渋谷公会堂

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渋谷公会堂(しぶやこうかいどう、Shibuya Public Hall)は、東京渋谷にあるコンサートホールである。渋谷区が設置し、指定管理者制度により株式会社パシフィックアートセンターが管理・運営をしている[1]

ファイル:渋谷公会堂ー1.JPG
区民による第九コンサート(2011.12.3)

概要

音楽堂としての評価は高く、作曲家・黛敏郎により「クラシック音楽に最適」と評されてほか、2009年平成21年)には日本音響家協会による『音響家が選ぶ優良ホール100選』に選出されている。

また、NHK放送センターの正面、渋谷公園通り沿いに立地する2,000人規模の会場という特性もあり、ミュージシャンや歌手にとってはこのホールでの公演の実施・成功が、一流への登竜門、人気のバロメーターのように扱われることもある。

開業当初の1964年昭和39年)には、東京オリンピック重量挙げ競技の会場として使用され、施設内には「東京オリンピックメモリアルプレート」が設置されている。2005年(平成17年)以前には、回転舞台も名物となっていたが、使用頻度の減少と維持費の増大などから、改装を機に撤去された。

歴史

国立代々木競技場NHK放送センター渋谷区役所などともに、連合国軍占領下の日本において設置された在日米軍施設「ワシントンハイツ」の跡地に建設された。大東亜戦争以前、一帯は大日本帝国陸軍代々木練兵場で、渋谷公会堂の付近には衛戍監獄(陸軍刑務所)が設置されていた[2]

施設が竣工した1964年(昭和39年)当初は、同年に行われた東京オリンピック重量挙げ競技の会場として使用され、その翌年になって改めてコンサートホールとして開業した。設計は建設モード研究所。

ホールは1975年(昭和50年)頃から人気テレビ番組 『8時だョ!全員集合』(TBS)の公開録画会場としてしばしば使われたほか、歌番組 『NTV紅白歌のベストテン』、『ザ・トップテン』、『歌のトップテン』(日本テレビ系)の公開生放送にも使用された。

ただし、『歌のトップテン』は1988年の秋頃から、日本テレビ本社(放送当時は、東京都千代田区二番町にあった[3])スタジオからの非公開生放送に切り替えられた[4]

12月第1土曜日には、渋谷区の第九コンサートが行われるほか、風変わりなコンサートとして、1981年(昭和56年)12月3日には大瀧詠一の企画による『ヘッドフォンコンサート』という、観客が自身のヘッドフォンを持参し、小型のFMラジオを取り付けた座席でステージの上の演奏をヘッドフォンを通して聴くという試みが行われた。これは、ライブ録音を可能とするスタイルであった。

1987年(昭和62年)12月24日には、当時人気だった音楽バンド「BOØWY」のコンサート(1224を参照)が行われたが、その最中に氷室京介が突然の解散宣言をし、会場に入れなかったファンが会場に向けて大暴動を起こし、公会堂のガラスが割られるという事件も発生した。

全面改装

施設では2005年(平成17年)7月から改修工事が進められ、翌年10月1日に完了した。改修前には、天井の建材にアスベストが使われていることも問題となっていた。改修によって回転舞台は撤去され[5]、舞台の真下にあった(せり)の機械室は、改装時に潰した上で出演者の控え室へと改められた。

改装後の杮落しは、宝塚松竹日劇のOBによる公演であった。

「C.C.レモンホール」

改装時、渋谷区は新たな収入源を確保する試みとして、公会堂の命名権(ネーミングライツ)を、広告会社・電通に売却した[6]。この際に売却された命名権は2006年(平成18年)10月1日からの5年間を契約期間とし、売却額は年間8,000万円に消費税を加えた計4億2,000万円であった[6]。この権利は、電通を通じてサントリーが取得、自社の炭酸飲料の商品名を冠して、「渋谷C.C.Lemonホール(しぶやシーシーレモンホール)」と命名した[6]

これの結果、渋谷公会堂は、iichiko総合文化センター宝山ホール東京エレクトロン韮崎文化ホールに続いて全国で4カ所目のネーミングライツホールとなり、建物の正面には、C.C.レモンの大きな看板が掲げられた。

契約期間の終了時、サントリーは「商品の認知度を高めるという当初の目的は達成した」として、契約の延長を行わなかった[6]。この結果、2011年(平成23年)9月30日には「C.C.Lemonホール」の表示や看板も撤去され、翌10月1日には5年ぶりに「渋谷公会堂」の呼称が公式にも復活した。この命名権について渋谷区は、新たな契約者を募集している[6]

解体、建て替えへ

渋谷区は2013年2月に桑原敏武区長が『施設の老朽化のため、渋谷区役所庁舎及び渋谷公会堂を解体し、建て替えたい』という方針を表明、その後渋谷区議会で特別委員会を設置して区役所と公会堂の今後について検討を重ね、その結果、2013年9月に渋谷区議会本会議で渋谷区役所庁舎及び渋谷公会堂の建て替えを賛成多数で決議した[7]

これにより、渋谷公会堂は2015年に解体され、その後建て替え工事が行われて2018年に新装オープンする予定となっている[7]

周辺の施設

脚注

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外部リンク

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  1. 平成23年4月1日~平成28年3月31日まで
  2. 日本放送協会とその周辺 『江戸・東京歴史の散歩道 5』(街と暮らし社) 2003年(平成15年)7月1日
  3. 建物自体は『日本テレビ放送網麹町分室』として現存(2014年6月時点)
  4. ただし、日本テレビのスタジオからの放送となるケースは、前身の『ザ・トップテン』時代からあった(渋谷公会堂が他興行やメンテナンスで使用できない場合)
  5. 中村中がこの回転舞台をテーマにした楽曲をアルバム『天までとどけ』で発表している
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 渋谷公会堂命名権 サントリー、延長せず 日本経済新聞 2011年(平成23年)9月30日朝刊 東京・首都圏経済面
  7. 7.0 7.1 渋谷公会堂:建て替えへ 1964年東京五輪で使用 毎日新聞 2013年9月11日閲覧