松井道夫
テンプレート:Infobox 人物 松井 道夫(まつい みちお、1953年3月22日 - )は、日本の実業家、第4代松井証券社長。松井証券中興の祖。ネット証券事業に参入し、同社の業容を大きく拡大した。旧姓・務台。
兜町(証券業界)やメディアからは、『異端児』、『革命児』、『風雲児』等と呼ばれている。
人物
長野県東筑摩郡波田村(現・松本市)生まれ。父の務台甚一は旧松本市内出身で東京国税局勤務。生後すぐに父のいた東京北区の官舎(当時)に移り住む。1968年東京都立竹早高等学校入学。高校時代はジャズ喫茶に入り浸り山下達郎と友人だった。美術部に所属し、東京藝術大学(芸大)志望だったが芸大出の顧問の先生に、芸大を出ても絵を描いて生活していくのは難しいと言われ諦める。
1976年一橋大学経済学部卒業(石弘光ゼミ)後、日本郵船入社。優秀な先輩社員に圧倒され、英語の勉強をしたり京都大学文学部の講義に潜り教養を身につけようとした。
1986年、実弟(務台)則夫の妻の紹介で、松井証券の2代目社長松井武の長女・千鶴子(当時上智大学助手)と結婚し、松井家の婿養子となる。1987年、松井証券に入社し、研修のため日興證券に出向。日興證券ロンドン支店にも滞在したが、そのほとんどはイギリス国内や欧州大陸の旅行など自由気ままな生活をしていた。
1988年松井証券取締役法人部長、1990年常務取締役営業本部長、1995年代表取締役社長に就任。1998年本格的なネット証券事業参入、同社を信用取引で野村證券を抜き業界トップにする。2004年にネット証券専業大手4社により設立されたネット証券評議会会長に就任した。(2007年3月末に解散)
2006年には、村上世彰氏らとともに設立に参画したオンライン商品先物会社ドットコモディティの取締役を退任し、本業に専念する構えを見せている。また、1996年の「株式保護預かり料無料化」以来疎遠だった日本証券業協会のインターネット証券評議会議長就任し、同協議会の証券戦略会議のメンバーにも選任されている。
資産
松井道夫及び妻の松井千鶴子はフォーブス (雑誌)日本人富豪ランキングで、2007年29位(資産10.9億ドル)、2008年35位(資産7.8億ドル)、2009年21位(9.5億ドル、約893億円)、2010年27位(9.6億ドル、約874億円)2013年21位(14億ドル、約1358億円)でランクインしている。
親族
実家・務台家は武田信玄家臣の家系。哲学者の務台理作とは遠縁にあたる。弟の務台則夫(1956年1月26日生まれ)は東京大学経済学部(1980年卒業)→東京銀行→マサチューセッツ工科大学経営大学院(1985年MBA取得)→外資大手証券→松井証券代表取締役副社長(2006年6月25日就任)というコースをたどったが、2007年5月23日に代表取締役副社長を退任、同年6月24日に取締役を退任した後、翌2008年1月29日突然の心筋梗塞により死去した。
趣味・特技
- 絵画: 幼少の頃、銭湯の富士山の絵に感銘を受ける。小学生低学年までの成績は「図工」だけが5。一橋大学美術部所属。今でもたまに自宅で絵を描いている。
- 音楽(ジャズ、ロック): 好んで聴くアーティストは、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、ザ・クラッシュ、ニルヴァーナ、ナイン・インチ・ネイルズ、デヴィッド・ボウイなど。
- 園芸: 自宅の庭で穴を掘って,ほじくり返して、植物を植えて、育つのを見るのがおもしろいとのこと。そういう自分をジジ臭くなったと思っている。[1]
- 囲碁: 将棋は苦手だが囲碁は挽回がきくのでできるとのこと。
- 麻雀: 大学時代に寮などで友人と麻雀を打っていたというが、現在はしていないと思われる。
- 剣道: 1年だけ一橋大学剣道部に所属。一橋剣友会の竹下達夫(パイオニアハイブレッドジャパン創業者)と出会う。
- ジョギング: 皇居の周りを走ったり、社長室でルームランナーを使用している。
- 読売ジャイアンツ、長嶋茂雄、松井秀喜: チームよりも選手個人のファンと言い、長嶋の引退試合を見て涙を流したと言っている。松井秀喜は自身のライバルであるとも言っている。
語録
- 「あの決定は間違っていた。ごめんなさい。"なし"にする」:コールセンター取引を1000人体制に増強する最終決断時に、この一言でインターネット取引に方針を転換。右腕の常務が多くの社員とともに退社する。(著書より)
- 「空売り規制?馬鹿言うな。・・・このオタンコナス!」:空売り規制への批判(著書より)
- 「学生や卒業したてで起業したいなどという人には、クソして寝てろと言いたいです。」:学生起業家に対して。(ベンチャー通信にて)なお、同じベンチャー通信で、堀江貴文元ライブドア社長は、「ずぐに大学を辞めて実社会で仕事をするべきです 」と正反対のことを学生にアドバイスしていた。
- 「訳の分からない分割、地獄に堕ちろ」「いずれ市場から数十倍、数百倍のしっぺ返しがある」:ネット証券評議会主催セミナー(2004年9月4日、渋谷公会堂)で、名指しは避けたものの実質的にライブドアの株式100分割を批判。この松井発言に対して、宮内義彦オリックス会長が「発言の気持ちはわかる、松井さんにしてもっともなこと」と理解を示していたが、当時ライブドアがプロ野球参入を目指し世論の支持を得ていたため、掲示板等で松井への非難の書き込みが相次いだ。しかし、2006年1月16日に東京地検特捜部が証券取引法違反容疑でライブドアを強制捜査したこと(ライブドア・ショック)により松井の発言は現実となった。ただし、松井証券の多数の顧客(投資家)も道連れとなり地獄に堕ちている。(松井証券は2006年3月期決算で9億4千9百万円の貸倒引当金を計上し、大半がライブドア・ショック関連であることを株主総会で明かしている。)
- 「営業利益で“3”並びはいきたい」:2005年3月期の業績予想について問われ、明言はしないものの営業利益333億円を目標として掲げた。中間期時点では難しいと思われたが、その後の相場の活況もあり達成している。
- 「おじいちゃん、おばあちゃんの頭になれよ」:新聞広告に難しい証券用語を使おうとした社員に対して。(NHK経済羅針盤より)
- 「積極的ニートは逆に見込みのある若者たちですよ」:「ニート」の問題について質問された時の発言。(Yahoo!ブックス インタビューより)
- 「政治家は顔に責任を持て」:有権者に選挙ポスターの顔を凝視し、脇に書いてある言葉に惑わされてはダメだと説いた。(infoseek 総選挙2005より)
- 「あまりこの業界を甘く見てもらいたくない」:システム障害を多発させ金融庁から業務改善命令を受けた楽天証券への批判。ネット証券評議会からの除名も示唆。楽天証券は「直接聞いたわけではないので、コメントできない」としている。
- 「『ダース・ベイダー』はハリウッド映画だけで充分です」:金融帝国はビジネスモデルでもなんでもないという批判。(2006年、新年の挨拶で)
- 「正直申し上げて、松井証券はこの数年ずっと居眠りをしておりました」:松井証券の売買代金シェアが低下したことへの反省。(2006年、新年の挨拶で)
- 「楽天みたいになったら本末転倒」:楽天証券のようにならないようにシステムの安定を最優先し、緊急時は新規口座開設も停止する可能性を示唆。(2006年1月27日、ストックボイスで)
- 「Gなんとかっていう外資のガソリンスタンドの証券会社が1030円というヒステリックな目標株価を前に出しましたけど、あんなのは論外」:ゴールドマンサックス証券が発表した松井証券の目標株価に対する発言。約半年後の2006年7月7日に松井証券の株価は1030円を割っている。(2006年1月27日、ストックボイスで)
- 「イー・トレード(のワンボックス)はJASDAQと東証と別々」:実際にはイー・トレード証券のアクティブプランは、市場が別々でもワンボックスで計算されるので間違った発言。(2006年1月27日、ストックボイスで)
- 「素人が出てきて、荒らすだけ荒らしていった」:分割を繰り返し市場を混乱させてきたライブドア堀江貴文氏(当時社長)が逮捕され市場から去っていったことを、この一言で表現した。(2006年1月27日、ストックボイスで)
- 「会社と顧客は信用市場で、同じように、リスクを負っている。掛け目0とは、そのリスクをすべて顧客に押し付けたことを意味している。業界では非常識すぎて話にならない」:マネックス証券がライブドアおよびその関連会社の担保能力を予告なく「掛け目ゼロ」にしたことに対する批判。
- 「今や同業を全て敵に回したと思ってください」:(松井証券のIT革命より)
- 「個人向け国債?そんなハイリスクな商品、うちでは取り扱いません!」:松井証券は太平洋戦争の敗戦により、保有していた国債等が紙切れ同然になった過去を持っている。
- 「松井証券はカブドットコムがやる遥か前にこれ(逆指値)を考えておりました」:ネット証券のパイオニアなのに逆指値の提供は他社に遅れをとっているという株主の指摘に、システムの安定性を理由にあえて提供していなかったと答弁した。(2006年6月25日、株主総会にて)
- 「サラリーマンなんて言葉は死語になる。必ず死語になる」:(2006年10月23日、早稲田大学大隈塾にて)
- 「インターネットよくわかりません。そんなに興味もないしね」:(2006年10月23日、早稲田大学大隈塾にて)
- 「私のミスです。」:2006年9月に無料にした無期限信用取引の手数料をわずか3ヶ月で有料に戻したことへの反省の弁。(2006年12月6日、ストックボイスで)
主な著書
- おやんなさいよでもつまんないよ (2001年、日本短波放送)
- みんなが西向きゃ俺は東 (2003年、実業之日本社)
- 好き嫌いで人事 能力主義でも成果主義でもない超アナログ組織論 (2005年、実業之日本社)
受賞歴
- 第15回 企業広報賞 優秀経営者賞(1999年)
- 第2回 企業家賞(2000年6月)
- 東洋経済賞 第4回(2000年度)ベンチャークラブ アントレプレナー賞
メディアへの出演
テレビ
- 堺屋太一のビジネスリーダー(BSフジ:2002年1月20日、27日)
- ワールドビジネスサテライト(テレビ東京:2003年8月8日*[2]、2004年4月23日*[3])
- 情熱大陸(毎日放送:2004年3月21日*[4])
- Opening Bell(テレビ東京:2004年10月20日)
- 経済羅針盤(NHK:2004年11月21日)
- デイリープラネット金曜発言中(NNN24・BS日テレ:2005年1月21日)
- be on TV(BS朝日:2005年8月7日*[5])
- がっちりマンデー!!(TBS:2006年3月12日)
CM
- 松井証券 寿司屋編、床屋編、庭師編(2001年)、株券ゆうパック編(2003年)
ラジオ
- る〜さ〜’sカフェ!(ラジオたんぱ:2000年7月28日)日本オンライン証券(現カブドットコム証券)の臼田琢美氏がパーソナリティ役の番組にゲスト出演
- 森永卓郎 朝はニッポン一番ノリ!(ニッポン放送:2005年10月19日)
- 木村剛のイノベーションパワー(ラジオNIKKEI:2006年5月17日、24日
- ストックボイス - 東京株式実況中継!(ストックボイス) 四半期毎の決算発表後にゲスト出演
外部リンク
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