ユヴェントスFC

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ユヴェントス・フットボール・クラブ(Juventus Football Club s.p.a) は、イタリアトリノを本拠地とするサッカークラブチーム。ユベントスとも。

概要

ユヴェントスはラテン語で「若者」や「青春」を意味するユウェントゥス (juventus/iuventus) に由来する。ユーヴェ (Juve) と略称される場合もある。愛称はエンブレムやユニフォームからビアンコネーロイタリア語で「白と黒」、複数形でビアンコネーリや、シニョーラ「老貴婦人(イタリアの貴婦人)」などがある。サポーターはユヴェンティーノといわれる。

白と黒の縦縞がクラブカラーだが、これはノッツ・カウンティの同じユニフォームが由来となっている。それまでは、ピンクのユニフォームを使用していた。

エンブレムの真ん中にいるのは馬ではなく牛。これはホームのトリノ市の紋章にも描かれていて、トリノの語源がタウリーニ(牛の人々)であることが由来である。

セリエAにおいて最も成功したクラブの一つである。スクデット獲得回数はセリエA最多の30回で、ACミランインテルナツィオナーレ・ミラノと並んでイタリアのみならず、世界でも指折りのビッグクラブの一つである。1996年から1998年には3年連続でUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出。過去7度決勝に進むもうち5度は準優勝に終わっている。欧州の主要リーグでは、国内リーグの優勝回数が最も多いクラブがUEFAチャンピオンズリーグの優勝回数も最多である場合が多いが、セリエAプレミアリーグに関しては例外である。

ホームタウンという概念が確立しているヨーロッパには珍しく、全国的な人気を持つクラブである。

2005-06シーズン時点までは、1929年のセリエA開幕以来一度もセリエBイタリア2部リーグ)に降格したことがない2チームのうちの1つであった。現在も降格経験がないインテルとの対戦はイタリアダービーと呼ばれ国内外の注目を集め、ミラノダービーローマダービーと並び、イタリアを代表するビッグマッチの一つである。トリノFCとの対戦はトリノ・ダービーと呼ばれる。

いわゆる「カルチョ・スキャンダル」によるペナルティを受け、2006年にクラブ史上初めてセリエBへ降格した。

2012年2月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2010-2011シーズンのクラブ収入は1億5390万ユーロ(約170億円)であり、欧州第13位、イタリアではACミランインテルに次ぐ第3位である[1]。 2011-2012シ-ズン9季ぶり28度目のスクデット獲得。

歴史

創設期 - セリエA以前

クラブは1897年11月1日にマッシモ・ダゼーリオ高等学校の生徒らによってスポルト・クラブ・ユヴェントス(Sport Club Juventus)として創設された。1900年よりイタリア選手権(後のセリエAに相当する全国大会)に参加。この時期までユヴェントスが使用していたピンクと黒のユニフォームは色褪せしやすいという問題があり、1903年に現在の白と黒(ビアンコネッロ)に代わった。この配色は、当時クラブに所属したイングランド人選手ジョン・サヴェージから代替ユニフォームを頼まれた母国の友人がノッツ・カウンティのファンであったことに由来する。

1905年にイタリア選手権で初優勝した。1906年にはクラブの紛争によってスイス人のアルフレド・ディック会長がクラブを去り、FBCトリノ(現トリノFC)を創設した。

1923年、地元の自動車会社フィアット社オーナーのエドアルド・アニェッリがクラブを買い取り、会長に就任。これが現在まで続くアニェッリ家とフィアットによるユヴェントスへの関与の端緒となる。1925–26シーズンには21年ぶりにイタリア選手権に優勝した。

セリエA発足 - 欧州制覇

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ジョヴァンニ・トラパットーニ
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ミシェル・プラティニ

1929年にセリエAが発足。間もない1930年代前半には5シーズン連続の優勝を飾り、クラブの歴史上最初の黄金時代を築いた。1934年のFIFAワールドカップ・イタリア大会に優勝したイタリア代表には、アルゼンチン出身のFWライムンド・オルシやMFルイス・モンティ、代表主将を務めたGKジャンピエロ・コンビら、実に9人ものユヴェントス選手を含んだ。

1947年にジャンニ・アニェッリが会長に就任、クラブは株式会社化された。1940年代はライバルであるACトリノ(現トリノFC)の好調の影に隠れる格好になった。

1957–58シーズン、初めてのダブルを達成したのみならず、通算10回目のリーグ優勝によってステッラ(星)を胸に付けることを認められる最初のクラブになった。このシーズンから1960–61シーズンまでの4シーズンの間にスクデット3回、カップ2回を獲得。長らくクラブの最多得点記録者だったジャンピエロ・ボニペルティジョン・チャールズオマール・シヴォリのFW三人組は「魔法のトリオ (Il Trio Magico)」と呼ばれた。

1960年代以降、欧州のカップ戦でたびたび上位に入ったが、優勝にまでは至らなかった。

1976年に監督に就任したジョバンニ・トラパットーニは、1986年まで続く長期政権下に多くの栄誉をもたらした。まず、初年度の1976–77シーズンにクラブ初の欧州タイトルとなるUEFAカップで優勝。セリエAでもコンスタントに優勝し、1981–82シーズンに通算20回目のリーグ優勝を達成。1983–84シーズンにUEFAカップウィナーズカップで初優勝。

1984–85シーズンのUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)において、3度目の決勝進出で初勝利し、念願の欧州チャンピオンに輝いた。試合前にはイングランドのフーリガンの蛮行に端を発する惨劇で多くの死傷者が出た(詳細はヘイゼルの悲劇を参照)。同年末にはトヨタカップでアルゼンチンのアルヘンティノス・ジュニアーズをPK戦で破り、世界一のタイトルも手に入れた。

この時代には、セリエAで3シーズン連続得点王となったミシェル・プラティニを始め、後にユヴェントスの最多試合出場記録を作るガエターノ・シレアFIFAワールドカップ・スペイン大会得点王のFWパオロ・ロッシらがいた。

1980年代後半から1990年代前半にかけて、セリエAではしばらく優勝から遠ざかったが、その間にもロベルト・バッジョビアリラバネッリ等の活躍もあり、欧州では2度UEFAカップを優勝した。

2度目の欧州制覇

1994年にマルチェロ・リッピが監督に就任すると、初年度の1994–95シーズンに9年ぶりにスクデットを獲得。1995–96シーズンには、後に絶対的なバンディエラとなるアレッサンドロ・デル・ピエロがエースとして活躍、UEFAチャンピオンズリーグで2度目の欧州チャンピオンに輝き、同年末のトヨタカップにも勝利した。特にUEFAチャンピオンズリーグでは、ジネディーヌ・ジダンフィリッポ・インザーギディディエ・デシャン等の活躍により1995–96シーズンから3シーズン連続で決勝に進出するという離れ業を成し遂げている。

低迷期

1998–99シーズンはセリエA3連覇は堅いと予想されていた。しかし、蓋を開けてみると、予想に反して期待を裏切ったシーズンだった。開幕戦こそペルージャに勝利したものの、デル・ピエロがシーズンを棒に振るほどの大怪我を負って以降は、無得点試合が何試合も続くほどの慢性的な得点欠乏症に苦しみ、中位に低迷した。マルチェロ・リッピが監督を退任した後、カルロ・アンチェロッティが監督に就任したが、セリエA優勝には届かなかった。

不正による2つのスクデット剥奪と史上初の降格

約3年間のブランクを経て、再びマルチェロ・リッピが監督に就任すると、てこ入れとしてジネディーヌ・ジダンフィリッポ・インザーギというこれまでの主力を放出する一方で、パベル・ネドヴェドジャンルイジ・ブッフォンリリアン・テュラムらを獲得した。その結果、2001-02、2002-03シーズンのセリエA連覇を果たす。また、2002-03シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ決勝に駒を進めたが、PK戦の末、惜しくもACミランに敗れる。次のシーズン、セリエAで3位に終わったことの責任を取り、マルチェロ・リッピ監督が辞任。フロントは新監督にファビオ・カペッロを指名した。

エメルソンファビオ・カンナバーロズラタン・イブラヒモビッチといった新戦力を補強し、カペッロ監督の下、ユヴェントスは2004-05、2005-06シーズンを連覇する。しかし、2006年夏にルチアーノ・モッジGMらによる審判への買収・脅迫行為が発覚(カルチョ・スキャンダルも参照)クラブは2004–2005および2005–2006シーズンのスクデット剥奪に加え、史上初のセリエB降格処分を受けた。

セリエA昇格から低迷期

ファイル:Del Piero - Juventus.jpg
アレッサンドロ・デル・ピエロ
カルチョ・スキャンダルでの厳しい処分による影響や相次ぐ主力放出により、苦戦が予想された2006–07シーズンは、アレッサンドロ・デル・ピエロダヴィド・トレゼゲジャンルイジ・ブッフォンパベル・ネドヴェドなどが残留し、ディディエ・デシャン監督の下、セリエB優勝を決めて1年でのセリエA復帰を果たした。

下馬評ではUEFAチャンピオンズリーグへの復帰は難しいだろうと考えられていた2007-08シーズンは予想を覆す勢いで勝利を挙げ3位でシーズンを終え、2008-09シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予備戦3回戦からの復帰が確定。デル・ピエロとトレゼゲの2トップはリーグ戦合計で41ゴールを挙げ、デル・ピエロは21ゴールで得点王のタイトルを獲得した。

しかし、2008-09シーズンは無冠が決定し、シーズン途中でクラウディオ・ラニエリは解任され、かつてユヴェントスのDFとして活躍したチロ・フェラーラがシーズン終了まで指揮を執ることとなった。

2008-09シーズンが無冠で終わったことから、2009年夏の移籍市場では活発に動き、市場開幕前にレアル・マドリードよりフリートランスファーで、かつて所属したファビオ・カンナヴァーロを、また、ヴェルダー・ブレーメンより2450万ユーロでジエゴを、更に移籍金2050万ユーロ(約27億円)に加え、イタリア代表経験のあるMFマルコ・マルキオンニと引き換えにフィオレンティーナからブラジル代表のフェリペ・メロを獲得した。

2009-10シーズンは昨季途中から引き続きフェラーラの指揮の下、開幕当初は勝ち星を重ねることができたものの、徐々に成績を落としていき、チャンピオンズリーグはグループリーグで敗退、21節を終えた時点で首位と勝ち点16差を付けられるなどチームは低迷する。コッパ・イタリアも敗退が決まるとクラブはフェラーラを解任。後任としてアルベルト・ザッケローニの監督就任が発表された。36節カターニア戦で引き分け、来季のチャンピオンズリーグ出場権が消滅してしまった。このシーズン結局7位に終わる。

アンドレア・アニエッリ就任と盟主復活へ - 現在

2009-10シーズンの不振を踏まえ、アレッシオ・セッコSD(スポーツディレクター)らフロント陣の改革が行われ、会長にアンドレア・アニェッリが就任し、GD(ゼネラルディレクター)にジュゼッペ・マロッタを招聘。監督にはルイジ・デル・ネーリが就任。チャンピオンズリーグではグループリーグ敗退。

2011年、セリエAのチームとしては珍しいチアリーディングチーム(メンバー写真)が結成され、フロムワンの雑誌「CALCIO2002」(2011年3月号)に紹介された。チアリーダーの面々はホームスタジアムでの入場セレモニーやスタンドの応援だけにとどまらず、トリノの街角で選手と同じユニフォームとチームカラーの黒と白の大きいポンポンを振りかざしてのゲリラ的パフォーマンスを繰り広げるなどして盛り上げている。セリエAのクラブではチアリーダーはこれまで登場したことがないことから、注目された。

2010-11シーズン中盤以降の失速により、最終的に前年度と同じ7位というヨーロッパの舞台に立つ事すら許されない結果となった。これを受けて抜本的な改革を実行。デル・ネーリを解任し、クラブOBでACシエナをセリエA昇格へ導いたアントニオ・コンテを監督に招聘。

2011-12シーズンに向けてユヴェントスのオーナー陣は増資を決定し、1億2000万ユーロの補強資金が用意された。このうち3700万ユーロは昨季レンタルで獲得したファビオ・クアリャレッラSSCナポリ)を3年契約、アレッサンドロ・マトリカリアリ・カルチョ)を4年契約、シモーネ・ペペマルコ・モッタ(ともにウディネーゼ・カルチョ)を4年契約で、完全移籍で獲得するのに使われた。また積極的な移籍市場への介入を行い、スイス代表のレト・ツィークラー、ACミランでの契約延長に合意しなかったイタリア代表MFアンドレア・ピルロをフリーで獲得した。フェリペ・メロモハメド・シッソコといったこれまでの主力を売却する一方で、ステファン・リヒトシュタイナーアルトゥーロ・ビダルミルコ・ヴチニッチといった実力者を獲得した。

2011年9月、イタリアでは初めてのクラブ占有のスタジアム、ユヴェントス・スタジアムが完成した。スタジアム完成後初のシーズンを23勝15分の無敗で優勝し、セリエA復帰後初優勝を達成した。なお、今回で公式には28回目の優勝であるが、カルチョ・スキャンダルで剥奪された分も含めて30回目の優勝だと主張しており、「30 Sul Campo」(フィールド上では30回)の文字をユニフォームに入れている。このシーズン限りでバンディエラでもあるキャプテンのアレッサンドロ・デル・ピエロがユヴェントスのユニフォームを脱ぐことが決定した。その後、デル・ピエロはシドニーFCに移籍が決定。

2012-13シーズンは、クワドォー・アサモアマウリシオ・イスラウディネーゼ・カルチョからのコンビやポール・ポグバらを獲得したが監督のコンテがシエナ時代の八百長の報告義務違反で処分され、10ヶ月出場停止に(4ヶ月に軽減)。そのハンデをものともせず、着実に勝ち点を重ね、2013年5月5日、連覇を果たした。また、3シーズンぶりのチャンピオンズリーグではグループリーグを突破するも、準々決勝でバイエルン・ミュンヘンにホーム・アウェーとも2-0で敗れた。

2013-14シーズンは、2013年1月に獲得が内定していたフェルナンド・ジョレンテやデル・ピエロが着用していた「10番」を継ぐカルロス・テベス、同じ街のトリノFC生え抜きのアンジェロ・オグボンナを獲得。ホーム戦全勝でリーグ3連覇を達成し、公式に30回目の優勝を果たした。また、13-14シーズンにユヴェントスが積み上げた勝ち点「102」は、欧州主要リーグの最多勝ち点記録を更新した。しかし躍進が期待されたチャンピオンズリーグは、最終戦のガラタサライホームでの悪天候による再試合といったハプニングもあったが、国内での記録的な強さが嘘であるかの様な不調ぶりでグループリーグ3位で敗退した。ヨーロッパリーグは決勝がホームグラウンドのユヴェントス・スタジアムであるため、決勝進出そして優勝が期待された。しかし、準決勝でベンフィカに2試合合計2-1で敗れ、ベスト4で敗退となった。

2014-15シーズン開幕前のプレシーズンキャンプ中、7月15日に3連覇の立役者であるアントニオ・コンテ監督が突然辞任。翌日、元ミラン監督であるマッシミリアーノ・アッレグリの監督就任が決定した。

タイトル

国内タイトル

1905; 1925-1926; 1930-31; 1931-32; 1932-33; 1933-34; 1934-35; 1949-50; 1951-52; 1957-58 15px
1959-60; 1960-61; 1966-67; 1971-72; 1972-73; 1974-75; 1976-77; 1977-78; 1980-81; 1981-82 15px 15px
1983-84; 1985-86; 1994-95; 1996–97; 1997-98; 2001-02; 2002-03; 2011-12; 2012-13; 2013-14; 15px 15px 15px
2006-2007
1937-38; 1941-42; 1958-59; 1959-60; 1964-65; 1978-79; 1982-83; 1989-90; 1994-95
1995; 1997; 2002; 2003; 2012; 2013

国際タイトル

1985; 1996
1984-85; 1995-96
1983-84
1976-77; 1989-90; 1992-93
1984; 1996
1999

過去の成績

シーズン カテゴリ 順位 勝点 試合 コッパ UEFACL UEFAEL 監督
2013-2014 セリエA 優勝 102 38 33 3 2 80 23 ベスト8 グループリーグ敗退 ベスト4 アントニオ・コンテ
2012-2013 優勝 87 38 27 6 5 71 24 ベスト4 ベスト8
2011-2012 優勝 84 38 23 15 0 68 20 準優勝
2010-2011 7位 58 38 15 13 10 57 47 ベスト8 グループリーグ敗退 ルイジ・デル・ネーリ
2009-2010 7位 55 38 16 7 15 55 56 ベスト8 グループリーグ敗退 ベスト16 チロ・フェラーラ
アルベルト・ザッケローニ
2008-2009 2位 74 38 21 11 6 69 37 ベスト4 ベスト16 クラウディオ・ラニエリ
チロ・フェラーラ
2007-2008 3位 72 38 20 12 6 72 37 ベスト8 クラウディオ・ラニエリ
2006-2007 セリエB 優勝 85 42 28 10 4 83 30 ベスト32 ディディエ・デシャン
2005-2006 セリエA 20位[2] 0 38 27 10 1 71 24 ベスト8 ベスト8 ファビオ・カペッロ
2004-2005 ?[3] 86 38 26 8 4 67 27 ベスト16 ベスト8
2003-2004 3位 69 34 21 6 7 67 42 準優勝 ベスト16 マルチェロ・リッピ
2002-2003 優勝 72 34 21 9 4 64 29 ベスト8 準優勝
2001-2002 優勝 71 34 20 11 3 64 23 準優勝 2次リーグ
2000-2001 2位 73 34 21 11 3 61 27 ベスト16 1次リーグ カルロ・アンチェロッティ
1999-2000 2位 71 34 21 8 5 46 20 ベスト8 ベスト16
1998-1999 6位 54 34 15 9 10 42 36 ベスト8 ベスト4
1997-1998 優勝 74 34 21 11 2 67 28 ベスト4 準優勝 マルチェロ・リッピ
1996-1997 優勝 65 34 17 14 3 51 24 ベスト8 準優勝
1995-1996 2位 65 34 19 8 7 58 35 ベスト16 優勝
1994-1995 優勝 73 34 23 4 7 59 32 優勝 準優勝
1993-1994 2位 47 34 17 13 4 58 25 ベスト32 ベスト8 ジョバンニ・トラパットーニ
1992-1993 4位 39 34 15 9 10 59 47 ベスト4 優勝
1991-1992 2位 48 34 18 12 4 45 22 準優勝
1990-1991 7位 37 34 13 11 10 45 32 ベスト8 ルイジ・マイフレディ
1989-1990 3位 44 34 15 14 5 56 36 優勝 優勝 ディノ・ゾフ
1988-1989 4位 43 34 15 13 6 51 36 2回戦 ベスト8
1987-1988 3位 31 30 11 9 10 35 30 ベスト4 ベスト32 リノ・マルケージ
1986-1987 2位 39 30 14 11 5 42 27 ベスト8 ベスト16
1985-1986 優勝 45 30 18 9 3 43 17 ベスト16 ベスト8 ジョバンニ・トラパットーニ
1984-1985 5位 36 30 11 14 5 48 33 優勝
1983-1984 優勝 43 30 17 9 4 57 29 ベスト16

現所属メンバー

<3-5-2> 2013-14シーズン スターティングメンバー

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2014年8月15日現在

テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 開始 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(12px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(副主将) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 中央 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(15px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 終了 ※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

レンタル移籍

in

テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 開始 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 中央 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 終了

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共同保有

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13/14移籍

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プリマヴェーラ

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歴代記録

出場試合数

名前 出場試合数 期間
1 アレッサンドロ・デル・ピエロ(#) 705 1993-2012
2 ガエターノ・シレア 552 1974-1988
3 ジュゼッペ・フリーノ 528 1965-1966, 1969-1984
4 ロベルト・ベッテガ 481 1966-1969, 1970-1983
5 ディノ・ゾフ 476 1972-1983

得点

名前 得点数 期間
1 アレッサンドロ・デル・ピエロ(#) 290 1993-2012
2 ジャンピエロ・ボニペルティ 179 1946-1961
3 ロベルト・ベッテガ 178 1966-1969, 1970-1983
4 ダヴィド・トレゼゲ(#) 171 2000-2009
5 オマール・シヴォリ 167 1957-1965

(#)は現役選手であることを示す。

歴代監督

氏名 国籍 期間
エリベルト・エレーラ テンプレート:PAR 1964-1969
ルイス・カルニグリア テンプレート:Flagicon アルゼンチン 1969-1970
Ercole Rabitti テンプレート:Flagicon イタリア 1970
アルマンド・ピッキ 1970-1971
チェストミール・ヴィツパーレク テンプレート:Flagicon チェコ 1971-1974
カルロ・パローラ テンプレート:Flagicon イタリア 1974-1976
ジョヴァンニ・トラパットーニ 1976-1986
リノ・マルケージ 1986-1988
ディノ・ゾフ 1988-1990
ルイジ・マイフレディ 1990-1991
ジョヴァンニ・トラパットーニ 1991-1994
マルチェロ・リッピ 1994-1999
カルロ・アンチェロッティ 1999-2001
マルチェロ・リッピ 2001-2004
ファビオ・カペッロ 2004-2006
ディディエ・デシャン テンプレート:Flagicon フランス 2006-2007
ジャンカルロ・コッラディーニ テンプレート:Flagicon イタリア 2007
クラウディオ・ラニエリ 2007-2009
チロ・フェラーラ 2009-2010
アルベルト・ザッケローニ 2010
ルイジ・デル・ネーリ 2010-2011
アントニオ・コンテ 2011-2014
マッシミリアーノ・アッレグリ 2014-

歴代所属選手

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関連項目

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. Deloitte Football Money League 2012 2012年2月9日に国際監査法人『デロイト』が公表した2010-2011シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング。
  2. カルチョ・スキャンダルによって優勝を剥奪された。
  3. カルチョ・スキャンダルによって優勝を剥奪された。

外部リンク

テンプレート:Sister

公式


テンプレート:ユヴェントスのメンバー テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:欧州クラブ協会メンバー テンプレート:Link GA テンプレート:Link GA