山形県立米沢興譲館高等学校

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山形県立米沢興譲館高等学校(やまがたけんりつ よねざわこうじょうかんこうとうがっこう(テンプレート:Lang-en-short)は、山形県米沢市大字笹野に所在する公立高等学校

概要

歴史
1886年明治19年)創立の「私立米沢中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年昭和23年)の学制改革により新制高等学校となった。現校名となったのは1956年(昭和31年)。2011年平成23年)に創立125周年を迎えた。
なお1776年安永5年)創立の藩校「興譲館」の流れを継承しているとされ、高校の創立年数とは別に創立年数が設定されており、節目に創立記念式典が行われている。2011年(平成23年)に創立235周年を迎えた。
校名の由来
興譲館」という校名は、「大学」の一節「一家仁一国興仁、一家譲一国興譲」から採られた。興譲とは、譲を興す(おこす)と読み、「恭遜(きょうそん)の道を繁昌(はんじょう)さすること也」(細井平洲、建学大意)。
設置課程・学科
全日制課程 2学科
2006年度(平成18年度)から、科ごとの募集を取り止め、一括募集としている。生徒は2年次から普通科・理数科を選択する。ただし推薦入試は科ごとに募集され、2年次から必ずその科に所属しなければならない。上記の変化に合わせ、同じく2006年度入試からは定員が240人から200人に削減、1クラス減となった。
校歌
現校歌は創立70周年を記念して、現校名に改称した1956年(昭和31年)に制定された。作詞は浜田広介、作曲は細谷一郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「興譲」が登場する。
同窓会
「米沢興譲館同窓会」と称している。

沿革

( )内の日付は旧暦を表す。

藩校

  • 1697年元禄10年)
    • (6月15日) - 米沢藩第4代藩主上杉綱憲が「学問所」を建立。
    • (11月29日) - 元細工町(現・中央)の矢尾板三印に命じ、その邸内の聖堂を改造して『感麟殿』と命名。そばに学問所を建設し、孔子像の遷座式を挙行。
  • 綱憲の没後、藩財政の逼迫と共に衰微
  • 1724年享保9年) - 聖堂の祭祀、孔子を祀る釈奠が中止となる。
  • 1771年明和8年5月2日) - 第9代藩主上杉治憲(鷹山)が「学問所」を再興し、招聘した細井平洲(紀徳民)を馬場御殿の松桜館に迎え学生に講授(以後10ヶ月間)。
  • 1776年安永5年)
    • (5月19日) - 学館が完成し、細井平洲により藩校「興譲館」と命名される。
    • (9月12日) - 細井平洲が再び米沢に入り、学則(先生施教弟子是則……)を揮毫
    • (9月19日) - 細井平洲により学館で初めて書経が講じられる(授業を開始)。また釈奠が再興される。
  • 1785年天明5年) - 聖堂の扁額を『先聖殿』に改称。
  • 1793年寛政5年11月14日) - 屋代町(現・丸の内)御国産所内に医学堂「好生堂」が設立される。薬草園と共に医学書オランダ製の外科器械類を整備。
  • 1796年(寛政8年)
    • (9月6日) - 細井平洲が三たび米沢入り、上杉鷹山が関根の普門院まで出迎える。
    • (12月14日) - 通学生のために友于堂を建築。
  • 1799年(寛政11年) - 服部正相(豊山)が学科試験を開始。
  • 1807年文化4年)3月 - 好生堂を興譲館構内に移転。上杉治憲は藩医を杉田玄白らの元に派遣し蘭学・医学を学ばせる。
  • 1864年元治元年)
    • (4月15日) - 西割出町(現・金池)から出火し、興譲館が類焼。
    • (11月6日) - 門東町講武所内に興譲館を再建。
  • 1867年(慶応3年12月29日) - 徳川慶喜からの大坂(阪)出陣の要請を受け、上杉斉憲は各頭・諸役員・興譲館諸生から意見を聴取。
  • 1869年(明治2年1月) - 兵士の屯所や仮病院に充てられていた学館の修復が完了し、興譲館の授業を再開。
  • 1871年(明治4年)
    • (1月24日) - 興譲館好生堂内に洋学舎を創設し、慶応義塾出身の木村道之助ら3名を招聘し英語を教授。
    • (7月) - 廃藩置県により、米沢藩が廃止され、米沢県となる。これに伴い、藩学から県学となる。
    • (9月) - 米沢県、学校革新大旨を布達。興譲館は「四民一途人材教育の制度」を立て、皇学・洋学・医学・筆学・数学の5科を設置。
    • (11月2日) - 第1次府県統合により米沢県が廃止され、置賜県が発足。
  • 1872年(明治5年10月17日) - 文部省布達(「従前の諸学校の儀一旦悉く可相廃止候」)により、県学としての興譲館は廃止される。学館は縮小して継続。

旧制中学校

  • 1874年(明治7年)- 興譲館を旧・米沢藩士協立の「私立米沢中学校」と改称。上杉家寄贈資金の利子と授業料で経営。洋学科を外国語学校と改称。
  • 1881年(明治14年)12月 - 屋代町上ノ丁(現・門東町)の元置賜県庁舎に移転。ともに外国語学校も屋代町に移転し統合。
    • 修業年限を4年とする。以後徴兵猶予の恩典と上級学校進学の資格が得られない状況が1893年(明治26年)まで続く。
  • 1886年(明治19年)9月19日 - 中学校令勅令15号)の施行により、変則中学校から正則中学校となる。この日を創立記念日とする。(創立年
    • 修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)とする。
    • 北堀端片町(現・丸の内)に新校舎が完成し移転を完了。
    • 学校管理者(初代校長)に士族会会長の池田成章が就任。
  • 1893年(明治26年)5月25日 - 県費補助を受けるため、山形県知事に移管の上、「米沢尋常中学校」に改称。県立同等の資格に認定される。
  • 1895年(明治28年)5月2日 - 「米沢尋常中学校興譲館」と改称。
  • 1900年(明治33年)4月1日 - 山形県に移管され、「山形県米沢中学校」と改称。 校友会(生徒会)として「興譲会」が発足。
  • 1901年(明治34年)
    • 4月1日 - 「山形県立米沢中学校」と改称。
    • 9月19日 - 校舎を関東町(現・西大通)に新築移転。
  • 1904年(明治37年)9月 - 戦時(日露戦争)記念林創設。舘山に植林事業を開始。
  • 1909年(明治42年)
    • 6月13日 - 5年生43名が仙台方面修学旅行の帰途、赤岩駅付近で列車転覆事故に遭遇し7名負傷。この時、生徒が負傷者救護に従事。
    • 後日 - 負傷者救護の件で逓信大臣が来校の上、謝意を表明。
  • 1925年(大正14年)4月24日 - 軍事教練のため軍事教官(将校)が配属される。
  • 1926年(大正15年)5月1日 - 私立米沢中学校夜学校を併設。
  • 1927年(昭和2年)6月14日 - 校歌を制定。作詞は五十嵐力、作曲は弘田龍太郎による。
  • 1928年(昭和3年)- 後援会が発足。
  • 1929年(昭和4年)1月29日 -「山形県立米沢興譲館中学校」と改称。
  • 1936年(昭和11年)
    • 1月18日 - 積雪の重みにより講堂が倒壊。負傷者なし。
    • 9月18日 - 新講堂が完成。
  • 1938年(昭和13年)6月9日 - 勤労奉仕活動が開始。翌1939年度以降、全生徒が近郊農村や報国農場(鬼面川河畔)への勤労奉仕に出動。
  • 1940年(昭和15年)4月1日 - 併設の夜学校が山形県に移管され、山形県立米沢夜間中学校となる。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。併設の夜間中学校を統合し、夜間課程とする。
  • 1944年(昭和19年)9月 - 学徒動員で4・5年生が群馬県太田町の中島飛行機製作所へ出動。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、5年生と4年生の合同卒業式を挙行。
      • 本来、中等学校令の施行された1943年(昭和18年)に入学した生徒が4年を修了する1947年(昭和22年)3月に修業年限4年が施行される予定であったが、戦況の悪化により、中等学校令の施行される前(1941年(昭和16年)・1942年(昭和17年))に入学した生徒にも修業年限4年が適用されることとなった。この時、1940年(昭和15年)入学の5年生と1941年(昭和16年)入学の4年生の合同卒業式が行われた。
    • 4月 - 学校での授業を停止。ただし勤労動員は継続。
    • 8月 - 終戦。
    • 9月 - 授業を再開。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧制中学校の募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。

新制高等学校

  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により旧制中学校が廃止され、新制高等学校山形県立米沢第一高等学校」(男子校)が発足。
      • 通常制普通課程(修業年限3年)と定時制普通課程(修業年限4年)を設置。
      • 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校を継承(名称:山形県立米沢第一高等学校併設中学校)し、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
      • 後援会が改組され、教育振興会が設立される。
    • 5月 - 興譲会を「自治会」に改称。
  • 1949年(昭和24年)
    • 2月 - 自治会歌を制定。作詞は星篤志、作曲は滝沢美恵子による。
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止。
    • この年 - 米沢興譲館同窓会が復活。
  • 1950年(昭和25年)
    • 4月1日 - 高校三原則に基づき、県内の公立高等学校の再編が行われる。
      • 山形県立米沢第四高等学校(女子校)と統合され、 総合制の「山形県立米沢高等学校」が発足。男女共学を開始。
      • 旧第一高等学校(旧制中学校)校舎を「西校舎」、旧第四高等学校(高等女学校)校舎を「東校舎」として使用を継続。
    • 5月25日 - 全校吾妻登山を開始。
    • 9月19日 - 高湯マラソン(本校-高橋間約16km、白布温泉1泊)を開始。
    • 10月1日 - 校章(帽章・襟章)を制定。
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月31日 - 定時制三沢東部分校を廃止。
    • 4月1日 - 統合が解消され、西校舎は「山形県立米沢西高等学校」となる。 東校舎は山形県立米沢東高等学校として分離独立。
  • 1956年(昭和31年)
    • 3月15日 - 雑誌『興譲』第1号を発行。
    • 4月1日 - 「山形県立米沢興譲館高等学校」(現校名)と改称。
    • 9月19日 - 創立70周年を記念して新たに校旗と校歌を制定。校歌の作詞は浜田広介、作曲は細谷一郎による。
  • 1957年(昭和32年)9月19日 - 体育後援会が発足。
  • 1961年(昭和36年)3月31日 - 定時制広井郷分校を廃止。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月31日 - 定時制窪田分校を廃止。
    • 4月1日 - 通常制普通課程を全日制課程普通科、定時制普通課程を定時制課程普通科に改称。
  • 1964年(昭和39年)6月16日 - 新潟地震が発生。
  • 1966年(昭和41年)
    • 8月 - 我妻栄寄付の奨学基金を基に、財団法人自頼奨学財団を設立。
    • 9月19日 - 全日制と定時制の同窓会を統合。
  • 1967年(昭和42年)
    • 8月29日 - 羽越水害が発生。
    • 10月 - 全校生徒で羽越水害の被災地小松地区の稲刈り勤労奉仕に出動。
  • 1968年(昭和43年)4月1日 - 全日制課程に理数科(1学級)を設置。
  • 1981年(昭和56年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
  • 1986年(昭和61年)
    • 8月31日 - 現在地に体育館と剣道場が完成。
    • 9月19日 - 創立100周年(藩校興譲館創立210年)記念式典を挙行。
  • 1987年(昭和62年)
    • 7月31日 - 現在地に新校舎が全面完成。
    • 10月20日 - 新校舎に移転を完了。
  • 1988年(昭和63年)
  • 1989年(平成元年)
  • 1991年(平成3年)4月 - 体育後援会を「体育文化後援会」と改称
  • 1996年(平成8年)1月15日 - 北通り-新大橋線(学園ロード)が開通。
  • 1997年(平成9年)9月10日 - 思索の森を造成。
  • 2008年(平成19年)8月 - 新部室棟が完成。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月 - 東屋(あずまや)の建設と樹木45本の植栽により思索の森の整備が完了。
    • 7月 - 上杉鷹山生誕250年を契機に宮崎県立高鍋高等学校を親善訪問。以後、隔年で相互訪問交流。
    • 9月 - 藩学創設300年記念講堂が完成。
  • 2002年平成14年)4月 - 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール」研究指定校。(2004年度(平成16年度)末まで)。
    • 研究開発課題:「生涯にわたって科学的に思考し、創意工夫する力を育むための教育課程及び教育方法の研究開発」
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 普通科と理数科のくくり募集を開始。
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年平成24年)4月 - 文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」研究指定校。(2016年度(平成28年度)末まで)。
    • 研究開発課題:「科学好きの裾野を広げ、科学技術系人材を育て、わが国の将来を担うサイエンス イノベーターの育成を目指す教育プログラムの研究開発」

特色

授業

  • 興譲館の授業は月曜日から金曜日まで、50分×7コマである。以前は55分×6コマであったが、コマ数の確保と総時間数の拡大(330分→350分)を目的に、変更された。
  • 予習を重視しており、授業のたびに予習プリントの点検を行う職員も多い。授業はあくまで確認のためのものという位置づけである。
  • 2年次からは朝学習がスタートする。これは興譲館の登校時刻である8時25分から、曜日ごとに決められた科目(主に古典や数学が中心)のプリントを解くというものである。朝学習が始まると、8時25分までに教室にいなければならない(8時25分の時点で校舎に入ったというだけではアウト)。
  • 3年生になると放課後講習が始まり、実質8コマ授業になる。
  • 体育の授業を重視している。本校は『学力のためにはまず体力を養うことが大切』というスタンスをとっている。また、成績評価の際には、運動能力ではなく「安全にスポーツができるか」や「適切な健康管理ができるか」に鑑みる。本校の体育の授業では選択授業を1年の内かなりの割合で実施するが、その際、班ごとに日誌を作らせ、自主的なスポーツ活動の運営を図らせている。
  • 欠点(赤点)は35点以下である。学年末の成績が35点に満たない者は単位の追認試験を受けなければならない。

学校施設

  • グラウンドは比較的広く、サッカー部・ホッケー部・野球部・陸上部の活動が同時にできる。
  • 思索の森という原っぱがあり、腰掛けもあるが、あまり利用されていない。
  • セミナーハウスと呼ばれる宿泊施設があり、部活の合宿などに利用されている。
  • 体育館は広いとは言えず、部活動の際にはバスケットボールバレーボールバドミントン卓球フェンシングなどの部がシェアしている。
  • 2000年に藩学創設300年を記念した講堂が建てられた。合唱祭やコンサート、講演会の際に使用される。
  • 校舎は3階建てで、職員室は2階にある。2年・3年生の教室は3階、1年生の教室は2階にある。3年生の教室にのみ、エアコンが設置された。

学校行事

  • 4月
    • 宿泊研修(1年)
    入学して間もない1年生が興譲館での学習スタイルを身につけたり、クラス内での交流を図ろうとするためのものである。興譲館敷地内のセミナーハウスや自然の家など、年により様々なところで行われている。
  • 6月
    • 登山(1年)
    ここ2、3年は吾妻山に登ることが多い。
    • 体育祭
    クラスごとに、カラフルでユニークなTシャツが作られる。以前はこれとは別に「クラスマッチ」が行われていたが、この体育祭に統合された。
  • 7月
    ほぼ全校の生徒が試合会場に出向き応援をする。
  • 9月
    • 興譲祭
    1日目 - 合唱祭、2日目 - 模擬店、展示会という構成になっている。2日目は、1年生が展示、2年生が模擬店をそれぞれ担当する。この日だけは3年生はゆかた甚平の持ち込みが許可される。
    • マラソン大会
    男子は10.9km、女子は6.7kmを走る。全員参加が原則で、参加できない場合も競技役員として配置される。もちろん個人戦であるが、クラスマッチとしての要素もある。南原に移転してからは男子は16kmだったが、数年前生徒が蜂に襲われたことをきっかけに距離が短くなった。
  • 11月
    • 大学・施設見学会(2年)
    本校には修学旅行がなく、その代わりとして(一応)位置づけられているものである。年によってだいぶ違うが、大学や研究所の視察、班別研修やホテルでのプレゼンテーション・ミーティングなどが中心である。
  • 1月
    市内のスキー場に出向き、丸1日スキーを楽しむ。2 - 3回実施される(ちなみに、スキー授業に三学期分の体育・保健のコマ数の大部分が集められているため、欠席は望ましくないとしている)。

部活動

運動部

  • 野球
  • ソフトテニス(男・女)
  • フェンシング
  • 弓道
  • 陸上競技
  • 柔道
  • 剣道
  • ホッケー
  • バレーボール
  • バドミントン
  • バスケットボール
  • サッカー
  • 山岳
  • スキー
  • 卓球
  • 水泳

文化部

  • 自然科学
  • 調理科学
  • 理工
  • 美術
  • 音楽
  • 吹奏楽研究
  • 新聞・文芸
  • ESS

交通

通学手段

  • 本校には置賜地方一円から生徒が集まってくるため、通学手段も様々である。
    • 徒歩
    • 自転車(市内の生徒に多い)
    • 自動車(保護者による送迎。冬期間は雪のため、生徒のほとんどが車通学になる。そのため、校舎前のロータリーは朝・夕方において非常に混雑する)
    • 鉄道南陽市東置賜郡の生徒などに多い。興譲館の最寄駅はJR米坂線南米沢駅であるが、離れているためそこから徒歩・自転車で興譲館に通学する生徒が多い。また、冬期間など鉄道が運休になった場合でも授業は通常通り行われる。その際は鉄道で通学する生徒は公欠扱いになる。また、これで授業に参加できないことによる不利益を小さくするため、授業をあまり進めずに演習の時間にするなど配慮もなされる)
    • バス(冬期間は興譲館行きのバスが増発される)
    • 下宿先からの通学(遠距離で自宅からの通学が困難な小国町・飯豊町の生徒に多い)

著名な出身者

卒業生

教職員

参考文献

  • 松野良寅編『興譲館世紀』(山形県立米沢興譲館高等学校創立百年記念事業実行委員会、1986年)
  • 松野良寅編『興譲館小史 人あまたあと継ぎて』(米沢興譲館出版会、1988年)
  • 今泉亨吉『上杉鷹山公小伝』(御堀端史蹟保存会、1982年第7版)
  • 米沢児童文化協会 編『郷土に光をかかげた人々』(米沢児童文化協会、1989年改訂2版)

関連項目

外部リンク

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