MiG-25 (航空機)

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テンプレート:Infobox 航空機 MiG-25 (テンプレート:Lang-ru) はソビエト連邦ミグ設計局国土防空軍向けに開発したマッハ 3 級の航空機迎撃戦闘機型と偵察機型、敵防空網制圧型および練習機型があった。北大西洋条約機構 (NATO) がつけたNATOコードネームフォックスバット (Foxbat) であった。 なお、当時の冷戦構造の下では西側諸国が入手できた旧ソ連の情報は限られていたため、トゥシノ航空ショーで存在が初公表されてからしばらくの間、この機体はMig-23にあたるのではないかという観測が西側の間に存在していた。当機種がMig-25であると広く認識されたのは、後述のベレンコ中尉亡命事件以降の事である。

概要

開発

1950年代アメリカ合衆国では B-58XB-70SR-71 などの超音速機が開発された。ソ連のミグ設計局は、こうした侵入機に対する迎撃戦闘機の開発の必要に迫られていた。

ファイル:MiG-25 fig2agrau USAF.jpg
MiG-25RBS
低高度を飛行する写真偵察型の一部このような迷彩が施された。

ミグではそれまで I-3UI-7UI-75Ye-150 といった超音速迎撃戦闘機の開発実績があり、その十分な研究成果を持っていた。また、これらの試験機では「ウラガーン」迎撃システムが試験され、超音速での迎撃システム構築の基礎データを集積していた。一連の試作機は Ye-150 と Ye-152 で完成の域に達し、両機は持続時間は限定的ながら、高度 22-23 km の空域において最大 3,000 km/h での飛行を実現した。また、B-58、 XB-70、 SR-71 という恐るべき標的に対し有効な攻撃を加えるため、長距離の捜索レーダーと長射程空対空ミサイルの開発も急がれた。

その結果完成されたのが、1961年に姿を現した Ye-155[1] (Е-155) であった。これは Ye-150/152 の純粋な発展型であったが、所期の能力を達成するためにその機体構成は大きく変更されていた。まず、機体の構成素材が変更され、高速飛行に際しての高熱に対する耐久性が高められた。エンジンは大型のターボジェットエンジン R-15-300 が二基搭載され、垂直尾翼は外開きの二枚装備とされた。この垂直尾翼二枚装備は MiG-25 が世界初である。大型の捜索レーダーを搭載するため、空気取入口は機首から機体両脇に移動され、長大な機首には大型のレドームが装備された。ここには、地上から上空の目標まで誘導される自動迎撃装置が搭載された。

Ye-155 には迎撃戦闘機型の Ye-155P (Е-155П) の他、高速偵察機型の Ye-155R (Е-155Р) と巡航ミサイル母機型の Ye-155N (Е-155Н) が開発された。しかし、Ye-155N の実用化は見送られた。

ファイル:R-40.jpg
MiG-31 の搭載するR-40
エルロンや付け根などに差異はあるが、MiG-25 の主翼形状をほぼ踏襲している

Ye-155P は「航空機ミサイルによる空中目標迎撃システム S-155」の主要構成要素となることが見込まれた。そのため、機体にはシステムに連動する大型の機上捜索レーダー「スメールチ-A」、誘導ミサイルの K-40 (のちにR-40として制式化) 、地上目標航法装置の「ヴォーズドゥフ-1」の機上航法指令送信装置「ラズーリ」が搭載された。

試験は1960年代を通じて行われた。1962年から 1963年にかけて 4 機の Ye-155 が製作された。その内二機は迎撃戦闘機型の Ye-155P1 と Ye-155P2 で、残る二機は偵察機型の Ye-155R1 と Ye-155R2 であった。最初に組み立てられ飛行したのは Ye-155R1 で、1964年3月6日に初飛行に成功した。Ye-155P1 はこれに遅れること約半年、1964年9月9日に初飛行した。その後も数機の試作機が製作された。

1967年からは Ye-155P の最初の量産型機が製作された。1967年には Ye-155P7/8/9 の 3 機が、翌1968年には Ye-155P10/11 の二機が製作された。これらは、S-155 システムの国家試験に使用された。ソ連航空産業省の指令により、Ye-155P は1968年に MiG-25P (МиГ-25П) 、製品84 (Изделие 84) として制式化された。部隊配備は1970年より開始された。

一方、偵察機型に関しては1968年に 4 機目の試作機となる Ye-155R4 が製作され、これが最初の量産型機となった。Ye-155R2/3/4 の 3 機が国家試験に供され、試験は1969年10月に終了した。量産は1968年から開始されており、航空産業省の指令により MiG-25R (МиГ-25Р) として制式化された。

MiG-25 の生産は、ゴーリキー(現ニージュニー・ノーヴゴロト)の第21航空機工場で実施された。MiG-25P は、それまでの主力迎撃戦闘機 Su-9Su-11 を代替してソ連防空軍の主力機となっていった。一方、MiG-25R とその派生型偵察機などはソ連空軍での前線任務に入った。また、最高高度到達記録の 37.6 km など、高度到達時間トライアルでは米国の SR-71 や F-15 ストリークイーグルF-4 ファントムのトライアル仕様機と熾烈な争いとなりこれらの機種と共に多くの記録を保持している[2]

アメリカの不安

MiG-25 は最高速度が非常に速く、3,000 km/h (およそマッハ 2.83 相当)での飛行を目標に設計されており、実用化された戦闘機としては最速である。イスラエルのレーダーにマッハ 3.2、中東方面ではマッハ 3.4 の飛行速度が記録されている[3]。超音速ジェット機の最高速度は、エンジンの出力限界ではなく、機体の構造や空気摩擦の耐熱限界をもとに算出される場合が多い。MiG-25 も、構造材のニッケル鋼で耐熱上の安全を確保できるのはマッハ 2.83 までだったとされ、マッハ 3 を超える飛行は 8 分程度が限界であった。

MiG-25 のその最高速度やノズル、空気取入口のサイズからアメリカはターボファンエンジンを搭載した航続距離の長い非常に高性能な機体であると予測した。そのころ、アメリカが使用していた戦闘機は機動性が悪いものが多く MiG-25 に対抗できるものはないとして危機感を覚え、機動性に優れた F-15 を開発することとなった。

不安の解消

しかし MiG-25 の実際の性能は1976年ベレンコ中尉亡命事件によって明らかになる。1976年9月6日ヴィクトル・ベレンコ中尉が搭乗する MiG-25 が演習中に突如急降下し日本に向かって飛行を開始した。これを日本のレーダーが捉え、領空侵犯の恐れがあるとして千歳基地の F-4EJスクランブルを行った。日本に向かってくる MiG-25 を探すが、レーダーサイトのレーダーは MiG-25 が低空飛行に移ると探知することはできず、また、F-4EJ のレーダーはルックダウン能力、つまり上空から低空目標を探す能力が低く、MiG-25 を発見できなかった(ただし当時調達可能な戦闘機としては、これを上回るルックダウン能力を持つ機体は存在しないのだが)。結局そのまま MiG-25 は函館空港に強行着陸した。このことによって日本のレーダー網の脆弱性が判明、日本は空中から低空目標を探せる早期警戒機E-2C を導入することとなる。

この MiG-25 を分解調査したところ

  • チタニウムを大量に使用していると見られていたが、実際にはニッケル鋼が多く使われていた。これでは機体表面を 300℃ に加熱させるマッハ 3 での飛行に耐えられず、MiG-25 が安全に飛行できる最高速度はマッハ 2.83 程度だった。
  • 迎撃に特化した戦闘機であり、機動性などはそれほど高くない。もともとソ連の防空システムにおける航空機の役割は、地上管制による誘導を受けて長射程ミサイルを目標付近まで輸送し発射するというものであったため、機動性に関しては重視されていなかった。このため、本来の設計思想と異なる戦術・制空戦闘目的で運用された中東諸国の MiG-25 は、芳しい戦果を挙げていない。
  • 巨大なエアインテークとノズルは当初予想されていたターボファンエンジンやターボラムジェットでは無く、高速飛行時のラム圧縮効果をあらかじめ見込んで圧縮比を低く設定したターボジェットエンジンの採用によるものだった。
  • 電子機器はハイテクを駆使していると見られていたが、実際にはオーソドックスな真空管が多く使われており、先進性より信頼性を重視したものとなっていた。方式は旧式であったが、レーダーの出力は 600kW と極めて大きいものであり、相手方の妨害電波に打ち勝って有効であったと伝えられている[4]。他にも、半導体回路を使用すると核爆発の際に発生する電磁パルスで回路が焼損するおそれがあるため使用しなかったとの説もある。
  • 機体設計においては、MiG-25 は特にその機体構成要素において、革新性よりは信頼性に重点をおいた堅実な設計に基づいた機体であった。

以上の事から、MiG-25 は西側の懸念したような格闘戦用の制空戦闘機ではなく、ソ連の防空システムに完全に組み込まれる、領空防衛を主目的とする典型的な迎撃戦闘機であると考えられた。これにより、西側への侵攻が行われた際に MiG-25 が前線に現れ脅威となるような状況は想定されなくなり、調査班は西側諸国の不安が「過大評価」であったとの結論を下した。

ただし、この MiG-25 の「過大評価」はアメリカ空軍が予算、特に F-15 開発の予算を獲得せんがために、ソ連の脅威を宣伝した結果ともいわれる。アメリカもマッハ 3 級の戦闘機・爆撃機を試作していた経験から、高速に特化した機体の運動性がさほど高くは無いであろう事は予測していたともされ、2011年現在においても、マッハ 3 近い高速性能と高い運動性を両立した航空機は存在していない。実際にアメリカ空軍は「高速で運動性が高い」 MiG-25 の脅威を訴えながらも、F-15 に対して運動性と引き換えに速度性能の要求を緩和しており、速度性能と運動性能の両立に矛盾や限界が存在することを承知していた。

なお、MiG-25 の設計年次は、F-15 などより実質的に一世代前となっている。真空管の使用は時代遅れだという指摘にしても、MiG-25 のプロトタイプが制作された 1960年代には、レーダー回路に使えるような大出力のトランジスタや IC などは、そもそもアメリカでもまだ実用にならなかった時代である。

ベレンコ中尉は取り調べの後、希望通りアメリカへ亡命。MiG-25 の機体はソ連に返還されている。ソ連ではこの事件によって自国の防空システムが西側に露見してしまったのではないかと懸念し、以降 MiG-25 の搭載機材の一新を図ることとなった。特に、搭載レーダーとその関連システムはまったく別系統のものに変更された。機材更新以降の MiG-25 は MiG-25PD と呼ばれたが、搭載機材の急な変更は一挙に行えるものではなく、数年を掛けて複数のタイプの MiG-25PD が製造されることとなった。

主な派生型

ベレンコ中尉のもたらした機体は迎撃戦闘機型の MiG-25P であったが、亡命事件を受けてソ連ではこの機体のシステム変更の必要に迫られた。ソ連にとっては、MiG-25P が捕獲されたことによって自国の防空システム全体が露見してしまう可能性が最大の関心事であった。このため、防空システム全体の見直しが必要となった。搭載機材を変更して1978年に完成されたのが MiG-25PD (МиГ-25ПД) であった。MiG-25PD では、それまでの「スメールチ」にかえ、MiG-23ML の搭載レーダーを改良した「サプフィール-25」レーダーを搭載した。また、その他の電子装備も変更し、機首下面にはこれも MiG-23ML から流用した赤外線追跡装置を装備した。以降はこの機体が配備されていった(MiG-25PD にも数シリーズあり、初期のものは外見上 MiG-25P に似ている)。既に配備されていた MiG-25P も PD 規格の MiG-25PDSМиГ-25ПДС)に改修された。また、MiG-25P を代替する迎撃戦闘機として本来は前線戦闘機であった MiG-23 も防空システムに組み込まれることとなり、MiG-25PD 同様の機材を搭載した迎撃戦闘機型 MiG-23P が製造された。結果、長射程ミサイルを使用できる MiG-25PD と中射程ミサイルを使用する MiG-23P が並行して防空軍へ配備されることとなった。

最初の偵察機型 MiG-25R は本格的な運用には至らず、1970年には戦術偵察爆撃機型の MiG-25RB (МиГ-25ЛБ) が初飛行した。この機体からは、戦術偵察爆撃機(写真偵察機)型の MiG-25RBV (МиГ-25РБВ)、 MiG-25RBK (МиГ-25РБК)、 MiG-25RBS (МиГ-25РБС)、 MiG-25RBF (МиГ-25РБФ)、 MiG-25RBSh (МиГ-25РБШ)、戦術電波偵察機型の MiG-25RBT (МиГ-25РБТ) などが開発された。

MiG-25RB から開発された敵防空網制圧機型は MiG-25BM (МиГ-25БМ) と呼ばれた。MiG-25BM は対レーダー電波システム「ヤグアール」を搭載し、これにより対レーダーミサイルテンプレート:仮リンク を運用できた。Kh-58U は最大で四発を搭載できた。

この他、複座練習機型として練習訓練戦闘機型の MiG-25PUМиГ-25ПУ)と練習訓練偵察機型の MiG-25RUМиГ-25РУ)が開発された。

冷戦後

ファイル:MiG-25PU rvb 1.jpg
ロシア空軍の MiG-25PU

MiG-25 の運用上最大の欠点は時速 3,000 km の飛行に耐えるよう設計された機体のデリケートさと機体やエンジンの整備の煩雑さ、許容しがたい燃料消費量の多さなどであり、MiG-25 はこうした運用効率の悪さから冷戦終結後は冷遇された。

ロシアでは他に代替機のない各種偵察機型と防空制圧型の MiG-25BM 、及び各種試験にも用いられる複座型が運用されているが、それ以外は退役していると思われる。ウクライナベラルーシでも全機が独立後数年以内に退役したとされる。また、ブルガリア空軍の機体はロシア空軍の MiG-23MLD との引き換えで返還された。以前は実戦で活発な活動を見せていた中東地域の機体も、現在では稼動状態にあるのか疑わしい。

アルジェリアは近年まで運用していたが、2005年の時点では不明。いずれにせよ、今後恐らくは MiG-29SMTSu-30MK に代替される予定である。リビアでも、2007年現在で稼動状態にはないと見られている。長年偵察機型 (MiG-25RB) を運用してきたインドでも、2006年5月をもって退役した。

ファイル:Iraqi-MiG-25-in sand.jpg
イラク国内で砂の中に埋められていた MiG-25RB 偵察機
また、湾岸戦争ではイラク空軍の MiG-25 がアメリカ海軍F/A-18 を一機撃墜しており、2006年現在、ベトナム戦争以降で唯一米軍機を実戦で撃墜した機体である。また、これは湾岸戦争における空対空戦闘に於いて、イラク側が唯一挙げた戦果でもある。

2003年3月には、イラクで RQ-1 プレデターと交戦し、これを撃墜している。これは武装した無人機と有人機の初の戦闘である。

一方、MiG-25 を改良した長距離迎撃機 MiG-31 も開発され、こちらはロシアでは迎撃戦闘機の主力のひとつとして運用されており、その数は運用されている迎撃戦闘機の約半数であるといわれる。なお、残り半数は Su-27 。また、MiG-31 はカザフスタンでも使用中である。しかしながら、各種開発された MiG-31 の派生型は、飛躍的な能力向上を見せた MiG-31M をはじめいずれも量産には結びついていない。

別名の由来

冷戦終結後、各基地に貯蔵してあった航空機エンジン等の冷却用のアルコールを関係者らがみな飲んでしまったという話があるが、中でも MiG-25 用のアルコールは極めて純度が高く、とりわけ美味だったとされている。特に MiG-25 はおよそ 300L ものアルコールを気化熱冷却用に搭載したため、ロシアでは『アルコール運搬機』を意味する Спирт-Воз (Spirt-Voz) という愛称が用いられた[5]

スペック (MiG-25P)

  • 翼面積 : 61.40 
  • 翼面荷重量 : 598 kg/m²
  • 空虚重量 : 20,000 kg
  • 通常重量 : 36,720 kg
  • 最大離陸重量 : 41,000 kg
  • 発動機 : ソユーズ・ツマンスキー R-15BD-300 2 基
  • 推力 : 10,210 kg
  • 推力重量比 : 0.41
  • 速度
    • 速度制限 : マッハ 2.83 (3,090 km/h)
    • 最大速度 : マッハ 3.2 (3,490 km/h)
  • 航続距離 : 1,730 km
  • 上昇率 : 50 m/s
  • 実用上昇限度 : 20,700 m
  • 最大到達高度記録 : 37,600 m

使用国

テンプレート:Flagicon ソビエト連邦
国土防空軍
ソ連空軍
テンプレート:Flagicon ロシア
ロシア
テンプレート:Flagicon ウクライナ
空軍
防空軍
テンプレート:Flagicon ベラルーシ
空軍及び防空軍
テンプレート:Flagicon アゼルバイジャン
空軍
テンプレート:Flagicon カザフスタン
防空軍
テンプレート:Flagicon トルクメニスタン
空軍
テンプレート:Flagicon ブルガリア
空軍
テンプレート:Flagicon アルジェリア
空軍
テンプレート:Flagicon イラク
空軍
テンプレート:Flagicon シリア
空軍
テンプレート:Flagicon リビア
空軍
テンプレート:Flagicon インド
空軍

登場する作品

  • アルジェントソーマ Phase:1 - 「再生と死と」冒頭で空気取入口側面にカナード翼を追加した国連空軍高高度迎撃機のMiG-25改(架空機)が登場。
  • CAPTAINアリス - 亡命の際に使用。
  • 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー - デストロン・トリプルチェンジャー空陸参謀ブリッツウィングの変形形態のひとつとして登場。
  • 「ラスト・カウントダウン/大統領の選択」 - 1990年のテレビ映画。3機のMig-25が、主人公たちの乗るB-52を迎撃する。尾部銃座にて1機が撃墜され、2機は核攻撃に巻き込まれる。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:ОКБ и.м. А.И.Микояна и М.И.Гуревича


  1. E-155 とも書かれる。
  2. 雑誌『航空情報』出典。
  3. 『ミグ戦闘機―ソ連戦闘機の最新テクノロジー メカニックブックス』原書房から。
  4. 『週刊ワールドエアクラフト』2001/6/12号、P11より。
  5. Спирт (spirt: アルコール), Воз (Voz: 荷馬車) 。「エアコンバット DVD コレクション 超高速迎撃機フォックスバットのすべて」に、この愛称について言及している場面がある。ただし、この DVD は日本語音声と英語音声で収録されており、日本語音声では「スピルトヴォース」ではなく「スピオトフォズ」と発音している。一方、英語音声では「スピートフォーズ」と聞こえる。しかし本項では「ロシア語綴りに基づく日本語表記」を用いることとし、「スピルトヴォース」とした。