CAリーベル・プレート

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テンプレート:サッカークラブ クルブ・アトレティコ・リーベル・プレートClub Atlético River Plate)は、アルゼンチンブエノスアイレスを本拠地とするスポーツクラブ。通称はリーベル。日本においてはリバープレートという表記も用いられている[1]

プロサッカー部門は、同クラブの各部門の中でも最も際立った存在であり、現在アルゼンチンプロサッカーリーグに所属している。アルゼンチン国内における5大クラブ (los cinco grandes) のひとつに数えられており、これまでの同リーグでの優勝回数33回を誇る名門クラブチームである。また国際タイトルは合計11獲得しており、その中には2度のコパ・リベルタドーレス優勝と1度のインターコンチネンタルカップが含まれる。またアマチュアであった頃にタイトルを1度獲得している。アルゼンチンで2番目に人気のあるフットボール・チームである。[2]国際サッカー歴史統計連盟により、2000年度以降4度、月間世界最高サッカークラブに選出された経験も持つ[3]

アルゼンチンのサッカーリーグがプロリーグ化した1931年から1部リーグの座を守り続けていた。2011年に初の2部降格を経験したが、2012年に1部復帰。

ホームゲームは65,000人を超えるキャパシティを持つエル・モヌメンタルで開催されている。同じリーグに所属するボカ・ジュニアーズとの対戦は、「スーペルクラシコ」と称され、イギリスの新聞オブザーバーにて、「死ぬ前に1度は見ておかなければならない50のスポーツイベント」のひとつだとされている[4]。一方同じくイギリスの新聞ザ・サンにて、記者のアンドルー・ハイは「世界のスポーツで最も壮大なイベントのひとつ」[5]だと評している。またCAインデペンディエンテCAサン・ロレンソラシン・クラブとも古くからライバル関係にある。

概要

白地に左肩から右下へ伸びる赤いタスキ模様のホームゲーム用ユニフォームが特徴。通称である「リーベル」は、ラプラタ川の英語表記であるRiver Plateのリオプラテンセ・スペイン語発音が由来である。 選手育成を重視しており、多数の有名選手を輩出している。1930年代に多額の移籍金でライバルクラブから選手を獲得したことから、ロス・ミジョナリオス(億万長者)の異名を持つ[6]

歴史

1901年3月25日サンタ・ロサ (Santa Rosa) とラ・ロサレス (La Rosales) の2クラブが合併する形で、ブエノスアイレス近郊のラ・ボカテンプレート:Enlinkに創設された。後、複数の候補の中から現在のリーベル・プレートという名称に決定された。名称が決定した経緯は、創設メンバーのひとり、ペドロ・マルティネスが船のコンテナに”ザ・リーベル・プレート”という文字が書かれているのを見て、そこで閃き、その言葉を仲間にチーム名として提案したところ、受け入れられた。リーベル・プレートはブエノスアイレス都市部のサランディテンプレート:Enlinkにあるスタジアムをしばらくホームスタジアムとして用いていたが、後ラ・ボカに戻り、更にレコレタテンプレート:Enlinkへと移転した。クラブはレコレタにスタジアムを保有していたが、1938年に手狭となり、現在の所在地であるヌニェステンプレート:Enlinkとの関係が常にあったにもかかわらず、ブエノスアイレス北部のベルグラノテンプレート:Enlinkへの移転を余儀なくされた。

1931年にはカルロス・ペウセレを10000ドルで、1932年にはベルナベ・フェレイラを35000ドルで獲得。ロス・ミジョナリオス(Los Millonarios)と呼ばれたチームは1932年にリーグを初優勝、1936年にもリーグを制した。1936年は34試合で勝ち点58、106ゴールを挙げた。1938年5月25日にエスタディオ・モヌメンタルが開場。CAペニャロールとの記念試合が行われた。

ファイル:La Maquina.jpg
"La Máquina"(ラ・マキナ)(1941年)
左からムニョス、モレノ、ペデルネラ、ラブルナ、ロウストウ

1940年代には、フアン・カルロス・ムニョスホセ・マヌエル・モレノアドルフォ・ペデルネラアンヘル・ラブルナフェリックス・ロウスタウ、らを擁し素晴らしいフットボールを魅せた。彼らはマシーンのように大量得点を生み出し、その様子からLa Maquina(ラ・マキナ:機械、マシーン)と称賛されるチームを構成した。このチームはアルゼンチン・フットボールの歴史において伝説のチームと讃えられている。1941年、1942年とリーグを連覇すると、1945年、1947年にもリーグ優勝した。1947年のチームには、アルフレッド・ディ・ステファノネストル・ロッシアマデオ・カリーソなどがいた。1950年代も1940年代程ではないが、引き続き素晴らしいフットボールを魅せた。ラブルナやオマール・シボリ、ロウスタウ、ロッシ、ワルテル・ゴメスサンチャゴ・ベルナッサエリセオ・プラド、カリーソらが活躍。1952年、1953年とリーグを連覇すると、1955年からは3連覇を果たした。このチームはLa Maquinita(ラ・マキニータ:小さな機械、マシーン)と呼ばれた。しかしその後18年間、リーグタイトルから遠ざかった。


1975年にラブルナが監督に就任すると、前後期共にリーグ優勝。ウバルド・フィジョールダニエル・パサレラロベルト・ペルフーモフアン・ホセ・ロペスノルベルト・アロンソオスカル・マスら国内の実力者を擁した。1981年にはラブルナに変わってアルフレッド・ディ・ステファノが監督となり、マリオ・ケンペスフリオ・オラルティコエチェアアメリコ・ガジェゴが加入した。1985-86シーズンにはリーグ優勝するとともに、コパ・リベルタドーレスインターコンチネンタルカップを獲得。翌年にはコパ・インテルアメリカーナでも勝利した。

長年アルゼンチンの名門クラブとして君臨してきたリーベルだったが、1991年にホセ・マリア・アギラールが会長に就任してから、クラブは経営危機などの問題を抱えるようになった。その中には、クラブが「バーラ・ブラバ」(過激なサポーター集団)へ利益を与えるという癒着構図も存在している。2007年には、ゴンサロ・イグアインの移籍で得た利益を奪い合ってバーラ・ブラバ同士の派閥闘争が起こり、その中のメンバーが銃で殺害される事件が発生した。こうした状況下でクラブの成績も低迷しており、クラブ史上初となる2部リーグ降格の危機に直面していた[1]

2007年後期リーグでは優勝を果たし、名門復活かと思われたが、翌シーズンの前期リーグでは最下位に沈み、さらに2009-2010シーズンも前期14位、後期13位と下位に終わった。2010-2011シーズンは再び調子を取り戻し、翌年のコパ・スダメリカーナの出場権獲得を目前にしていたが、最終節でラヌースに敗北し、オリンポに過去3年間での平均獲得ポイントで逆転され、2部リーグ4位のCAベルグラーノとの入替プレーオフへ回ることになり、これによって出場権を剥奪された。

リーベルの2010-11シーズン後期成績は9位だったが、アルゼンチンリーグは過去3シーズンの平均勝ち点によって降格チームを決めるため、08-09シーズンの不振がたたり入れ替え戦を強いられることになった[7]

CAベルグラーノとのプレーオフ第1戦では、ファンの乱入で20分以上のロスタイムが取られる事態となり、結果は2-0で敗北。ホームで迎えた第2戦では2点差以上の勝利が必要だったが、観客の暴動により後半44分で試合が打ち切られ、1-1で引き分けた。これによって、リーベルプレートはクラブ史上初の2部リーグ降格が決定した。この試合には2200人の警官が動員されていたが、試合後も暴動は収まらず、アルゼンチン当局によれば68人が負傷したという[6]。アルゼンチン国民の半数近いファンを抱えるリーベルが参加することで、翌シーズンの2部リーグはそれまで有料放送のケーブルテレビだけだったテレビ中継が、地上波・国営放送でも行われるようになり、一般紙のスポーツ欄やスポーツ紙には2部リーグの試合日程が大きく載せられるなど、アルゼンチン国内において2部に関する情報量が増加する現象が見られた[8]

2012年シーズン、初の2部での戦いとなったリーベルは、名門相手に金星を狙うモチベーション溢れる対戦相手に苦戦を強いられるも、最終節に元フランス代表FWダヴィド・トレゼゲの2得点によって、アルミランテ・ブラウンを下し、ようやく1部復帰と優勝を決めた。[9]

ユニフォーム

リーベル・プレートの1stユニフォームのデザインが決まったのは1908年である。ある夜、カーニバルが行われて、それが終りに近づいていた。そこに、古い自動車が1台あって、その車内の後部に赤い絹のリボンが乱雑に掛けられていた。そこにいた5人の若者の1人エリサ・ペシレはちょっとした悪ふざけから、それを盗むことに決めた。しかし、一方で盗む動機もあった。そのリボンを自分達のチームの白いユニフォームの上に付けて、自分達のユニフォームに特徴を付けようと考えていた。それで、そのリボンを斜めに張り付けることに決めた。こうして、お馴染みの赤いタスキ掛けのユニフォームが生まれた。

別の説もあり、それはこのデザインは聖ホルへSaint George)のシンボルの白地に赤い十字というものから来ているというものである。聖ホルへはジェノバの後援者で、白地に赤い十字はジェノバの旗でもある。リーベル・プレートの創設メンバーのほとんどがジェノバに祖先がいる。その影響からリーベル・プレートのユニフォームがこのようなデザインになったという説である。

サプライヤーとスポンサー

期間 サプライヤー スポンサー
1979–80 スポルトランディヤ なし
1981–82 Olimpia
1982–85 アディダス
1985–89 Fate O
1989–91 プジョー
1991–92 Carta Credencial
1992–95 Sanyo
1996-02 キルメス
2002–06 バドワイザー
2006–08 ペトロブラス
2009–10 ペトロブラス & Pokerstars.net
2010–12 ペトロブラス & トラモンティーナ
2012– BBVA & トラモンティーナ

サポーター

ブエノスアイレスの高級住宅街に本拠地を構えることも関係して、ボカ・ジュニアーズのサポーターよりも裕福な階層のサポーターが多いと言われている。アルゼンチンでボカ・ジュニアーズに次いで2番目に多くのサポーターがいる。

ライバル

リーベル・プレートの最大のライバルは、ボカ・ジュニアーズである。この2チームの対戦は、スーペル・クラシコと呼ばれ、アルゼンチンで最も関心を集めるクラシコであり、最も権威のあるダービー・マッチである。平均視聴率はゼロ年代は毎年、大体、40%前後を記録していた。 2012年10月29日のクラシコの視聴率は24.8%であった[10]

他にCAインデペンディエンテラシン・クラブサン・ロレンソとのビック5同士の対戦もクラシコと呼ばれ、関心を集める。

リーベル・プレートのマスコットは現在、ニワトリである。しかし、1984年から5年間はライオンであった。これはボカ・ジュニアーズのサポーターがリーベル・プレートのことを「ガジーナ(ニワトリ)」!!(アルゼンチンで臆病者の意:ニワトリは臆病だから)と散々にからかっていて、それを不愉快に思っていた当時の会長がそのイメージを払拭するために、ライオンのロゴを使用することにしたからである。しかし、5年後、会長がクラブを去るとこのライオンのロゴも使用されなくなり、結局、ライオンのイメージは定着しなかった。そして、その後、リーベル・プレートはボカ・ジュニアーズにかわれていることを逆手に取ることに決めて、ニワトリをクラブのマスコットにしてしまった。

エピソード

ボリビア1部リーグ(2012年現在)、ポトシに本拠地を置くCAナシオナル・ポトシ(1942年 創立)はリーベル・プレートへの憧れから、ユニフォームのデザインを白地に赤タスキのシャツ、黒パンツにしてリーベル・プレートと全く同じにしている。 またアルゼンチン国内では、サルタ州にリーベル・プレート・デ・エムバラカシオン(1939年 創立)[11]という名前もユニフォームのデザインを全く同じにしているチームがある。

また、リーベル・プレートは元エクアドル代表サッカー選手アルベルト・モンターニョの推薦により、エクアドルグアヤキルにリーベル・プレートと提携するクラブが創設されることに合意した。それにより、グアヤキルに2007年、CDリーベル・プレート・エクアドルというクラブが誕生した。

タイトル

国内タイトル

  • リーグ : 33回(Mはメトロポリターノ、Nはナシオナル、Aはアペルトゥーラ、Cはクラウスーラ、Fはフィナールの略)
1932, 1936, 1937, 1941, 1942, 1945, 1947, 1952, 1953, 1955, 1956, 1957, 1975M, 1975N, 1977M, 1979M, 1979M, 1980M, 1981N, 1985-86, 1989-90, 1991A, 1993A, 1994A, 1996A, 1997C, 1997A, 1999A, 2000C, 2002C, 2003C, 2004C, 2008C, 2014F

国際タイトル

1986, 1996
1997
1987
1986

過去の成績

現所属メンバー

2014年5月5日現在

テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 開始 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 (15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 (15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 (15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 (15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 中央 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 (15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 (15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 終了

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を示す。

監督

歴代監督

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歴代所属選手

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GK

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DF

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MF

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FW

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脚注

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外部リンク

テンプレート:CAリーベル・プレートのメンバー

テンプレート:アルゼンチンプロサッカーリーグ プリメーラ・ディビシオンテンプレート:Footy-stub
  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. http://www.minutouno.com/notas/70449-segun-una-investigacion-boca-no-es-la-mitad-mas-uno
  3. The World's Club Team of the Monthテンプレート:En iconIFFHS 2010.11.5 13:14 (UTC) 閲覧
  4. 50 sporting things you must do before you dieテンプレート:En iconオブザーバー 2004.4.4付記事
  5. Andrew Haigh When football rivalries go badテンプレート:En iconザ・サン 2008.4.2付記事
  6. 6.0 6.1 テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite news
  10. [1]El superclásico se quedó con el rating más alto del domingo
  11. http://es.wikipedia.org/wiki/Club_Atl%C3%A9tico_River_Plate_de_Embarcaci%C3%B3n