十勝毎日新聞

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十勝毎日新聞(とかちまいにちしんぶん 通称:勝毎(かちまい))は日本新聞北海道十勝管内中央部の帯広市に本社を置く十勝毎日新聞社が、帯広・十勝管内に向けて新聞(夕刊)を発行している。発行部数は88684部(2009年9月現在:日本ABC協会調べ)。

特徴

帯広市を中心とした十勝管内では高い普及率を誇り、同管内での発行部数と市場占有率に限れば、北海道内で7割のシェアを誇るとされる北海道新聞をも上回る。このことが、他地域から十勝管内に進出している外来資本の企業から購買するよりも、地元十勝管内の地元資本の企業から購買して贔屓することで、地元・十勝管内出身者・在住者の住民同士、地元資本の企業同士が互いに共存共栄を図る十勝管内ならではの地元主義(十勝モンロー主義)を象徴している一例とも揶揄されることもある。他紙と違い、紙面に社説が存在しない。十勝地方の基幹産業である農業関連の記事が多いことも大きな特徴である。題字の字紋にも地元の主要農産物であるアズキテンサイ、そしてサイロの絵柄が1962年(昭和37年)以来使われてきたが、創刊記念日の2009年(平成21年)9月27日付紙面からサイロの部分をに変更した。初代社長の林豊洲による創業以来、十勝毎日新聞社グループ各社は、十勝毎日新聞をはじめとした観光などさまざまな企業活動をしていることから、十勝管内の地域経済に強い影響を持っている。

テレビCMは全国規模のCMコンクールでの入賞も多い。地元メディア、帯広シティーケーブル(OCTV)エフエムおびひろ(FM-JAGA)コミュニティ放送局)、並びに函館地区で発行する地方新聞函館新聞を傘下にもつ他、北海道ホテル、十勝川第一ホテル、地ビールの十勝ビール、森林造成事業として十勝千年の森なども運営して十勝有数の一大企業グループを形成している。十勝毎日新聞社が夏に主催する勝毎花火大会は全国有数の規模を誇り、北海道中から観光客が訪れる夏の風物詩となっている。

なお、毎日新聞社とは一切資本関係はない(これは、信濃毎日新聞など「-毎日」を名乗る各紙とも同様)。ちなみに2004年平成16年)、2005年(平成17年)には毎日新聞社などと合同で世界ラリー選手権の「ラリージャパン」を主催していた。 全国紙との提携としては朝日新聞の有料電子版である朝日新聞デジタルのダブルコース(十勝毎日新聞配達地域限定)の申し込みが可能である。また、夕刊のみの発刊のため夜間に輪転機を使用しない事から、朝日新聞読売新聞聖教新聞など、直接競合しない他紙からの委託印刷も実施している。

1995年平成7年)10月より、記事に記者名を併記する署名記事を原則化した。

2009年(平成21年)、一般公募で佳作に選出され同年2月の朝刊に掲載された短編小説の一部が、向田邦子の作品の盗作だった事が発覚、紙面でお詫びを掲載した[1]

番組表

  • 当日夕方から夜間と翌日分と合せた1日半分の番組表を掲載している。2011年11月に帯広送信所が開局し、十勝管内の一部で放送を開始するテレビ北海道(TVh)についても、帯広シティーケーブルテレビでの再配信が行われていることもあって番組表を載せている(但し、チャンネル表示は「OCTV26」=帯広シティーケーブルにおけるアナログ配信26チャンネルの意味で表示されている)。
  • そのTVhは士幌町上士幌町大樹町足寄町陸別町を除く十勝管内でアナログ放送を遠距離受信できる世帯があったが、デジタル放送においては物理チャンネルの重複(足寄・広尾両中継局でNHKデジタル教育テレビの物理チャンネルに札幌局のTVhデジタル放送と同じ14chを使用しているため)による事情から、アナログ放送視聴不可能だった5町に加え、中札内村更別村広尾町本別町浦幌町でも視聴不可能になっているほか、それ以外の十勝管内の市町村でも受信可能世帯が減少していた(市町村別の詳細は市町村別ロードマップを参照)。但し、先述の通り、2011年11月に帯広送信所がデジタル新局として開局することが決まっており、10月24日に試験放送を開始したため、一部地域を除きデジタルでの難視聴が解消された。

本社・支社・支局

歴史

グループ企業を含めた歴史についてはこちらを参照。

  • 1919年9月27日 林豊洲初代社長が帯広新聞社を設立し、11月から旬刊「帯広新聞」を創刊する(十勝毎日新聞の前身)。
  • 1920年 4月   「十勝毎日新聞」と改題し日刊で発行する。
  • 1931年 9月  夕刊を発行する。
  • 1939年 6月  戦時中の新聞の統廃合令で旧北海タイムス社(戦後に存在した北海タイムスとは別の新聞)と合併。同社経営の「十勝毎日新聞」として発行される。
  • 1942年 10月  全道新聞統合で北海道新聞社が発足、同社に包括される。
  • 1946年 1月  終戦により復刊の前提として「週刊十勝毎日新聞」を発刊する。
  • 1952年 7月  日刊紙になる。
  • 1962年 1月  「社団法人日本新聞協会」に加盟する。
  • 1969年 10月  創刊50周年を記念して新社屋を建設する。
  • 1975年 10月  株式会社になる。
  • 1976年 1月  年間キャンペーンを開始する(第1回のテーマは「交通事故をなくそう」)。
  • 1976年 4月  CTS化(コールド・タイプ・システム)、オフセット高速輪転機を導入する(その後1985年6月・1999年にも導入)。同時に印刷工場を建設し、7月1日に印刷開始する。
  • 1979年 3月  編集・校閲を電算システム化する。写植印字で1行が15字から14字になる(日本の新聞界で最初の文字大型化)。
  • 1984年 6月  聖教新聞の受託印刷を開始する。
  • 1984年 10月  電算写植機・電算校正機を導入し、大型文字を取り入れ1行13字に移行する。
  • 1985年 5月  地下1階地上7階建ての新社屋が完成する。社団法人日本ABC協会に加盟する。
  • 1989年 7月  時事通信社データ通信システム「JACS」を導入し、写植工程の効率化を図る。
  • 1991年 3月  記事入力を全面的にワープロ編集に切り替える。
  • 1991年 6月  紙齢2万号を達成する。
  • 1995年 10月2日  記事の原則署名制を実施する。
  • 1996年 4月  「函館新聞」の発行を表明する(道東以外で初の系列紙を発行)。
  • 1996年 9月  ホームページを開設する。
  • 1996年 11月  新聞の編集・制作を全面的にコンピューター化する電子編集システムであるCTSを導入する。 (その後2004年6月に新CTSを導入)
  • 1997年 10月  アメリカの全国紙「USA-TODAY」紙から配信を受け、記事掲載を開始する。
  • 1998年 7月  十勝初のフリーペーパー情報紙「Chai」(チャイ)を創刊する。
  • 1999年 6月  独自の新コンピューター広告管理システム「新KAMUI(カムイ)」を導入する。
  • 1999年 7月  読売新聞(北網版・道東版)の受託印刷を開始する。
  • 2000年 1月  創刊80周年を記念し、イメージキャラクター「ぴぴっとかちまい」を公募で決定する。
  • 2006年 6月  新印刷工場の増築工事が完了する。東京機械製作所の超高速オフセット印刷機「タワー型カラートップCT6200UD」を導入し、最大40ページ24個面カラー印刷体制を確立する。
  • 2007年 7月  ISO14001認証を取得する。
  • 2008年 2月  印刷・発送部門を分社化して「かちまい印刷」を設立する。
  • 2008年 3月  朝日新聞(道東分)の受託印刷を開始する(読売・朝日の両紙を同一工場で印刷するのは全国初)。
  • 2008年 4月 文字を大型化する。

放送展開

  • FM-JAGAとSTVラジオ帯広放送局向けに同時放送(主管はFM-JAGA)で、毎週月-金曜の10:55-11:00の「十勝ホット情報」と、12:55-13:00の「十勝毎日ヘッドラインニュース」の2つの地域情報番組を提供。

関連項目

  • 函館新聞 グループ企業。当社と函館の地元企業の出資により創刊。創刊に際して競合する北海道新聞(道新)から新聞の題字使用・通信社からの記事配信・新聞用紙の調達などで激しい妨害を受けた(「函館新聞の題字論争」の項参照)。

脚注

  1. 勝毎:掲載の公募小説は盗作 向田邦子作品の大半丸写し(毎日jp)

外部リンク

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