チロ・フェラーラ

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テンプレート:サッカー選手 チロ・フェラーラ(Ciro Ferrara, 1967年2月11日 - )は、イタリア出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー

来歴

現役時代

1985年5月5日、ユヴェントスとの試合でSSCナポリからデビューを果たし、ミシェル・プラティニなどがいたスター軍団を0点に抑えた。1985-86シーズンは14試合に出場して評価を高め、1986-87シーズンにはレギュラーに定着して28試合2得点を決め、リーグ初優勝とコッパ・イタリア制覇の立役者の一人となった。1987年6月10日、アルゼンチンとの親善試合に出場してイタリア代表デビューし、ディエゴ・マラドーナのいるチームに3-1で勝利した。1988-89シーズンにはUEFAカップを制し、1989-90シーズンに2度目のリーグ優勝を飾ったが、チームの黄金時代を築いたマラドーナ、カレッカブルーノ・ジョルダーノなどがクラブを去り、ナポリは急速に順位を下げていった。地元開催のワールドカップイタリア大会のアズーリの一員に選ばれ、3位決定戦ではフル出場した。

1994年夏、ナポリからユヴェントスに引き抜かれたマルチェロ・リッピ監督はフェラーラの獲得を就任の条件に要求し[1]、フェラーラはユヴェントスに移籍した。1994-95シーズンには10年ぶりのリーグ優勝とカップ制覇の2冠を果たし、1995-96シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ優勝、1996年冬にはトヨタカップ優勝を果たした。1996-97シーズンと1997-98シーズンに2シーズン連続リーグ優勝を成し遂げた後は3年連続で無冠が続いたが、2001-02シーズンには自身6度目(ナポリ時代を含む)のスクデット獲得を果たした。代表でも主力の一人であったが、ユーロ96ワールドカップフランス大会は大会前の怪我により出場を逃した。2005年に現役を引退したが、セリエAでは通算500試合に出場した[2]

ナポリで活躍したディエゴ・マラドーナとは親友である。ロッカールームに置き忘れてあったマラドーナのスパイクを拝借し、チャリティオークションに出品したことがある[1]

指導者へ

引退後、2006年からユヴェントスの下部組織の責任者を務めた。また、2006 FIFAワールドカップでは技術スタッフとしてイタリア代表に帯同し、イタリア代表の優勝をサポートした[3]。また、2008年7月にマルチェロ・リッピがイタリア代表監督に復帰してからは再度、技術スタッフとして帯同していたが(ユヴェントスの下部組織責任者との兼任)、後述のユヴェントスの監督就任により、2009年6月にイタリアサッカー連盟との契約を解除した。

2009年5月にユヴェントス前監督クラウディオ・ラニエリの解任により、臨時ではあるが自身初の監督に就任し、采配初戦となったACシエナ戦では、3-0で勝利し、6試合勝利から遠のいていたチームに久々の勝利をもたらした。最終節SSラツィオ戦でも勝利し、チームを2位に導いた。この2試合の采配により、シーズン終了後にクラブと2年間の契約を交わした[3]

2009-2010シーズン、チームはグループリーグの時点でUEFAチャンピオンズリーグ敗退が決まり、リーグでも8試合で5敗と低迷。コッパ・イタリアインテル戦で負けた後に解任された[4]

2010年10月、U-21イタリア代表の監督に就任した[5]。 2012年7月、U-21イタリア代表監督を辞任し、UCサンプドリアの監督に就任したが、12月に成績不振のため解任された[6]

選手経歴

指導経歴

獲得タイトル

脚注

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テンプレート:ユヴェントスFC歴代監督
  1. 1.0 1.1 ワールドサッカーダイジェスト』、日本スポーツ企画出版社、2003年5月15日号
  2. テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 フェラーラ氏、ユーベ監督に正式就任uefa.com、2009年6月5日
  4. ユベントスがフェラーラ監督解任、新監督にザッケローニ氏ロイター通信、2010年1月30日
  5. Official: Former Juventus Boss Ciro Ferrara Appointed As Italy Under-21 Coachgoal.com、2010年10月22日
  6. カターニアに敗れたサンプドリアが監督交代Goal.com、2012年12月18日