富嶽

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富嶽(ふがく)は、第二次世界大戦中に日本軍が計画した、アメリカB-29を超える6発の超大型戦略爆撃機である。名は富士山の別名にちなむ。

富嶽による米本土爆撃機計画

日本軍による初のアメリカ本土空襲が行われた1942年(昭和17年)に、中島飛行機の創始者である中島知久平が立案した「必勝防空計画」に書かれていた、アメリカ本土空襲後にそのままヨーロッパまで飛行し、ドイツまたはその占領地に着陸することが可能な大型長距離戦略爆撃機である「Z飛行機」、これがのちの富嶽である。

アメリカ本土爆撃を視野に入れ、日本を飛び立ち太平洋を横断、アメリカ本土を爆撃、そのまま大西洋を横断し、ドイツ補給を受け、再び逆のコース、または、ソ連を爆撃しつつ戻ると言う壮大な計画であった。全長45m(B-29の1.5倍)、全幅65m(B-29の1.5倍)、爆弾搭載量20トン(B-29の2.2倍)、航続距離は19,400km(B-29の3倍)、6発エンジンを目指した。

中島飛行機が設計にかかわる。1943年(昭和18年)に海軍共同の計画委員会によって計画が承認され、これに軍需省も加わった体制で開発が進められた。しかし陸海軍の要求性能が大幅に異なったため調整に苦労を強いられ、かつ軍需省は途中で独自に川西航空機に設計案を作らせ、しかも陸海軍や他社はおろか中島内部にさえ根強い反対論があるなど、開発体制には多くの問題があった。第一次案では、下記の仕様のごとくハ54×6基であったが、空冷四重星型という新形式の開発に手間取り、応急案としてハ44(二重空冷星型18気筒、2,450馬力/2,800rpm)やハ50(二重星型22気筒、3,100馬力/2,400rpm)6基装備で暫定的に計画を進めた。この影響で爆弾搭載量も20tから15tに減らされた。

当時の日本における技術力・工業力では手にあまると思える空前のスケールの機体であったため、実現までに解決せねばならない諸問題が山積し、与圧キャビンの研究、新式降着装置の開発も行われた。1943年より中島飛行機三鷹研究所構内に組み立て工場の建設が開始された。1944年(昭和19年)7月、マリアナ沖海戦に完敗し、絶対国防圏の東の鎖ともいうべきサイパン陥落、最大の支援者であった東條英機首相は辞職。本土防空戦のための戦闘機開発優先・開発機種削減方針により、「この戦争に間に合わない」と判断された富嶽開発は中止となった。

現存物

羽田空港拡張工事中に見つかった、富嶽のものとされるハ50エンジンが、成田国際空港に隣接する千葉県芝山町航空科学博物館に展示されている。

富嶽計画参加者

  • 田中清史:エンジン主担当
  • 中村良夫:のちのホンダ四輪開発責任者。中島に就職したばかりで従軍し、立川陸軍航空技術研究所第二研究所(陸軍航二研・航空発動機)に属しており、構想を実体化するタイミングでチームが編成され、一員として参加。中村は「それまでの日本最大の爆撃機は海軍の四発連山であり、日本の航空産業が持てる経験技術をはるかに逸脱した無謀なプラン」と評している。自身の関与したエンジンに関しては「開発を終わっていた「ハ219」をベースとするものであったため、エンジン自体の構造強度と性能は、まあなんとかメドがつけられそうであった」と、想定される技術範囲内であったとする一方、エンジンの冷却に関しては複列型であればバッフルにより前後のバランスをとれるが、四列では一列から四列までを均等に冷却することがうまくできなかったことが基本的問題点であり、このため三菱で開発中だった空冷複式22気筒「ハ50」を高出力化しようという代替案も出たが、これは基本仕様ですでに能力不足だったという。[1]

関連計画

「Z飛行機」を陸軍と海軍の要求に合うように、すり合わせる中で産まれた設計の一つがこの「富嶽」である。

他にアメリカ本土を長距離爆撃する機体として、陸軍のキ74キ91の開発が進められたが、キ91は開発中止、キ74は審査中に終戦を迎えた。

旅客機輸送機へ転用する計画もあった。旅客機型は爆撃機型より一回り小さい全長33.5m全幅50m、定員は4席x25列の100人。輸送機型は全幅を72mに拡大。[2]

アメリカがほぼ同時期に開発を開始した、ほぼ同サイズの戦略爆撃機B-36は、6発のレシプロエンジンと、翼端にさらに2基ずつのジェットエンジンの計10基の発動機を推進機関とした上で、第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)8月8日に初飛行を行い、1948年(昭和23年)に配備開始された。

計画仕様

型式

注:予定である。

機体仕様

注:全て計画値であり、これ以外にもいくつもの計画案があった。

  • 全長:46.00 m
  • 全幅:63.00 m
  • 全高:8.80 m
  • 主翼面積:330.00 m²
  • 発動機:中島ハ54空冷式4列星型36気筒(ハ219複列星型18気筒を2台串型置) 6,000馬力(3725 kw)6発
  • プロペラ:VDM定速6翅・8翅・二重反転4翅(いずれかで計画)
  • プロペラ直径:4.5 - 4.8 m
  • 自重:42 t
  • 全備重量:122 t
  • 最大速度:780 km/h(高度:10,000 m)
  • 実用上昇限度:15,000 m 以上
  • 航続距離:19,400 km 以上

武装

注:あくまで計画である。

ドキュメンタリー

書籍

  • 「さらば空中戦艦富嶽-幻のアメリカ本土大空襲」(著:碇義朗、出版:光人社、)
  • 「富嶽-米本土を爆撃せよ」(前間孝則

映像作品

フィクション

  • この形の爆撃機は双葉社が発行している3D式の書籍に大きく掲載されている。その中にはアメリカ本土を強襲する様子が描かれている。
  • 紺碧の艦隊』を初めとする架空戦記SFの作品では、本機をモチーフにしたものが登場することが多く、震電と並んで常連兵器となっている。そのものを主役兵器とした作品に『大逆転!幻の超重爆撃機「富嶽」』(檜山良昭)がある。ただしこれらの多くは中島知久平の原案である「Z飛行機」を(場合によっては誤解によって)原典としている事が多い。
    • 現代・近未来戦を描く架空戦記SF作品において、航空自衛隊に配備されるジェット戦略爆撃機に、本機の名前が使われることもある。この際、いわゆる“自衛隊の建前”から、機種名について「重支援機」などと言い換えられたりする。
  • 太平洋艦隊(ホビージャパン
1984年に発売されたシミュレーションゲーム。選択ルールとしてユニット化されている。最後のターンにLAC(陸上機)4ユニット(航空機3か月分の生産分)の増援と引き換えに富嶽を入手し、アメリカ本土爆撃を実施することができるが、1/6の可能性で勝利得点1点が加算されるだけで戦術的な意味はほとんどなく、象徴的なものでしかない。逆に1/3の可能性で「この爆撃によりアメリカ軍の対日戦への予算が高められた」と解され、アメリカ軍の艦艇修理が早まって大艦隊が押し寄せる状況を生み出す。
富嶽をモデルとした敵超大型戦闘機「亜也虎」が登場、以降シリーズの常連ボスキャラクターとなる。
キ84疾風のサポートアタック(ボム)「富嶽援護射撃」として登場。画面下部から飛来し、一定時間画面内に留まり援護攻撃を行いながら防弾壁の役割を果たす。自機としては選択不可能。
  • 『宇宙戦艦富嶽殺人事件』(辻真先)「スーパー&ポテト」シリーズの初期ソノラマ6部作に続いて別出版社から出た作品で、シリーズ初期のキャッチであったメタフィクショナルな「意外な犯人」ものの作品のひとつ。また作中作としてアマチュアアニメ映画「宇宙戦艦富嶽」の設定がある。航空機については直接は関係しない。執筆当時の、1980年前後の日本におけるアニメブームを描いた作品でもあり、ソノラマ文庫ネクスト収録時には舞台となったアニ研サークルの当時のメンバーが回顧談を寄せている。

出典

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関連項目

外部リンク

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  1. 『クルマよ、何処へ行き給ふや―あるエンジニアによる哩石の記』中村良夫 著、グランプリ出版 ISBN 4-906189-83-0 P55
  2. 上毛新聞2008年6月16日 社会面