インターコンチネンタルカップ (サッカー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年8月14日 (木) 11:39時点における121.116.142.125 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:国際サッカー大会 インターコンチネンタルカップテンプレート:Lang-en-short)は、国際サッカー連盟(FIFA)、欧州サッカー連盟(UEFA)、南米サッカー連盟(CONMEBOL)の主催により1960年から2004年まで行われていた、UEFAチャンピオンズリーグコパ・リベルタドーレスの優勝クラブによるサッカークラブチーム世界一決定戦である。

歴史

インターコンチネンタルカップ時代

1950年代、当時のサッカーの二大勢力であった欧州と南米のサッカークラブ世界一決定戦の計画が持ち上がるようになる。1956年から開かれていた欧州のUEFAチャンピオンズカップの南米版として、コパ・リベルタドーレスウルグアイの提案で1960年より始まり、その年に第1回インターコンチネンタルカップが開催された。

当初はホーム・アンド・アウェー方式で行われていたがサポーターの過熱化、特に南米でかつての宗主国への反感が増幅され、頻繁に暴動が起こるようになった。選手の移動スケジュール等も次第に問題とされるようになり、また1970年代から欧州チャンピオンのクラブが遠征の負担などを理由に出場を次々と辞退する事態も起こり、1975年1978年には開催自体が中止に追い込まれるようになってしまった。

トヨタカップへの移行

そこで1980年頃に「中立な第三国での一発勝負であれば、安全面やスケジュールの問題もクリアできるのではないか」という話が持ち上がり、その試合の開催地として日本が浮上する。この話に日本テレビ電通が乗る形で企画がスタートし、電通がトヨタ自動車冠スポンサーにつけることで本格的に開催準備が始まった[1]

当初日本テレビと電通では1981年12月に第1回大会を開催する方向で調整を進めていたが、その最中に当時のヨーロッパチャンピオンであるノッティンガム・フォレストがUEFAチャンピオンズカップの1回戦でいきなり敗北しスケジュールが空いたことなども重なり、結局予定を繰り上げて同年2月に第1回大会を開催することに決定。大会名もトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップTOYOTA European/South American Cup)、通称:トヨタカップとなった[2]

ちなみに大会の開催に当たっては、試合開催地のサッカー協会である日本サッカー協会(JFA)の承認が必要だが、第1回大会ではJFA内部で「大会の開催は時期尚早」として理事会で承認を否決したというエピソードが残っている[3]。ただこの時点で日本テレビ・電通では具体的な大会の開催準備を始めてしまっていたこともあり、両社は関係者に懸命の説得を行い、次回の理事会で何とか承認を受け開催にこぎつけている[4]

第2回大会(1981年)からは、元々日本テレビと電通が計画していた12月開催に移行した。また第15回大会(1994年)以降は夜間開催となった。

第6回大会(1985年)でユヴェントスが来日した以降、一気に大会の注目度が高まったが、一方で大会中止を求める声も上がるようになっていた。そのような状況の中行われた第8回大会(1987年)では、雪の降る中の大会となり、主審は前半が終わった段階で試合を中止させようとしたが、ポルトペニャロールの両チームの選手たちは「絶対に決着をつける」と試合続行を要求。選手たちの要求通り、試合は続行され、延長戦にもつれ込む熱戦となった(試合は2-1でポルト勝利)。試合後、トヨタの全国各地のディーラーや海外の関係者から「実に感動的な試合だった。これこそがトヨタがやるべきスポーツイベントだ」と大会継続の要望が寄せられた。さらに大会スポンサーのトヨタ自動車社長(当時)の豊田章一郎自身がこの試合を見て大会継続を決意したこともあり、トヨタカップは継続された[5]

2004年の大会を最後に、それまで2000年に第1回大会を開催して以降中断していたFIFAクラブ世界選手権(その後FIFAクラブワールドカップに改称)に統合される形で終了した。

大会MVPに選ばれた選手にはトヨタ自動車から副賞として同社製の自動車が贈られていた(例:セリカカリーナエスティマランドクルーザーなど)。第2回大会(1981年)当時、ブラジルでは外国産車の輸入に厳しい規制がかけられていたが、その大会でMVPになったジーコは当時の大統領に電話一本で輸入許可を取りつけ長年愛用していた。

開催方式

1960年から1979年まではホーム・アンド・アウェー方式の2試合で行われ、勝ち点制が導入された。2試合を行って勝ち点が同じの場合は2試合目を行ったチームのホームでプレーオフが開催された。しかし、その制度は第2戦を行ったチームに有利なものであったため1967年からプレーオフの開催地を第2戦を行った大陸の第三国とし、1968年からはアウェーゴール・ルールも導入された。

1980年からは国立霞ヶ丘競技場(2002年より横浜国際総合競技場)の1戦のみで勝敗を決するようになり、90分で決着がつかない場合にはシルバーゴール方式で試合が行われた。

結果

インターコンチネンタルカップ

年度 優勝 結果 準優勝 会場
1960 テンプレート:Flagicon レアル・マドリード 0 - 0
5 - 1
テンプレート:Flagicon ペニャロール センテナリオテンプレート:Flagicon モンテビデオ
サンティアゴ・ベルナベウテンプレート:Flagicon マドリード
1961 テンプレート:Flagicon ペニャロール 0 - 1
5 - 0
2 - 1
テンプレート:Flagicon ベンフィカ ダ・ルステンプレート:Flagicon リスボン
センテナリオテンプレート:Flagicon モンテビデオ
センテナリオテンプレート:Flagicon モンテビデオ
1962 テンプレート:Flagicon サントス 3 - 2
5 - 2
テンプレート:Flagicon ベンフィカ マラカナンテンプレート:Flagicon リオデジャネイロ
ダ・ルステンプレート:Flagicon リスボン
1963 テンプレート:Flagicon サントス 2 - 4
4 - 2
1 - 0
テンプレート:Flagicon ミラン サン・シーロテンプレート:Flagicon ミラノ
マラカナンテンプレート:Flagicon リオデジャネイロ
マラカナンテンプレート:Flagicon リオデジャネイロ
1964 テンプレート:Flagicon インテル 0 - 1
2 - 0
1 - 0 aet
テンプレート:Flagicon インデペンディエンテ リベルタドーレステンプレート:Flagicon アベジャネーダ
サン・シーロテンプレート:Flagicon ミラノ
サンティアゴ・ベルナベウテンプレート:Flagicon マドリード
1965 テンプレート:Flagicon インテル 3 - 0
0 - 0
テンプレート:Flagicon インデペンディエンテ サン・シーロテンプレート:Flagicon ミラノ
リベルタドーレステンプレート:Flagicon アベジャネーダ
1966 テンプレート:Flagicon ペニャロール 2 - 0
2 - 0
テンプレート:Flagicon レアル・マドリード センテナリオテンプレート:Flagicon モンテビデオ
サンティアゴ・ベルナベウテンプレート:Flagicon マドリード
1967 テンプレート:Flagicon ラシン・クラブ 0 - 1
2 - 1
1 - 0
テンプレート:Flagicon セルティック ハムデン・パークテンプレート:Flagicon グラスゴー
エル・シリンドロテンプレート:Flagicon アベジャネーダ
センテナリオテンプレート:Flagicon モンテビデオ
1968 テンプレート:Flagicon エストゥディアンテス 1 - 0
1 - 1
テンプレート:Flagicon マンチェスターU. ラ・ボンボネーラテンプレート:Flagicon ブエノスアイレス
オールド・トラッフォードテンプレート:Flagicon マンチェスター
1969 テンプレート:Flagicon ミラン 3 - 0
1 - 2
テンプレート:Flagicon エストゥディアンテス サン・シーロテンプレート:Flagicon ミラノ
ラ・ボンボネーラテンプレート:Flagicon ブエノスアイレス
1970 テンプレート:Flagicon フェイエノールト 2 - 2
1 - 0
テンプレート:Flagicon エストゥディアンテス ラ・ボンボネーラテンプレート:Flagicon ブエノスアイレス
デ・カイプテンプレート:Flagicon ロッテルダム
1971 テンプレート:Flagicon ナシオナル 1 - 1
2 - 1
テンプレート:Flagicon パナシナイコス[注 1] センテナリオテンプレート:Flagicon モンテビデオ
カライスカキステンプレート:Flagicon アテネ
1972 テンプレート:Flagicon アヤックス 1 - 1
3 - 0
テンプレート:Flagicon インデペンディエンテ リベルタドーレステンプレート:Flagicon アベジャネーダ
オリンピスフテンプレート:Flagicon アムステルダム
1973 テンプレート:Flagicon インデペンディエンテ 1 - 0 テンプレート:Flagicon ユヴェントス[注 2] オリンピコテンプレート:Flagicon ローマ
1974 テンプレート:Flagicon アトレティコ・マドリード[注 3] 0 - 1
2 - 0
テンプレート:Flagicon インデペンディエンテ リベルタドーレステンプレート:Flagicon アベジャネーダ
ビセンテ・カルデロンテンプレート:Flagicon マドリード
1975 テンプレート:Flagiconバイエルン・ミュンヘン 中止 テンプレート:Flagiconインデペンディエンテ
1976 テンプレート:Flagicon バイエルン・ミュンヘン 2 - 0
0 - 0
テンプレート:Flagicon クルゼイロ ミュンヘン・オリンピアテンプレート:Flagicon ミュンヘン
ミネイロンテンプレート:Flagicon ベロオリゾンテ
1977 テンプレート:Flagicon ボカ・ジュニアーズ 2 - 2
3 - 0
テンプレート:Flagicon ボルシアMG[注 4] ラ・ボンボネーラテンプレート:Flagicon ブエノスアイレス
ヴィルトパルクテンプレート:Flagicon カールスルーエ
1978 テンプレート:Flagiconリヴァプール 中止 テンプレート:Flagiconボカ・ジュニアーズ
1979 テンプレート:Flagicon オリンピア 1 - 0
2 - 1
テンプレート:Flagicon マルメ[注 5] マルメ・スタディオンテンプレート:Flagicon マルメ
ディフェンソーレステンプレート:Flagicon アスンシオン

トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ

年度 優勝 結果 準優勝 会場
1980 テンプレート:Flagicon ナシオナル 1 - 0 テンプレート:Flagicon ノッティンガム・フォレスト 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1981 テンプレート:Flagicon フラメンゴ 3 - 0 テンプレート:Flagicon リヴァプール 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1982 テンプレート:Flagicon ペニャロール 2 - 0 テンプレート:Flagicon アストン・ヴィラ 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1983 テンプレート:Flagicon グレミオ 2 - 1 aet テンプレート:Flagicon ハンブルガーSV 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1984 テンプレート:Flagicon インデペンディエンテ 1 - 0 テンプレート:Flagicon リヴァプール 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1985 テンプレート:Flagicon ユヴェントス 2 - 2 aet
(PK 4 - 2)
テンプレート:Flagicon アルヘンティノス・ジュニアーズ 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1986 テンプレート:Flagicon リーベル・プレート 1 - 0 テンプレート:Flagicon ステアウア・ブカレスト 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1987 テンプレート:Flagicon ポルト 2 - 1 aet テンプレート:Flagicon ペニャロール 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1988 テンプレート:Flagicon ナシオナル 2 - 2 aet
(PK 7 - 6)
テンプレート:Flagicon PSV 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1989 テンプレート:Flagicon ミラン 1 - 0 aet テンプレート:Flagicon ナシオナル・メデジン 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1990 テンプレート:Flagicon ミラン 3 - 0 テンプレート:Flagicon オリンピア 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1991 テンプレート:Flagicon レッドスター・ベオグラード 3 - 0 テンプレート:Flagicon コロコロ 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1992 テンプレート:Flagicon サンパウロ 2 - 1 テンプレート:Flagicon バルセロナ 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1993 テンプレート:Flagicon サンパウロ 3 - 2 テンプレート:Flagicon ミラン[注 6] 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1994 テンプレート:Flagicon ベレス 2 - 0 テンプレート:Flagicon ミラン 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1995 テンプレート:Flagicon アヤックス 0 - 0 aet
(PK 4 - 3)
テンプレート:Flagicon グレミオ 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1996 テンプレート:Flagicon ユヴェントス 1 - 0 テンプレート:Flagicon リーベル・プレート 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1997 テンプレート:Flagicon ドルトムント 2 - 0 テンプレート:Flagicon クルゼイロ 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1998 テンプレート:Flagicon レアル・マドリード 2 - 1 テンプレート:Flagicon ヴァスコ・ダ・ガマ 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
1999 テンプレート:Flagicon マンチェスターU. 1 - 0 テンプレート:Flagicon パルメイラス 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
2000 テンプレート:Flagicon ボカ・ジュニアーズ 2 - 1 テンプレート:Flagicon レアル・マドリード 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
2001 テンプレート:Flagicon バイエルン・ミュンヘン 1 - 0 aet テンプレート:Flagicon ボカ・ジュニアーズ 国立霞ヶ丘競技場テンプレート:Flagicon 東京
2002 テンプレート:Flagicon レアル・マドリード 2 - 0 テンプレート:Flagicon オリンピア 横浜国際総合競技場テンプレート:Flagicon 横浜
2003 テンプレート:Flagicon ボカ・ジュニアーズ 1 - 1 aet
(PK 3 - 1)
テンプレート:Flagicon ミラン 横浜国際総合競技場テンプレート:Flagicon 横浜
2004 テンプレート:Flagicon ポルト 0 - 0 aet
(PK 8 - 7)
テンプレート:Flagicon オンセ・カルダス 横浜国際総合競技場テンプレート:Flagicon 横浜

2005年以後、大会をFIFAクラブワールドカップに継承。

※注

  1. UEFAチャンピオンズカップの覇者アヤックスが出場辞退したため、準優勝のパナシナイコスが出場した。
  2. UEFAチャンピオンズカップの覇者アヤックスが出場辞退したため、準優勝のユヴェントスが出場した。
  3. UEFAチャンピオンズカップの覇者バイエルン・ミュンヘンが出場辞退したため、準優勝のアトレティコ・マドリードが出場した。
  4. UEFAチャンピオンズカップの覇者リヴァプールが出場辞退したため、準優勝のボルシアMGが出場した。
  5. UEFAチャンピオンズカップの覇者ノッティンガム・フォレストが出場辞退したため、準優勝のマルメが出場した。
  6. UEFAチャンピオンズリーグの覇者オリンピック・マルセイユ八百長事件の責任で、優勝者としての活動を禁止された(ただし優勝記録自体は有効)ため、準優勝のミランが出場した。

エピソード

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:世界のサッカー国際大会 テンプレート:ヨーロッパのサッカー国際大会 テンプレート:南アメリカのサッカー国際大会 テンプレート:国際クラブサッカー テンプレート:FIFAクラブワールドカップ

テンプレート:トヨタカップ実況アナウンサーテンプレート:Link GA
  1. 元日本テレビ・プロデューサーに秘められた矜持(1/3) トヨタカップを呼んだ男たち 第2回 坂田信久 - sportsnavi・2004年12月3日
  2. 「ワールドカップを売った男」が語る大会前史(2/3) トヨタカップを呼んだ男たち 第4回 ジャック・K坂崎 - sportsnavi・2004年12月8日
  3. トヨタカップから2002年への長き道のり(2/3) トヨタカップを呼んだ男たち 第5回 長沼健 - sportsnavi・2004年12月10日
  4. 日本のスポーツイベント黎明期を支えた男の回想(2/3) トヨタカップを呼んだ男たち 第3回 入江雄三 - sportsnavi・2004年12月6日
  5. 日本のスポーツイベント黎明期を支えた男の回想(3/3) トヨタカップを呼んだ男たち 第3回 入江雄三 - sportsnavi・2004年12月6日