世界ラリー選手権

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ファイル:Marcus Grönholm Bunnings Jumps.jpg
2006年 ラリー・オーストラリア

FIA 世界ラリー選手権 (FIA World Rally Championship、通称: WRC) は、FIAが主催する世界各国で行われるラリー世界選手権である。

概要

1973年、それまで世界各地で単独に開催されていたラリーをイベントとして組織化し、世界選手権としてスタートした。

市販車をベースに改造した競技車両を使用し、一般道路の一定区間を一時的に閉鎖したり、競技場などの施設内に作られたコースのSS[注 1]と、一般車に混じり現地の交通法規に従って移動する区間のリエゾンを走行し、SSの合計タイムが最も少ない車両が優勝となる。他の自動車競技同様チームオーダー的行為は禁止されているが、半ば黙認されている[注 2]

競技車両にはドライバーとドライバーをサポートするコ・ドライバーの2名が乗車し、ドライバーはコ・ドライバーが読み上げるコース上のコーナーや路面状況などを記載したペースノートに従い運転操作を行う[注 3]。競技時間は基本的に日中だが、イベントに因っては早朝や夜間に行われることもあるため、その場合はライトポッドと呼ばれる高輝度の4連補助灯などを装着する。

主な特徴

テンプレート:Double image aside 競技車両は市販車両をベースに製作することと規定されているため外観はベースモデルと大差無いが、特に最上位のWRCクラスが使用するWRカーは、エンジンや各パーツ、駆動方式の変更など、内部は別物となっている。ECUにはSS用の“ステージモード”[注 4]、リエゾン用で低燃費となる“リエゾンモード”の2種類が設定されており、走行状況に合わせて切り替える仕様となっている。

競技ライセンス“国際C級レース除外”を取得し、規定に合致した車両を用意して抽選に通れば、実際にプライベーターとして出場することも可能である[注 5]。ワークスの車両と同じコースを走りタイムを争い、時にはプライベーターがランキングの上位に食い込むということもある。尚、コ・ドライバーもドライバーと同等の競技ライセンスが必要である。

サーキットで行われる周回競技と異なり、一般道路や林道などを一時的に閉鎖して行われるため、設営された観客席は少ない。観客はコースを間近で見られることもあり、熱心なファンは足繁く観戦ポイントに出向く。しかし、車両がコースオフし客席に飛び込む恐れもあるために観戦には危険も伴い、過去には死亡・負傷事故も起こっている[2]

観客達が大きくコースオフした車両をコースに戻したりすることも多々あるが、本来ドライバー、コ・ドライバー以外の人間が競技車両に触れることはルール違反なため、ドライバーはペナルティを受けてしまうことが多い[注 6]。逆に観客が競技の妨害を行うこともあり、開催中にコース上の冊が閉められたこともある[3]。運営側が観客をコントロール出来ないと判断された場合はSSそのものがキャンセルとなり、実際にラリー・ポルトガルがこの理由で一時WRCから外された。

広大なエリアでは、時に観客がプロに代わるカメラマンとして活躍することがある。2005年のキプロス・ラリーでは、フランソワ・デュバルがコースオフ・車両炎上のシーンにおいて、観客が撮影した映像が国際映像として放映された。

イベント

各々の国で開催される競技をイベントと呼ぶ。年間のイベント数は1990年代中頃まで8~10戦程度であったが、増加を望むFIAの意向により各ラリーの開催日数・走行距離の短縮やサービス (車両整備) 回数の制限等、イベントの簡素化が進められたことに対応するようにイベント数が徐々に増やされ、2007年には全16戦、2008年は全15戦となっていたが、2009年と2010年は2年間で24戦を隔年で開催するという年間12戦のローテーション制となり[注 7]、2011年からは全13戦となっている。

F1のオフシーズンであるストーブリーグが4ヶ月-5ヶ月近くであるのに対して[注 8]WRCは1ヶ月前後しかないが[注 9]、シーズンオフが短い分、6月上旬から7月終わり又は8月始めまで約2ヶ月間の休息期間となるインターバルを設けている。

これまでに開催されたWRCイベント

開催地 イベント名 開催都市 開催年度
テンプレート:Flagicon アルゼンチン ラリー・アルゼンチン ビジャ・カルロス・パス 1983年 -
テンプレート:Flagicon ブラジル Marlboro Rallye do Brasil サンパウロ 1981年 - 1982年
テンプレート:Flagicon オーストラリア テルストラ・ラリー・オーストラリア パース 1988年 - 2006年
テンプレート:Flagicon カナダ Criterium Molson du Quebec モントリオール 1977年 - 1979年
テンプレート:Flagicon キプロス キプロス・ラリー リマソール 2000年 - 2006年
テンプレート:Flagicon フィンランド 1000湖ラリー ユバスキュラ 1951年 - 1996年
ネステ・ラリー・フィンランド ユバスキュラ 1997年 -
テンプレート:Flagicon フランス ツール・ド・コルス - ラリー・ド・フランス アジャクシオ 1956年 -
テンプレート:GER OMV ADAC ラリー・ドイチェランド トリーア 2002年 -
テンプレート:Flagiconイギリス RACラリー カーディフ 1933年 - 1997年
ウェールズ・ラリー・オブ・グレートブリテン カーディフ 1998年-
テンプレート:GRE アクロポリス・ラリー・オブ・グリース ラミア 1973年 - 2013年
テンプレート:Flagicon アイルランド ラリー・アイルランド スライゴ 2007年 -
テンプレート:Flagicon イタリア ラリー・サンレモ サンレモ 1973年 - 2003年
スーパーマグ・ラリー・イタリア・サルディニア ポルト・チェルヴォ 2004年 -
テンプレート:Flagicon ポーランド Rally Poland[注 10] ミコワイキ 2014年 -
テンプレート:Flagicon コートジボワール Rallye Cote d'Ivoire アビジャン 1976年 - 1992年
テンプレート:Flagicon 日本 ラリー・ジャパン 帯広市 2004年 - 2007年
札幌市 2008年 - 2010年
テンプレート:Flagicon ヨルダン ヨルダン・ラリー アンマン 2008年、2010年 - 2011年
テンプレート:Flagicon ケニア (及びウガンダタンザニア) イースト・アフリカン・サファリ 1960年 - 1973年
サファリラリー ナイロビ 1974年 - 2002年
テンプレート:Flagicon モロッコ Rallye du Maroc カサブランカ 1971年 - 1976年
テンプレート:Flagicon メキシコ コロナ・ラリー・メキシコ レオン 2004年 -
テンプレート:MON ラリー・オートモービル・モンテカルロ モンテカルロ 1911年 -
テンプレート:Flagicon ノルウェー ラリー・ノルウェー ハーマル 2007年 -
テンプレート:Flagicon ニュージーランド プロペシア・ラリー・ニュージーランド ハミルトン 1985年 -
テンプレート:POR ラリー・ポルトガル ポルト 1967年 - 2001年
ボーダフォン・ラリー・デ・ポルトガル アルガルヴェ 2007年 -
テンプレート:Flagicon スペイン ラリー・ラック・カタルーニャ - コスタ・ドゥラダ サロウ 1991年 -
テンプレート:Flagicon スウェーデン Rally to the Midnight Sun カールスタッド 1950年 - ?
ウッデホルム・スウェディッシュ・ラリー カールスタッド 2002年 -
テンプレート:Flagicon トルコ ラリー・オブ・ターキー ケメル 2003年 - 2006年
テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 オリンパス・ラリー 1985年 - 1988年

路面とタイヤ

テンプレート:Double image aside イベントで使用されるコースの路面環境は様々だが、大きな分類では未舗装路のグラベルとアスファルト舗装路のターマックの2種類で、積雪路のスノーや凍結路のアイスは、土台となる基礎路面で分類される[注 11]。ターマックとグラベルが混在するミックスサーフェイスのイベントも有る[7]

概ね、ターマックでは車高を下げて大径の18インチホイールを装着するのに対して、路面変化の大きいグラベルではサスペンションのストロークを確保するために車高を上げて小径の15インチホイールを装着する。全イベントの2/3を占めるグラベルも地質や砂利の割合などそれぞれ特性が異なり一括りに出来ない難しさがあるため、ターマック、グラベル共に路面状況や天候を読みながらのセッティング、タイヤ選択がタイムに大きな影響を与えることも少なくない[注 12]

タイヤの制限

ファイル:Rali Portugal (168).JPG
左: ターマック用
右: グラベル用
(2007年 ラリー・ポルトガル)

かつてはタイヤの種類や使用本数に制限は無かったが、コスト低減などを目的としたコントロールタイヤ制度 (ワンメイク) の導入[注 13]と同時に様々な制限を行った[9]。タイヤの種類は、トレッドパターンがブロック状のグラベル用[注 14]、ターマック用のグルーブ (溝) が少ないスリック[注 15]のほか、冬期イベント用にスノーとスタッド付きスノーがある[注 16]。レギュレーションにより、イベントで使用可能なトレッドはグラベル、ターマック共に1種類、コンパウンド[注 17]は2種類まで認められているが[10]、例外として、ターマックの冬期イベントで路面のコンディションが多種多様に変化するモンテカルロでは4種類まで認められている[11]

車両へ搭載されるスペアタイヤの本数は2本まで、新品タイヤへの交換は“サービスパーク”への入庫時のみ、交換本数も4本までとなっている[注 18]。限られたタイヤ本数で如何に早いタイムを出すことが求められるため、特に近年はタイヤマネージメントの重要性が増した。前後左右のタイヤ選択、前後のローテーション、内圧設定のほか、勝負所となる重要なSSを見極めタイヤを温存するなど様々な戦略が取られている[13]。イベント毎に使用出来るタイヤの総本数は異なるが、2014年のラリー・イタリアではシェイクダウンに4本、競技では35本となっている[14]

タイヤメーカー

2014年現在でFIAに認定されている公式サプライヤー (供給メーカー) は、ミシュラン[注 19]DMACKハンコックピレリ[注 20]の4社である。2008年から2011年までは独占契約を結んだ1社が全てのマシンにタイヤを供給するワンメイクとなったが、2011年からはタイヤメーカーの選択が自由となり、各チームがそれぞれのタイヤメーカーと契約する形となっている[19]

スケジュール

3日間又は4日間で行われる[注 21]。各日はDAY (デイ) で表し、1日目は「DAY1 (デイワン)」と呼称する[注 22]。DAYは、実質的な競技区間のSS (Special Stage: スペシャルステージ、通称: エスエス) と計測地点のTC (Time Control: タイムコントロール)、公道を走行する移動区間 (ロードセクション) のリエゾンに分けられ、SSの合計タイムが最も少ないドライバーが優勝となる。

競技はアイテナリーと呼ばれるタイムスケジュール表に沿って進められる。通常のスタート間隔は2分だが、グラベルで無風状態になると前車走行後の土煙が2分以内に収まらず、後にスタートしたマシンが視界を遮られて影響を受けるため、その場合は間隔を1分延長し、状況次第では更に1分延長される事も有る[注 23]。このためサーキットレースとは異なり、トラブルで減速・停車した場合を除きコース上での抜きつ抜かれつはほぼ生じない。

準備

イベントが開催される週の水曜日からレッキと呼ばれる、競技で使用されるコースの下見走行を行い、ドライバーとコ・ドライバーはコース状況を把握してペースノートの製作を行うが、使用車両は競技車両ではなく一般車両となる。水曜日の夕方から木曜日に掛けてはシェイクダウンと呼ばれる、実際に競技車両を使用して最終チェックを行った後[注 24]車検を受けて規定外のパーツの装着が無いか確認が取れると、競技車両はパルクフェルメと呼ばれる車両保管所に置かれ、ドライバーを含め全ての関係者は競技開始まで触れることが出来ないようになっている。 テンプレート:Main

リエゾン

一般道路を使用する移動区間。スタートした車両はリエゾンを通りTCへ向かう。SSと異なり閉鎖されていないため、現地の交通法規に従い一般車両に混じって走行する。リエゾンを走行することも競技の一部であり、主催者から示されるコマ図に従って走行するというラリー競技当初の姿が現在も残っている[注 25]。TCに入る時間は車両毎に指定され[注 26]、指定時刻に遅れた場合は1分につき10秒のペナルティが総合タイムに加算される[12]。スピード違反や一時停止義務違反で現地の警察に検挙されることもあり、ドライバーが免許停止などの処分を受けた場合は、代わりにコ・ドライバーがハンドルを握ることもある[24]。また、各国の法律[注 27]に定められた保安基準を満たしていない場合は走行を止められることがあり、特にSS区間でのトラブルで車が破損した場合などに問題となる。

SS

一般道路を一時的に閉鎖して作られた区間で、スタート地点はTC内に設置され、1台ずつ一定間隔でスタートしてタイムを競う。イベントによっては一般道路を閉鎖して使用するSSとは異なり、人工的に作られたサーキットコースのような特設会場で、2台の車両が仕切りのあるコースを同時にスタートするスーパースペシャルステージ (Super Special Stage: スーパーSSSSS) も存在する[注 28]

スピード感のある走行シーンが見所であるため、メディア中継が行われるのもSSであることが多い。SSの数はイベントにより異なるが概ね20前後で、各SSの距離は2km前後から50km以上まで存在し[注 29]、合計距離は300-400km程度となっている[注 30][注 31]。2011年からはパワーステージ[注 32]が導入された。タイトル争いでは僅かなポイントが結果を大きく左右する場合があるため、DAYリタイアやトラブルで上位進出の可能性が無くなった場合はパワーステージでのポイント獲得に切り替える事が多い。

タイムは速いほど良いためドライバーは全力で挑むが、時にはスピンやパンクによるタイムロスも発生する。また、事故や機器のトラブルなど、車両が深刻なダメージを受けて走行不能となった場合は、リタイアしたSSと、同日に行われる全てのSSがリタイア扱いとなるDAYリタイアとなる。全損で無い場合、指定の時刻までに車両を走行可能な状態にして認定を受けた場合は翌日の出走が可能となる救済措置のラリー2規定が適用され、ペナルティとしてリタイアしたSSと走行出来なかった残りのSSのトップタイムに5分加算されるが総合成績は有効となる。但し、最終日にリタイアした場合は同規定が適用されないため未完走扱いとなり総合成績は残らない[12]

DAYリタイアの時点で、優勝やポディウム争いからは脱落してしまうが、以降のイベントに向けてのテストやセッティングと割り切って走行する事が多い。2014年からは、シードドライバーがDAYリタイアし翌日出走する場合、前年のドライバーズポイント順である、ゼッケンナンバーが15番までのシードドライバーの最下位に組み入れることと規定された。これは、余りにも下位の出走順にしてしまうと、技量の高いシードドライバーがタイムの遅い前走者に追い付き、危険と判断されたものである[20][12]

スタート順は、グラベルのイベントに於いては重要なファクターとなる。最初にスタートするドライバーは堆積する土砂を掻き分ける掃除役となり不利を被ることが多いため、これまでも様々な対策が取られてきたが根本的な解決策は定まっていない。2013年までは事前に行われる予選でタイム順に上位のドライバーから自由に決めることが出来たが、2014年からは予選が廃止された。新方式は、初日のDAY1はドライバーズポイントが高い順、DAY2以降はスーパーSSを除く前日の最終ステージを終えた時点での総合成績順となっている。

各DAY最後のSS終了後はTCに移動してリエゾンを通り、サービスパークと呼ばれる各チームの本部に戻る。サービスパークでは競技中の整備や給油などの各種作業が許されるが制限時間があり[注 33]、制限時間をオーバーしたり、SSを欠場してマシンの修復を行う場合[注 34]はペナルティとしてタイムが加算される[注 35]。その後、車両は再びパルクフェルメに保管されて次のDAYの競技開始を待つ。サービスパーク以外で簡単な整備が出来る場所、リモートサービス[注 36]を設ける場合もある。

ポイントシステム

ドライバー選手権

最終日のSS終了後の表彰式で1位から10位までにポイントが与えられるほか[注 37]、イベントの最終SSをパワーステージと呼称し、総合成績に関係なく1〜3位までにそれぞれ3-2-1ポイントが与えられ[12]、年間で最も多くのポイントを獲得したドライバーがドライバーズチャンピオンとなる。JWRCPWRCでは、クラス毎にポイントが設けられクラス毎の年間チャンピオンを決定するが、トップクラスのドライバーは全クラスの総合順位からポイントが決定する[注 38]

マニュファクチャラー選手権

製造メーカー又はワークスが該当し、エントリー出来るのは自動車メーカー毎に1チームが基本で、対象として1チームから2台までのエントリーが認められている[注 39]。付与順位及びポイント数はドライバーと同様で、最も多くのポイントを獲得したメーカーがマニュファクチャラーズチャンピォンとなる。F1のコンストラクターズタイトルがシャシーの製造者に対して与えられるのに対し、WRCのマニュファクチャラーズタイトルはメーカーに対して与えられるため、タイトル獲得時の宣伝効果を期待して各メーカーとも力を入れている。

車両クラス

2014年、エンジン形式や排気量などにより6つのクラスに再編された[12]。グループAのR3D以外は全てガソリン車となる。

RC1
WRカー (1.6Lターボ+33mm径 エアリストリクター)
RC2
S2000 (1.6Lターボ+33mm径 エアリストリクター)、S2000 (2L NA)、グループR5、グループR4、グループN (2L以上)
R-GT
R-GT (34mm径 エアリストリクター)
RC3
グループA (1.6L - 2.0L未満)、スーパー1600 (1.6L NA)、グループR2 (1.6L - 2.0L未満)、グループR3 (1.6L - 2.0L未満)、グループR3T (1.6L - 2.0L未満 ターボ)、グループR3D (ディーゼル 2.0L未満 ターボ)
RC4
グループA (1.6L未満)、グループR2 (1.39L - 1.6L未満)、キットカー (1.6L未満)、グループN (1.6L - 2.0L未満)
RC4
グループN (1.6L未満)、グループR1 (1.6L未満)

競技クラス

換算排気量とグループによって4分類されている。最上位クラスのWRCのほかに下位のカテゴリーの車両を使用して行われる、3つのサポート選手権が存在する。2013年、各チームのコストダウンの一環としてサポートカテゴリーの再編と共にクラス毎の規定が適用された。2012年までのサポートカテゴリーと違い、WRC全13戦はWRC-2やWRC-3が併催され、JWRCを除き、サポートカテゴリーは全てイベントの参加が可能になっている[注 40]

WRC

ファイル:Hirvonen 2012 Ford.jpg
フォード・フィエスタ RS WRC

選手権の名称ともなっているWRCの最上位クラス。ワークスとして参戦するチームは全13戦で2台以上のエントリーが義務付けられている。ポイントは全戦有効。ワークス以外のチームは7戦以上 (内ヨーロッパ以外1戦以上) に2台までの体制で参戦が義務付けられている。ポイントは上位7戦分のポイントが有効となる。

使用車両のWRカー4WDでベース車両から大幅な改造や変更が認められている。エンジンの最高出力は約320PS、最大トルクは約45kgf・mであるが、グループB時代のハイパワー競争を教訓とした、過度の競争を避けるためのエアリストリクター装着により、2013年現在では最大出力は300PSに制限されている。また、先にF1に採用されたパドルシフトもWRカーでは標準的な装備となっていた時期もあるが、2014年現在ではフロア式のシーケンシャルシフトとなっている。2010年まではグループA・クラス8規定、2011年から新規定が適用された。これはS2000規定を基にエンジン排気量を1.6Lとし、ターボチャージャーを装着する。また、車幅も2009年規定の1,800mmから1,820mmに拡大されたが変更点はS2000にも適用されるため、差別化として改造範囲が拡大されている。外観ではフロントバンパー等のエアロパーツの変更が可能になっている。 テンプレート:Main

2011年開幕戦時点で参戦を正式に表明していたメーカーはシトロエンフォードの2社のみであったが、BMWとかつてスバルのWRカーを開発していたプロドライブが組み、ミニ・カントリーマンによる2011年のスポット参戦と2012年からのワークス参戦を発表[29]した。2013年はワークス活動からフォードとBMWが撤退する一方で、フォルクスワーゲンが参戦を開始した。

コスト低減のため、将来的にはR5規定マシンをメインとする構想がある。R5はS2000に代わる規定とされ、アップライト (車軸とハブ) は4輪全ての共用が義務付けられるほか、空力面やリストリクター径が異なり、トランスミッションも6速→5速となるが、最低重量はWRカーと同じ1,200kgでエンジン排気量も1.6Lで開発費を抑えられることから多くのマニファクチャラーから支持されており、既にフォードやシトロエン、シュコダなどがR5マシンの開発を行っている[注 41][31][32]

1998 - 2010年の主な車種

2011年以降の主な車種

WRC-2

2013年、それまでのSWRCとPWRCを統合した形で設定された。全13戦中、7戦がWRCと併催されている。7戦以上の参戦が義務付けられており、ポイントは最初に参加した7戦 (全13戦も選択可能) の内、上位6戦分のポイントが有効となり、欠場時のペナルティは無い。また、プロダクションカーカップは最も多くのポイントを獲得した、N4規定が適用される車両が参戦したチームに対して与えられる[注 42]

使用車両は4WDで、2012年までの規定が適用されたスーパー2000、グループR規定のR4・R5、グループN規定のN4となる。また、N4規定車種のみ対象の「プロダクションカーカップ」が設定された[33]

主な車種

WRC-3

2013年に設定された。全13戦中、6戦がWRCと併催されている。WRC6戦で併催6戦以上の参戦が義務づけられている。ポイントは最初に参加した6戦の内、上位5戦分のポイントが有効となる。使用車両は、2WDで、グループR規定のR1、R2、R3クラスとなる。

主な車種

シトロエン・DS3 R3

世界ジュニアラリー選手権 (JWRC)/WRC アカデミー

ファイル:Suzuki Swift JWRC 05 001.JPG
スズキ・スイフト S1600 '05モデル。
奥は2004年チャンピオンマシンのスーパーイグニス (先代スイフト)

全6戦でポイントは全戦有効。グループA・クラス6、スーパー1600と呼ばれる1.6L NAエンジンのFF車をベースに車幅拡大などが施された「WRCの下位クラス」の位置付けである。出場年齢制限が26歳以下となるためドライバーの平均年齢は低く、WRCへの登竜門的な存在となっている。セバスチャン・ローブセバスチャン・オジェダニエル・ソルドフランソワ・デュバルパー・ガンナー・アンダーソンなど、最上位クラスのWRCで活躍するドライバーも少なくないが、WRカーの出場台数が絶対的に少ないため非常に狭き門という事もあり、近年では他のクラスへ移行するドライバーもいる。タイヤはミシュランのワンメイクとなっている。

ゼッケンナンバーは31番-60番までで、うち59・60番は地元枠として、地元のASN[注 43]が選出したドライバーが走ることが出来る。2009年の第2戦-第5戦は、同じ番号で走るPWRCと併催のため、ゼッケン・ナンバーが+100になることがある。

2007年はヨーロッパ圏内のみでの開催となり“W”が取れて“JRC”となったが、2008年はメキシコでの開催が確定しており、1年ぶりに世界選手権に戻った。2011年より大幅なルール変更を行い、Mスポーツがプリペア (準備) するフォード・フィエスタ R2のワンメイクシリーズでの開催となった。なお、2011-2012年の名称は“WRC アカデミー”であったが、2013年はサポートカテゴリー再編と共に2年ぶりに“JWRC”に戻った。

2010年までの主な車種

スーパー2000世界ラリー選手権 (SWRC)

2010年より設定された。自然吸気2.0L NAエンジンを搭載したS2000がメインで、初年度は11名のドライバーが出場した[注 44]。2013年よりWRC-2へ移行した。

2012年までの主な車種

2013年以降の主な車種

  • シュコダ・ファビア S2000
  • スバル・インプレッサ グループN、R4
  • プジョー・207 S2000
  • 三菱・ランサーエボリューション グループN
  • フォード・フィエスタ S2000

プロダクションカー世界ラリー選手権 (PWRC)

ファイル:2010 wales rally gb by 2eight dsc0555.jpg
三菱・ランサーエボリューションX

市販車をベースとしている点では、WRC、SWRCクラスと同様だが、より改造範囲の狭いグループN規定の車両で戦う。ベースとなる市販車の高い基本性能が要求され、スバル・インプレッサ三菱・ランサーエボリューションが多くを占めている。2013年時点では日本人ドライバーが参戦する唯一のクラスである[注 45]。2005年頃までは「PCWRC」と表記されていたが、現在は「PWRC」と表記するのが通例である。2013年よりグループNクラス4車両はWRC-2へ、二輪駆動であるR3クラスの車両はWRC-3へと移行した。 テンプレート:Main

主な車種

車両の変遷

WRC草創期からグループB時代 (1973年 - 1986年)

ファイル:Lancia-Stratos-HF-Group-4-'.jpg
ランチア・ストラトス

1973年のWRC創設から1980年代初頭までは、グループ2やグループ4といった規定で競技が行われ、各メーカーは市販車を強化した特別仕様車であるホモロゲーションモデルを販売し、その車両をベースに競技用車両を開発していた。グループ4の当時の生産義務が「連続する24ヶ月間に400台」と少ないことを利用し、ランチアがラリーのためだけに開発したスペシャルモデル、ランチア・ストラトスは例外的存在である。当時のラリーカーはほとんどが2WDであったが、1981年にフルタイム4WDとターボエンジンを採用したアウディ・クワトロが登場してラリーを席巻し、その後のラリーカーの方向性を決定づけた。その後、それまでのグループ1-8規定を廃止し、1983年から新規定に移行することが発表される。1982年は新旧両規定に基づいた車両が使える移行期間であった。

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アウディ・クワトロ A1

グループ1-8と複雑になっていた規定がグループN、A、B、C、D、E、F、Tに簡素化され、このうちラリーの世界選手権はグループBにかけられることとなった。グループBは、連続した12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台を生産すれば良いというもので、名目上はより幅広いメーカーの参戦を促すものだったが、実際はより高性能なラリー専用車両の製作が可能となった。グループB車両のほとんどは鋼管スペースフレームに市販車に似せたデザインのFRP若しくはCFRP・ケブラー製のカウルを被せ、400PS-600PSと言われた高出力の過給エンジンをミッドシップに搭載し、フルタイム4WDで駆動するといった物であり、メーカー各社は先鋭化した高性能車両を競って生み出していく。際限の無い競争の結果として開発コストが上昇したため、グループBよりも金銭的な負担が少なく、競争が激しくなるような新しいカテゴリーとしてグループS構想を発表する。

グループB規定により走行スピードは劇的に向上したが、安全面がその進化に追いつかず、多くの事故と犠牲者を生み出すこととなった。1985年ツール・ド・コルスでのランチアのアッティリオ・ベッテガの事故死、同年アルゼンチンラリーでのプジョーのアリ・バタネンの事故、1986年ポルトガルラリーでフォードからワークスエントリーしていたヨアキム・サントスが多数の観客を死傷させるなど、ワークスドライバーが絡む事故が多発。そして、1986年のツール・ド・コルスで発生したランチアのヘンリ・トイヴォネン / セルジオ・クレスト組の事故死を受けて、FIAは事故の翌日に以後のグループB車両のホモロゲーション申請を却下することを発表し、その後1986年を以てグループBの廃止を決定[注 46]、翌1987年からは世界選手権は下位クラスであったグループA規定で行われることを発表、同時にグループS構想も消滅した。

1973年 - 1986年の車種

グループA時代 (1987年 - 2001年)

ファイル:Lancia Delta Integrale - Flickr - exfordy (1).jpg
ランチア・デルタ インテグラーレ

1987年の世界ラリー選手権グループA規定に移行し、ベース車両は継続した12ヶ月間に5,000台以上の生産が義務づけられたほか[注 48]、様々な改造規制が加えられて市販車に近いものとなった。しかしハンドリングの向上とタイヤの性能が進化したことにより車両性能は落ちるどころか年々向上し、3年後にはグループBのマシンを凌駕する速さを身に付けた。フルタイム4WDと2.0Lのターボエンジンは必須の装備となっていたが、その様な高性能なスポーツ車両を生産し販売出来るメーカーは少なく、参戦メーカー数は非常に減少した。

ランチアはデルタをベースとした車両を製作してグループA時代を牽引するが、日本のメーカーが勝負を挑む。日本の自動車市場は4WDスポーツ車が順調に売れる世界的に見て珍しい市場であり、日本車メーカーはこぞって高性能な4WDスポーツ車を販売し、1990年代中盤には、それまでWRCの中心を担ってきたヨーロッパの自動車メーカーに代わり、トヨタスバル三菱日産マツダといった日本のメーカーがWRCを席巻した。

トヨタはセリカでランチアの厚い壁に挑み続け、1990年、1992年 - 1994年にドライバーズ・タイトルを獲得、1992年を以てランチアがワークス活動を休止し競争力が次第に低下したこともあり、1993年 - 1994年には日本の自動車メーカーとしては初めてマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得した。また、スバルインプレッサの投入とともに1994年からフル参戦を開始し、1995年 - 1997年の3年連続でマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得、三菱自動車ランサーエボリューションが1996年 - 1999年まで4年連続ドライバーズ・タイトルを獲得した。

ところが、1995年にトヨタのレギュレーション違反が発覚。獲得ポイントの剥奪と1年間の出場停止処分を受け、1997年終盤にカローラWRCで復帰するまでほぼ2年間その活動を休止した。一方、グループAの2,500台という最低生産台数がネックとなり、参戦メーカー数は減少の一途を辿っていたため、より参戦の門戸を広げるため、新たにワールドラリーカー (WRカー) の規定が1997年より導入された。1997年は多くのメーカーがWRカーに移行する中、三菱のみグループAに留まり、1998年に初のマニュファクチュアラーズタイトルを獲得。1999年以降も引き続きグループA規定で参戦したものの、2001年、三菱チームも同年中のWRカー移行を発表。14年弱の長きに渡るグループA時代は終わりを迎えた。

1987年 - 2001年の車種

WRカー時代 (1997年 - 2010年)

ファイル:Markko Märtin - 2004 Cyprus Rally.jpg
フォード・フォーカス WRC
(2004年 キプロス・ラリー)

グループAの特例として1997年から導入されたWRカーは、継続した12ヶ月間に25,000台以上生産された車種の派生モデルに限り、直接的なペースモデルの生産台数を2,500台とするもので、ワイドボディ化、4WDへの改造、リアサスペンション形状の変更、同一メーカー車に搭載されているエンジンへの換装やターボの付加など、大幅な改造を認められたものである。この規定により、グループAの生産台数5,000台に参戦を妨げられていたヨーロッパの自動車メーカーが相次いでWRCに参戦し、メーカー数が増加して一時的に活況を呈するが、世界的不況の影響による自動車会社の経営不振、度重なる仕様変更、WRカーの開発費用および車両価格の高騰、イベント数の増加などにより徐々に撤退するメーカーが増え[注 49]、2009年時点で正式に参戦したのはシトロエンフォードの2社のみとなった。

1999年、フォード・フォーカスWRCプジョー・206 WRCが登場、プジョーは2000年 - 2002年までマニュファクチャラーズタイトルを3連覇した。2003年には本格参戦1年目にしてシトロエンがマニュファクチャラーズタイトルを奪取し、その後2005年まで3連覇するなど一大勢力と化したフランス勢の時代が続いたが、WRCの開催スケジュール等を巡りFIAと対立したプジョーが2005年で撤退した。シトロエンも2005年で一時撤退するが、2006年にプライベートチームのクロノス・レーシングを事実上のワークスチームとしてサポートする形で参戦、その間、従来のWRカーであったクサラ WRCの後継となるC4 WRCの開発を平行して行っており、2007年に再びワークスチームとしてWRCへ復帰した。

フォードはMスポーツにワークス活動を委託し着実に成績を残していたが、フォードグループ全体の経営不振などにより年を追うごとに資金が先細りしていく状況にあった。2002年頃から毎年撤退が噂され、2004年には撤退寸前まで追い込まれるが、Mスポーツ監督のマルコム・ウィルソンが絶望的な状況の中でも諦めることなくフォード首脳陣に対して参戦継続へ向けた粘り強い交渉を行っていた。そして交渉期間中に開催されたカタルニア・ラリーとツール・ド・コルスでフォーカスWRCを駆るマルコ・マルティンが連続優勝を成し遂げた。この結果により状況が好転し、フォード本社がラリー活動の継続を決断する。2005年に3年間の参戦と資金が確約されると攻勢に転じ、モデルチェンジしたフォーカス STをベースに新型車両を作り上げ、2006年に1979年以来となるマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。

ファイル:Toyota Corolla WRC 2000.jpg
トヨタ・カローラ WRC

日本メーカーでは、1年間の活動休止を余儀なくされていたトヨタがカローラ[注 50]をベースにしたWRカーを投入、1999年のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。スバルはインプレッサ WRCを投入するが、頻発するトラブルや度重なるモデルチェンジによる仕様変更の影響もあって上位に絡めない展開が続く。2007年にようやくトップ争いが見える位置まで復活するが、上位のシトロエン、フォードとの差は開いており、2008年を以てマニュファクチャラーズ選手権から撤退した。

三菱はグループAに拘り続けたが、2001年にWRカーへと移行した。ベースモデルはランサーエボリューションからランサーへと変更されているが、WRカーへの移行時に多くのトラブルが発生、エースであったトミ・マキネンの離脱なども重なり成績は低迷した。体制変更、一時的な活動停止などの迷走期間を経て、2008年以降の本格的復帰を目標に限定的な参戦をしていたが、2007年末に英国の拠点を閉鎖、2010年にラリーアートが業務の一部停止を発表した[34]スズキは、当初2007年が夏季開幕となるウインターシーズン案が検討されていたため2007年からの全戦参戦を計画していたが、ウインターシーズン案が撤回されたため、2007年は3戦にスズキ・SX4 WRCでテスト参戦し、2008年から全戦に参戦した。シーズン前半は初期トラブルが多発し完走も難しかったが、後半へ向けて改良が行われ、2台完走することが増えていった。最高位は日本とイギリスの5位。2008年12月15日、スズキは2009年以降のWRC参戦休止を表明した。

日本車以外のアジア勢としては、ヒュンダイがイギリスのMSD (モータースポーツ・デベロップメント) と協力しヒュンダイ・アクセント WRCで参戦していたが、慢性的な資金難から競技車両の開発が大幅に遅延した結果、競争力が向上せず、2003年、ワークス活動を委託していたMSDが活動資金の不足を理由に残り4戦を残して撤退、そのままWRCの活動を休止した。この「シーズン途中のワークス撤退」が当時のルールである「WRカーは全戦出場義務がある」に抵触したため、FIAはヒュンダイに対しWRC史上最高額となる100万USドルの罰金を課したが、支払いを巡り法廷闘争に発展した[35]

1997年 - 2010年の車種

S2000 WRC時代 (2011年 - )

グループA車両をベースにしたWRカーは高コストで新規ワークスの参入はほぼ不可能であるため、コスト削減案としてWTCCで導入されているスーパー2000 (S2000) 規定を導入しようという案が浮上する。これは2.0LのNAエンジンを使用し、ボディ補強など最低限の改造のみで競技車両を製作するという規定でPWRC規定の車両と近い。実際にPWRCではS2000規定車両の出場も認められているほか、IRCでもS2000規定の車両が活躍している。

WRカーという名称を引き継ぎ、新規格のWRカーをから導入することが検討され、2008年12月、FIAはS2000をベースにボルトオンキットで簡単にWRカーに出来る様にする“S2000プラス”を提案した[注 51]。その後、FIAの中で意見が二転三転し、S2000プラスを撤回して2011年以降はS2000をメインカテゴリーにするという話が浮上する[注 52]。新規定が確定しなければ開発出来ない上に残りの期間も少ないことから、2009年もWRカーでワークス参戦するシトロエンとフォードからは、結論の出ないFIAに対して不満の声が上がっていた。

最終的には、WTCCなど他のカテゴリーと共通の規定の元に製作される1.6L直噴ターボエンジンをS2000車両に搭載したS2000 WRCに変更することを決定し、シトロエンとフォードは、それぞれシトロエン・DS3 WRCフォード・フィエスタ RS WRCを制作し参戦[注 53]、また、2011年からは新たにBMWプロドライブに製作を委託しミニ カントリーマンをベースにした、ミニ・ジョン クーパー ワークス WRCで参戦[注 54]した。同年5月、フォルクスワーゲンポロ R WRCで参戦することを発表し[38]、初参戦の2013年からドライバーズ&マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。2014年も好成績を継続していることを受けて、フォルクスワーゲンは当初の2013年-2015年までの3年計画を延長、2019年まで参戦することを決定した[39]。2014年からはヒュンダイi20 WRCでフル参戦した[36]

その他、トヨタが将来的にWRCへ参戦する可能性が浮上する[注 55]。トヨタのモータースポーツ部門であるTMGWECに集中しているため、WRCへの参戦については2016年以降と言及[41]、既にヤリスWRCがテストを開始しているため、2017年からの新規定に合わせて参戦する可能性が高いとみられている[42]。2014年5月、FIAとWRCが2017年から導入が予定されている規定についての公式ミーティングで今後の進め方などが話し合われ、同年中には各チームに具体的な内容を説明するとしている[43]

2011年以降の主な車種

  • シトロエン・DS3 WRC
  • フォード・フィエスタ RS WRC
  • ミニ・ジョン クーパー ワークス WRC
  • フォルクスワーゲン・ポロ R WRC
  • ヒュンダイ・i20 WRC

メディア

海外での放送

開催国を中心として、特にヨーロッパで絶大な人気を誇るWRCはテレビ放送も盛んに行われている。FIAとしてもテレビ放送から得られる収入は無視出来ないものとなり、スーパーSSなどテレビ放送向けにイベントを組んでいるが、より多くの視聴者を獲得するためにはテレビ放送より規模の大きいインターネット配信が有効という意見も出ている[44]。ラジオ放送も行われており、日本でもインターネット経由で聴くことが出来る。

日本での放送

2013年現在では、唯一J SPORTSが各DAYの速報やイベントの総集編、ラリージャーナリストが取材したWRCの裏側リポート等を放送している。BS日テレでもダイジェストで放送していたが、スバルのWRC撤退によるスポンサー撤退で2008年12月25日で放送終了。地上波では近年テレビ東京系列でダイジェスト放送が行われており、2007年の第1回放送は7月16日に行われた[注 56]。2008年はテレビ東京系の番組『モヤモヤさまぁ〜ず2‎』とタイアップし、同年11月14日に21時から2時間特番を放送した[注 57]。その他の放送局はWRCの報道に消極的であり、日本で開催されるラリージャパンも例外でない。同ラリーの開催時期でも、地上波では過去にWRCの放送経験があるテレビ東京系列の他は日本テレビ系列やNHKで多少触れられる程度である。

1990年代、NHKでWRCの報道がされていた[注 58]ほか、2003年以前は日本テレビでダイジェスト番組が放送されていた[注 59]。2005年のラリージャパンでは報道ステーション松岡修造が出演するコーナーにて特集され、2006年には前述の放送局に加えて、インターネット放送GyaO、CS放送AXN、地上波放送日本テレビ系列[注 60]及び福井放送[注 61]で行われたが、以降は地上波でWRCやラリージャパンに関する放送はされていない。

日本での雑誌報道

WRCの専門雑誌としては、1990年に創刊したWRC速報誌『RALLY・XPRESS』が草分け的な存在だが、2007年末の出版社の解散にともない休刊。現在は、同誌の元スタッフが運営を引き継いだ携帯サイトラリーXモバイルとしてラリー情報を配信している。2013年現在、WRC専門誌は『WRC PLUS』(三栄書房、編集: 株式会社イデア) のみとなっている。

漫画

しんむらけーいちろーFLAT OUTが、別冊ヤングマガジンに2005年4月-2006年12月まで連載された。2004年のラリージャパンとラリー・オーストラリアを舞台に日本人ドライバー剣龍也の活躍を描いている。

年別総合優勝記録

ファイル:Rally New Zealand 2006.jpg
表彰台
(2006年 オーストラリア・ラリー)
ドライバー部門(車) マニファクチャラーズ部門
2013年 テンプレート:Flagicon セバスチャン・オジェ(フォルクスワーゲン) テンプレート:Flagicon フォルクスワーゲン
2012年 テンプレート:Flagicon セバスチャン・ローブ(シトロエン) テンプレート:Flagicon シトロエン
2011年 テンプレート:Flagicon セバスチャン・ローブ(シトロエン) テンプレート:Flagicon シトロエン
2010年 テンプレート:Flagicon セバスチャン・ローブ(シトロエン) テンプレート:Flagicon シトロエン
2009年 テンプレート:Flagicon セバスチャン・ローブ(シトロエン) テンプレート:Flagicon シトロエン
2008年 テンプレート:Flagicon セバスチャン・ローブ(シトロエン) テンプレート:Flagicon シトロエン
2007年 テンプレート:Flagicon セバスチャン・ローブ(シトロエン) テンプレート:Flagicon フォード
2006年 テンプレート:Flagicon セバスチャン・ローブ(シトロエン) テンプレート:Flagicon フォード
2005年 テンプレート:Flagicon セバスチャン・ローブ(シトロエン) テンプレート:Flagicon シトロエン
2004年 テンプレート:Flagicon セバスチャン・ローブ(シトロエン) テンプレート:Flagicon シトロエン
2003年 テンプレート:Flagicon ペター・ソルベルグ(スバル) テンプレート:Flagicon シトロエン
2002年 テンプレート:Flagicon マーカス・グロンホルムプジョー テンプレート:Flagicon プジョー
2001年 テンプレート:Flagicon リチャード・バーンズ(スバル) テンプレート:Flagicon プジョー
2000年 テンプレート:Flagicon マーカス・グロンホルム(プジョー) テンプレート:Flagicon プジョー
1999年 テンプレート:Flagicon トミ・マキネン(三菱) テンプレート:Flagicon トヨタ
1998年 テンプレート:Flagicon トミ・マキネン(三菱) テンプレート:Flagicon 三菱
1997年 テンプレート:Flagicon トミ・マキネン(三菱) テンプレート:Flagicon スバル
1996年 テンプレート:Flagicon トミ・マキネン(三菱) テンプレート:Flagicon スバル
1995年 テンプレート:Flagicon コリン・マクレー(スバル) テンプレート:Flagicon スバル
1994年 テンプレート:Flagicon ディディエ・オリオール(トヨタ) テンプレート:Flagicon トヨタ
1993年 テンプレート:Flagicon ユハ・カンクネン(トヨタ) テンプレート:Flagicon トヨタ
1992年 テンプレート:Flagicon カルロス・サインツ(トヨタ) テンプレート:Flagicon ランチア
1991年 テンプレート:Flagicon ユハ・カンクネン(ランチア) テンプレート:Flagicon ランチア
1990年 テンプレート:Flagicon カルロス・サインツ(トヨタ) テンプレート:Flagicon ランチア
1989年 テンプレート:Flagicon ミキ・ビアシオン(ランチア) テンプレート:Flagicon ランチア
1988年 テンプレート:Flagicon ミキ・ビアシオン(ランチア) テンプレート:Flagicon ランチア
1987年 テンプレート:Flagicon ユハ・カンクネン(ランチア) テンプレート:Flagicon ランチア
1986年 テンプレート:Flagicon ユハ・カンクネン(プジョー) テンプレート:Flagicon プジョー
1985年 テンプレート:Flagicon ティモ・サロネン(プジョー) テンプレート:Flagicon プジョー
1984年 テンプレート:Flagicon スティグ・ブロンクビストアウディ テンプレート:Flagicon アウディ
1983年 テンプレート:Flagicon ハンヌ・ミッコラ(アウディ) テンプレート:Flagicon ランチア
1982年 テンプレート:Flagicon ヴァルター・ロール(オペル テンプレート:Flagicon アウディ
1981年 テンプレート:Flagicon アリ・バタネン(フォード) テンプレート:Flagicon タルボ
1980年 テンプレート:Flagicon ヴァルター・ロール(フィアット テンプレート:Flagicon フィアット
1979年 テンプレート:Flagicon ビヨン・ワルデガルド(フォード/メルセデス・ベンツ) テンプレート:Flagicon フォード
1978年 テンプレート:Flagicon マルク・アレン[注 62]フィアット/ランチア) テンプレート:Flagicon フィアット
1977年 テンプレート:Flagicon サンドロ・ムナーリ[注 62](ランチア) テンプレート:Flagicon フィアット
1976年 テンプレート:Flagicon ランチア
1975年 テンプレート:Flagicon ランチア
1974年 テンプレート:Flagicon ランチア
1973年 テンプレート:Flagicon アルピーヌ

テンプレート:Main

通算優勝記録

ドライバー / コ・ドライバー

ドライバー 総計 コ・ドライバー 総計
1 テンプレート:Flagicon セバスチャン・ローブ 71回 テンプレート:Flagicon ダニエル・エレナ 67回
2 テンプレート:Flagicon マーカス・グロンホルム 30回 テンプレート:Flagicon ティモ・ラウティアイネン 30回
3 テンプレート:Flagicon カルロス・サインツ 26回 テンプレート:Flagicon ルイス・モヤ 24回
4 テンプレート:Flagicon コリン・マクレー 25回 テンプレート:Flagicon ニッキー・グリスト 21回
5 テンプレート:Flagicon トミ・マキネン 24回 テンプレート:Flagicon イルッカ・キビマキ/テンプレート:Flagicon セッポ・ハルヤンネ 20回
6 テンプレート:Flagicon ユハ・カンクネン 23回 テンプレート:Flagicon アーネ・ハーツ 18回
7 テンプレート:Flagicon ディディエ・オリオール 20回 テンプレート:Flagicon ティジアーノ・シビエロ 17回
8 テンプレート:Flagicon マルク・アレン 19回 テンプレート:Flagicon ベルナール・オチェッリ 16回
9 テンプレート:Flagicon ハンヌ・ミッコラ 18回 テンプレート:Flagicon ユハ・ピロネン 14回
10 テンプレート:Flagicon ミキ・ビアシオン 17回 テンプレート:Flagicon フィル・ミルズ/テンプレート:Flagicon リスト・マニセンマキ 13回

マニュファクチャラー

マニュファクチャラー 総計
1 テンプレート:Flagicon シトロエン[注 63] 93回
2 テンプレート:Flagicon フォード[注 63] 82回
3 テンプレート:Flagicon ランチア 74回
4 テンプレート:Flagicon プジョー 48回
5 テンプレート:Flagicon スバル 47回
6 テンプレート:Flagicon トヨタ 43回
7 テンプレート:Flagicon 三菱 34回
8 テンプレート:Flagicon アウディ 24回
9 テンプレート:Flagicon フィアット 21回
10 テンプレート:Flagicon フォルクスワーゲン 16回

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脚注

注釈

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出典

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関連項目

外部リンク

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  1. WRC 2013 第5戦 アルゼンチン . J SPORTS. (2013年5月5日)
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  3. WRC 2013 第4戦 ポルトガル . J SPORTS. (2013年4月21日)
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  5. テンプレート:Cite news
  6. 6.0 6.1 WRC 2013 第2戦 スウェーデン . J SPORTS. (2013年2月17日)
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  10. 10.0 10.1 テンプレート:Cite news
  11. テンプレート:Cite news
  12. 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 12.5 12.6 12.7 12.8 12.9 テンプレート:Cite news
  13. 13.0 13.1 テンプレート:Cite news
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