中西輝政

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テンプレート:Infobox scientist 中西 輝政(なかにし てるまさ、1947年(昭和22年)6月18日 - )は、日本歴史学者国際政治学者京都大学名誉教授。大阪観光大学特任教授。専門は国際政治史、文明史。保守系の論壇や政治活動でも知られる。NPO法人まほろば教育事業団会長。

経歴

学歴

研究歴

受賞歴

略歴

2002年(平成14年)から2006年(平成18年)まで新しい教科書をつくる会理事を務め、2006年(平成18年)6月、「日本教育再生機構」に発起人として参加。2007年(平成19年)、内閣官房美しい国づくり」プロジェクト・企画会議委員。他に靖国神社崇敬奉賛会青年部あさなぎの顧問を務める。

京都大学での恩師は高坂正堯(学部は民法の林良平)、ケンブリッジ大学での恩師はサー・フランク・H・ヒンズリー。この二人に対する思いは『高坂正尭著作集』第6巻(古典外交の成熟と崩壊)解題「ヨーロッパへの愛あるいは歴史への愛」に描かれているが、中西自身はヒンズリーとの出会いが自らの歴史家としての人生を決定付けたと回顧している。この2人と並び、特に江藤淳から大きな影響を受けたと随筆の中で述懐している。

現在の研究テーマは、「1.国際社会の政治構造のあり方を歴史的・理論的に考察し、国際政治の政策的課題、その背景をなす歴史的な構造について分析を加え、冷戦後の世界秩序やアジアの国際関係の構図を深く考究する。2.国際政治構造分析に際しては、世界史上の主要な文明の生成・発展・衰亡のプロセスを巡り、それぞれにおける政治共同体の主要な特質と他の文明要因(ファクター)との関連、および他の政治共同体との相互関係における文明的契機(文化・宗教・社会規範)の及ぼす影響について検討することにも重点を置く。3.このような諸課題を達成するための研究指導を行う」としている。

人物・主張

保守論壇の論客

大学院の恩師である高坂正堯と同様にヨーロッパ外交史を専門としたこと、マスコミにも積極的に登場し、またブレーントラストとして政治家とも頻繁な接触を持つことから、同じく門下生の中西寛とともに高坂の後継者とマスコミに紹介されることも多い。ただし、中西との学術的、政治的スタンスは異なっている。

正論』、『諸君!』、『VOICE』、『WiLL』などの保守系オピニオン誌の常連寄稿者である。執筆内容は時事評論が多いが、ルーズベルト・アメリカ大統領夫妻(フランクリン・ルーズベルトエレノア・ルーズベルト)の「反日」・「容共」的姿勢や、敗戦後の日本占領統治を主導したGHQ内のニューディーラーの体質、戦後民主主義を批判する歴史に関する論稿も多い。日本を戦争に導いた外交指導者として、幣原喜重郎松岡洋右を非難し、両名こそ真のA級戦犯であるとしているテンプレート:要出典

2007年(平成19年)7月13日には、慰安婦問題に対する旧日本軍による組織的・計画的な強制連行がなかったとする理解に基づき、米国大使館に手渡された米下院121号決議全面撤回を求める抗議書に賛同者として名を連ねた[1]。また、田母神俊雄航空幕僚長在任中に発表した論文について、その主張を全面的に支持した[2]

時事評論では小泉純一郎政権を成立当初は評価していたものの、その政治手法が大衆迎合的であり、実施した政策(構造改革、北朝鮮政策など)もまた支持できないものであるとして、批判を強めていった。そして小泉に代わり、より保守的な政治を推進する「保守革命」「保守新党」の必要を訴え、その中で石原慎太郎安倍晋三らを高く評価することとなる(「政治との関わり」の項も参照)[3]

阪神大震災の際、倒壊した在日朝鮮人所有家屋の下から武器庫が見つかりそこには北朝鮮の武器が多数あったという。災害の混乱に乗じて在日朝鮮人たちが蜂起する可能性も否定出来ない」[4]、「2002年の小泉訪朝の際、随行員を排除して首相(当時)の小泉純一郎と総書記(当時)の金正日だけが密談する『空白の10分間』が存在した」[5]、「少子化を憂う必要はない、格差社会が広がりコンドームを買えない貧困層が増えれば子どもはすぐ増える」[6]、「張作霖爆殺事件は旧ソ連・コミンテルンによる犯行だった(張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説)」などの説を主張した。

日本と同じような島国で君主制を有するイギリス議会制民主主義を理想としており、外交・安全保障政策を政争の具としない二大政党制の確立の大義を説いている。尊敬する政治家としてイギリスベンジャミン・ディズレイリウィンストン・チャーチルを挙げている。

近年は、ケンブリッジ大学において情報史研究の先駆者であるヒンズリーに師事したことから、情報・諜報研究についても積極的な発言を行ない、2002年(平成14年)には門下生を中心とした「情報史研究会」という研究会を設立した。また、冷戦期にソ連の暗号解読を行なっていた「ヴェノナ計画」関連資料がクリントン政権期に米国で公開されたことを受けて、マッカーシズムへの再評価を主張している[7]

政治との関わり

2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙では安倍晋三の選挙運動はがきに推薦人として記載され、公職選挙法違反の疑いをかけられたが、安倍事務所と中西夫人の手違いと説明された。安倍の首相就任前後には、政策に影響力を持つブレーン「五人組」(他に伊藤哲夫西岡力島田洋一八木秀次)の一人として報道されたこともある[8][9]。2006年春以降は五人組の一人伊藤哲夫と安倍政権に向けた政権構想の推敲を重ね、また安倍が自民党総裁選直前の7月にアメリカの『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿を予定していた論文は、中西と安倍の対話をまとめたものを「五人組」で読み合わせしたものだが、諸事情により掲載は見送られた。

安倍の政治姿勢を高く評価し、安倍内閣発足後は「美しい国づくり」企画会議のメンバーに選ばれている。ただし、安倍政権崩壊直後に出版された月刊誌で、中西本人は政権発足時から安倍のブレーンであることを否定している[10]

文明論の展開

著書『国民の文明史』では、日本がどこの文明圏にも属さず、世界で唯一「一国家一文明」であるとする独自の文明観を主張した。「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん」という菅原道真の和歌を度々引用している。同書における日本文明、欧州文明に関する主張は以下のようにまとめられる。ただし日本文明論に関してはサミュエル・P・ハンティントンなど海外の研究者も論じているので中西の独自の論というわけではないテンプレート:要出典

日本

  • 一国家一文明、縄文時代弥生時代の超転換システム、換骨奪胎の超システム、大深度の地下水脈、重層文明の5点が日本文明の特徴である。
  • 無変動と静謐の中から強靭な適応力と自己革新の能力を瞬時に浮上させる周期的サイクルが日本文明史のパターン。
  • 周期的停滞と危機時における瞬発的適応の交互作用という特徴は日本文明の核心にあるメカニズム。

欧州

  • 本来の欧州文明はルネサンス期に消滅した。ゲルマン人キリスト教化しローマの遺産をあるがままに利用して作り上げた中世ヨーロッパのみが本当の欧州文明である。ルネサンスがギリシャを模倣したというのは間違いであり、欧州人が自らの人間イメージに破壊の情念を込めて「模した」と称しただけで、ルネサンスはギリシャ・ローマとは無関係なものである。ルネサンスでキリスト教を否定することにより宗教改革が必要となった。
  • ナポレオン後、60年間君主制が続いた点から明らかなことはフランス革命に実質的な意味はなかったこと。フランス革命が近代の始まりというのは間違っている。

門下生

著作等

単著

共著

編著

共編著

監修

監訳

研究論文

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

  • 抗議書への賛同者一覧
  • 中西「田母神論文の歴史的意義」『WiLL』2009年1月号。
  • 一例として、中西「もはや『小泉改革』は時代遅れ―保守革命を起こすために救国政党をつくれ!」『テーミス』2001年12月号、中西「破綻した構造改革――『人気者宰相』はいつ、何を間違えたか」『プレジデント』2002年7月1日号、中西「『事なかれ外交』に失敗なし」『Voice』2002年4月号、中西「『延命装置』小泉純一郎の罪」『諸君!』2003年11月号などを参照。
  • 中西「国家としての日本を考える(15)日本の国防力が目覚める時」『Voice』2004年3月号、121-122ページ。
  • 中西「小泉首相の退陣を求める」『Voice』2004年8月号。
  • 中西「悪平等こそ日本を滅ぼす」『WiLL』2006年4月号。
  • ヘインズ&クレア 2010
  • 『毎日新聞』2006年8月29日朝刊
  • テンプレート:Cite news
  • 本人の言によると、「安倍とは総理になってから2度しか会ったことがない。私は国会議員ではない民間人が政権に直接関与すべきではないという考えだからブレーンになるつもりもない」(中西「小泉純一郎が福田を倒す日」『文藝春秋』2007年11月号)。なお、中西は政権成立以前より一貫して安倍を高く評価していた(中西「国家としての日本を考える(13)戦後政治の「怨念」を断つ人―『日本史的使命』を課せられた安倍氏よ、志士たれ!」『Voice』2003年12月号)。および中西と福田和也との対談(「媚中外交の精算、憲法改正への布石」『諸君!』2006年10月号)などを参照。