日枝久

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テンプレート:ActorActress 日枝 久(ひえだ ひさし、1937年12月31日 - )は、日本実業家勲等旭日大綬章株式会社フジ・メディア・ホールディングス代表取締役会長、株式会社フジテレビジョン代表取締役会長。

株式会社フジテレビジョン代表取締役社長、社団法人日本民間放送連盟会長、株式会社フジ・メディア・ホールディングス代表取締役社長などを歴任した。

来歴

1961年フジテレビジョンに入社。志望の報道部(現・報道局)に配属され、国会担当記者など。その後、編成部、広報部、編成部に配属。また、労働組合で書記長に就任。営業局ネット営業部副部長[1]、営業局ネット営業部長を務めた。

1980年5月に編成局長[2]に就任し、1983年6月取締役編成局長となる。1986年6月常務取締役総合開発室担当に就任。1988年6月代表取締役社長に就任[3]1990年鹿内信隆の死後、信隆の娘婿・鹿内宏明との間に確執を生み1992年7月、企業クーデターを起こし宏明を追放し、鹿内一族の経営支配にピリオドを打った。また、1992年6月産業経済新聞社取締役、1992年11月フジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナル代表取締役社長、1993年6月に産業経済新聞社取締役相談役1999年11月にフジサンケイ・カルフォルニア・エンターテイメント代表取締役社長に、それぞれ就任した。

2001年7月、フジテレビジョンの社長を退任し、代表取締役会長に就任。また、2003年3月から2006年3月にかけて、日本民間放送連盟会長を務めた。2008年10月フジ・メディア・ホールディングスの代表取締役社長に就任。その後、フジ・メディア・ホールディングスの社長を退任し、代表取締役会長に就任する。

人物

ボーイスカウトの経験があり、そこで組織論を身に着けたという。

1968年の番組立ち上げ時より携わった『3時のあなた』で高峰三枝子の司会起用にあたり、同僚と共に土下座をし、了承を得た。

編成局時代は『リビング11』の番組作りにも関わっていた。

1970年代の在京の民放の視聴率は、1位がTBS、2位が日本テレビと続き、そのはるか下の3位に、日本教育テレビ(現:テレビ朝日)とフジテレビが3位争いをしていた。時々「振り向けば12チャンネル(東京12チャンネル[現:テレビ東京]。これにより現在では「振り向けばテレ東」と言われるようになる)」と揶揄されたこともあった。

信隆の長男・春雄が機構改革で編成主導の制作を断行。そこで抜擢された日枝が陣頭指揮を執るようになりその思い切った改革の中、編成・制作現場は活気にあふれ、1980年以降「軽チャー路線」を打ち出し、従来の「母と子のフジテレビ」に代えて「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに、若者や女性の支持を得てフジテレビは黄金期を迎えることになった。そして50歳の若さで在京民放テレビ局初の生え抜きとして社長[4]に就くことになった。現在のフジテレビの強さと社風を生み出した功労者の一人である。

また、編成局長時代は自ら集英社に足を運び、粘り強い交渉の末に人気コミック『Dr.スランプ』のアニメ化権利を獲得、以降のフジテレビにとって大きな収益源となる、「フジテレビ - 集英社(=週刊少年ジャンプ)作品アニメ」というラインを作り上げる原動力となった。

現在は会長職にあるが、最高経営責任者(CEO)という立場は社長職の頃と変わっておらず、会社の代表としてマスコミの取材を受ける時は後任の社長(村上光一豊田皓:両者共に最高執行責任者(COO))ではなく、自身が出ることが多い。

2010年4月早稲田大学名誉博士[5]。同年2月25日、マルチメディアマルチチャンネル時代に日本の放送産業発展をリードし、日韓間の文化コンテンツ産業発展などに寄与した功労が評価され、高麗大学校より名誉経営学博士が授与された[6]2013年11月には、旭日大綬章を授与された。2014年には、イギリスより大英帝国勲章ナイト・コマンダー章を授与された。

ニッポン放送の資本問題

2005年3月、日枝が代表取締役を務めるフジテレビジョン(旧会社)について、フジテレビの最大株主でありフジサンケイグループの中核企業であるニッポン放送が資本問題を起こしている(ニッポン放送を参照)。

資本の構造については投資ファンドのM&Aコンサルティング(いわゆる村上ファンド)代表の村上世彰が「総資産規模で大きいフジテレビを小さいニッポン放送が支配する歪んだ構造が問題である。」と指摘していたが、対応が遅れたことで、実際にライブドアがニッポン放送株の取得で経営に介入する余地を与えた。このことから、自ら証券市場にニッポン放送株を上場させた日枝の脇の甘さを批判する意見もある。

ライブドア事件で、ライブドアの第三者割当増資を引き受けたフジテレビはライブドアに損害賠償を提起したが[7][8]、雑誌『AERA』記者の大鹿靖明は、フジテレビが増資を引き受ける際に1ヶ月もかけて資産査定をしたのに、ライブドアの自社株還流スキームを見つけられなかったことに疑問を呈している。実際、日枝はそのことを問われたが、「法務、財務の専門家にきちんとみていただいた。専門家の皆さんの名誉を傷つけることはできない」とだけ語ったという[9]

後にフジテレビはニッポン放送の完全子会社化を終了し、フジサンケイグループの事業持株会社としての位置を確立。2008年に純粋持株会社フジ・メディア・ホールディングスへ移行された(放送事業会社としてのフジテレビジョンは新設子会社へ移行)。

杉並区内の自宅前には連日にわたり報道陣が押し寄せ、路上駐車による交通渋滞や騒音などの混乱をまねいた。

エピソード

  • 1988年から2001年までの13年という長きに渡りフジテレビの社長を務めたが、これは歴代2位の長さ(1位は浅野賢澄の14年)である。
  • NHKの「プロジェクトX〜挑戦者たち〜展」に対し、「NHKは受信料で成り立っている。スポンサー協賛金集めなんてとんでもない」と批判。
  • 編成局長時代に『オレたちひょうきん族』の「ひょうきん懺悔室」で、野球中継のため番組が中止になることは編成局が悪いという主張に対し、夏期しか野球中継がないから我慢して欲しいと懇願するが判定は「×」。ビートたけし明石家さんまから水を掛けられる(復刻版DVDでもそのシーンが収録されている)。
  • 同じく編成局長時代、大川橋蔵邸で葬儀の準備をしていた際、祭壇を手伝っていた『銭形平次』の美術担当に十手を手配するよう耳打ちした。そして投げ銭の寛永通宝と共に、十手が増上寺に届けられたという。
  • DVDレコーダーなどでCMなどを飛ばして録画・再生をする行為は著作権法違反の可能性があるという発言により、議論を巻き起こした。
  • あさま山荘事件の現場中継の際、CMの全面飛ばしを強行する判断を行った。そのために事件解決後、スポンサーから痛烈な批判を受け、内外に議論を巻き起こした。ただし、TBSも、あさま山荘現場中継の際には同種の編成をしている。
  • 1997年の月9ドラマ『バージンロード』の最終回の最後で、フジテレビ社員とともに社長として数秒出演している。「お疲れさま」と発言している。
  • 笑っていいとも!』の2000回記念の番組内式辞で、詰まったところを当時番組レギュラーだったダウンタウン浜田雅功にツッコミで頭を叩かれたことがある。
  • 社長時代に『めちゃ²イケてるッ!』の「カウンタック急便」に出演し、河田町のフジテレビ旧社屋に置いてきたイソジンを届けさせられ、5万50円という高額な「社長クラス」の配達料を請求された。日枝はこれに快く応じ、後に番組の関連書籍『めちゃイケ大百科事典』に「気さくな」社長として載ることとなった。大百科事典内での項目名は『日枝社長(ひえだしゃちょう)』。
  • 2005年度入社式で、『はねるのトびら』のキャラクター・秋山森乃進に扮したロバート秋山竜次に慰められた。
  • 2011年9月19日に行われたフジテレビ抗議デモにて、デモ側とフジテレビ側で一度内容の調整が付いたところを、日枝の一存で棄却、フジテレビ雇用の警備会社ALSOKと警察との衝突もあり、大きな問題となった。

信仰

金光教の信者であり、支部役員を務めるほか、同教の著作物の一部も系列出版社から刊行されている。

家系

日枝(ひえだ)家(下道郡川辺村)によると、

「日枝氏の先祖は桓武平氏畠山氏の流れで、兵衛尉久継という人が近江国比叡山東坂本に住み、元弘年中(1331年 - 1333年)に北条高時が叛逆して後醍醐天皇が南都へ逃れた時、第一番に味方に参上した功によって日枝姓を賜った。
これから更に代を下り、小万次常久(後号刑部)が芸州吉田に住んで、毛利元就の幕下となり、弓大将にて知行千石を給されている。この弟善之丞氏久が元亀元年(1570年)に備中下道郡川辺(現岡山県倉敷市真備町川辺)に来住した。常久の孫家久を以て川辺日枝家初代としている。日枝久は直系の子孫である。日枝家は江戸時代脇本陣を務めた。」という。

略歴

栄典

映画制作・企画など

フジサンケイグループ関連の役職

フジネットワーク関連の役職

その他役職

脚注

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関連項目

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  1. 労働組合結成や書記長就任で当時の鹿内信隆社長の逆鱗に触れたことによる。
  2. 信隆に一定水準の取扱高に抑えられていた電通が目をつけ、教育し、信隆の長男で当時副社長の鹿内春雄に引き合わせた事がきっかけ。
  3. 春雄の死後。
  4. それ以前の民放は母体となった新聞社(フジテレビの場合はニッポン放送)の出身者が社長になる傾向があった。
  5. [1]
  6. 高麗大学、日枝久氏に名誉経営学博士号を授与
  7. テンプレート:Cite web
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