林原めぐみのTokyo Boogie Night

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:独自研究 テンプレート:Infobox animanga/Header テンプレート:Infobox animanga/Radio テンプレート:Infobox animanga/Footer林原めぐみのTokyo Boogie Night』(はやしばらめぐみのとうきょうブギー・ナイト)は、声優林原めぐみパーソナリティを務めるキングレコード製作・一社提供[注 1]ラジオ番組アニラジ)。1992年(平成4年)4月11日からTBSラジオで放送を開始。2011年(平成23年)6月26日に放送1000回を、2013年(平成25年)5月25日26日に放送1100回を達成した。略称は「TBN」または「ブギーナイト」。「東京ブギーナイト」と表記される場合もある。

※ 放送日・放送回数は基本的にキー局であるTBSラジオを基準とする[注 2](「#放送回数について」も参照)。

概要

リスナーの日常生活ネタを中心としたお便りとそれに対する林原のトーク、およびキングレコード・スターチャイルドレーベルの楽曲紹介を基本に進行する30分番組である。キー局であるTBSラジオ公式サイトの番組紹介欄では、「声優界のトップを走り続ける林原めぐみ。ラジオの彼女は、どんな時もリスナーの味方。一度聴いたらハマリます。来週も絶対See You Again!」[1]、TBSラジオフリーマガジン「954press」ではそれ以前の紹介文と同じ「カリスマ声優の飾らないトークと、ミュージックで送るバラエティ」と、それぞれ紹介されている。番組開始当初は林原めぐみのフリートーク15分に加えて、関西で放送されていたラジオドラマ番組『熱血電波倶楽部』を関東でも放送するという目的で、両15分ずつを合体させた30分番組としてスタートした(数回に1回、「30分丸々DJスペシャル」として林原のトークで進行)。2000年(平成12年)2月にドラマパートが完全終了してからは現在の番組の形となっている。

声優がパーソナリティを務めるアニラジとしては、『mamiのRADIかるコミュニケーション』や『ノン子とのび太のアニメスクランブル』、自身の『林原めぐみのHeartful Station』などに次ぐ歴史のある番組である。林原はブログやTwitterでの情報発信をしておらず、ファンクラブも存在しないため、ファンにとっては林原の普段の出来事や新曲発表などの情報が得られる数少ない場となっている。

2003年(平成15年)9月に『ラジオ・アニメどんぶり』が終了してからは現在に至るまで、TBSラジオがキー局の番組で唯一のアニラジである。

お便りが紹介されたリスナーには「リスナーのしるし」として靴ひもが送られる。ゲストが番組に来た場合には、ゲストと林原の寄せ書きサイン色紙、またスターチャイルド関連のグッズが出されることが多い。キー局のTBSテレビ(東京放送)のバレーボール応援グッズがプレゼントになったこともある。林原がプレゼント告知を忘れた場合でも、ゲストからのプレゼントは用意されている。

通算放送回数が100回を達成するごとに記念として公開録音イベントが行われる(#公開録音概要を参照)[注 3]。なお、この公開録音は林原が活動方針上コンサート活動を行わない代わりとして、ファンへの感謝の気持ちもこめて、抽選による招待ではあるものの参加費無料で開催される[注 4]

郵便物の宛て先は、番組名を「めぐみのTBN」と書いても番組宛に届くようになっている。番組の宛て先(「こんなんありますぅ」宛など)を通じて、林原にプレゼントを贈ることも可能である。

テーマソング

オープニングテーマ
エンディングテーマ

「Tokyo Boogie Night」の原曲は、OVA『機動戦士SDガンダムMARK-III 宇宙の神秘・大作戦』のエンディングに使用されたもので、林原めぐみと本多知恵子によるデュエット曲である(当ラジオ番組に使用されているのは林原によるソロカバー)。2004年5月15・16日放送分では岡崎律子の死去に対する追悼として、この回のエンディングのみ岡崎の「Lucky&Happy」が使用された。

オープニングとエンディングの提供クレジットのナレーションは番組開始当初より堀内賢雄によるものである。

挨拶

お決まりの挨拶として、番組冒頭では「皆さんこんばんは、林原めぐみです。一週間のご無沙汰いかがお過ごしだったでしょうか」、番組終了時に「来週も絶対See you again. お休み、バイバイ」がある。

主な歴史

1992年(平成4年)
4月11日より、番組放送開始。当時はTBSラジオのみの放送で、番組テーマ曲「Tokyo Boogie Night」の歌詞同様に「午前2時」である土曜26:00からの放送であった。後に東海ラジオを皮切りに、全国各地へネット局を増やしていく(#放送局を参照)。
1994年(平成6年)
1月1日(第90回)より、「リスナーのしるし」としてノベルティの靴ひもを採用者にプレゼント開始。
10月15日(第131回)より、TBSラジオでの放送時間が土曜日25:30に変更。
1996年(平成8年)
4月13日(第209回)より、TBSラジオでの放送時間が土曜日25:00に変更。
10月25日JRN系『金曜UP'S』にて『林原めぐみのTokyo Boogie Night スペシャル』が2時間生放送された(#スペシャル番組を参照)。
1997年(平成9年)
4月13日(第261回)より、TBSラジオでの放送時間が日曜日23:00に変更。
1998年(平成10年)
4月1日に行われた放送300回突破記念公開録音イベントのアンコール時に、突如ウエディングドレス姿で舞台に登場。イベント2日前の自身の誕生日に入籍したことを発表し、ファンを驚かせた。
4月12日(第313回)より、TBSラジオでの放送時間が日曜日24:00に変更。
2000年(平成12年)
2月6日(第408回)に放送された『それいけ!宇宙戦艦ヤマモト★ヨーコ』を最後に熱血電波倶楽部のラジオドラマが終了。放送開始当初より、後半15分部分にラジオ番組『熱血電波倶楽部』のラジオドラマパート、また熱血電波倶楽部がドラマパートではなくDJパートを放送する際には引き続き林原のDJパート(30分まるまる林原DJスペシャル)を放送していたが、これ以降は毎回林原のDJパートになっている。
2001年(平成13年)
3月、ゴールデンマイク賞を受賞[注 5][2]
5月、ナイスプレー賞を受賞。
10月1日、TBSラジオの放送が東京放送(現:東京放送ホールディングス)からTBSラジオ&コミュニケーションズに引き継がれた告知後の最初の番組となった。この告知のため、当番組はその日に限り1分放送時間を遅らせての開始となった。
2007年(平成19年)
5月21日、番組への投稿手段として、電子メールを一部解禁。
2011年(平成23年)
6月26日の放送で、通算放送回数1000回を達成した。
2012年(平成24年)
10月21日の放送分において、TBSラジオのみ番組の冒頭で同じくTBSラジオで放送されている『今晩は 吉永小百合です』が誤放送される放送事故が発生[3]
2013年(平成25年)
5月25日26日放送分において通算放送回数1100回を達成。

聴取率について

TBSラジオ製作の番組とは違いスポンサーであるキングレコード自身の製作・提供であることからか、番組では聴取率調査を念頭においた特別企画を行うこともなく、結果の公表もほとんどないが、放送開始以来長らく聴取率は好調を維持している。

明らかになっているものでは、同時間帯聴取率1位継続という長年の功績により2001年(平成13年)3月にゴールデンマイク賞[注 5][2]、4月2週目の調査において単独首位となったことで同年5月にナイスプレー賞を受賞したことを番組内で公表している。また、2007年のインタビューでは「聴取率は変わっていない」と発言しており、同年12月の調査では主要民放局シェアにおいて調査対象となる男女12 - 69歳全体でニッポン放送と同率首位であった[4]。2012年2月や4月の調査では、男性10代 - 20代(12 - 19歳、20 - 29歳)の層で首位であったことが判明している。

放送回数について

テンプレート:出典の明記 第1回放送から現在までの間に番組休止等の影響により、暦上の放送回数・実際の放送回数・番組内等で現在告知する公式放送回数には若干のズレがある。

  • ネット局がTBSラジオのみの時代だった1992年8月1日放送分は完全に放送休止となっている。この週以外はいずれかのネット局で必ず放送されているため、暦上の放送週と実際の新規放送回数には1回分のズレが発生している。
  • 放送500回達成の頃まではいずれかの局で放送があった場合には放送回数にカウントする方法を採用していたが、600回を迎える頃には番組内での放送回数の告知がTBSラジオを基準とする方法に変更されていた。600回以前までに「TBSラジオで休止し振替放送無し/ネット局では放送」という週が3度あるため、両者に3回分のズレが発生している。その後、TBSラジオでは何度も放送休止となっているがカウントはされていることから、ズレを残したまま以前のカウント方法に戻っている。
  • 第599回放送(2003年(平成15年)10月26日放送分)の時、かつて1回分だけ放送回数が重複している旨を告知している。それは1997年10月19日放送分(第288回)のことで、直前番組のプロ野球日本シリーズヤクルトVS西武』戦中継の急遽延長によりTBNは放送中止。この放送は1997年11月3日(2日深夜)の3:00(27:00)[5]から放送された。
  • また、放送日が国政選挙の投票日と重なった場合、各放送局では開票特番を編成して放送時間の変更や番組の休止がある。1997年春改変から日曜日に枠移動をしたキー局であるTBSラジオでは放送休止(そのほかのネット局への裏送り)になることが多いため、上記のカウント回数でいくと、実際の放送回数と番組で発表されている放送回数とは数回程度ずれが生じていることになる。
  • なお、1996年10月25日(25:00 - 27:00)に放送されたスペシャル番組は放送回数にカウントされていない(詳細は後述を参照)。

スタッフについて

テンプレート:要出典範囲

その他

  • 他のキングレコード・スターチャイルドレーベル制作番組で多く導入されている電子メール投稿は、林原本人が「ハガキの温もりを大切にしたい」[注 6]「コンピューターの文字よりも、手書きのほうがリスナーの喜怒哀楽の表情がわかりやすいので好み」[6]という意向で番組の開始時から長らく受け付けていなかった[7]2007年5月21日放送分から「早口言葉の挑戦状」と「電波私物化コーナー」に限り、番組放送開始15年目で初めて受け付けるようになったが、その他のコーナーは引き続き郵送手段でのみ投稿を受け付けており、現在も実質的にはハガキ投稿中心の番組となっていたが、2011年2月6日放送分(第980回)からは「ゲストへのおたより」、「プレゼント応募」、「質問箱」も「MEGUMI HOUSE」の投稿フォームで受け付けることを番組内で発表した。
  • TBSラジオ・HBCラジオ・北陸放送・中国放送・南海放送・KBCラジオの6局では一つのCM枠に20秒のCMが2本流されるが、IBC岩手放送・東北放送・新潟放送・信越放送・静岡放送・東海ラジオ・KBS京都・山陽放送・熊本放送の9局では、20秒のCM1本のみで他局で流されている残りの枠内において、林原の歌「がんばって!」がフィラーとして流されている[注 1]。なお、公開録音が行われる際に流れるCMも2本目は「がんばって!」のフィラーであることから、2本目がフィラーになるパターンがデフォルトであると考えられる。

コーナー・企画

現在

早口言葉の挑戦状
リスナーが送ってきた早口言葉に林原(およびゲスト)が挑戦するコーナーで、番組の冒頭に行われる[注 7]。初登場は1992年9月12日放送分(第22回)で、11月14日放送分(第31回)よりレギュラー化。オリジナル・引用は問わないが、引用の場合は引用元などを記入する必要がある。失敗すると「リスナーのしるし」と呼ばれる靴ひもに加えて林原のサイン色紙、成功の場合は靴ひもだけがリスナーに贈られる[注 8]。成功時は効果音でチューブラーベルと鐘、失敗時には爆発音が鳴っていたが、2011年4月10日放送分(第989回)からは成否のSEが成功時は「ピポピポピポン」、失敗時は「ブー」と鳴るように変更された。公開録音の際は、投稿された早口言葉の中から3つを採用し、各内容を1回ずつもしくは3回続けて喋る場合もある。2011年3月20日放送分(第986回)は東北地方太平洋沖地震東日本大震災)発生後、最初に収録された回であり、主に地震関連のトークとなったため行われなかった。また、翌週の3月27日放送分(第987回)と翌々週の4月3日放送分(第988回)でも行われず、3週連続で休止。当コーナーはレギュラー化して以降、休止した事例は何度かあるが、番組の冒頭で行われる看板コーナーでもあるため、休止すること自体が非常に珍しい[注 9]。そのため、3週連続休止は初めてのことである。
普通のお便り[8]
ノンジャンルの普通のお便りを紹介する番組のメインコーナー。
こんなんありますぅ
食べ物、地名、誤植記事などの珍しいものを林原に報告するコーナー。ネタを紹介せずに自身の告知をする場合もある。ゲストが出演している時や特別企画などで放送時間が取れない時は省略される。1995年10月14日放送分(第183回)よりレギュラー化。
電波私物化クラブ
リスナーからの伝言板。両親、親戚、友人、飼っている動物、愛用している品物、投稿者本人などへのメッセージが中心である[9]。このコーナーも時間がない場合は省略される。
過去にはこのコーナーで「リスナーの集い」(現在でいうオフ会)が呼びかけられ、リスナー同士が交流を深める自主イベントが開催されたことがあったが、インターネットが普及し始めたころから、そのような呼びかけはされなくなった。
初登場は1992年5月2日放送分(第4回)であり、正式名称が付けられているコーナーとしては番組最古の現役コーナーである(普通のお便りはハガキを紹介するフリートークであり、正式名称ではない)。
夏休み恒例キーワードクイズ(8月限定)
放送1週につきある1文字が発表され、全てを繋いで応募すると抽選でプレゼントが当たる。「夏休みにも自宅や帰省先でラジオを聴いてほしい」という思いもあり、大抵は4週に渡って発表される。原則として前週のキーワードは言わないが、一部ネット局が編成の都合で未放送だった地域があった場合は特例で前の週のキーワードを合わせて発表したこともあった。[注 10]

過去

熱血電波倶楽部
ラジオドラマを放送するコーナー。『熱血電波倶楽部』の記事を参照。
春猫不思議うそよ
珍しい物事を紹介するコーナー。しかしながら、そのほとんどが嘘ネタ(リスナーが作った作り話)で、ハガキの最後は「うっそだけど」で締められる。中には、さも本当のように巧妙に書かれた嘘ネタや、その逆でまるで嘘のような本当の話が送られることもあった。なお、本当の話の最後は「ほんとぴょ〜ん」で締められる。また本当の話は後の「こんなんありますぅ」のコーナーの原型になり、同コーナーに発展する形で終了。
どこ行っちゃったんでしょうね
君のAnswer
おしえてHappyness

林原の産休による休暇時の対応

2004年に林原が出産休暇に入った際の処置として、最初の4週間(6月13日 - 7月3日)はまとめ録りでリクエスト曲を中心とした放送を行い、その後の4週間(7月11日 - 8月1日)は日高のり子が代理パーソナリティを務めた。

放送局

現在

※ 2014年4月時点。本番組は番組販売され、JRNNRNなどのネットワークに関係なく放送されており[注 11]、過去にはFM局での放送実績もある。

放送地域 放送局 放送開始日 現在の放送時間
関東広域圏 TBSラジオ(キー局)[注 12] 1992年4月11日 日曜 24:00 - 24:30
北海道 北海道放送 1995年1月8日
岩手県 IBC岩手放送 2001年10月7日 日曜 23:30 - 24:00
宮城県 東北放送 1996年4月7日
新潟県 新潟放送 1996年2月4日 日曜 23:00 - 23:30
長野県 信越放送 1997年4月13日
石川県 北陸放送 1997年4月6日 日曜 22:30 - 23:00
静岡県 静岡放送 2002年10月6日 日曜 23:30 - 24:00
中京広域圏 東海ラジオ[注 13] 1993年2月6日
京都府滋賀県 KBS京都[注 13] 1994年10月2日 日曜 22:30 - 23:00
岡山県 山陽放送 2002年9月28日 日曜 23:30 - 24:00
広島県 中国放送 1996年10月6日 日曜 22:25 - 22:55[注 14]
愛媛県 南海放送 1995年1月1日 土曜 22:30 - 23:00
福岡県 九州朝日放送[注 13] 1995年4月16日 土曜 24:00 - 24:30
熊本県 熊本放送 1995年1月1日 土曜 23:00 - 23:30[注 15]

※ 但し、Radikoプレミアム会員向けのエリアフリーでは、番組制作会社の都合で配信されず、Radikoの都道府県のエリア内でしか聴取出来ない。

過去

公開録音概要

記念回数 開催場所 開催年月日 備考
100回 豊島公会堂 1994年3月30日 [注 16]
200回 豊島公会堂 1996年4月7日
300回 豊島公会堂 1998年4月1日
400回 杉並公会堂 2000年4月2日
500回 ゆうぽうと簡易保険ホール 2002年1月27日
600回 新木場スタジオコースト 2004年3月27日 [注 17]
700回 九段会館 2006年4月30日
800回 メルパルクホール東京 2007年11月3日 [10]
900回 東京厚生年金会館 2009年10月4日 [注 18][11][12]
1000回 中野サンプラザ 2011年6月11日 [注 19][13][注 3]
1100回 中野サンプラザ 2013年6月2日 [注 20]
  • 番組タイトルに「Tokyo(東京)」 と地名が入っている関係上、必ず東京都内で開催されており、東京都以外で開催された事例は無い。
  • 公開録音は往復ハガキによる応募でのみ参加希望者を受け付ける。当落は往復ハガキの返信で発表される。なお、600回記念の時にはハガキが遅延する郵送事故が多発し、当落結果やハガキが番組宛てに到着しているかどうかの問い合わせが相次いだ。
  • 2011年6月11日に放送1000回記念公開録音が実施されたが、会場では先の東日本大震災の義援のために献血や募金が実施されており、募金へのお礼という形で、あらいずみるいによる書き下ろしリナ=インバース色紙・貞本義行による書き下ろし綾波レイ色紙・アルバム『VINTAGE White』仕様オリジナルデザイン色紙それぞれに林原めぐみの直筆サインを加えた色紙(1回1,000円以上の募金につき1枚)がおよそ1200枚ずつ計3600枚手渡された。通常の募金と合わせ、この日1日で408万8586円が集まったという。献血コーナーの方では一般的な献血に参加した時に譲渡される際と同じように菓子や飲料などのほか、公開録音用の粗品として林原のブロマイドが献血参加者に配られた。また、通常は林原がファンに色紙を贈る側であるが、放送1000回突破記念のお祝いとして、逆にファンからの寄せ書きサイン色紙という形で林原に色紙を贈った者もいた。
  • 1100回記念では色紙募金は行われなかったが、献血コーナーが1000回記念に引き続いて行われた。

スペシャル番組

1996年10月25日(25:00 - 27:00)に、『金曜UP'S』(TBSラジオ、北海道放送、山陽放送、RKB毎日放送、琉球放送)にて『林原めぐみのTokyo Boogie Night スペシャル』が2時間生放送された。ゲストとして矢尾一樹平松晶子井上和彦らが登場。このスペシャルは『UP'S』の番組として企画放送されたものであるため、放送回数にはカウントされておらず、生放送および地上波でのスペシャルプログラムもこの時限りである。

2012年3月31日 - 4月1日開催のアニメ コンテンツ エキスポにて、スターチャイルドはブースでの様子や特別プログラムなど配信する「スタ生」を動画サイト・ニコニコ動画で33時間配信された。そのプログラムのひとつとして、『林原めぐみのHeartful Station』との特別横断ラジオ番組である『幕張DESSE Heartful Night』が事前収録風景の映像と併せて3月31日(20:00 - 21:00)に配信された[14]。当番組からは「早口言葉の挑戦状」「こんなんありますぅ」「電波私物化クラブ」のコーナーが行われた。

『林原めぐみのHeartful Station』との関係

林原めぐみのHeartful Station』(以下『HS』)は当番組(以下『TBN』)と同様にキングレコードが製作しており、同一のレコード会社による製作で同一のパーソナリティが担当するラジオ番組が2つ放送される形となっている。これは、1991年に『HS』がアール・エフ・ラジオ日本でスタートしたものの数回放送後打ち切りとなった後、キー局を兵庫県を放送エリアとするラジオ関西に移して『HS』の放送を再開し、翌1992年関東広域圏での番組として『TBN』を開始した経緯があるためである。

両番組には、同時期に林原関連の情報の告知がされることや、同じゲストの登場、通算放送回数が100回を越えるごとに公開録音イベントを行うという共通点がある。しかし、リスナーの便りを読んで林原がトークを展開する時間が番組のほとんどを占める『TBN』に対して、『HS』ではテーマが定められた多数のコーナーがあるほか、アシスタント(保志総一朗)やコーナーパーソナリティ(SEGA社員の竹崎忠)が出演するため、番組の雰囲気はある程度差別化されている。

放送エリアについては『TBN』の方がネット局が多いが、全国的に見ると両番組が互いに放送エリアを補完するような関係になっている。また、中京・京阪神・福岡県のように同一放送エリア内の複数のラジオ局で『TBN』・『HS』を放送している一方で、北海道・岩手県のように同一ラジオ局が両番組を放送している場合もある。なお、関東広域圏では1997年4月11日から1998年9月にかけて、前述の『金曜UP'S』(TBSラジオ、北海道放送、RKB毎日放送、琉球放送)で『HS』を放送していたことがあった。『UP'S』枠の終了後もTBSラジオ以外の3局は放送時間帯を変更して『HS』の番組ネットを続けている。

関連項目

脚注

注釈

  1. 1.0 1.1 ただし一時期、東海ラジオ・KBS京都・熊本放送では、2本流れるCM枠のうち後半1本がローカルスポンサーに差し替えられることがあった(東海ラジオはヤマギワソフト、KBS京都はコアデ企画(関西アニメイト)、熊本放送はまるぶん)。
  2. 年に数回程度、年末年始や選挙開票速報の特別番組やサッカーのワールドカップ中継の影響により、放送が休止になったり、地方局では放送時間が変更になったりすることがある。キー局で休止されても地方局で放送がなされるため、現在では放送回数にカウントされている。
  3. 3.0 3.1 1000回記念のみ記念回数達成前に開催し、1000回目の放送で流すという手法であった。同様に、ハートフルステーションの1000回記念も1000回達成前の開催であった。
  4. 公開録音の模様およびそのライブパートは、林原のアルバムの初回特典として映像化されているものがある。アルバム『VINTAGE A』(TBN400回記念)、『feel well』(TBN500回記念)、『Plain』(TBN600回記念)、『CHOICE』(TBN900回記念)の各初回版特典DVDもしくはVHS(『Plain』のみCD)でそれぞれの模様を確認できるが、単品の映像作品としては販売されていない。
  5. 5.0 5.1 ゴールデンマイク賞は、継続してTBSラジオの番組に出演し、聴取率やステーション・イメージの向上に寄与した出演者に贈られる賞である。
  6. 『ラジオ番組表 2007秋号』(三才ブックス刊)の当番組の特集記事のインタビューで「電子メールだとリスナーの気持ちを読み取ることができない」という発言をしており、ハガキを読んで番組を進行するという形にこだわりを見せている。
  7. 2007年2月11日放送分はゲストの出演が後回しになったため、後半部に行われた。なお、後半部での施行はこの回以外に例がない。
  8. ゲスト出演者の成功・失敗は関係ない。
  9. 岡崎律子をはじめとする、林原と所縁の深い人物の死去が番組内で初めて告知された回でも通常通りに行われている。
  10. この企画は『林原めぐみのHeartful Station』でも行われる。関東エリアの放送局で行われるレーティングとは特に関係はない。2011年は前述の東日本大震災の被災者に対する配慮のため、行われなかった。
  11. ただし、東日本大震災発生後最初の放送では、募金先として、キー局のTBSラジオが行っているJNN・JRN共同災害募金「絆プロジェクト」の紹介をしていた。
  12. JRN単独局
  13. 13.0 13.1 13.2 NRN単独局
  14. 2008年3月までは、23:30 - 24:00に放送されていた。
  15. 2009年3月までは(日)23:30 - 24:00に放送されていた。同年9月までは(日)23:00 - 23:30だった。
  16. 記念すべき第1回目の公開録音が行われたのは林原の誕生日でもあり、誕生日関係のネタもあった。
  17. この時は展示会が開かれ、参加できなかった人も展示会のみ入場可能だった(ただし、600回記念に因んで600円の入場料が必要だった)。
  18. 当番組の公開録音で初となる2回上演(視聴者は「午前の部」か「午後の部」のいずれかに参加、両方への参加は不可)となった。
  19. 当選ハガキに「2011年6月11日」ではなく、「2010年6月11日」と誤記載するミスがあり、番組内で告知された。
  20. 同じ会場で2回以上続けて開催するのは100回 - 300回までの開催地だった豊島公会堂以来。

出典

  1. テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite book
  3. 「吉永小百合です」TBSラジオも事故(日刊スポーツ)
  4. テンプレート:Cite web
  5. 23:00からは通常通りの放送、深夜2:00からの『赤坂ライブ』(第一日曜深夜での放送)を放送してからの放送となった。
  6. 2009年12月20日放送分の本人の発言より。
  7. しかしながら、2013年11月23日放送分の中で、自身はスマートフォンユーザーで、機種変更の際iPhoneに変えたと話している。
  8. 「普通のお便り」という名称はあくまでも俗称であり、実際には正式名称は無い。ただし、リスナーが投稿先を解かり易くするため、公式サイトにおいても「普通のお便り」という名称を使用している。
  9. 稀にメッセージを伝える対象相手が林原の場合もある。
  10. テンプレート:Cite web
  11. テンプレート:Cite web
  12. テンプレート:Cite web
  13. テンプレート:Cite web
  14. テンプレート:Cite web

外部リンク

テンプレート:前後番組

テンプレート:林原めぐみ