廃止。その代わりこの番組のみ、冒頭の口上の前に、ステージ中央上部にある牛乳石鹸の「乳牛マーク」をどアップで映して放送した。

脚注

  1. なお当時「牛乳ブランド」製品と平行して発売されていた「マイセット」製品は、「マイセットシャンプー イエロー」(フケ・カユミ止めシャンプー)のみだった。
  2. 『(シャボン玉)歌まね合戦』時代では、オープニングに芸能人出演者が入場する時には、自分の名前が振られていたプラカードを持って入場していた。
  3. ピンク・レディーは1976年、高田みづえは1977年にそれぞれデビューしており、既にその時期の当番組は牛乳石鹸を筆頭とする複数社提供となっていて、「シャボン玉」の冠は外されていた。

関連項目

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