空襲

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イタリア陸軍航空隊による世界初の航空爆撃
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ドイツ軍によるロンドン空襲(1941年)
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アメリカ・イギリス軍による空襲後のハンブルク(1944年または1945年撮影)

空襲(くうしゅう、テンプレート:Lang-en-short)とは、空中から目標に対して爆弾の投下や機銃掃射などを行うことである。

概要

空襲の主な方法に爆撃がある。爆撃は爆弾や焼夷弾などの投下をいう。 爆撃は、目的によって「戦術爆撃」と「戦略爆撃」に区別される。「戦術爆撃」が戦場で敵の戦闘部隊を叩いて直接戦局を有利にすることを目的とするのに対し、「戦略爆撃」は戦場から離れた敵国領土や占領地を攻撃する場合が多く、工場や港、油田などの施設を破壊する「精密爆撃」と、住宅地や商業地を破壊して敵国民の志気を喪失させる「都市爆撃」とに分けられる。 「都市爆撃」は、無差別爆撃恐怖爆撃地域爆撃などさまざまに呼ばれ、無差別爆撃という呼び名が最も普及している[1]

また、航空作戦において空襲という用語は戦略的、作戦的、戦術的な局面にわたって幅広く使用されるが、その攻撃の形態から空挺作戦(Airborne / Airlift)、急襲(Raid)、特殊作戦(special operations)、航空攻撃(air attack)の四つの種類に区分される[2]

歴史

第一次世界大戦

第一次世界大戦以前以前の航空用法は一部に爆撃の準備もあったが、主体は地上作戦協力の捜索目的、指揮の連絡、砲兵協力など航空戦略、航空戦術には値しないものだった[3]テンプレート:要出典 また同年ドイツ軍軽飛行機タウベによるバルカン爆撃が行われる[4]

1914年第一次世界大戦が開始すると爆撃が逐次試みられた。ドイツによって1914年パリ爆撃、1915年飛行船による爆撃、1917年英本土爆撃が行われ、それに対しイギリス、フランスも報復爆撃を行った[5]。1915年後半になると飛行機に戦闘機、爆撃機という分科機能が現れた。[6]。 日本軍による最初の爆撃は1914年9月青島戦争において海軍機のモーリスファルマン式4機で青島市街に対して行われた[7]。1916年ヴェルダンの戦いでフランス軍は機関銃射撃、爆弾投下でドイツ軍の行軍縦隊、予備隊などを攻撃し戦果を上げた。これによって低空からの対地攻撃など偵察機、駆逐機で歩兵突撃支援する航空戦術が広がる[8]

第二次世界大戦

1921年航空戦力の本質を攻勢とし空中からの決定的破壊攻撃を説いたジュリオ・ドゥーエ(イタリア)の『制空』が発刊され、世界的反響を生んだ[9]。ドゥーエやウィリアム・ミッチェルに代表される制空獲得、政戦略的要地攻撃を重視するには戦略爆撃部隊の保持が好ましく、1930年代には技術的にも可能となり、列強は分科比率で爆撃機を重視するようになった。[10]。イギリス空軍参謀長ヒュー・トレンチャードは、敵の銃後を破壊するための強力な爆撃機集団の必要性と敵住民の戦意と戦争継続の意思を低下させるための爆撃を主張して、東アフリカからインド、ビルマまでの植民地への懲罰作戦として一部実行された[11]

その後も戦略爆撃は広がり、スペイン内戦の1937年4月26日スペイン北部・バスク州の小都市ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスのコンドル軍団によって空爆を受けた。日中戦争では1937年8月南京爆撃では日本軍による渡洋爆撃が行われ、1938年から1943年まで継続的に行われた重慶爆撃もあった。 アメリカは太平洋戦争の末期1945年には精密爆撃から無差別爆撃まで焼夷弾も使用した爆撃が日本の各都市に実施された(日本本土空襲[12]

現代

現代戦においては巡航ミサイルの開発により、航空機による攻撃だけではなくミサイルによる攻撃も多用される。特に開戦第一撃においては敵の防空システムが稼動している中での作戦となるため、味方の損害を極小化するために巡航ミサイル攻撃が多用される。その段階においての主要攻撃目標は後に続く航空機による損害を減少させるために、まず敵防空システムの破壊及び組織的抵抗力を減少させるための指揮通信系統の破壊となる。

一部では、無人機を使用した空襲も行われるようになっている。

戦争における航空機の比重は高まる一方である。また低強度紛争への介入においても、航空攻撃は自軍の犠牲や負担を少なくして相手にダメージを与える方法として、多用される傾向がある。戦略爆撃としての性格もあるが、旧来のような無差別爆撃は世界の世論から批判を浴びることが多くなり、また、正確に特定の地点を爆撃できるようになったことから、第二次世界大戦で実施されたような無差別爆撃は行なわれなくなった。

航空攻撃は、各国の安全保障上、陸戦、海戦を決定的に左右し、優勢に戦局を運ぶことができるため、最も重要な作戦のひとつに位置づけられている。爆撃機を保有することは先制攻撃能力を持つこととして、日本などのような専守防衛の方針をとる国は保有していない[13]。現在の防衛政策としては敵地攻撃は専ら日米安全保障条約に基づく米軍の役目と位置づけられているので、自衛隊のその能力は限られている。

空襲の手段

爆撃

空襲の方法として爆撃が最も知られている。古くから専用の航空爆弾や爆弾投下装置、照準器、爆撃機が開発されてきた。

爆撃には様々な方法が開発された。(詳細は各項目を参照)

その他

爆撃と並んで古くから用いられてきたのが、航空機搭載の機関銃で地上目標を攻撃する機銃掃射である。空対空戦闘用に装備された機関銃をそのまま流用して攻撃を行うことができ、車両や人間などの小型の移動物体に対する簡便な攻撃手段として使用されてきた。地上への機銃掃射を重視した攻撃機攻撃ヘリコプターもある。機関銃や機関砲にとどまらず、より大口径の大砲までを航空機に搭載した例もある。75mm砲を積んだB-25榴弾砲を積んだガンシップの一種などがある。

航空機に装備するロケット弾ミサイルの技術が進むと空襲の手段として利用されるようになった。無誘導のロケット弾は、複数をロケット弾ポッドの形で航空機に搭載することが多く、戦術目標に対する近接航空支援などに用いられる。攻撃ヘリコプターが搭載した対戦車ミサイルによる空襲は、対戦車兵器として極めて有力な存在である。空中発射式の巡航ミサイルを使用しての攻撃は、命中精度が相当に高い一方で、有人の母機が反撃を受ける危険が爆撃よりも小さい利点がある。対艦攻撃手段としても各種の空対艦ミサイルが用いられる。航空機によらず、地上から発射される地対地ミサイルによる攻撃も、広い意味での空襲として使用される。長射程の地対地ミサイルは戦略爆撃の有力な手段である。

に対する空襲で用いられたのが航空魚雷を使用した雷撃である。水線下に損害を与えられる空襲の方法として第二次世界大戦中は有力であったが、現在では空対艦ミサイルに取って代わられ廃れている。

戦略爆撃の一環として航路の封鎖を企図して機雷が投下される場合があり、掃海が間に合わなければ海運による物流が麻痺する場合もある。

相手国民の戦意や兵士士気喪失を狙ったプロパガンダとして伝単(宣伝ビラ)が投下もある。

航空機で目標に体当たりする航空特攻もある。

関連項目

脚注

  1. 三浦俊彦『戦争論理学 あの原爆投下を考える62問』二見書房21頁
  2. Jeschonnek, 1993. p.26.
  3. 戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで57頁
  4. www.ohtm.org(英語)
  5. 戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで59-60頁
  6. 戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで58頁
  7. 荒井信一『空爆の歴史』岩波新書5頁
  8. 戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで57-59頁
  9. 戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで233頁
  10. 戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで373頁
  11. 荒井信一『空爆の歴史』岩波新書12-14頁
  12. 荒井信一『空爆の歴史』岩波新書129頁
  13. ただし、三菱F-2支援戦闘機が500ポンド爆弾を12個、もしくはクラスター爆弾4個を装備可能である等、自衛隊が爆撃能力をまったく有していないわけではない。この場合の爆撃能力とは、先制攻撃目的でなく、あくまでも侵略を受けた際に敵上陸部隊を撃破することが目的である。

参考文献

テンプレート:参照方法

  • A・C・グレイリング『大空襲と原爆は本当に必要だったのか』河出書房新社、2007年、ISBN 978-4309224602
  • Jeschonnek, F. K. 1993. Air assault. in International Military and Defense Encyclopedia. vol. 1. pp.26-30. New York: Charles Scribner's Sons.
  • Morzik, F. 1965. German air force airlift operations. New York: Amo Papers.
  • Morzik, F. 1972. The fall of Eben Emael. New York, London: Hyde.
  • Otway, B. H., Trans. 1951. Airborne forces. London: War Office.
  • Schemmer, B. F. 1976. The raid. New York, London: Harper and Row.
  • Tugwell, M. A. J. 1971. Airborne to battle. London: Kimber.

外部リンク