フランス現代思想

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テンプレート:哲学のサイドバー フランス現代思想(フランスげんだいしそう)は、第一次世界大戦前後から始まる20世紀フランス哲学ないし思想のこと。19世紀以降のフランスとドイツを中心とする大陸哲学の流れのなかで、20世紀以降のフランスにおける大陸哲学研究、現代思想を特筆する際に、この「フランス現代思想」の語が用いられる。

マルクス主義フリードリヒ・ニーチェジークムント・フロイトらのドイツの近代理性批判、エトムント・フッサールマルティン・ハイデッガー現象学フェルディナン・ド・ソシュール記号学言語哲学などが流れ込んでいる。

アメリカでは、科学者アラン・ソーカルによって、いわゆるポスト・モダニズム思想における無意味な科学用語の濫用が批判された。フランス本国でもジャック・ブーヴレス分析哲学の流れをくむ哲学者たちからそのレトリカルな言説やオブスキュランティズムが批判されてもいる。

フランスの哲学的伝統

テンプレート:Multiple image フランスには、デカルトに端を発し、実証主義の祖オーギュスト・コントらが引き継いだ大陸合理主義啓蒙主義の哲学的伝統がある。これらは、知識、信念、科学とは何か、合理的に知識を得る事とは、という認識論を中心とした問題意識を有するが、イギリス経験論を拒否するとともに、抽象的な定義から始まり、これを演繹するというドイツ哲学のような態度をも拒否し、理性について歴史的に考察する。フランスの現代思想において、サルトルらの実存主義の流行後、1960年代に入って構造主義が台頭し、更にこれに対する反動としてポスト構造主義が台頭してくるという大きなある意味華やかな流れに耳目が集まりがちであるが、このような流れとは別にフランスの哲学的伝統に忠実な一方のきわめて地味な流れ、エピステモロジーやフランス反省哲学があるということも看過されてはならない。

また、フランスは、国教会のあるイギリスとも宗教改革の中心となったドイツとも異なり、現在でもカトリックの影響が強く、そのことが「フランス・スピリチアリスム」の伝統につながっている。哲学はあくまで理性的なものであるとしつつも、宗教と手を携えることを公然と表明するのであり、このような伝統との関係において、19世紀以降の新トマス主義の興隆を見て取らねばならない。

ベルクソン フランスの哲学的伝統の統合

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ベルクソン(1859年 - 1941年)はフランスの哲学的伝統を統合した。

フランス現代思想に直接に間接に決定的な影響を与えたのはアンリ・ベルクソンである。ジャン・イポリットによれば、ドイツの現代思想はベルクトンがいなくても成立したであろうが、フランスの現代思想はベルクソンなしには成立しなかったであろうといわれる。

ベルクソンは、フランス哲学の伝統の一つ実証主義を承継し、ハーバート・スペンサー社会進化論から出発し、『物質と記憶』において、デカルト的コギトの想定によって発生する哲学上の難問心身問題に取り組み、物質と表象の中間的存在として「イマージュ("image")」という概念を用いつつ、心と身体を持続の緊張と弛緩の両極に位置するものとして捉え、その双方が持続の律動を通じて相互にかかわりあうことを論じてきた。その上で、ベルクソンは、考察を生命論の方向へとさらに押し進め、1907年に『創造的進化』を発表する。本書は、意識の持続の考え方を広く生命全体・宇宙全体にまで押し進め、生命の進化を押し進める根源的な力が「生の飛躍("élan vital")」であるとしたのである。ここに、フランスの哲学的伝統の一つフランス・スピリチアリスムとの結合を見ることができる。

他方で、ベルクソンの生の哲学は、フランス実存主義の先駆ともいえ、その形而上学はドイツ圏のジンメルリッケルトハイデッガーらに影響を与えた。フッサール、ハイデッガーの現象学は、サルトル、メルロ=ポンティに影響を与えたが、二人が誰のどの時期のどの著作を読んで影響を受けたのかが両者の存在論の違いを生んだ。サルトルはフッサールのイデーン1巻とまだ存在論の優位か実存論的分析の優位が決めかねていた時代のハイデッガーしか読んでいなかったが、メルロ=ポンティはフッサールの未完成稿を含めた後期思想を含む本を読んでいたのである。メルロ=ポンティの身体論は、物質と表象の中間的存在として「イマージュ("image")」という概念に大きく影響を受けており、ベルクソンなしには成立しなかったであろうとされる。

ベルクソンの哲学は、神と魂の存在と両立しえる壮大な体系をもった形而上学といえるものであり、それゆえフランスでは、ドイツ発祥の現象学が受容され、二度の悲惨な参加をもたらした戦後の退廃的な雰囲気の中、サルトルらの実存主義が流行し、大衆の共感を得るに伴い、その影響力を急速に減じていった。

実存主義

サルトル

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サルトル(1905年 - 1980年)は無神論的実存主義者を自認する。ここにベルクソンが影響を失い、実存主義が大衆の支持を得た理由がある。

フランス実存主義の祖サルトルは、主著『存在と無-現象学的存在論の試み』(1943年)において、今まさに生きている自分自身の存在である実存を中心とする存在論を展開した。サルトルの思想は、特に無神論的実存主義と呼ばれ、自身の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」において、プラトン・アリストテレスに起源を有する「本質存在が事実存在に先立つ」という伝統的形而上学のテーゼを逆転して実存は本質に先立つと主張し、「人間は自由という刑に処せられている」と述べた。もし、すべてが無であり、その無から一切の万物を創造した神が存在するならば、神は神自身が創造するものが何であるかを、あらかじめわきまえている筈である。ならば、あらゆるものは現実に存在する前に、神によって先だって本質を決定されているということになる。この場合は、創造主である神が存在することが前提になっているので、「本質が存在に先だつ」ことになる。しかし、サルトルはそのような一切を創造する神がいないのだとしたらどうなるのか、と問う。創造の神が存在しないというならば、あらゆるものはその本質を(神に)決定されることがないまま、現実に存在してしまうことになる。この場合は、「実存が本質に先だつ」ことになり、これが人間の置かれている根本的な状況なのだとサルトルは主張するのである。サルトルにとって、現象学によって把握される即自存在と対自存在の唐突で無根拠な関係は、即時存在の幻影的な存在の根拠になっている。いずれにせよ、そこでは現象学に還元し得ない存在としての実存が問題にされている。

メルロ=ポンティ

メルロ=ポンティは、後期フッサールの生活世界に焦点を当てて、これを乗り越えようとした。彼は、『知覚の現象学』(1945年)において、知覚・身体を中心に据えて幻影肢の現象を分析し、自然主義と観念論を批判する。その前提となる、デカルト的なコギトにとって「私の身体」は世界の対象の一つであり、仮に、そのような前提が正しいとすれば、私の意識が、客観的にない脚に痒みを感じることはないはずである。彼は、デカルト的伝統を受け継ぐサルトルのように対自主体、即自客体を明確に二分することに誤りがあり、両者を不可分の融合的統一のうちにとらえられるべきであると主張する。主体でも客体でもあると同時に主体でも客体でもない裂開の中心である両義的な存在、それが身体である。生理的な反射でさえ、生きた身体が環境に対して有する全体的態度、意味の把握を伴うし、その全体性は決して私の反省的意識に還元し尽くされることはない。私と世界の間の身体による関係は、全体的な構造であるばかりでなく、時間的に発展する構造でもある。彼にとって即自存在と対自存在の対立は、以上のような構造を有する、より一層深い媒介の所産なのである。このようなメルロ=ポンティの身体論はフロイトと容易に結びつく。このような構造に関する理論が身体論に適用されるだけでなく、これを超えて社会と個人の関係に拡張されるまではそれほどの時間を要しなかったのである。

構造主義

テンプレート:Multiple image 『存在と無』によって、一躍時代の寵児となったサルトルは、その後、『弁証法的理性批判』(1960年)において、実存主義マルクス主義の内部に包摂することによって、史的唯物論を再構成し、ヘーゲル‐マルクス的な歴史主義とデカルト‐フッサール的な人間主義との統合を主張するようになったが、その後、サルトルとクロード・レヴィ=ストロースの論争をきっかけに、マルクスの上部構造/下部構造、生産力/生産関係といった構造的な諸概念が実体化されていること、また、デカルト-フッサール的な近代的な主体を思想の前提として実体視していることを批判し、構造主義が台頭するようになった。

ポスト構造主義・ポストモダニズム

1966年、ストラスブール大学に端を発した学生運動はフランス全土に拡大し、いわゆる五月革命がおこると、あろうことか本来労働者の側にあるはずのフランス共産党(PCF)がストライキを押さえ込み、当時の左翼文化人もこれを支持し、マルクス主義への民衆の幻滅を後押し、マルクス主義の頽落と共に近代的な主体という概念を前提に、積極的な政治参加を肯定したサルトルの実存主義も運命を共にすることとなった。五月革命の結果は、左翼勢力が民衆の支持を失い、保守勢力による安定的な政治・ハイテクを背景にした大量消費社会の実現を準備したのである。

そして、実存主義・マルクス主義を批判してきた構造主義にも批判が生じ始める。構造主義は、主体たる人間が無意識的に普遍的な構造に規定されていると主張し、現象の背後にある構造を分析することによって、あるシステムの内的文法をとりだすことができ、各システムはそれにしたがって作用する。そこでは、あらゆるものが予想可能になり、偶然性や創造性といったものが排除されてしまうのである。

いわゆるポスト構造主義の論者とされる者たちは、構造主義のもつ、構造を静的で普遍的なものとし、差異を排除する傾向に対して、それは西洋中心のロゴス中心主義であるとして異議を申し立てたのである。デリダによると人間が言葉(ロゴス)によって世界の全てを構造化できるという発想自体、実存主義・マルクス主義と同様に西欧形而上学から抜け出せておらず、構造主義によって形而上学を解体しようという試みもまた形而上学にすぎないと批判し、脱構築による階層的な二項対立を批評する。ミシェル・フーコーは、当初構造主義者とみられていたが、権力の構造を暴くことにより、西欧的な理性・絶対的な真理を否定していることから、ポスト構造主義者とみられるようになった。

そのような状況下において、リオタールは、『ポストモダンの条件』(1979年)を著したが、彼によれば、「ポストモダンとは大きな物語の終焉」なのであった。「ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わる」と言ったコジェーヴの強い影響を受けた考え方である。正にマルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わり、高度情報化社会においてはメディアによる記号・象徴の大量消費が行われる、とされた。この考え方に沿えば、"ポストモダン"とは、民主主義科学技術の発達による一つの帰結と言える、ということだった。

このような文脈における大きな物語、近代=モダンに特有の、あるいは少なくともそこにおいて顕著なものとなったものとして批判的に俎上に挙げられたものとしては、自立的な理性的主体という理念、整合的で網羅的な体系性、その等質的な還元主義的な要素、道具的理性による世界の抽象的な客体化、中心・周縁といった一面的な階層化など、合理的でヒエラルキー的な思考の態度に対する再考を中心としつつも、重点は論者によってさまざまであった。したがって、ポスト・モダニズムの内容も論者や文脈によってそうとう異なり、明確な定義はないといってよいが、それは近代的な主体を可能とした知、理性、ロゴスといった西洋に伝統的な概念に対する異議を含む、懐疑主義的、反基礎づけ主義的な思想ないし政治的運動というおおまかな特徴をもつということができる。その意味で単なる学説・思想ではなく、より実践的な意図をも包含するムーブメントといえるのである。それは左翼なき社会、大量消費社会において、自由と享楽を享受しながらも、反権力・反権威である続けるための終わりない逃走なのである。

エピステモロジー

現代のフランスの科学的認識論は、「エピステモロジー」(Épistémologie)とよばれ、科学哲学と分野が一部競合している様相を示している。エピステモロジーは、科学史と哲学の密着な結びつきを重視するが、他方でイギリス経験論を拒否し、コント以来の実証主義的伝統を受け継ぐという特徴を有しているが、科学哲学とはその発展の歴史が異なるだけでなく、科学哲学が有する総括的な意図、論争的な調子とは一線を画しているという特徴も有している。

フランス反省哲学

ラシュリエラニョーらによって始められた、デカルトに端を発するフランスの哲学的伝統の下、フランス・スピリチャリスムのメーヌ・ド・ビラン哲学の土壌に、イマヌエル・カントの批判哲学を移植した哲学をフランス反省哲学という。反省とは論者によって微妙なニュアンスの違いがあるが、常に精神をその作用およびその産出物において考察することをその方法論とし、直観主義に異議を唱える。生の哲学にも現象学にも大きな影響を受けず、独自の思索を深めたが、フランスでも地味な存在であるという。ポール・リクールがその伝統を引き継いでいる。

新トマス主義

トマスの思想は、近代的認識論の成立により、急速に衰え始めたのであるが、19世紀になると、新トマス主義の存在論として復活した。大きくフランス・スピリチアリスムの伝統の中から復活したものといえるが、新トマス主義には、人格神たる神が存在するという神学的な立場を前提に、トマスの哲学を研究しようとするもの、そのような立場については判断を留保し、現代的な哲学・科学の成果を取り入れ、修正すべき点は修正した上でトマス哲学を研究しようとするものの二つに大きく分かれるといってよい。特に論争となっている点は、カントによる批判哲学、認識論の研究成果については、エティエンヌ・ジルソンのように、存在論に対する認識論的優位を認めてしまうと、結局は観念論に行き着いてしまうことからする消極的な立場と、むしろトマスの哲学には認識論的に示唆に富む記述が多いとして、フランス反省哲学のように、これを現代的に修正していこうとする立場がある。もっとも、前者の立場といえども哲学はあくまでも理性に基づくものであり、「神と魂の存在」という共通の信念をもっているとしても、神学とは区別され、その限りで「キリスト教的哲学」というものも存在するというのである。

フランス現代思想家

参考文献

関連項目

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